Birthday Parade



とにかく悟浄はひたすら突進してくるイノシシから、逃げて逃げて逃げまくった。
肺が呼吸するのも限界に近くなり、悲鳴さえも出なくなる。
鬱蒼とした木々の間を器用にすり抜けて走るが、イノシシはしつこく追い縋って諦める気配も無かった。
必死に逃げる悟浄の脳裏に今朝の出来事が走馬燈のように過ぎる。

『あ…もうダメかも〜』

混沌と意識が白濁してきて、自分が必死に逃げていることさえどうでも良くなりかけた。
いっそこのまま倒れ込んで終いたい、そう思った時。

「悟浄っ!伏せて下さいっ!!」

八戒の声に身体が無意識に反応した。
走っている勢いのまま前へ倒れ込む。
その瞬間。
背後で物凄い断末魔の絶叫と目を灼くような閃光が上がった。
同時に背中へ強烈な激痛が走る。

「やりましたよ悟浄っ!」

遠くに八戒の嬉しそうな声を聞きながら、悟浄の意識は真っ白に弾けた。






漸く朝日が顔を出した早朝。
「うわあああぁぁっ!?」
けたたましい轟音が鳴り響き、悟浄は慌てて飛び起きた。

ジリリリリリリリーーーッッ!!!

いつの間にか悟浄の周囲を目覚まし時計がグルリと取り囲んでいる。
ざっと見てその数10個。
それらがベッドの周りに等間隔で置かれていた。
悟浄は暫し呆然と黄昏れる。
考えなくても犯人は八戒だ。
しかもご丁寧にベッドから降りないと目覚ましが止められない。
悟浄はガックリ脱力して寝癖の付いた髪を掻き上げるが、目覚ましはいつまで経っても鳴った状態で止まる気配も無かった。
何が何でも起きないといけないらしい。
「あー…もうっ!嫌がらせかよぉ!まだ6時前じゃねーかっ!!」
意地になって寝直そうかとも考えたが、これだけ騒音が酷いとソレも無理そうだ。
その辺も八戒は考慮してたに違いない。
悟浄の行動など全てお見通しだ。
仕方なく悟浄はのそのそ布団から這い出して、端の目覚ましから1個1個止めて歩く。
起き上がってから気付いたが、それでも八戒は念には念を入れたようで、部屋の扉の前にも3個目覚ましが置いてあった。
時間を見れば10分後にセットされている。
ただでさえ寝起きで機嫌が悪いのと強制的に起こされた腹立たしさに、悟浄は段々ムカついてきた。
乱暴に目覚ましのボタンを叩きながら解除して、まだ鳴っていない扉の前の時計を掴むとベッドへ放り投げる。
「くっそぉ…八戒のヤツッ!!」
と、怒鳴った所でハッ!と気付いた。
じっと自分の身体を爪先から視線を辿って目が点になる。

「…何で俺ってば服着替えてんの?」

何故か悟浄は普段通りの姿だった。
本日は黒Tシャツの上にボルドー系の柄シャツ、それと定番ストレートのジーンズ。
勿論賭場から酔っぱらって帰ってきてそのまま眠った訳じゃない。
昨日とは服装が違っていた。
昨夜は『今日は出かけないか、もしくは12時までに絶対帰って下さいね?』と八戒の薄ら寒くなる全開笑顔の脅しで、仕事に出るのを諦める羽目に。
夕食を取って風呂に入ったらやることもなくなって、珍しく12時にはベッドへ潜り込んだはずだ。
当然八戒もくっついてきて。

「悟浄おおおぉぉーっ!お誕生日おめでとうございまーっすっっ!!!」

等と、お祝い絶叫しながらちゃっかりのし掛かられ、舐められ囓られ弄り倒され散々啼かされた挙げ句、気絶するように何時の間にやら眠ってしまう。

そして、今朝の嫌がらせだ。

さすがに何か一言文句を言ってやろうと悟浄が部屋の扉を勢いよく開けた途端、食欲を刺激するイイ匂いがダイニングの方から漂ってきた。

くぅ。

悟浄の胃が遠慮がちに反応する。
「ううっ…これも八戒の作戦に違いねぇっ!」
しつこく空腹を訴えてくる胃を押さえつつ、悟浄は悔しそうにダイニングへ走り込んだ。
「八戒っ!お前…え?」
「あ、悟浄ちゃんと起きたんですね?おはよーございます♪」
ニコニコと上機嫌に八戒が挨拶の声を掛けてくる。
目の前の物凄い光景に、悟浄はあんぐり口を開いたまま呆然と佇んだ。
「悟浄?どうしたんですか??」
「すっげ…何コレ?」
「あぁ、もうちょっとで準備出来ますからねvvv」
八戒は菜箸を忙しなく動かし、テーブルいっぱいに広がったおかずの数々を手際よく重箱へ詰めていく。
それはもう思わず喉を鳴らしてしまう程見目麗しい豪華なお弁当だ。
吸い寄せられるようにフラフラ近寄れば、はい。とエビフライが差し出される。
素直に勢いよく食い付く悟浄を見て、八戒が小さく笑った。
八戒特製の大きなエビフライはまだ揚げたてらしく、衣もサクサクでちゃんと先っぽまで身が詰まっている。
モグモグ租借するとジュワッと海老の甘味が口一杯に広がって、あまりの美味しさに悟浄はウットリ頬を綻ばせた。
先程までのやるせない怒りもすっかり忘れてしまう。
「うっまぁーいvvv」
「今日は隠し味にちょこっとカレー粉を混ぜてみました」
「すっげ旨いっ!けど…何でこんな豪華な弁当朝っぱらから作ってんの?」
「悟浄ぉ…忘れちゃったんですか?今日ハイキングに出かけるって言ったでしょう?」
「あ、そっかそっか」
「朝食はもう用意できてますからね。先に顔洗ってすっきりしたらどうですか?その間にコッチも片付きますし」
「んー?じゃぁ、そーすっか」
コックリ頷くと、悟浄は大欠伸を漏らして洗面所に向かった。
顔を洗って髭も当たって髪も整え、綺麗サッパリしてからダイニングへ戻る悟浄の視界に、何だか見慣れないモノが二つ置かれている。

「……………何コレ?」

それはそれは大きなカゴだった。
カゴにはしっかり背負う部分まで付いている。
良く三蔵の寺の近くでコレに野菜や果物をいっぱい積んで背負っている農民を、悟浄は何度か見かけたことがあった。
その片方のカゴの中には先程八戒が作っていたお弁当のお重包みと水筒、それにピクニックシートが収っていた。
「何でこんなカゴで?」
悟浄が顔を顰めて唸っていると、コーヒーを入れた八戒がニッコリ笑う。
「今日は『きのこ』と『たけのこ』を、いーっぱい穫るって言ったじゃないですか。出かける山は三蔵のお寺のモノですから、やはり穫れたらお裾分けしないとね?悟空も期待して待ってるはずですから」
「あ、そういうことね」
「新鮮な『きのこ』に『たけのこ』…今日は悟浄の好きなすき焼きにしましょうか?」
「マジでっ!?」
「誕生日のご馳走ですから豪勢にしましょうね〜」
「うわーっ!うわーっ!」
日々八戒によって美味しいけど比較的清貧慎ましい食生活をしている悟浄は、素直に感嘆の声を上げる。
頬を紅潮させて喜んでいる悟浄を、八戒も満足気に見つめた。

確かに。
八戒の言う通り、出かけた山は旬の味覚の宝庫だった。

途中開けて平地になっている場所で、八戒絶品のお弁当を頬張って。
お茶を飲んでパンパンになったお腹がこ慣れるまで一休み。
そうしてから軽くなったカゴを背負って、八戒の案内に付いて目的の場所まで散策気分でのんびり歩いた。
鬱蒼とした木々に陽射しが遮られる斜面で、八戒が辺りを見回す。
悟浄も一緒になって首を巡らせると、何やらきのこがそこら中一面に生えていた。
「すっげーっ!八戒コレ食える?」
嬉々として悟浄が木の根元に生えているきのこのカタマリを指差す。
「あ、それは天然のまいたけですよ。栽培とは比べものにならないぐらい美味しいです。すき焼きにもバッチリ合いますね」
「マジで?うわっ!デッケェ〜♪」
悟浄は興奮で息を弾ませながら、見つけたまいたけを穫ってカゴへ入れた。
八戒も次から次へときのこを穫ってはカゴへ放り込む。
豊富なきのこ類に枯れ葉からちょこんと覗くマツタケまで穫れるわ、この時期生える珍しいたけのこもポコポコ頭を出していて悟浄を驚かせる。
背負っていったカゴへ次々収穫した秋の味覚を放り込んでいくと、その重みが今晩のすき焼きになるんだーっ!と、悟浄はワクワクしてきた。
二人のカゴはすぐにいっぱいになる。
「このぐらいにしておきましょうか」
「そーだな〜。寺で分けたってメチャクチャいっぱい残るんじゃね?」
「そうしたら次の日でも他のおかず作りますよ。そんな直ぐに腐る訳じゃないですからね」
「ま、気温も低いし大丈夫だよな」
「三蔵のお寺に寄った後、ご近所の農家から新鮮な野菜をいくらか分けて貰って」
「すっげ豪華なすき焼きになる?」
「勿論ですよ。期待して下さいね♪」
悟浄は頭にグツグツ煮えるすき焼き鍋を思い浮かべ、ニヘッと口元を緩めた。
今日は自分の誕生日だし、好きなだけお腹いっぱい食べても怒られない。
穫りたての新鮮野菜に旬の味覚、そしてそれらの旨みをいーっぱい吸った柔らかい肉。
そこまで想像して、悟浄は漸く肝心なことに気が付いた。
「八戒肉は?昨日買ってあんの?それとも帰りに街寄って買うの?」
無邪気に悟浄が訪ねると。

「は…八戒?」

途端に八戒の表情に緊張が走る。
恐いぐらい真剣な眼差しで悟浄を見つめ、力強く頷いた。
「すき焼きのメイン…お肉は…これからココで
調達するんですっ!」
「は?調達??」
「来る途中で仕掛けを置いておきましたから…通ればすぐに分かるようになってます」
「通るって…ナニがよ?」
「しっ!静かにっ!!」
八戒の張り詰めた雰囲気に、悟浄は息を飲んで口を噤む。
じっと動かず八戒は視線だけを動かし、辺りの気配を探っていた。
すると。
僅かに小さな鈴の音が聞こえてくる。
「来ました…三蔵からの情報通りですね」
「じょ…情報?」
声を顰めて何のことだか八戒へ問い質そうとした途端。
遠くの方から物凄い地鳴りがこちらの方へどんどん近付いてくるのが分かった。
八戒は二人分のカゴを掴んで素早く木の根元へ隠すと、近付いてくる振動の方向を見定める。
「東ですね?悟浄っ!すき焼きのためですっ!ちょっとソコで待っていて下さいっ!!」
「はぁ?待ってるって…おい、八戒いぃーっっ!?」
悟浄をその場に残して、八戒が地鳴りとは全然違う方向へ走っていってしまう。
ぽつんと取り残された悟浄はキョロキョロ辺りを窺った。
確実に音の根源はこちらへ向かっている。
「何なんだよぉ…すき焼きのためってのは?」
悟浄はムスッと膨れて、俯きながら足許に転がっていた小石を思いっきり蹴飛ばした。

「ブヒッ!?」
「へ??」

何だか聞き慣れない音が前方から聞こえて、恐る恐る顔を上げる、と。

「いっ…イノシシーーーッッ!?」

目の前にはかなり大きなイノシシが悟浄を鋭く睨んでいた。
その傍らには悟浄が蹴り付けた小石が転がっている。
「しまったぁっ!」
慌てて身を翻すと、一目散に駆け出した。
当然石をぶつけられたイノシシも悟浄に向かって突進する。
「八戒っ!イノシシッ!イノシシがっ!!」
必死に悟浄は八戒へ助けを求めた。
しかし肝心の八戒はどこにも見当たらない。
「ったく!すき焼きどころじゃな………ああああぁぁっっ!?」

そう、すき焼き。
八戒はすき焼き用の肉をこれから調達すると言っていた。
まさか、ソレが。

「チクショーーーッッ!てめ八戒ぃっ!最初っから俺を囮にするつもりだったんだろぉっ!!ハメやがって〜〜〜っっ!!!」

悟浄は怒り心頭で逃げながら八戒を罵倒する、が。
そんなナイーブな男心なんかイノシシは分かってくれない。
猪突猛進とは良く言ったモノ。
とにかくどんなに逃げてもイノシシは悟浄を追いかけてきた。
もう悟浄もパニック状態。
ただひたすら喚き散らして必死に逃げまくるしかない。
そんな悟浄を少し離れた場所から、八戒は双眼鏡で様子を眺める。

「悟浄、グッジョブ!すき焼きのお肉はバッチリですねっ!」

ビシッ!と親指を立てて八戒が悟浄の健闘を讃えると、美味しいすき焼きのために身体の底から右手へ力を集中し始めた。



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