Unstoppable






 夜になって外気がひんやりと肌を刺激し、時折吹き付ける風に身を竦めながら、ガサガサとコンビニ袋を一袋ずつぶら下げた三人は夜道を歩く。道端の石ころを蹴っ飛ばし、無意味に暗い空を見上げながら。
 二つ乗り換えた先の駅から徒歩十分弱。決して遠くはないが、寒さが染みる今時期はその十分がとても長く感じられる。
「なあ、お前んちあったかい?」
 手首にコンビニ袋を通してポケットに手を突っ込んでいるヒカルは、顔だけひょいと一歩前を歩く社に向けて尋ねた。
「三階やからな。下に人いる時はあったかいで。夏は死にそうやったけどな」
「まさかクーラーないのかよ?」
「和谷ん家と一緒にすな。あるけど、寝る時までつけっぱなしにはせんやろ。もー何度夜中に目ぇ覚ましたか」
「和谷ん家なんか今年はマジでヤバかったぜ。アイツ、逆に快感になってんじゃねえだろな」
 共通の友人の話題で盛り上がる二人の会話を、アキラは黙って聞いていた。社は何も口を挟まないアキラが一瞬心配になったが、後ろを振り向く不自然な動作を見せるわけにいかず、表情を確かめることができなかった。
 程なくして社の暮らすアパートに到着し、外付けの階段を社、ヒカル、アキラの順でカンカン靴音を鳴らしながら上がっていく途中、ふいに賑やかなメロディーが寒空に鳴り響いた。タイミングよく慌てたヒカルを振り返った社は、すぐにヒカルの携帯電話だと察する。
 ヒカルはポケットから取り出した携帯の液晶画面を覗き、少々渋く眉を寄せる。
「中学ん時の友達だ。悪い社、これ頼む」
 誰に聞かせるでもなく呟いたヒカルは、社にコンビニ袋と一泊分の荷物をぐいと押し付け、アキラの肩に軽く触れてからその脇をすり抜けて階段を下りていった。
「おーい、別に部屋で話してもええで」
 階段の上から社が声をかけるが、振り向いたヒカルは大げさに手を横に振る。
「ちょっと長くなりそうだからー。どーせ部屋狭いんだろ、終わったら行くから鍵開けといてー。」
 言葉の途中でもどんどん下へ降りていくヒカルの声が遠くなる。せやけど、と言いかけた社のすぐ目の前まで上がってきたアキラが、社の腕をぽんぽんと叩いた。
「ああ言ってるんだ。先に行こう。友達相手なら自然と声も大きくなるだろう。彼なりに気を遣ってるんだ」
 静かに諭すアキラの台詞に若干目を丸くしつつも、渋々社はすでにアパート前の小さな駐車場まで降りていったヒカルに上から声をかける。
「風邪引くなよー!」
 携帯電話を耳に当てたまま、ヒカルは笑顔で手を振っていた。


「お邪魔します」
 先に中に入っていった社の後に続き、玄関で丁寧に靴を揃えたアキラは二歩程度で終わってしまった廊下に首を傾げていた。
 広めのワンルームだが、ベッドやいくつかの家具が置かれてそれなりの圧迫感を感じる。むき出しのフローリングは寒々しい印象を与えるが、汚れた様子はなく日頃からこまめに掃除されているようだった。
 コンビニの袋を出しっぱなしの折りたたみテーブルの上に置きながら、アキラは失礼にならない程度に部屋の中を見渡している。そんなアキラの様子を横目で伺いながら、ささやかな男三人の宴会用に購入してきた飲み物を冷蔵庫にしまった社は、まだヒカルが戻ってくる気配がない玄関の方向を一度だけ見やって口を開いた。
「……、気にならんのか。アイツが外で電話してんの」
 アキラはジャケットを脱ぎながら、静かに目を伏せて答えた。
「……全く気にならないと言えば嘘だ。でも、彼がああいった行動を隠そうとしないことが、彼なりのボクへの意思表示だと今はちゃんと分かっている」
 脱いだジャケットを手際よく畳むアキラを見て、社は慌てて壁にかかっていた針金ハンガーを手渡す。ありがとう、と受け取ったアキラはジャケットをハンガーにかけ、社が示す壁にゆっくりと吊るした。
「彼はボクにやましいことなど何一つないと、いつも身体全体で表しているんだ。外に出たのも、この部屋の主であるキミと、ボクに対するただの気遣いだ。それは疑う必要のないものだと……時間はかかったが、ようやく納得できた」
 自分の背丈よりも少し高い位置のジャケットを見つめながら、壁に話しかけるようにアキラは淡々と言葉を紡いだ。
 そんなアキラの横顔を見ていた社は、ふいにアキラが自分を振り向き、しっかりと両目を合わせてきたのを見て僅かに身構える。
 アキラの目は静かだった。――社は、北斗杯の時に見た霞のかかったような彼の目を思い出し、彼の中だけで吹き荒れていた嵐が凪いだことをしっかりと確信した。
「――すまなかった。どれだけキミをがっかりさせたか……あの時のボクは、求めるばかりで自分が与えられているものに目を向けようともしなかった。本当に……愚かだったと思っている……。」
「……塔矢」
「誰の声も、必要ないものだと思い込んでいたんだ。――彼さえいれば何もいらない――それだけで生きていけると思っていた。彼がいなければ生きていけないと思っていた。でも、どちらも違った」
 アキラはそこで一度言葉を区切り、まるでため息のような細い息を静かに吐き出して、同じリズムでゆっくりと吸い上げた。
 緩やかな深呼吸で伏せられた目は、また上向きの角度を取り戻し、躊躇わずに社を見つめる。
「ボクも彼も、それぞれ大切なものがある。その存在を否定することは、自分自身を否定するのと同じだとようやく気づいた。……人の助けを借りなければそんなことにも気づけなかったボクだが……それでも、待っていてくれた。ボクはもう間違わない」
 決して大きな声ではないけれど、一言一言をきっぱりと告げるアキラの言葉の力強さを正面から受けて、社はかつて見たヒカルの姿と今のアキラが重なって見えるような気がしていた。
 別れを選んだのだと、迷いのない目で伝えたヒカル。あの強さがアキラの中に生きている。
 急がず、妥協せず、しかし全速力で――アキラをスタートラインまで導いた無言の強さが、どれだけ辛い代償の元に成り立っていたか、社は他の人間よりは分かっているつもりだと口唇を噛む。
 痛みを越えてきた。彼らが並んで前を向いた。それを素直に喜べる自分を少し誇らしく思いながら、社は軽く鼻を啜る。
 アキラは微笑を浮かべ、黙って右手を社に向かって差し出した。社が一瞬戸惑うと、
「ありがとう」
 アキラは一言礼を口にして、穏やかながらも意志の強い黒目を輝かせ、はっきりと笑顔を見せた。
「ずっと、直接礼が言いたかった。気にかけてくれて……ありがとう」
 その言葉と、いつかのメールの返信で届けられた簡潔な一言がぴったりと重なり、社もまた晴れやかな笑顔を向けた。
 アキラが差し出す右手をしっかり握り、ありったけの思いを込める。握り返すアキラの手のひらからは確かな熱が伝わってきた。
「おっし、そんじゃ乾杯すっか!」
 ヒカルを待たずにいそいそ冷蔵庫へ戻った社は、手にしたビールの一本をアキラに投げて寄越す。思わず受け止めてしまったアキラは、困った顔で社を見た。
「待て、これはキミたちの分に買ってきたんだろう? ボクが飲めないの知っているくせに」
「まあええやろ。どうせお前は二本も飲んだらええとこやし。足りなくなったらまた買うて来るわ。めでたい時は素直に飲むもんやで」
 アキラの苦情を聞き入れない社は、続々とつまみに属するスナック菓子を引っ張り出しては封を破り始める。ええからええからと宥められ、渋々ビールを手にしたまま社の隣に腰を下ろしたアキラは、ちらりと玄関の方向へ目を向けた。
「先に始める気か? 後でうるさいぞ」
「ええやろ、アイツ来たらまた乾杯し直せばええやん。おっしゃ、まず前祝いで乾杯や」
 ぷしゅっと小気味良い音を立ててビールを開けた社に急かされ、アキラもやれやれとプルタブを引く。アルミの缶をぶつけて乾杯すると、ボコンと鈍い音が失笑を招いた。
 買ったばかりで冷えたままのビールを一口流し込み、社はぷはっと年に似合わない息を吐いて満足そうに口元を緩めた。
「せや、さっき気になったんやけど、進藤がスケジュール詰めてる理由て何や? そら、お前のブランクが響いてるのは分かるけど……それだけやないやろ?」
 アキラは喉が渇いていたのか、意外にもごくごくと喉を鳴らしてビールを口にしてから、品良く息をついて答える。
「……一緒に、暮らそうと思って」
「は?」
 予想していたものとはかなりズレた答えが返ってきて、社はあからさまに顔を顰めて聞き返す。
 アキラはぼんやりビールの涙型の飲み口を見つめながら、独り言のように呟いた。
「すぐにではないんだけど。……予定では、半年近く先だけど。その準備にまとまった休みが欲しいから、今のうちに仕事を詰めてるんだ。まだ時間はあるし、無理をするなと何度も言ってるんだが」
「……、ああ、なるほど……」
 ようやく事態を飲み込んだ社は、ほんの僅かだけれど痩せたヒカルが元気いっぱいだったことへの合点がいき、何度か小さく頷いた。
「後で休みをもらいやすくするために、断れる仕事も全部引き受けて走り回ってる。そこまでしなくてもいいと言っているのに……動いているのが楽しいらしくて。痩せたのも本当だ。本人はダイエットの手間が省けたなんて呑気なことを言っているが」
「元々ダイエットが必要なヤツやないしな。あんま張り切りすぎて倒れても知らんで」
「ボクもそれを心配している」
 心成しかふわふわした口調で呟いたアキラは、再びぐっとビールを煽る。その飲みっぷりに社が小さく拍手をしてやった時、玄関から物音が聞こえてきた。
「社ー、入っていいー?」
 ドアの向こうから聞こえる声に、おーと返事をした途端、社の肩にどんと重たいものがぶつかってくる。
 何事かと振り返ると、顔を真っ赤にしたアキラがうつろな目で社を背凭れの代わりにしていた。ぎょっとした社はアキラの手からビールを取り上げるが、缶はすでに空になっている。
「あ〜もう、相変わらず弱いやっちゃな。全然成長しとらんやんけ」
 すでに微かな唸り声しか漏らせなくなっているアキラを憮然と見下ろした時、ドアが勢い良く開いて外気に少し頬を赤くしたヒカルが現れた。
 お待たせ、と最初は笑顔だったヒカルは、社にぐったり凭れるアキラを見て眉を寄せる。
「おい、塔矢どうしたんだよ」
「あー、今ビール飲ませたら酔っ払ってん。一缶しか飲んどらんのに」
 アキラを転がそうと社はアキラの肩を掴むが、ふにゃと力の抜けた身体はうまく持ち上がってくれない。苦戦している反対側にヒカルが回り、しょうがねえなあと苦笑しながらアキラに手を伸ばそうとした。
「コイツさ、実はすっげー酒弱くて……」
「ほんまになあ。全然変わっとらんわ。前より弱くなっとるんちゃうか」
 アキラの脇に手を差し込みかけていたヒカルがぴたりと動きを止める。
 てっきりヒカルがアキラを転がす手伝いをしてくれると思っていた社は、相変わらず自分にかかる体重がちっとも軽くならないことに眉を寄せてヒカルを見た。
 ヒカルは俯きがちの角度のまま、社に目を向けずにぽつりと尋ねてきた。
「……、お前、なんでコイツが酒に弱いこと知ってんの?」
 その声の低さにすぐに気づけなかった社は、若干の疑問を感じつつも素直に答えた。
「ああ、前にな、二人で飲んだんや。二年くらい前やな……コイツビール一缶とちょっと飲んだだけで潰れて、そん時も転がすの大変で」
「……、へ〜え……二人で……二年も前に……」
 ヒカルの声から極端に抑揚が消えたことに、社は静かな恐怖を感じた。
 俯いたままのヒカルの顔を覗き込もうと、恐る恐る首を曲げたその視線の先に――無に近い表情で社を睨むヒカルの据わった目を見つけ、ヒッと引き攣った悲鳴を上げて思わず背中を仰け反らせる。その弓なりになった腹の上にどさっとアキラが落ちてきて、社はなおも仰け反った。
「仲いいんだな、お前ら」
 不機嫌を丸出しにした声でそれだけ呟くと、ヒカルはすっと立ち上がり、部屋の脇に置いてあった自分の荷物を掴んで肩にかけた。
「お、おい、進藤!? どこ行くんや!」
「どっかでホテル探す。どうぞ二人で仲良くごゆっくり」
「はあ!? な、何お前的外れな嫉妬しとんのや! 男友達と一緒に飲むことくらいあるやろが! つーか塔矢、お前も目ぇ覚ませ!」
 ぐたりと身体を社に預けたアキラの目はしっかり閉じられていて、耳に声が届いている様子はない。
 社が何とかアキラを押しのけようと格闘している間にも、ヒカルは躊躇わずにたった今入ってきたばかりの玄関へ向かってしまう。
「くれてやる、そんなおかっぱ」
「い、いらん! マジでいらん! 進藤っ、待てや〜! 頼む、待ってくれ〜!」
 すっかり臍を曲げたヒカルを追って、すっかり潰れたアキラを蹴り飛ばして社がようやく不貞腐れたヒカルを連れ戻したのは三十分後。
 アパートの外で、勝手に仲良くやってろ、誤解や、と喚く二人を他の階の住人たちが、カーテンの隙間からホモの痴話喧嘩だと物珍しげに覗いていた。
 結局その後の宴会は、予定していた楽しい酒から自棄酒に変わり、眠りこけるアキラの横で雑念だらけの私情を挟んだ容赦ない碁を何度か打った二人もまた明け方を目前に潰れ、翌朝は三人揃ってコンビニで栄養ドリンクを買うことになった。
 アルコールに鈍痛をもたらされた頭でも仕事は仕事としっかり切り替えて、無事にイベントをこなした後に二人は東京へ帰っていった。
 迎えた時と同じように駅で二人を見送った社は、すっかり自分を取り戻したアキラはともかく、意外なヒカルの嫉妬深さを思い出してぶるりと身震いするのだった。






30万HIT感謝祭リクエスト内容(原文のまま):
「社ファミリー再登場させてほしいです〜♪
今度は+ヒカルか、もしくは+アキヒカで〜v
シチュエーションはお任せで!」

ヒカル+美冬のリクエストに続き再び社一家でした〜。
捏造した家族に対してリクエスト戴けるなんて有り難いです。
18〜19歳の節目が近くて一家がおまけのように
なってしまったのは申し訳ありませんでした!
ヒカルは下戸アキラは自分一人の秘密だと思っていたので
社が知っていたことがかなり気に食わなかったのです。
さああと一ヶ月でいよいよラストステージだ!
リクエスト有難うございました!
(BGM:Unstoppable/INORAN)