*****The Future Ties*****



今日は良い天気だ。
庭では爽やかな風に乗ってシーツがはためいている。
悟能のおしめを取り替えながら、ふと悟浄は首を傾げた。
「…どうしました?悟浄」
洗濯物を干し終わって庭から戻ってきた八戒が、身体を左右に揺すって考え込んでいる悟浄を見つけて目を丸くする。
「ん?あのさぁ…アイツらってどーしてんの?」
「アイツら?」
「だから小ザルちゃんと生臭坊主。悟空が退院してから音沙汰ねーじゃん?」
「あぁ。何だか大変みたいですよ?」
「だろうなぁ…いきなり3人の子持ちじゃ」
「いえ。大変なのは
お寺のお坊さん達です」
「………はぁ?」
話が見えずに悟浄の眉間に皺が寄る。
何で寺の坊主連中が大変なんだか意味が分からない。
八戒は持っていた洗濯カゴを置いて何かを思い出したのか、クスクスと小さく笑った。
悟浄がおむつを取り替え終わり、ウトウトしている悟能をお昼寝カゴへ横たえると、八戒は微笑んだまま傍らへ腰を下ろす。
「ほら、何と言ってもあの二人の子供が3人でしょう?それはもう毎日大騒ぎらしくって」
「夜泣きがひでぇとか?」
「いえいえ。夜泣きはしないし食欲は…まぁ悟空の子供ですから当然旺盛で」
「何だよ?別に坊主連中が大変なことなんかねーじゃん。食欲ったってまだ赤ん坊なんだからミルクだろ?そんな手間掛かる訳ねーし。やんちゃつったって歩けるようになったら目が離せねーから大変だろうけど今はそんなこと無いし…一体何が大変なんだよ?」
悟浄の疑問は至極尤も。
普通なら大変なことなんか無さそうに思える。
ところが。
八戒は微妙に苦笑いを浮かべた。
「何というか…悟空似の2人は1日中ほ乳瓶を手放さないほど、ずっとミルクを飲みっぱなしらしくって。ミルクが空になると超音波大絶叫で泣くし、ミルクを作って持ってくるお坊さんにほ乳瓶投げつけたり」
「…血は争えねぇな」
元気に暴れるミニマム悟空2人を想像して、悟浄は同情の溜息を漏らす。
赤ん坊に何を言っても聞くはずがない。
きっと悟空ママは『え?それぐらい飲むのは普通だろ?』程度に思ってるだろう。
幸か不幸か悟空にはマタニティーブルーは皆無だった。
出産した現在も母としてのプレッシャーなどドコ吹く風。
面倒はしっかり看ているらしいが、出産前と別段変わらないらしい。
それはそれで感心している悟浄だったが。
「ん?それじゃアッチは?三蔵似の…」
「あぁ、あの子も三蔵にソックリで一筋縄ではいかないと言うか」
微妙に言葉を濁らせ、八戒は笑いを堪えている。
何と言ってもあの傍若無人な三蔵のミニコピー。
並みの赤ん坊でないことは悟浄にも分かる。

…クソ生意気で可愛くなさそー。

いくら守ってやらなきゃいけないような小っちゃな存在だろうが、三蔵の子供となると何だか母性愛も薄れそうだ。
そんな赤ん坊を真剣に可愛いと思って愛せるのはきっと悟空ぐらいだろう。
複雑な表情で悟浄が考え込んでいると、小さな溜息が聞こえてきた。
「何?八戒…この前寺行った時何かあったん?」
「あったと言うか…感心したというか。やっぱり蛙の子は蛙だなーって」
「あ?カエルがどうかしたって?」
「物の例えですって。やっぱり小さくても三蔵の子供なんですよねぇ」
何やら肩を竦めて、八戒は一頻りうんうんと頷いた。
事情を知らない悟浄にはさっぱり分からない。
「だから何があった訳よ?」
「実はですねぇ…」






ポクポクポクポク。

乱れることのない単調な木魚の音と、朗々と本殿に響き渡る厳かな読経。
寺院中の僧侶達が揃って朝のお務めの真っ最中だった。
朝の爽やかな空気にと一緒に流れてくる読経も心地良い響きだ。
最前列に三蔵と僧正が鎮座し、後に僧侶達全員が控えている。
由緒正しい寺院では極当たり前の日常…のはず。
しかし。
後で控えている僧侶達の表情は一様に緊張していた。
それはあたかも三蔵様ご本人と真っ正面で対峙しているような居心地だからだ。
本殿内の空気はピンと張り詰め、誰一人として微動だにしない。
誰もが早くこの異様な緊張感から解放されたいと、切に願っていた。
そんな中。
中頃に控えていた僧侶の一人が人知れず冷や汗を滲ませていた。
不謹慎だとは分かっているが、どうにも欠伸が漏れそうになる。
この僧侶は生真面目で日々のお務めもそつなくこなしていた。
昨夜もモクモクと写経をしていて、つい時間を忘れて床へつくのが遅くなってしまう。
普段よりも睡眠時間が少なかった僧侶は、頭の中は緊張していても身体の方が物足りない休息に正直な反応をしようとする。
それが生欠伸。
どうにか噛み殺して堪えているが、淡々とした時間の中ではふと気が緩みそうになる。
何度も眠気の波が押し寄せ、つい頭が揺れてしまった。

このままではいけない。

神聖なお務めの時に欠伸なんてもってのほか。
堅物で真面目な僧侶は必死な思いで耐えて耐えて耐え続けた。
読経も後1章で終わる。
そう気付いた途端、つい緊張の糸が弛んでしまった。

もうダメだっ!

込み上げる欠伸に僧侶は慌てて顔を伏せる。
何て不謹慎な真似をっ!
不甲斐ない自分に腹を立てつつ、どうにか平静を装って顔を正面へ向けた。
ところが。
「ーーーー−っっ!!」
僧侶の顔色が急速に青くなり頬が強張る。
緊張の余りバクバクと脈拍も乱れ、冷たい汗が一気に噴き出してきた。
しかし視線は瞬きすることも忘れて、真っ正面から逃れられない。
その視線の先には三蔵様のお背中が。
その背中に。
ミニチュアスケールの三蔵様が本殿を向いて背負われ、おしゃぶりを銜えたまま件の僧侶を睨んでいた。

「………ぶぅ」

おしゃぶりを銜えたまま、小っちゃな三蔵様が不機嫌な声を上げる。
「ん?」
気付いた大っきな三蔵様が読経を止め、チラリと背中越しに鋭い視線を向けた。
我が子の視線の先には顔面蒼白でカタカタ震える僧侶の姿が。
周囲の僧侶達の視線も一斉に集中した。
「お前…欠伸しやがったな?」
「もっ…申し訳ございませんっ!!」
床へ額を擦り付け謝罪する僧侶を、三蔵は面白く無さそうに眺める。
三蔵はどうするのか。
固唾を呑んで僧侶達は三蔵の言葉を待った。
「まぁいい。後で本殿の掃除でもしろ」
「申し訳ございませんでした…っ」
意外と寛大な処置に、僧侶達は胸を撫で下ろす。
最近僧侶達がつくづくと思っていることだが。

三蔵様がお変わりになられた。

以前なら少しでも粗相をしようものなら、無言で銃口を突き付けられることも珍しくなかったが、今ではそういう物騒なことも少なくなっている。
原因は一つ。

三蔵様が御子を授かってから、随分と丸く穏やかになられたようだ。

子供が産まれてからの三蔵は、凶暴さも30%程減った気がする(当寺院比)ともっぱらの評判。
まず子供など毛嫌いしていた気のある三蔵が子煩悩なのに、誰もが驚愕した。
母親である悟空が不器用なせいもあるが、おしめを交換したりあやしたり。
三蔵の方が率先して子供達の面倒を看ている。
今朝も悟空が2人の子供にミルクを与えていて手が回らないという理由で、もう1人のわが子を背負ってお務めをしていた。
しかし、その子供が三蔵ソックリなのが不味かった。
まるで三蔵自身が背後に目があるかの如く、僧侶達は異様な緊張を強いられている。
しかもその子供はじっと僧侶達を観察して睨んでいた。
三蔵に子供が産まれてからというもの、そうしたお務めの日々が確実に増えている。

「八戒殿…どうにかなりませんか?」
「どうにかと言われましてもねぇ…こればかりは」

子供達の顔を見に来た八戒は、三蔵の私室へ通される前に僧侶達に捕まり懇願された。
必死の形相で詰め寄ってくる僧侶達を見渡しながら、ずずっと茶を啜る。
お茶を座卓へ置くと、小さく肩を竦めた。
「確かにお務めの場へ子供を連れて行くのはどうかと思いますけど、さすがに悟空1人では3人いっぺんに面倒看るのは大変でしょうしねぇ。仮に僕が三蔵へ注進したとしても解決策が無ければ鼻で笑われてお終いですよ」
「そこをなんとか!何か良い名案はありませんか?」
「名案ねぇ…貴方達が当番制でお務め中の子供達を面倒を看るとか。あぁ、この場合悟空の補佐役という感じで」
「それは…」
寺院では朝のお務めは全員参加だ。
子供達の面倒を看るという理由で大僧正や三蔵が納得するかどうか。
「そうでなければ、専門の乳母じゃないですけど面倒を看る方を雇うことですね」
八戒が再び湯飲みを取ってお茶を啜ると、僧侶達が一斉に近寄ってくる。
「それでしたら八戒殿はどうですか?」
「はい?僕がですか?それは無理ですよ。僕だってまだ乳幼児のいる父親ですからね。我が子の面倒で手がいっぱいです」
「そうでしたよねぇ…」
残念そうに僧侶達が深々と溜息を零した。
「こうして顔を見に来た時ぐらいは僕も面倒は看れますけど、朝からというのはさすがにね。とりあえず子供達が歩けるようになるまでは我慢するしかないでしょうね」
八戒の言葉に僧侶達がガックリと肩を落とす。
「まぁ1年の我慢ですよ。そうすれば子供達にも自我が芽生えますし、子供はじっとしているのが苦手ですからね。三蔵に言われたって朝のお務めに行きたがるとは思えませんよ」
「なるほど。1年ですか」
「そうですね。1才にもなれば大丈夫でしょう」

…尤も歩けるようになればじっとしていないから見張らなければならない分、数倍大変でしょうけど。

と思ってもニッコリ微笑んで八戒は口にしない。
「さてと。僕はそろそろ悟空達の顔を見に行きたいんですが?」
「あぁ、お引き留めして申し訳ございませんでした」
「いえ。お役に立てませんで」
八戒は湯飲みを置いて立ち上がると、案内する僧侶の後へ付いていく。
「子供達は元気ですか?」
「はい。御子達は全員お元気です。食欲もおありになりますし、三蔵様も付いていらっしゃいますから」
「三蔵がねぇ…」

まさか
満点パパに変貌するとは。

八戒は苦笑いして、離れの棟へのんびり歩いていった。






「アイツ…子供背負って仕事してんのかよ」
「そうなんですよ〜。さすがに僕も驚いちゃいました」
「だな。えっらい変わりようだこと。想像したくもねーな」
静かに眠っている悟能を眺めて、悟浄は我が身を振り返る。
「ま、俺も三蔵のことは言えねーけど?」
「でも悟浄は元々面倒見がいいじゃないですか。我が子なら尚更でしょう?」
八戒は嬉しそうに双眸を和らげクスクス笑った。
僅かに悟浄の頬が赤らむ。
そりゃ自分にソックリな我が子なら可愛いのは当然だ。
しかも愛するヒトの血を受け継いでいるから、メチャクチャ大切に決まっている。
「ん?そう言えばさ。あの三つ子ちゃん、名前聞いてねーんだけど?」
「え?そうでしたっけ?僕言いましたよ〜」
「えー?何時だよそれ。俺知らねーし」
「もぅ…三蔵達へお祝い持っていって帰ってきて、悟浄に話したでしょう?聞いてなかったんですかぁ」
八戒が呆れながら悟浄の額をペシッと叩く。
「悪ぃ…俺そん時何かしてなかった?」
悟浄はバツ悪そうに髪を掻き上げた。
何かに気を取られていると、悟浄は生返事だけして話を聞いてないことがある。
「そう言えば…悟能へ離乳食食べさせていましたね」
その辺は八戒も知っているので、怒ることもない。
「そんで?名前なんつーの?」
興味津々に悟浄が八戒へ躙り寄った。
「悟空似の二人は『光』と『明』です」
「『コウ』と『メイ』?」
「ええ。何でも三蔵の亡くなったお師匠様の名前から頂いたそうです」
「へぇ〜。んじゃ三蔵似のチビは?」
「『江流』だそうですよ。三蔵の幼名なんですって」
「…三蔵に幼い時があったのか?」
思いっきり顔を顰めて悟浄が首を捻る。
「当たり前でしょう。いくら三蔵だってあのまま産まれたりはしませんよ」
「…気持ち悪ぃこと想像させんなよ」
三蔵が可愛らしいベビー服を着ておしゃぶりを銜えたまま、銃口を突き付ける姿を想像して悟浄は厭そうな顔をした。
自分の豊かな想像力を恨めしく思った瞬間だ。
「何バカなこと考えてるんですかぁ。江流だってちっちゃくて可愛いですよ………それなりに」
八戒はフォローしながら毒を吐く。
悟浄もやれやれと頭を掻いた。
「ま、面白そうだからそのうち様子見に行くか」
「そうですねぇ。悟能にも合わせたいですし。なんせ未来の
お嫁さん候補達ですからvvv」
「…まだそんなバカな妄想してんのかよ」
夢見る瞳で遠くを見つめる八戒を、悟浄が呆れ返って頭を小突いた。



Back     Next