いつでも君を見守っているから



それはいつも通り天気の良い、いつも通りの時間だった。
自分の執務室で書類の山を前に黙々と格闘していた金蝉が、ふと書類から顔を上げた。
時間はもうすぐ昼になろうとしている。
そのまま視線を巡らせれば、自分の養い子である悟空が床へ寝そべって画用紙に落書き遊びの最中。
先日天蓬から貰った画用紙とクレヨンで、グリグリと謎の物体を描いていた。
握っている黄色のクレヨンを使って一生懸命何かを塗りつぶしている。

それは悟空がいつも描いているモノ。

金蝉は僅かに口元を綻ばせながら立ち上がった。
突然立ち上がった金蝉に悟空が気付いて、不思議そうに大きな双眸を瞬かせる。
何も言わずに部屋から出て行こうとする金蝉に、悟空は慌てて起き上がった。
「金蝉っ!どこ行くの?」
「直ぐに戻るから待ってろ」

パタン。

金蝉は振り返ることもせずに部屋を出て行ってしまう。
しゃがみ込んで呆然とする悟空は、ぷっくり頬を膨らませてちょっと拗ねた。
直ぐに戻ると言うからには、大して掛からず本当に戻ってくると分かっている。
金蝉は一度だって悟空に嘘を吐いたことはなかった。
分かっているけど、何も言わずに置いて行かれると寂しい。
「もぅ…金蝉のばーか」
悟空は頬を膨らせたまま膝を抱えて、金蝉の出て行った扉を睨み付けた。
しん、と静まりかえった部屋。
金蝉が側にいないだけで、光を失ったような不安感が悟空を襲ってくる。
部屋は日当たりも良く、柔らかな日射しが注ぎ込んでいるけど。
部屋の様子が先程とはまるで違った。
悟空はキュッと自分の身体を抱き締める。
捨てられた訳でも置き去りにされた訳でもないのに。
まるで狭くて暗い場所へ一人取り残された気になってしまう。
「…こんぜん」
寂しくて怖くなって、助けて欲しいヒトの名前を悟空は呟いた。

ガチャ。

「おい、出かけるぞ」
開いた扉から眩いほどの光が悟空へ向かって降り注ぐ。
まるで悟空の声に応えてくれたように戻ってきた金蝉を、悟空は顔を歪めて見上げた。

「…何泣いてやがんだ?」

様子のおかしい悟空を見下ろし、金蝉が眉を顰める。
自分が居ない間に何かあったのか。
ここは観世音菩薩の住まう居城で、許可のない部外者が立ち入ることは出来ない。
しかも観世音菩薩は意外と武闘派で知られている。
どんな報復が待っているか分かっていて、おいそれと無断進入してくる剛胆な者もいない。
ましてや長年仕えている世話係の女官達でさえ、金蝉が声をかけない限りは部屋へ勝手に入ることを許していないので、悟空へ誰かが何かしたとも考えられない、が。
まさかこんな数分の間自分が離れただけで悟空が不安になっていたなどと、金蝉は想像もつかないだろう。
「泣いてなんかねーもん」
頬を赤らめて悟空が顔を背けると、仏頂面の金蝉がつかつかと近づいてきた。
悟空の丸い頬へ指を当てて、強引に自分の方を向かせる。
「じゃぁ、何で頬が濡れてるんだ?」
「〜〜〜〜〜っだからっ!」
デリカシーの欠片もない金蝉の純粋な疑問に、悟空は真っ赤になって指を払った。
「金蝉が何にも言わないで出てっちゃうからだろっ!」
「…直ぐに戻るといっただろうが」
ムキになって頬を擦る悟空の手を制して、金蝉が溜息混じりに抱き締める。
悟空も金蝉の背に手を回してギュッとしがみ付いた。

「金蝉に置いてかれるの…ヤなんだよ」

くぐもった悟空の呟きに、金蝉は瞠目する。
しかしそれも直ぐに穏やかな笑みに変わった。

「置いていく訳ねーだろ。テメェみてーなやかましいヤツ。離れようったって付いてくるクセに」

悟空が驚いて顔を上げ、金蝉をまじまじと見上げる。
「…何だよ?」
不満そうに顔を顰める金蝉の顔にちょっとだけ朱が上る。
その表情をじっと見つめていた悟空は、嬉しそうに破顔して金蝉へますますしがみ付いた。
「あったりまえじゃんっ!俺金蝉と一緒ならどこにだって付いてくもんっ!」
「そうかよ」
「そうだよっ!」
甘えて懐く悟空に金蝉は苦笑いを浮かべる。
金蝉の胸元へ額を擦り付けていた悟空が、何かを思い出して顔を上げた。
「じゃぁさ、さっきどこ行ってたの?」
「あぁ…荷物を取りに行ってただけだ」
「荷物?」
金蝉は身体を起こすと、持ってきたモノを視線で指す。
それは大きなバスケットだった。
それだけではなく、携帯用の水筒と敷物も一緒にある。
「もうすぐ昼飯だろ。今日は外の庭で食うぞ」
「え?外で食うの?」
「何だ?嫌か?」
「ううんっ!何かさ…金蝉とピクニックみてーだなっ!」
「………。」
悟空は楽しそうに大きな瞳を輝かせ、金蝉の持ってきたバスケット眺めた。
きっとあの中には美味しそうなご飯がいっぱい詰まってる違いない。

きゅるるるるー。

「…腹減った」
想像したらお腹が現金にも空腹を訴えた。
仕方なさ気に金蝉が悟空の頭をぐいっと撫でる。
「ほら、出かけるぞ」
「うわ〜い♪」
金蝉がバスケットを持ち、悟空が水筒とシートを抱えて、二人はピクニックへ出かけていった。






二人が出かけた場所は観音の所有する、天界でも屈指の美しい庭だ。
不自然じゃない程度に整えられ、草木や色取り取りの花々が咲き誇る広々とした草原で、近くには澄んだ泉もあって、冷たい水が滾々と湧き出ている。
大きな木陰を見つけると、金蝉は荷物を下ろした。
「ここでご飯にするの?」
手を繋いでいた悟空が嬉しそうに金蝉を見上げる。
悟空からシートを取り上げて適当に広げると、悟空も端を持ってお手伝いをした。
シートを敷いて、その上に荷物を移動させる。
「用意するから、そこの泉で手ぇ洗ってこい」
「はぁ〜い♪」
悟空は立ち上がると、元気よく返事をしてから近くの泉へ突進していった。
その間に金蝉はバスケットを開けて食事の準備をする。
前もって女官頭に伝えておいた、悟空の大好物ばかりがいっぱい詰め込まれていた。
手を洗って戻ってきた悟空へ小さなタオルを渡すと、悟空は瞳をキラキラ輝かせてシートの上に身を乗り出す。
「すっ…げーっ!俺が好きなモンばっかだっ!」
「おい、手ぇちゃんと拭けっ!」
「ね?ね?金蝉、コレいっぱい食ってもいーの?」
「あぁ…折角お前のために女官頭が作ったんだからな」
「え?俺のために?」
きょとんと目を丸くする悟空に、金蝉はしまった!と一瞬顔を顰める、が。
「…とにかく、食っていーんだよっ!ほらっ!!」
「ん?そっか…じゃぁ、いっただきまーっす♪」
ご馳走に目を奪われてる悟空は大して気にもせず、行儀良く手を合わせてから大きなおにぎりを金蝉から受け取った。
金蝉は内心ホッと胸を撫で下ろす。
すると。

「いやぁー今日はイイ天気ですよねぇ」
「そうだなー。絶好のピクニック日和だよなー」

どこからともなく聞こえてきたわざとらしい棒読みの台詞に、金蝉の額がピクリと引き攣った。
「あれ?天ちゃんとケン兄ちゃん?」
おにぎりを頬張っている悟空が、驚いて二人の侵入者を見つめる。
現れたのは不本意だが旧知の友、天蓬とその相棒である捲簾。
何故か二人もと自分たちと同じように捲簾が大きなバスケットを持ち、天蓬は水筒を斜めにぶら下げニコニコ胡散臭い笑みを浮かべていた。
「おい。何でテメェらがココに来るんだ?」
「え?僕たちはお昼休みにココへお弁当を食べに来ただけですよー」
「そ。偶然偶然。気にすんなっ!」
「天ちゃん達もピクニックなの?」
何も知らない悟空の無邪気な問いに、天蓬と捲簾は揃ってコクリと大げさに頷く。
「やっぱ天気のイイ日はのんびり外でメシ食った方がいいよなー」
「そうですよねー。こんなに天気がいいと外で食事した方が楽しいですしー」
またもや決められていたような棒読みの応えに、金蝉の血管がますます浮き出た。
「天気が良いも悪いもあるかっ!第一テメェらの軍はあっちだろうっ!何でここに来やがんだっ!!」
金蝉のツッコミは尤も。
軍の執務棟はこの観音の居城からは少し離れている。
わざわざ昼食を取るためだけに仕事中やってくるというのもおかしな話だ。
しかし相手は天蓬と捲簾。
いつもおかしな挙動をする二人に、一般常識など皆無だった。
二人は顔を見合わせてニヘラと笑う。
「たまたまっ!ですよー?勿論」
「そうそう、偶然に決まってんじゃ〜ん」
「前にお邪魔したときこの場所が綺麗だなーって思いましてね?捲簾に話したら『じゃぁ、今度そこへ遊びに行こうっ!』ってことになりまして」
「それが今日だったってだけ〜アッハッハッ!」

二人の不審な行動が絶対偶然のはずがない。
それだけの理由が今日ココにはあるから。
どうやら考えてることが同じらしい二人の珍入者に、金蝉は仏頂面を隠そうともしない。
そんな友人の態度に天蓬はやれやれと肩を竦めた。
「別に僕たちは勝手に寛ぎますから、邪魔なんかしませんよ」
「だって俺ら昼休みだからメシ食いに来ただけだし?」
「え?天ちゃんとケン兄ちゃん一緒にご飯食わねーの?」
悟空が小首を傾げると、捲簾がポンポンと頭を軽く叩く。
「悟空は寂しいかもしんねぇけど、金蝉パパがヤだってさ」
「え?何で??」
悟空が慌てて金蝉を振り返れば、不機嫌そうにツンと顔を反らしていた。
何だかいつもの金蝉らしくない。
確かに口は悪いが、いつもは天蓬と捲簾にここまで頑なな態度は取らないのに。
困っておろおろする悟空に、天蓬がニッコリ微笑んだ。
「今日はね?金蝉はどうしても悟空と二人っきりになりたいんですって」
「…そーなの?」
「だよな?金蝉」
「…うっせーよ」
ぞんざいな返事をする金蝉に、天蓬と捲簾はクスクスと笑いを噛みしめる。

全く以て素直じゃない。

「それじゃ、僕たちも食事がありますから」
「じゃぁな〜」
「さっさとどっか行けっ!」
金蝉が二人を睨み付けると、捲簾が何かを思い出し小さく声を上げた。
「あ、そうだ。コレコレ。ほい、悟空に差し入れ」
「え?俺に??」
「おうっ!あ、傾けんなよ?そのまままっすぐ持つんだぞ?」
そう言うと捲簾は真っ白な箱を悟空へ手渡す。
白くて正方形の箱からは、甘くて良い匂いがした。
「金蝉のことだから用意してなかったでしょう?」
「ほーんと、照れ屋さんだこと〜」
「テメェらっ!さっきからうっせーんだよっ!」
「???」
顔を真っ赤にして怒る金蝉を悟空一人だけが訳も分からずぽかんと見つめた。
この白い箱に何かあるんだろうか。
「あ、悟空。それはメシ食った後に金蝉に切り分けて貰えな?」
「お願いしましたよ〜金蝉」
「分かったからとっとと失せろっ!」
「おー、コワ。そんじゃな、悟空!」
「また遊びに来て下さいね〜」
二人はヒラヒラ手を振って庭の先へと歩いていった。
気を利かせて何処かへ消えると思っていたのに。

「何でテメェらはそこで弁当広げるんだっ!!!」

天蓬と捲簾はほんの10m離れたところで立ち止まり、いそいそと昼食の準備を始めだした。
これには金蝉も忍耐の緒が切れかかる。
「気にすんな〜」
「あんまり遠くへ行くと、軍棟へ戻るの時間掛かっちゃうでしょー」
適当な理由を付けてヘラヘラ笑う二人は、金蝉の激怒をあっさり無視した。
その様子を不思議そうに悟空が眺める。
「天ちゃんもケン兄ちゃんもこっちで一緒にご飯食えばいいのに」
「…今日はダメだ」
「ふーん…金蝉がダメだってゆーならしょーがないよな」
よく分からずも頷いた悟空に、金蝉はどうにか怒りを治めた。
悟空は手渡された箱をじっと見下ろす。
「ケン兄ちゃんがくれたの…何かな?」
「…開けるのはメシ食ってからだ」
「うん、分かった〜」
持っていた箱を大事そうにそっとシートの端へ置くと、悟空はおにぎりを持ち直して齧り付いた。



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