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『それがな、意外に覿面なんだよ。女の子のチェックって厳しいんだな』

 冴木の台詞を何度も何度も頭の中で反芻させながら、アキラと暮らすマンションに帰り着いたヒカルは渋い表情でドアノブを握り締めた。
 アキラはすでに帰宅していると、少し前にメールが届いていた。こんなに難しい顔をして中に入って行けば、待っていたアキラから何かあったのかと詮索されることは間違いない。
 ヒカルは眉間に寄っていた皺をご丁寧に指先を使って伸ばし、何気なさを装ってドアを開く。
 ただいまと声をかければ、奥からおかえりと返って来る部屋。それはとても幸せで、自分がおかえりと声をかける側であっても嬉しい瞬間なのだけれど。
 こんなに幸せに感じているのに、些細なことで不安になったり苛々したりするのは何年経っても変わらないのだ。
 ヒカルはリビングに顔を出し、ヒカルの帰宅に合わせて夕食を並べていたアキラがこちらを振り向いたのを見て慌てて笑顔を作った。
 アキラは少しだけ不思議そうな顔をしたが、軽く小首を傾げて笑い返してくれる。
「おかえり。晩御飯できてるよ」
「あ、ああ。鞄置いて来る」
「ちゃんと手も洗えよ」
 ハイハイといつも通りの会話を交わし、ヒカルはふっと息をつきつつ自室へ向かった。
 アキラはいい男だ。今日みたいに先に帰って来た日はヒカルの好きな食べ物を用意して待っていて、迎えてくれるその笑顔は何度見ても惚れ惚れするほど優雅で格好良い。
 時々くだらないことで喧嘩をすることはあれど、一緒に過ごす日々のうちの僅かな時間だ。この状態を幸せと呼ばずして何を幸せというのか、自分を問いつめたいくらいだけれど、それでもまだ満足し切れていない我が儘な気持ちがあることをヒカルは知っていた。
 あれだけいい男なのだから、当然アキラはモテる。本人にその自覚がないから余計にヒヤヒヤする。
 当たり前だが女っ気のないアキラを狙ってぞろぞろと女が寄って来ているのを、大丈夫だと分かっていながらもムカムカと見守って来たヒカルにとって、今日の冴木の言葉は実に興味深いものだった。
 リビングに戻ってキッチンを覗くと、アキラが炊飯器の飯をさくさくと掻き混ぜていた。行動は所帯じみているのに、何故かしゃもじを持つ姿まで絵になるのが不思議でたまらない。
 牽制。……確かに冴木の彼女の気持ちも分かる。冴木は見た目もオシャレで格好良いし、さりげない気配りができる大人の男だ。わらわらとファンが集まるのはさぞや不安で面白くなかっただろう。
 その牽制アイテムに指輪を選ぶとは、さすが女性の着眼点だろうか。自らつけるのではなく、つけさせることに意味がある――タイムリーな話題だったせいもあり、ヒカルの頭はすっかり指輪一色に染まってしまっていた。
 つやつや光る白い飯をよそっている、アキラの右手。茶碗を支える左手の長くてすらりとした指。
 あの薬指に銀色のリングが光っていたとしたら……
(――あれ、結構格好良くねえ?)
 あの綺麗な指にシンプルな指輪がはまっている図は、想像の中だけでもどきっとするほど様になっていた。
 石を打つ時は利き手の右手を使うから、冴木も言っていた通り邪魔にはならない。男連中は総じて反応が薄いとも言っていた。
 だけど女性の視点なら、アキラの左手薬指に光る指輪に鋭くチェックが入るはずだ。
(牽制か……)
 思わず腕組みをして、玄関のドアを開ける前と同じく難しい顔をしてしまう。
 じっと秋刀魚の塩焼きを睨んでいるヒカルを、アキラが奇妙な目で見つめていた。
「進藤……骨が心配なのか?」
「え?」
 突然おかしな単語を耳にして顔を上げると、アキラは真剣な顔でヒカルを説き始めた。
「この前小骨が喉に引っ掛かって大騒ぎしたから魚を敬遠する気持ちも分かるが、旬だし身体にもいいから。どうしても骨が嫌なら、ボクが小骨を取ってあげるよ」
「……」



 細くて節の目立たない指が箸を器用に動かし、秋刀魚の小骨を取り分けてる。秋刀魚の乗った皿に静かに添えられている左手も、何故だかそこにあるだけで優雅に見えた。
 アキラの繊細な箸遣いをじっと見つめながら(結局骨を取ってもらうことにした)、ヒカルは再びあの手に指輪が輝いていたら、と想像を再開させる。
 不思議だ。小さなリングが薬指の付け根に追加されただけで、アキラに大人びた生活感を帯びさせる。
 すなわち、アキラが他の誰かのものであるということ。――指輪ひとつで大袈裟なと、少し前ならヒカルもそう思ったかもしれないが、実際にイメージしてみれば決してそれは誇張ではなかった。
 普段装飾品をほとんど身につけないアキラだが、シンプルなリングなら控えめに彼の魅力を引き立たせるだろう。そのささやかな変化に女性たちがうっとり見惚れたとしても、指輪がはっきりと誇示する。――そいつは俺のもんだ、と。
 昨夜とは随分違った方向の想像に、ヒカルは顔がにやけてしまうのを堪えるので必死だった。
(……悪くねえな……)
 目立たず、かつターゲットには分かりやすく、アキラが自分のものだと主張できるわけだ。おまけにいい男度もアップして、昨日の様子からして本人は指輪に抵抗がないだろうから、つけろと言って断ることはまずないだろう。
 来週はヒカルの誕生日がやって来る。きっとアキラは何かしらプレゼントを寄越すはずだ。お返しとしてアキラの誕生日の十二月まで待つのは長過ぎるけれど、タイミングよく来月には付き合い始めて五周年の記念日が来るのだ。
 いつもはアキラがせっせと記念日のセッティングをするのをぼけっと受け入れるだけだったが、今回はサプライズでプレゼントを用意してやってもいいだろう。
 指輪なんて渡したら、アキラはどんな顔をするだろうか……想像すると照れ臭くてまた自然と顔が笑ってしまうが、アキラはそれを骨をきれいに取り除かれた秋刀魚のためだと思ったようだ。
「秋刀魚、そんなに好きだったっけ?」
「……うん」
 どうしても緩んでしまう頬を押さえられない――滅多にプレゼントなんか用意したことのないヒカルは、自分が何かをアキラにプレゼントするだけでも恥ずかしくて嬉しいのに、それが特別な指輪であることにすっかり舞い上がってしまっていた。


 ――ところが問題は。
「……あいつ、指輪のサイズっていくつだ……?」
 一番風呂を堪能し、二番手のアキラが風呂に入っている間にちゃっかりビールで喉を潤しながら、一人きりのリビングでヒカルはぽつりと呟いた。
 いざ指輪を贈ろうと思うとそれだけで頭がいっぱいになってしまったが、出鱈目に買うわけにはいかない。もしもプレゼントした指輪が緩かったり、全く指に入らなかったりしたらちょっと空気が白けてしまうかもしれない。
 ヒカル自身も指輪なんてつけたことがないから、大まかなサイズすら見当もつかない。そもそも指輪のサイズの単位は何だろう?というレベルだ。
「困ったな……どうすっかな……」
 本人に直接尋ねてしまったら、サプライズの意味がない。いや、サプライズである必要性は全くないのだが、せっかく指輪なんて特別なものを贈るのだから驚かせてやりたいという悪戯心を尊重したいのだ。
 事前に準備していることを伝えるより、当日いきなりひょいと指輪を差し出したら――アキラはきっと目を丸くするだろう。口なんか半開きになるかもしれない。
 その光景を考えるだけで身体がむずむずしてしまうくらい恥ずかしくて楽しいのだが、実現させるためにはサイズを知る必要がある。
 さて、どうするか……冷えたビールを一口含み、ヒカルは腕組みをして考え込んだ。