Only One Attraction



「…おーい。八戒ぃ〜」
真っ赤な布団の上に胡座で座り込んでいる悟浄が、缶ビール片手に呆れながら声を掛ける。
この天蓬推薦怪しげなイメクラホテルに入ってから数十分。
初めて入ったラブホが珍しいのか、八戒は興奮気味にはしゃぎまくり未だに部屋の探検をしていた。
「何ですかぁ〜?」
今はバスルームを覗きに行ってるらしい。
応える声にエコーが掛かっていた。
ひょっこり脱衣スペースの扉から八戒が顔を出す。
「悟浄凄いですよ!ココのバスルーム、お風呂が檜なんですっ!すっごく広いし何だか温泉来たみたいで豪華ですよ〜♪」
「あ、そう…近場で温泉気分ね」
内装に合わせたらしく、しっかりバスルームも日本風らしい。
まぁ確かに、このこれでもかっ!と純和風の内装で風呂だけ洋風バスタブじゃ、イメクラ目当てに来る客には興醒めだろうが。
悟浄は深々と溜息を零しつつ、ビールの缶を煽った。
あまり気乗りしてこない悟浄に、八戒はきょとんと瞳を瞬かせる。
「どうかしたんですか?」
「…探検はもう満足したか?」
悟浄が拗ね気味に視線を遣ると、気付いた八戒が慌てて悟浄の元へ戻ってきた。
初めて来たラブホが特殊のせいか物珍しいのは分かるが、部屋に入ってからずっと放っておかれて悟浄はふて腐れている。
別に後学のために八戒をこんな所へ連れてきた訳じゃない…いや有無を言わず連れてこられたのは悟浄自身だが、顔には出さなくてもそれなりに期待でドキドキしていたのだ。
正真正銘自分達は恋人同志。
この場所は恋人達がイチャイチャラブラブで甘くて淫靡な時間を過ごす場所だというのに、肝心の八戒は部屋自体に気を取られて側にも居ない。
いい加減放置されすぎて、悟浄はご機嫌斜めになっていた。
ムスッと眉間に皺を寄せ、八戒を見ずに唇を尖らせている。
そこは聡い八戒、すぐに気付いて背中を向ける悟浄をギュッと抱き締めた。
「ごめんなさい悟浄…こんな所初めて来たからつい珍しくって。寂しくなっちゃいました?」
「んなの…寂しいに決まってんだろ」
「悟浄ぉー…」
悪いと思いつつも、八戒の唇に嬉しそうな笑みが浮かぶ。
コトンと額を悟浄の肩に載せ、ますます身体を密着させた。
「本当に…ごめんなさい」
「…もういいって」
八戒の温度と匂いに包まれ、悟浄も安堵の溜息を零す。
単純だけど八戒に構って貰って怒りもすっと消えてしまった。
途端に頭の中が冷静になってしまい、ふと自分の現状を眺めて今度は慌て出す。
居心地悪そうにもぞもぞ腕の中で動く悟浄に、八戒は不思議そうに顔を上げた。
「どうかしました?悟浄??」
「あ?えーっと…何だ?あ、そうそうっ!風呂、檜なんだよなっ!」
「………。」
しどろもどろになりながら声を上擦らせる悟浄に、八戒が眉を顰める。
しかも何だか八戒の腕から逃れようと落ち着かな気に身体を捩らせ出した。
勿論八戒は逃すまいとしっかり悟浄を背中から抱き込み、藻掻く悟浄を後から観察する。
「ちょっ…八戒ぃ!苦しいって!」
「そんなにキツク締め上げたりしてないですよ?」
「んなくっついたら暑ぃだろっ!」
「エアコンで丁度いいぐらいでしょう?いきなりどうしたんですか?」
「だからっ!」
見る見る悟浄の顔が真っ赤に染まった。
おや?と八戒は背後から悟浄の顔を覗き込む。
「だからっ!んなくっついたら…俺…汗クセェだろ?」
「え?そんなこと無いですけど」
「あるんだよっ!ずっと蒸し暑ぃ中外に居たんだぞ?すっげ汗掻いてるし…」
「僕は全然気にしませんし、それこそ今更でしょう?悟浄の汗ならいつも舐めてるじゃないですか」
「真顔で舐めてるとか生々しくゆーなぁーっ!!」
真っ赤な顔で喚く悟浄が勢いよく倒れ込んで、背中で八戒を押し潰す。
鳩尾への圧迫感に抱き締める力が弛むと、悟浄はすかさず抜け出した。
「ヒドイですよぉ〜ケホッ!」
苦しかったのか八戒が涙目になって悟浄を恨めしそうに見上げる。
「ヤダッつーのにしつこいからじゃん」
「僕のことそんなにイヤなんですねっ!」
「八戒がヤな訳ねーだろ?」
「でも逃げたじゃないですか…」
プイッと視線を逸らした八戒はそのまま真っ赤な布団に突っ伏した。
ブチブチと布団に向かって小言を呟く八戒に、悟浄は仕方なさそうに肩を竦める。
「おら!何拗ねてんだよー…っ」
八戒を宥めようと伸ばした指先が、ふいに固まって宙で留まった。
布団へ俯せに突っ伏す八戒の姿を見下ろして、悟浄の喉が思わず小さく鳴る。

ヤベェな…すっげヤラしーかもvvv

暴れたせいで裾のはだけた浴衣姿が何とも言えない色香を放っていた。
身体を伏せているせいで背中から腰、なだらかな双丘のラインが艶っぽい。
無意識に身体が前のめりになって、八戒へ押し掛かろうと腰が浮いた途端。

「…ナニしようとしてるんですか?」
「へっ!?」

低く囁くような声音と共に、八戒が肩越しに悟浄を見上げた。
しどけない仕草で艶然とした微笑みを浮かべているが、瞳の奥が壮絶な殺気を湛えている。
あまりの恐ろしさに悟浄は思わず息を飲んだ。
しかし目の前には悟浄垂涎の美味しそうな肢体がある。
悟浄は勇気を振り絞って、そっと八戒へ躙り寄った。

「なぁ…ダメ?ダメ?」
「…何のことですか?」

上目遣いに可愛こぶってお強請りしても、八戒はニッコリ笑顔で知らんぷりを決め込む。
あっさりとはぐらかされ『分かってるクセにずりぃ!いーじゃんっ!ちょこ〜っとぐらいっ!!』と喚きたいのを何とか飲み込んで我慢をし、すすすーと指先で八戒の脚を擽って誘ってみた。
が、これも逆の脚で鬱陶しそうに撥ね除けられてしまう。
「はぁ〜っかいぃ〜」
「何ですか?」
けんもほろろで、とりつく島もない。
しかし悟浄は諦めが悪かった。
お付き合い当初どころか出逢ってからずっと、悟浄はいつか八戒を抱きたいと夢見ている。
既に野望と言ってもいい。
それが実現しそうな美味しいシチュエーションなのに、簡単に『あ、そうですか』と引き下がれる程悟浄の欲望は決して浅くなかった。
どうしたらいいかとソワソワ身体を揺すって、これ見よがしに八戒へ視線でアプローチしてみるが全く相手にして貰えない。
無言の攻防戦が暫し続いたが。
結局我慢できなかったのは悟浄の方だった。

「はっかいいいぃぃーっっvvv」
「とぉっ!」

悟浄の身体が軽々と投げ飛ばされる。
「ぃっだああああぁぁっっ!!!」
思いっきり畳ベッドの縁へ頭を打ち付け、悟浄がゴロゴロもんどり打った。
スクッと起き上がった八戒は、呆れた顔で悟浄を眺める。
「全く…いきなり襲いかかるなんて何考えてるんですか」
「だってっ!だってぇ〜っっ!!」
「だって、じゃありませんっ!」
打ち付けた頭を抱えながら、悟浄が涙目で駄々を捏ねた。
「八戒が悪いんじゃねーかぁっ!俺のこと誘ったしっ!」
「誘ってなんかいませんよ」
「嘘だっ!ぜってぇ誘ったっ!」
「あのねぇ…僕は寝転がってただけなんですよ?どうやって誘ってたって言うんですか」
「そんなのっ!エッチな身体してるし!エッチな格好して誘ってたぁ〜っっ!!」
「何ですかソレ…」
滅茶苦茶な屁理屈を押し付けられ、さすがに八戒は溜息吐いた。
悟浄は頭を押さえてまだ唸っている。
「まぁ…欲情するのに理由なんか無いですけどねぇ」
踞っている悟浄の下肢を眺めつつ、感慨深げに呟いた。
ピッタリとした下履きのせいで、引き締まった絶品の双丘がハッキリとその形を浮かび上がらせている。
「理由なんかないですよね…確かに」
八戒の掠れた甘い声音を背中越しに聞き、ゾクリと背中が粟立った。
不穏な空気を感じて、悟浄は恐る恐る後ろを振り返る。
「…八戒?」
「ほら、いつまで拗ねてるんですか?」
「だって…八戒が俺のこと苛めるんじゃん」
「苛めてなんかないでしょう?」
「触らせてもくれねーし」
「そんなの…悟浄に触られたりしたら…僕」
うっすらと頬を染めてぎこちなく視線を伏せる八戒に、悟浄は大きく息を飲み込んだ。
八戒は熱る頬を誤魔化すように掌で覆い、上目遣いで悟浄を見つめる。
「それに折角二人っきりで居るのに…離れてたら寂しいです」
物凄い勢いで悟浄が戻ってきた。
八戒の身体へ飛びついて抱き竦める。
「八戒ぃ〜vvv」
「はいはい、もう頭痛くないですか?」
気遣って頭を撫でてくる八戒に、悟浄はコクコク頷いた。
優しい掌の感触に、悟浄の機嫌は急浮上。
八戒の項に頬を擦り付けて甘える。
「悟浄?汗掻いてイヤだったんでしょう?僕に抱きつくの」
「んー?八戒がヤじゃないならイイvvv」
「どうせならお風呂入ったらどうです?もう溜まってると思いますけど」
「…一緒に入る?」
身体を擦り付けていた悟浄が、目の縁を赤く染めて窺ってきた。
密着した下肢が、八戒の熱を伝えている。
あからさまな悟浄のお誘いに、八戒は一瞬目を見開いてから恥ずかしそうに頬を染めた。
「あの…僕は…後でいいです」
「どーして?」
不思議そうに悟浄が目を丸くする。
いつもなら嬉しそうに頷くのに、一体どうしたことか。
じっと悟浄が見つめると、八戒の視線が落ちつかな気に泳いだ。
「あの、ですね?悟浄と一緒に入るのがイヤなんじゃなくて」
「じゃぁ、何で?」
訳が分からず悟浄が胡乱な視線を向けると、八戒の頬が見る見る真っ赤に染まる。
「???」
「ですから…僕こういう所…初めて来たので何か落ち着かないって言うか…いつもと違うから緊張するって言うか」
「あーっ!もうっ!ハッキリ言えって!!」
「逆上せて倒れちゃいそうなんですよっ!!」
「………へ?」
パチクリと悟浄が驚いて瞬きすると、八戒が真っ赤な顔で睨んできた。
「だってっ!悟浄と一緒にお風呂なんか入ったら絶対我慢なんか出来ないしっ!」
「や…別にしなくていーけど」
「そんな風に悟浄に言われちゃったらずぅーっと弄っちゃいそうだしっ!」
「弄ってもいーけど?」
「ですからっ!悟浄に可愛くお強請りされたりしたら、理性吹き飛んで余裕なんか無くなるだろうしっ!」
「そーいうのもいいけど」
「タダでさえ興奮しちゃって頭クラクラしてるんですから、ぶっ倒れちゃいそうなんですってばっ!!」
「っ…プーーーっっ!!!」
八戒の絶叫に思わず悟浄は噴き出した。
「何でそこで笑うんですかっ!もぅっ!!」
「ワリッ…だって…八戒すっげ…可愛い…っ…ククククッ!」
憤慨する八戒に抱きついたまま、悟浄は必死に笑いを喉で噛み殺そうとする。

要するに。
悟浄を前にしたら我慢なんか無理に決まってる。
だけど悟浄の前でみっともなく逆上せて倒れるのは恥ずかしいから一緒には入れないと八戒は訴えていた訳だ。

そこまで八戒が余裕を無くす姿は何だか物凄く可愛いと思って、悟浄はつい嬉しくて笑ってしまった。
「やー、何かすっげメチャクチャ愛されちゃってる感じ?」
「それこそ今更何言ってるんですか?愛してるに決まってるでしょう。だから困ってるんじゃないですかぁ」
八戒が情けない声でぼやくと、ますます笑いのツボを刺激される。
「分かった分かった。んじゃ俺先に入ってキレーに身体磨いてきちゃうから…ちゃんと待っててねハニーvvv」
笑いながらチュッと軽く口付け、悟浄が身体を離して立ち上がった。
からかわれているような口調に、八戒は頬を膨らませる。
でも。
「…お風呂で寝ちゃわないで下さいよ?」
「寝ねーって!バッカ!」
またもや笑いのツボにヒットして、悟浄はゲラゲラ笑ってバスルームへ消えていった。
程なくしてシャワーを使う水音が聞こえてくる。
浴衣の裾を直して布団に座り直した八戒は、口元に怪しげな笑みを浮かべた。

「さてと。準備しましょうか」

布団の上から降りて、散々探索した部屋のタンスをそっと開ける。
一番上の段に入っていたのは、この部屋専用の着替えだ。
「まぁ、ちょっと安っぽい感じですけど。備え付けなんだから仕方ないですよねぇ」
八戒が取り出したのは、淡い花柄模様の描かれた着物と帯だった。
天蓬から聞いていた上から羽織る派手な裲襠は、間仕切りのパーテーションになっている木製のついたてに掛けてあって、この部屋の雰囲気を引き立てるディスプレイ代わりにされていた。
とりあえず裲襠はそのままにして、八戒はタンスから出した着物を持って静かにバスルームへ近付く。
脱衣所へ顔だけ覗かせ、中の悟浄を窺った。
バスルームはガラス張りで向こうの様子を覗くことが出来るが、逆にこちらも分かってしまう。
どうやら悟浄は背中を向けてシャワーを浴びてるようだ。
ほっと息を吐いて、八戒は足音を立てずに脱衣所へ忍び込む。
目的の物は目の前にある。
悟浄が脱いだハッピなどをカゴから取りだし、代わりに持ってきた着物と帯を入れた。
壁に目を遣ると、備え付けの着物風バスローブが掛けられている。
それにも手を伸ばし、そっと回収した。
悟浄の脱いだ物とバスローブを抱えた八戒は、コッソリ脱衣所を抜けだし部屋へと戻る。
持ち出したハッピやバスローブは着物を出したタンスへ押し込み、さっさと隠してしまった。
「…これでヨシっと♪」
会心の笑みを浮かべて、八戒が布団に飛び込んだ。
フカフカの布団へ顔を埋めて、楽しそうな含み笑いを漏らす。
「コレで悟浄はあの着物を着て出てくるしかないですよね〜ふふふ。楽しみですvvv」
八戒は天蓬から囁かれた甘美な妄想を忘れてはいなかった。
天蓬の言う通りこの部屋を正しく有意義に愉しむ為に、八戒はちゃっかり悟浄を花魁へ仕立て上げようとひそかに企む。
八戒が頼んでも悟浄は厭がって進んで自分から花魁姿にはなってくれないだろう。
それなら花魁になるしかないように仕向ければいい。
悟浄を一人で風呂へ入らせたのもその為だ。
「きっと似合うと思うんですよね〜悟浄の着物姿…早く出てこないかなぁ」
八戒は布団に転がって、悟浄が風呂から上がるのをワクワクしながら待ち続けた。



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