春はお引っ越しの季節ですね。うちの近所でも引っ越しの荷物を積んだトラックをたくさん見かけました。私も子供の頃からいままで、何度か引っ越し、いろいろな町に住みました。今回はその引っ越しストーリーを書いてみようと思います。なお、子供の頃の引っ越しは父の転勤のためです。
生まれた頃は土崎という秋田市内の港町に住んでいました。本人には記憶なしですが。ちなみに脚本家の内館牧子さん(「ひらり」「毛利元就」などで有名)も土崎出身です。2才のころ、秋田県琴丘町鹿渡(かど)という小さな町へ。ここに小学校3年までいました。ほんとに小さな町でずっと一本道が走っていて、道沿いに学校、駅、病院、お店がぽつぽつと並んでいます。この一本道も「広い道路」と思っていたのが、大人になってから通ってみたらとても幅が狭くてびっくりしました。それにしても鹿渡という名前が面白い。昔どこからかシカが渡ってきたんでしょうか?(いまワープロで変換したら「鹿渡」と出てきたので、嬉しく思いながら書いています。)
弟が生まれたのもこの町です。秋にはなぜかトンボがたくさんいて、夕方家の壁にびっしり一面に赤トンボが止まっていました。もう壁の地の色が見えないほどに。いまでもあんなにいるんでしょうか。
次に住んだのが秋田県二ツ井町。二ツ井町という名前に聞き覚えのある方がいらっしゃるかもしれません。「恋文コンテスト」で有名になった町です。二ツ井にある「きみまち坂」という美しい名前の公園から発想されたコンテストは、海外からも応募があるほど盛況らしいのですが、町は鹿渡より少し大きいくらいです。それでも子供の私は「大きい町」という印象を持ちました。だって、スーパーマーケットがある!
いま思えば小さいお店なんですが。小学校のクラスも鹿渡は一学年2クラスだったのが、二ツ井は3クラスだし。(「松組」「竹組」「梅組」 というのです!
ユニークでしょう?)
米代川という川沿いに堤防があって、冬の体育の授業は堤防でスキー。川のむこうは山。日本むかしばなしみたいな静かできれいな眺めでした。それから毎年秋にお祭りがありました。駅までの道にずらりと露店が立ち並び、そのにぎやかなことといったら。学校でも「お祭りで使っていいお金は〇〇円まで」とか「〇時までにはおうちに帰りましょう」とか言われた覚えがあります。でも遠足ならともかくお祭りでお小遣いを決めたなんて不思議な気も。大体、あれはいったい何のお祭りだったんだろう・・・?
二ツ井には中学1年の秋までいました。
中一の秋に初めて秋田を出て、福島県郡山市に引っ越します。もうこれぞ都会!
今度はスーパーマーケットどころかデパートがあるんですから。当時郡山のうすいデパートのCMにアイドルだった浅野ゆう子さんが出ていました。引っ越したのは秋だったので、家の庭にあったきんもくせいが満開で、なんともいえず良い香りを放っていたのが忘れられません。郡山で初めて町の図書館というものを知り、夢中になります。毎回借りられるだけ借りて、週末ごとに通いました。それとラジオ。この頃ラジオの深夜放送に凝っていて、地元のラジオ福島もよく聴いていて、イベントで郡山にいらっしゃった荒川守アナウンサーに握手してもらったことも。当時は「ラジオ福島の貴公子」と呼ばれていましたが、いまはどうされているのでしょう?あと、郡山では視力回復トレーニングセンターなるものにも通いました。小さい頃から近視+乱視で小学4年からメガネをかけていたんですが、このトレーニングセンターに通って、うちでも訓練していた間は最高1.5まで視力が上がったのです。その後通うのを辞めてしまったら、また下がってきたのですが、それでもなんとかメガネやコンタクトレンズは使わずに過ごせています。これは郡山に行って最高によかったことですね。坂が多くて、盆地なのか暑かったですが、いいところでした。郡山女子高校に入学したのもつかの間、1学期までで、また秋田県能代市に引っ越しです。
能代は能代工業高校がバスケットで有名、私の父の出身地でもあります。夏休みに編入試験を受けて、能代北高校(ここも女子高)に転校しました。すると、学区が同じなので二ツ井小、中学校時代の友達もたくさん北高に進んでいて、それまでの転校と違って「戻ってきた」不思議な感じがしました。能代は郡山ほどではありませんが、子供のころいたところに比べればそこそこ大きい町です。 市内に高校も4つあって、私の好きなスーパーマーケットもいくつかあったし。市立図書館もあったんでしょうが、なぜか行きませんでした。学校の図書館で満足しちゃったのかな。北高は規律の厳しい学校で制服のスカートの長さ、ヘアスタイル(ブローさえだめ。パーマなんて論外。天然パーマの生徒は届けを提出する)等など、毎週のように検査がありました。入ってもいい喫茶店のリストまであって、それ以外の喫茶店に行くと厳重注意。でも私は許可喫茶店にすら行かず、部活動もせず、せいぜい帰りに本屋さんに寄るくらいで、ただただ家と学校の往復。一応受験勉強はしていたとはいえ、それにしても読書くらいで他には何もしていない、いま思うともったいないような時期でした。でも、もしかしたら私はエネルギーをためていたのかもしれない。能代には高校卒業までいて、その後は進学のために東京に出てくるのですが、そこからは急に目まぐるしい毎日が始まるのです。中学・高校時代の分の時間も取り戻そうとするかのように。のんびりした生活から一転、上京して初めて住んだのは、なんと大都会(?)の原宿だった!
ということで引っ越し物語は次回に続きます。
大越 康子
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