泣きたい平常心

 すっかりご無沙汰してしまいました。今はゴールデンウィークの最中ですが、いかがお過ごしでしょうか?晴れていて、暖かな日なのですが、私の部屋はなぜだか外の気温を感じません。午前中はよく陽射しが入るんですけどね。冬もあまり寒さを感じないのはよかったけれど、夏暑いのが大好きなので、暑さを感じないのはちょっと寂しいかな。でも、外の温度に関係なく、一定の気温を保っているというのは、状況に惑わされずに、いつも平らかな心持ちでいたい、という私によく合っているような気もしています。そんなふうに考えて、ここに引っ越してきたわけでは全くないんですが。

 平常といえば、最近発見したことが。血圧計をいただいたので、毎朝、計ってみています。健康診断を受けるときに計ってもらってはいたのですが、数値を教えてもらっても、これまでどうしても覚えられなかったのです。上と下、2つの数字を覚えるのはムズカシイな・・・大丈夫か私?とにかく覚えられないものの、検査して「血圧、異常なしです」と言われていたので、気に留めたことがありませんでした。で、この度、ちゃんと記録もできる血圧計で調べてみたところ、なんと!毎朝、ほぼピッタリ同じ数値が出るのです。上は100、下は60。もちろん微妙に上96、下58だったりはしますが、プラスマイナス10くらいしか違いません。これって普通、皆そうなのでしょうか?かなり、一定なほうなのでは?私の平常心志向は、ついに体にまで効果を及ぼしたか〜、と満足している次第です。

 けれど、最近思うのです。時には平常心を保てなくなる瞬間があってもいいんじゃあないか、と。まあ仕事のときはいつもクールなほうがいいでしょうが(音楽の表現として熱くなるのは別として)、それ以外の時間ではもっと泣いたり、笑ったり、怒ったりしてもいいんじゃあないかな、と。あ、でも、もうじゅうぶんに怒ってはいるかな。表にだすかどうかは別として。そしてプンスカしている私をよく知る人からは「オオコシはなんて外ヅラがいいんだ」とあきれられているのです(苦笑)。なので怒りたいんじゃなくて、泣きたいのかも。泣くことで心が浄化したいのかも。

 最近泣いたのは、テレビドラマ化された、江國香織さんの「神様のボート」を観たとき。この小説は大好きで何度も読み返していたのだけれど、ヒロインの宮沢りえちゃん(もう「りえちゃん」って呼ぶのには似つかわしくないほど大人の女性なのだけれど)は主人公の葉子にピッタリだった。社会的地位も名誉もある年上の男性と結婚していながら、新しい、でも真実の恋に落ち、その恋人が別れ際に残した「どこにいてもきっと君を探し出す」という言葉だけを信じて、十数年も娘と二人で生きつづける、あやうい女性。成長し、母親が普通ではないと気づいた娘にも去られ、恋人にも会えず、生きる意欲を失って・・・。最後の最後に葉子は最愛の人と再会するのですが、その解釈にはふたとおりあるので、ここには書かずにおきますが、
「一度出会ったら、人は人を失わない。
 たとえばあのひとと一緒にいることはできなくても、あのひとがここにいたらと想像することはできる。あのひとがいたら何というか、あのひとがいたらどうするか。それだけで私はずいぶんたすれられてきた。」
という妄想に近いような気持ちで自分を支え、恋人を待ち続ける葉子に涙が止まらなかった。そういえば昔、お芝居をしていた頃、恋人を待ち続けるあまりに精神を病んだ女の役をしたことがあったなあ。三島由紀夫の「近代能楽集」の中の「班女」という戯曲で、役名は「花子」でした。あまりにもながい時間、一途にひとを待っていると、精神的に病んでしまうものなのかなあ。

 それにしても「葉子」に「花子」って、待つ女のイメージは植物系なのでしょうか?「康子」はどうでしょう?待っていて「やっぱりもう来ないのかも?」と心配になるのはいやだから、あんまり待たずに、「もういいや」ってどこかへ行ってしまいそう。平常心を保ったまま待つことができたらいいのでしょうが。

 書きながら、葉子のことを思ってまた泣いたので、少し気持ちがすっきりしたかも?バタバタしていて、つれづれは2月分からupできずにいたので、近日中に3月、4月分も書きたいです。連休はお休みの方も、お仕事の方も、どうぞ充実した毎日でありますように。

大越 康子