夏の日の想い


 8月最後の日曜日です。急に涼しいけれど、夏の疲れがでてはいませんか?私はお盆のころ風邪ひきで、帰省した秋田では涼しいのをいいことに眠ってばかり。もっともゆっくりできたおかげで治せたのですが、いつも「仕事があるから早く治したい」といって、かかりつけの病院で抗生物質をもらい、使い慣れていたのが悪かった。今回はこの病院が夏休みで、違うところで普通の薬をもらったのだけれど、全然効かない。慣れとは恐ろしいものですね。気をつけなきゃ、と反省した夏休みでした。

 さて今年はオリンピックも熱いですね。今回は日本選手団のがんばりもあり、普段あまりスポーツに興味のない私も新聞などでこまめにチェック。そして思う。目標を決めて、それにむけて地道に努力を続け、たった一度しかないそのときに挑戦するというのは、厳しいけれど、なんて素晴らしいんだろう!毎日の練習も厳しいだろうけれど、一番つらいだろうな、と思うのが、遠征して、普段と違う環境でベストを出さなければいけない、ということ。旅行が苦手で(おっと、こんなことを書くと、地方での仕事が来なくなる??イエイエ、歌えるなら別!どこにでも行きますよ〜)環境が変わるのが、何より辛い私には、外国に行って、寝る場所も、食べるものも違うところで、競い合うなんて信じられない。でも、皆そうしてるんですよね。(まあ中には選手村宿泊を拒否したり、専属料理人を連れて行ったりしてる競技もあるみたいですが)やっぱり体力だけじゃなくて、精神力も強くなくちゃいけないのね。などと、考えてみれば当たり前のことにいまさらながらに気づく私でした。

 もし自分も学生時代にでもスポーツをやっていれば、遠征や合宿があったりして、そうしたことにも慣れていたのでしょう。「何事も自分で決めてきたのだから、後悔しない」私がひとつだけやっておけばよかった、と思うのは学生時代のスポーツ。運動神経は威張れるほど悪いから、がんばっても成績はたいしたことなかったろうけれど、目標に向かう努力、本番での駆け引き、プレッシャーとの戦い、すべてがおわったあとの燃焼感、そういうものを得られたのでは。別に文化系の活動だって悪くはないのだけれど、スポーツのほうがはっきり結果がでるし。こういう経験を学生時代にしたかどうかで、その後の気持ちのありようは、かなり違ってくるのでは?もし、私に子供がいたら、ぜひ運動部に入れたいです。きっと補欠とかマネージャーどまりだろうけれど、これだけは薦めたいな。でも私の子だったら「おうちで本読んでるほうがいい」って言いそう・・・。とにかく、選手、スタッフの皆さん、夜更かしして応援していた視聴者の皆さんも(?)お疲れ様でした!

 もうひとつ、この夏思ったこと。8月初旬のある日、新聞に広島の原爆にあった少女(当時小学2年生)の詩が載っていた。原爆で家が焼け落ち、梁の下敷きになった妹を、やはり屋外で被爆し大やけどをしていた母親が、渾身の力を振り絞り梁を動かし、助けた。妹は助かったけれど、母親はその夜、もがき苦しんで死んだ、というものだった。この詩は原爆資料館に展示してあるらしいです。電車のなかで、なにげなくこの記事を読んでいた私は、涙が止まらなくなった。(夏は電車の中で泣いても、汗ふいてるふりしてごまかせるからいいですね)幼い子供たちを残して、苦しみながら死んだ母親は、どんなにか無念で、悲しかったろう。そして思った。こうして戦争で亡くなっていった人たちに、現在の日本を見せてあげたい、と。不況だ、と言いながらも、こんなにも豊かな国。高層ビルが立ち並び、人々も皆きれいな格好で。何気なく毎日使っている物も、戦争中の人の目には、夢のようにきれいにうつるでしょう。「ここはほんとうに日本?」と信じられないでしょう。学生時代、PSW(精神保健福祉士)の勉強をしていたのですが、神経科の病院での実習があり、長年入院している患者さんたちと久々に(何十年ぶりの人も)町に出る、という機会がありました。そのとき、ある患者さんはジュースの自動販売機を見て、とてもビックリしていたのをよく覚えています。まさにそんな感じなのでは。ここで、戦争の是非云々の話をするつもりはないのですが、そうした人々の歴史のうえに、今私はこうしていられるのだから、毎日しっかり生きていかなくては。ついつい些細なことに不満を持ってしまいがちだけれど、まずは幸福な現代に生まれ、歌っていられることに感謝しなくては。What A Wonderful World!


大越 康子