というタイトルの本を読んだのです。残念ながら(?)私が酔って記憶をなくせたわけではありません。正確なタイトルは「酔って記憶をなくします」と続編の「ますます酔って記憶をなくします」(石原たきび編・新潮文庫)。全国の酔っ払いの方々がやらかした(←この‘やらかした‘という表現がピッタリなんです)爆笑失敗談&武勇伝。mixi内でのコミュニティに寄せられた投稿をまとめたものなのですが、もうこれがおかしくって!新宿で飲んでいたのに、気がついたら渋谷のファミリーレストランで知らない男性と婦人靴業界の未来について語り合っていた、とか、目が覚めたらベッドのなかで全裸。髪にはトリートメントがついたまま。お風呂の浴槽のフタの上に自分が作ったらしいスパゲッティと飲みかけのワイン、洗面器にもワインが入っていて、どうやら飼い犬にもワインを飲ませたらしい、、とか。もうわけがわかりません。気がついたら知らない人と知らない場所で、普段とはまったく違うことを話しているって、もうSFのタイムマシンじゃあないですか。前書きにも「記憶のないめくるめく世界へようこそ」とあるし。いいなあ・・・。体質的にアルコールを受け付けないので、残念ながら身をもって体験することができないのですが、この2冊を読んでいるだけで、「まあ、いろいろあるけどいいじゃない」というほろ酔い気分になれました。そしてあらためて、どうして人はお酒を飲むのかがわかったような気がしたのです。
以前も書きましたが、私は何か問題や心配事が起こったときに、根本から解決しなければ気がすまなくって。いっときの気分転換をしたって、それはそのとき問題を忘れるだけだから、面倒でもほんとうの原因を調べてそこから直していかなくっちゃ、と考えてしまうのです。ですが、この年齢になると(年齢のせいなのか、世情によるものなのかわかりませんが)なんの心配事もない時期ってありませんね。仕事のことだったり家族のことだったりいろいろですが、ある程度深刻な問題が途切れません。ひとつ解決したと思うと、なぜかまた違う問題が起こるのはどうしてなのでしょう。ほんとに「一難去って、また一難」とはよく言ったものですね。けれどよく考えてみると、昔に比べればうまく進んでいることもあるのだから、その分、別のどこかにしわよせがきているということかな?人に与えられる幸運・不運はプラスマイナス・ゼロだと思うので、よいことも悪いことも均等に起こっているはず。だから根本解決できない悩み事を、たとえ一時だけでも忘れて楽しい気分になるために、お酒というものがあるのかな、なんて考えたのでした。音楽も同じかな?すうっと気持ちよく聞いていただける歌をお届けできるよう、がんばらなくっちゃ。
そうそう遅くなりましたが、2月10日、御徒町アリエスでのバースデー&バレンタインライブには、大勢の方にお越しいただき、本当にありがとうございました。最初のステージはお席が窮屈で申し訳ありませんでした。FaceBookでもたくさんの方からお祝いメッセージをいただき、幸せな誕生日でした。
うるう年の2月29日が大雪とは、なんだか不思議な感じです。三寒四温でなかなかほんとうの春にはなりませんが、梅、桃、そして桜と続く花の季節までもう少しですね。今週末は雛祭り。お雛様カードを送ったくらいで何の私的なイベントもありませんが、甘酒くらいは飲んでみようかな。
大越 康子
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