前回、コンビニに行ったらレジで店員さんに「小さいお子さんいらっしゃるんでしょう?」と訊かれた話を書きました。私はどうしてそう思われるのか不思議だったくらいで、特に何も感じませんでしたが、子供がほしいけれどいない、とか気にしている人だったらショックだったかもしれませんよね。
1月からテレビドラマの「ありふれた奇跡」を毎週、観ています。脚本の山田太一さんの、最後の連続テレビドラマなのだとか。子供の頃、NHKで「男たちの旅路」というドラマをやっていて惹きこまれたなあ。何度も再放送され、そのたびに観た記憶が。テーマソングはもちろん、途中の場面のBGMまで覚えているほど。きっと今もアーカイブスでお金を払えば観られるんでしょうが。その山田太一さんの脚本ということで観はじめたのだけれど、いろいろなことを考えさせられるドラマで、すっかりはまっています。主人公はかつて受けた中絶手術が原因で子供ができなくなり、それを苦に自殺まで考えたことがある女性。彼女も恋愛相手も一人っ子。本人同士はゆっくりとわかりあいたいと願うのに、子供を期待する双方の家族のほうが先走って、、。という大人向けのお話。観ているとはがゆくてイライラすることも多いのですが、思うのは子供ができないって、やはり辛いことなんだなあ、といこと。
私も子供がいないけれど、「自分の意思で作らない」のと、「最初から《できません》」と言われるのとではやはり違いがあるのでしょうね。今、自分の意志で作らない、と書きましたが、別に深い考えがあって母親にならないわけではなく、とにかく毎日自分が生活していくだけでいっぱいいっぱいなまま、現在に至ってしまっただけなんです。でも淡谷のり子さんは46歳で出産したそうなので、私もまだまだ?と思わないでもないですが、冷静に考えれば、難しいでしょう。
だから、この「私もまだまだ?」と思える部分の全くないことが、主人公の苦しみなのでしょうね、きっと。でも、もし私がそういう立場におかれたら、仕方がないって諦めるなあ。(諦めと決断は早いほうです。と言いつつ、次のCDの収録曲は候補を絞りきれず、ピアニストにも相談にのってもらったりしてますが)諦められない人は難しい治療をしたり、養子縁組をしたりするのでしょう。子供を期待される環境にありながら、産めないのは可哀想だし、その事実を恋人や家族に打ち明けるのはどんなにか辛いだろうと想像するけれど、どんなに強く求めても得られないものは悲しいかな、あるのだと思います。そうしたら、それを受け入れて、目標や喜びを他にみつけて生きていくほうが幸せを感じられるのではないでしょうか。自分はそうして納得しても周囲にどうわかってもらうか、ということが大変ですが。
このドラマとは関係ないけれど、もう一つ、私がいつも考えることがあります。
それはやっぱりよく小説やドラマのテーマになることだけれど「余命」。病気であとこれくらいしか生きられません、と宣告されてからの生き方がドラマティックに描かれることは多いですよね。以前、あるお店で歌ったとき、家族連れのお客様がいて、帰り際にご主人からそっと「妻が病気であと数ヶ月なので来ました。今日はありがとう」と言われたことがあります。正直、どきっとしました。でも、考えてみれば、特に大きな病気はしていない私だって余命なんてわからない。今夜、交通事故で死んでしまうかもしれないのだから。だから余命何ヶ月、と聞くと「気の毒」と思うけれど、そう思う自分がずっと元気で生きていられるとは限らない。自分も周囲にいる人たちも、いついなくなるかわからない。だから一日一日、一瞬一瞬を大切に、精一杯やっていくしかない、と思って暮らしています。
大越 康子
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