今年も半分が過ぎ、後半戦がスタートしました。「戦」なんて言ってしまうのは、毎日何かと戦っている気がするから。敵は年齢だったり(笑)プレッシャーだったり(泣)意思の疎通がなぜだかうまくいかない人だったり(怒)します。けれど戦いが終わる日なんてなくて、生きている限り続くのでしょうから、そう気張らずに
なんとなくすり抜ける、または慣れるほうがいいのでしょうね。戦いなんて思うと気持ちだけでなく、お肌にも悪そうですし・・・。
ところで、今日は出版営業という仕事のお話です。私のプロフィールには、舞台女優からジャズボーカルに転向、となっていますが、一時期、会社勤めをして出版営業の仕事をしていたことがありました(その頃も夜やお休みの日はお芝居をしていました)。勤めていたのはコンピュータソフトウェアのメーカーで、自社製品のマニュアルをはじめ、理工学書、ビジネス書etc.さまざまな書籍を出版していたのです。私の仕事は本屋さんを回って、注文を取ること。黙っていても取次と呼ばれる本の問屋さんを通して少しは入荷するのですが、一冊でも多く仕入れてもらい、お店の平台に表紙がみえるように積んでいただく、という仕事でした。音楽の仕事に直接関係ないのでプロフィールに書かずにいたら、自分でもこうした仕事をしていたことをほとんど忘れちゃっていましたが、このたび出版営業マンが主人公の本を読んで、懐かしく思い出したのです。
その本は大崎梢さんの「平台がおまちかね」(創元推理文庫)。新人出版営業マンが書店まわりをしながら、身近に起こる謎を解いていくという物語。謎事体は他愛もないもので、ハートフル・ミステリーとでもいうべきでしょうか。なので謎解きよりも出版営業の仕事内容を懐かしく読みました。注文書を持って、棚とその下のストックも開けて、在庫チェック。接客で忙しい担当の店員さんを待って、新刊を紹介、注文をいただき、業界のおしゃべりをする。力を入れている本には、宣伝用のポップやポスターも作って持参する。せっかく行っても担当者が留守だった場合にはチラシに名刺とメモを添えておいてきて、翌日電話する。こうして書くと簡単な仕事のようですが、大学を卒業したばかりの私には、結構大変でした。
まずそれまで学校と劇団とバイト先くらいしか出歩かなかったので、電車の乗り継ぎがわからない!(今なら携帯で簡単に調べられますが、当時はまだ携帯電話なんて一般には普及していなかったのです)路線図を見て、やっと目指す駅にたどり着いても、そこから目的の書店まで、地図を見てもよくわからず(地図が読めないんです)迷いながら行く。到着して理工学書の棚にたどり着き、担当者にあいさつして、やっと仕事開始。でも‘とらばーゆ‘でみつけて(一般企業からの求人はまったくこない社会福祉の専門大学でした)新卒で入社したばかりで、世間話もできないし、その種の本を扱っているにも関わらず、コンピュータの中身にも業界にも真っ暗で、自分より年上の担当者と話すのは結構苦痛でした。それでも新刊本は返品がきくので、新人が汗だくになって頑張っているなあ、とお情けで(いえいえ本そのものの魅力もありましたが)たくさん注文してくださる方も多く、首都圏、及び関西方面書店の理工学書ご担当の皆様、ほんとうにお世話になりました。一体、何十年たってからお礼を言っているんだ、私は・・・!その後社内で異動があり、内勤になったのですが、4年くらいは書店回りをしていましたね。今思えばあの頃こそ「日々戦い」でした。
時は過ぎ・・・去年のある日、神保町の古書店で、私が売っていた「過去カラ来タ未来」という本を見つけました。19世紀に某イラストレーターが、2000年の世界を予想して書いたイラストにアシモフがエッセイをつけたもの。変わった判型で目だちます。あまりの懐かしさに手に取ったのですが、なぜだか(お金がなかったからではなくて!)また棚に戻してきてしまいました。その話をスタッフにしたら「きっとそれはもうその本を知っているオオコシさんじゃなくて、また誰か別の人に手渡されるべきだったのでしょう」と言ってくれたので、そうだと思っています。でも自分が昔売っていた本と、書店街の神保町で懐かしく再会するとは。しかもその本のタイトルが「過去カラ来タ未来」だとは、なんとも不思議な気持ちになったのです。遠い将来のいつか、こうしてつれづれを書いていたことを懐かしく思う日がくるのでしょうね。戦いは続きますが、毎日がんばろうっと。
大越 康子
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