- 1997-02-25芝山芳雄
- 「振り向いた」ヨハネ黙示録1章12節
ヨハネはパトモスの島で、教会が将来どのように祝されたものになるのかを知る機会を与えられました。迫害の中でも、将来の祝福を知ることが出来ることは力になります。
彼がこのような祝福を得ることができたのは、彼に語りかける声を見ようとして振り向いたことによると思います。そこに、天の栄光に輝いたイエス・キリストを見ることが出来たからです。 弟子たちとイエスが舟に乗って沖に出たことがありました。その時に、嵐になってしまいました。その嵐は舟を飲み尽くす勢いがあるものでした。それで、弟子たちは恐れました。 彼らは、その嵐の中で主を見ると、何と主は眠っておられたのです。「先生、先生。私たちはおぼれて死にそうです。」。イエスは起き上がって、嵐をしかりつけました。 すると、なぎになったのです。ルカ8章23〜25節。その時に、主イエスは言いました。「あなたがたの信仰はどこにあるのです。」。嵐に出会って、嵐を見てしまうとその力に振り回されます。 しかし、どんな嵐の中にあっても、すべてを支配している神である方を見ているなら、平然と眠ることが出来るのです。その力を持っている主イエス・キリストに目を向けていましょう。それが私たちの信仰です。 パトモス島でのヨハネも声だけでなく、その声の主を見ようとしました。そのために振り向いたのです。その時に彼は、イエスの栄光の姿を見ることができました。
聖書は、神の言葉です。この言葉を正しく解釈することに心がけたいですね。しかし、その言葉を土台にして、その言葉の主を見るように振り向きたいです。その時に、神の愛や力、真実に触れることができます。 それは、私たちに希望や力、慰め、平安を与えてくれます。
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- 1997-02-18芝山芳雄
- 「不正の富」ルカ16章9節
「不正」とは専門用語で「まやかしの世」「終末の世」を表現する言葉です。
聖書によると、人間は神を畏れず、神から離れ、この世にあるもののみを追い求める終末の世界に住むことを教えています。このような時代に、注意して、賢い生活をする必要があります。 それは、神は決して、悪に染まる世界をそのまま、維持されることはないからです。ノアの時代には洪水で悪の世を滅ぼしたことを教えています。そうです。必ず、神の報いを受けなければならないことを教えているのです。 「善であれ、悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになる」Uコリント5:9。
イエス・キリストは、私たちに、将来の報いを見つめて、今の時を生きる賢い者になるように教えてくれているのです。 私たちは、この不正な時代にあって、多くの富を任せられています。富は金と言う一言的なものではなく、命、時、能力、財産、私たちが神から与えられたすべての恵みのことです。 その富を、天国が喜んで自分を受け入れてくれるように用いなさいと教えているのです。 他の個所には、「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。」「自分の宝は、天にたくわえなさい。」とも教えています。 天国に入れるようにされたキリスト者であっても、喜んで受け入れてもらえる人と主を悲しめて受け入れられる人がいるのです。
この世界がどのように悪に染まっても、あなたは天に報いがあることを見つめて、宝をたくわえるように歩みなさい。
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- 1997-02-04芝山芳雄
- 「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける」ヨハネ10章27節
ジャッカルは子供を育てるのに一つの方法を用います。それは、少し大きくなった子供を連れて両親は草原に行きます。そして、そこに置くと、急に両親は子供から離れてしまい、見えなくなります。子供は両親がいなくなったので、不安でたまりません。子供は泣き出します。「お父さん」「お母さん」「助けて!!」。その泣き声に両親は答えるのです。姿は見えません。「ここにお父さんがいるよ。」「ここにお母さんがいるよ。」「心配しないでね。あなたを私たちは見てるよ。」と大声を出して答えるのです。そのようなことを幾度も重ねて、子供が独り立ちが出来るように訓練するのです。
羊は小さいときから、羊飼いに守られ、養われ、導かれて成長します。彼らは自分を愛してくれている羊飼いをよく知っています。その羊飼いの声をよく知っています。危ない時は、強い声を出して注意してくれ、疲れた時には、いたわってくれるやさしい声をいつも聞いて知っています。
羊は自分の羊飼いの声を聞き分けることができます。この羊飼いの声を聞く時に平安があります。喜びがあります。
神様は私の目にも見えません。しかし、神は私が苦しい時にも、力強い声で応じてくださいます。「わたしがここにいる。恐れることはない。」と声をかけてくださいます。それで、私は平安を持って生きることができるのです。 いつも、神は声をかけています。聖書の言葉は神の言葉です。変わることのない真実な言葉です。この言葉に養われて歩む時に、私に語りかけている神の声を聞き分けることが出来るようになります。聖書を開いて聞いてください。神の声が叫んでいます。
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- 1997-01-16芝山芳雄
- 「神の心を確信する」使徒13章2〜3節
私たちの目の前に大きな出来事をどれか選択して行かなければならない時があります。その時に神の心を確信して行くことが必要です。
@神の言葉を知ること
今の時代、聖霊は神の言葉(聖書)を通して神の思いを教えてくれます。神の言葉は私たちの歩むべき道を照らしくれる灯火です。神の心を悟れるように聖書を祈りながら読みましょう。
A神の時を知ること
神の心が実行に移される時があります。神は私の祈りを聞かれないと言って嘆いている方もいます。神は約束を必ず実現します。でも時があります。忍耐してその時を待つ必要がある場合が多いです。
パウロがアジヤやビテニヤで宣教することができなくされました。環境を用いて聖霊は導いていました。神の御心の方向に門が開かれます。
Bビジョンを持つこと
神は御心を行う時には、私たちに必ずビジョンを与えます。これは信仰から生まれるビジョンです。パウロはヨーロッパに伝道をはじめた理由は「神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだと、確信した。」その幻を見たのです。
信仰を持って出発する時にはビジョンがあります。それに平安があります。又、他の方々と信仰の一致があります。
この三つは一致するなかで神の心を確信して行うことができます。
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- 1996-12-20萬好徹治
- 「幸福な人の条件」マタイ2章1〜3節
クリスマスの時に喜びを持っている人と平安のない人がいます。ヘロデ大王と博士たち、羊飼いたちです。
@ヘロデはこの世の幸福な条件を持っていた。
a.政治的によかった。b.人々に人気があった。c.神殿を建てた。d.妻が10人いた。e.子供が大勢あたえられた。f.金持ち。g.マサダに別荘を持っていた。
しかし、彼はいつもおびえていました。
A羊飼いや博士たちは「賛美しながら帰って行った」と本当の幸福を持っていた。
幸福の条件とは
a.真実な友であるイエス様を個人的に知っていること。この方は救いを与え、私たちを捨てることがない。私たちはいつも「主の恵み語るは楽しい」との歌のように、イエス様を知るとこの方の愛と恵みを賛美するようになる。
b.礼拝を共にする友がいる事。博士たちは3000キロも旅をする友がいた。礼拝に向かう友がいる。そのような友こと信友(親友)です。
この二つを持っている人は幸せです。
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- 1996-12-19大角研
- 「迫害の中に歩む」使徒14章19,20節
パウロは石打ちにされた町に再び入って行きました。なぜでしょう?
@天国の素晴らしさを知った。Uコリント12:4。天国の素晴らしさを知ると迫害している人でも救われて欲しいと願うようになる。この天国に入るにはキリストの福音が是非とも必要です。
A自分の使命を再確認した。パウロは異邦人の救いのために遣わされた使命を持っていました。使徒22:21。私たちもこの世では弱いものですが、聖霊によって力づけられ、天から遣わされた者として歩みましょう。
B天国を待望していました。苦しみを乗りきる力は天国を見上げることです。モーセは、後に来る栄光を見つめていましたので、この世の罪の楽しみを捨てました。ヘブル11:25。私たちに与えられる神からの報いから目を離さないようにしよう。
キリスト者の歩みはゴールを目指しています。やがてくる天での報いが一番の楽しみです。この栄光は、この世の何ものにも比べることができません。迫害の中にも希望を持って歩ませます。
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- 1996-12-12芝山芳雄
- 「神を賛美する」使徒2章47節
聖書の中には賛美は神にささげるものですと記しています。賛美を神は喜ばれる。
@ヨナ2章9節には、困難な中で神を思い出し、神に賛美をささげました。その時から彼は神の働きをすることが出来るようにされた。
AU歴代20章21節には、ヨシャパテ王は戦いに出かける時に、聖歌隊を先頭にして出発した。彼らは「主の感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」と歌っていたのです。そのために人々はこの戦いは、主の戦いだ、主が働いてくれると信じることができたのです。
B使徒16章25節にはパウロとシラスは牢の中で、不平や不満をぶちまけるのではなく、主を賛美しました。どんな中にあっても主はともにいます。主は益にしてくださると信じていたのです。
それで、この牢獄の中に神の祝福が支配するようになりました。看守の主イエスを信じるようになったのです。
賛美は私たちの目をともにおられる神に向けてくれます。神に対する信仰がやってきます。その中で神の不思議な働きがなされることが多いです。
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- 1996-12-11芝山芳雄
- 「話すことに耳を傾けていた」使徒14章9節
足のなえている人がパウロの話すことに耳を傾けていました。その祝福です。
@力を失った時でも神の言葉を聞くことが出来る
私たちは自分で何も出来ない思っていても、神の言葉は聞くことができます。神は神の言葉を通して私たちに近づいてくださっているのです。
どんなに自信を失っても神の言葉に耳を傾けることを失ってはなりません。
A新しい心、信仰を持つことが出来る
この信仰は狂信ではありません。神の変わることのな言葉を通して、イエスの真実な愛を知ることが出来るのです。
永遠に存在する確かなものを知ることが出来るのは、神の言葉によります。
神の恵みや愛を信じることが出来るようになります。
B新しい歩みを持つことが出来る
人間の力ではなく、神の助けと祝福を信じることによって立ち上がることが出来ます。
正しい信仰は正しい行いを与えてくれます。神の栄光を輝かす者になれます。
神の言葉を聞くことは私たちに多くの祝福を与えます。「聞く者は生きる」。
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- 1996-12-10萬好徹治
- 「その星こそ希望の星だ」マタイ2章
三人の博士が3000キロも旅をして来たのはイエスは人に本当の希望を与えてくれる方だったからです。
@本当の神との出会いを与える
神は理論ではわからない、イエスに出会い信じてわかる。
A愛の希望を与える
人は愛を必要としています。
B救いの希望を与える
本当の救いはものではなく、魂の救いです。
C罪責感からの開放
年を積み重ねるとは罪を重ねることのようです。
D死の恐怖からの開放
死なない人は一人もいません。 この五つの希望が人にはどうしても必要です。これらを与えてくださるのはイエス様しかいない。
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- 1996-12-04萬好徹治
- 「イエスの名」
名は体を表わすと言います。イエスの名は四つに分類することができます。
@メシヤを表わしている名前
「イエス・キリスト」、「神の子」、「ダビデの子」、「主」、「神の僕」
A苦難の僕を表わす名前
「人の子」、「神の小羊」
B仲介者を表わす名前
「大祭司」、「中保者」
C神の啓示者と表わす名前
「子」、「神のひとり子」、「ことば」、「真理」、「光」
日本ではクリスマスは楽しい遊びの時期のように思っています。しかし、キリスト者はイエスがどのような方であるのかをよく覚えたいです。 そして、心から喜びたいです。この救い主を是非、伝えてゆきたいです。
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- 1996-12-03芝山芳雄
- 「板の上にはっきり書き記せ」ハバクク2:2
神が教えてくれたことを、自分だけに留めておかないで、板の上にはっきりを書き記せと命じました。
@他の方々が神の心を知ることができる。2節
私の知り合いの牧師がキリスト者になったきっかけは、他の人からもらった聖書を読んだことによります。それによってイエス・キリストを知ることができました。 そして教会に出席して信仰をもたれ、キリスト者になりました。
A神のことばはまやかしでないことを宣言する。3節
神が与えたことばは、時代と共に変わってゆくものではありません。変わることがないことばです。又、神の約束は必ず実現します。 時がくれば必ず、実現します。それで「はっきりと書き記せ」と命じています。
私たちの手元に書き記された神のことば聖書があります。私たちは移り変わって行く世界の中に生きている。偽りが溢れている世界に生きています。 こんな世界の中でも希望を持って生きれるのは神の約束のことばがあるからです。神の愛、真実を語って行こう。
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