あなたへの月 |
昼過ぎ。 休日の土曜を猫とのんびり過ごしていた捲簾宅に訪問者があった。 ピンポーン。 インターフォンはオートロックではなく、部屋の方が鳴る。 直接来れる訪問者は2人しか居ない。 『ケン兄ちゃ〜ん♪』 ドアフォン越しに聞こえる元気な声。 「ほいほ〜い、今開ける」 捲簾は返事だけ返すと、玄関へ向かった。 その後をテコテコと猫も付いていく。 「おうっ!どうしたんだよ?やけに時間早くね?」 ドアを開ければ、気心知れた2人。 何やら手土産持参の金蝉と悟空が立っていた。 捲簾は金蝉の姿を眺めて目を丸くする。 「あ?どっか行って来たん?やけにおめかしさんじゃん」 「別にめかし込んでねーよ」 不機嫌そうに前髪を掻き上げると、勝手知ったる家とばかりに即される前から上がり込んだ。 金蝉は視線も合わさず、持っていた袋を捲簾に押しつける。 「何?コレ??」 やけにかさばる紙袋を手渡され、捲簾は小さく首を傾げた。 「悟空に強請られたんだよ。ソイツの玩具やおやつ」 「てんぽ〜!元気だったか〜?」 「にゃっ!」 早速上がり込んだ悟空が猫を抱き上げ、スリスリと頬擦りをする。 仲睦まじげに戯れる子供と猫を、大人二人がしみじみと眺めた。 「相っ変わらず甘やかしてんなぁー」 「…うっせーよ」 一応自覚はあるのか、金蝉が僅かに頬を染める。 金蝉は基本的に人付き合いが苦手で極度の口下手だ。 本人に悪気は無いらしいが、口を開けば罵詈雑言ばかり。 ルックスは豪奢な美人だが、とにかく無愛想でいつも不機嫌な顔をしていた。 大抵初対面の人間は怯えるか、引いていく。 金蝉を知っている者から見れば、単なる羞恥心の裏返しなのだが。なので、金蝉の経営している動物病院へ来る人たちは殆どが常連で、すっかり慣れ親しんでいるらしく特に気にしないようだ。 開業して今まで苦情などは珍しく皆無らしい。 獣医としての腕は確かで、患蓄に対しても真摯な対応で飼い主からは評判がいいぐらいだ。 不器用なぐらい根が純粋で真面目。 コレが捲簾の金蝉に対する印象だった。 その金蝉が養育している悟空。 天蓬に聞いた話だと遠縁の親戚らしい。 両親を事故で失って以来、金蝉が面倒を見ていると言うことだ。 血筋がどうとか捲簾には関係ないし興味もないので、詳しく訊いたこともない。 小さい内に不幸が遭ったにも係わらず、悟空は天真爛漫な子供で可愛かった。 他人の捲簾達でさえ弟のように可愛がっているのだから、身内の金蝉はハッキリ言って溺愛状態。 本人は断固として認めないが、誰から見たって分かりやすい程だ。 悟空のことになると、心穏やかではいられないらしい。 まだ小さい悟空にさえこんな状態では、成長すればどうなるやら。 ひそかに捲簾は天蓬と成り行きを見守って楽しんでいた。 「悟空!今日は学校休みか?」 捲簾がキッチンから声を掛けると、猫を抱きかかえたまま首を振る。 「ううんっ!今日さ、授業参観だったんだ!」 「授業…参観?」 「そう!それで金蝉来てくれたから、学校終わって昼ご飯外で食ってから来たの〜。てんぽうどうしてるかなーって思って」 「へぇ?そっかそっか。成る程ね〜ふぅ〜ん…」 意味深な笑みを浮かべながら捲簾がうんうんと一人頷いた。 ニヤニヤと口端を上げて視線を向ける捲簾を、金蝉は胡乱な視線で睨み付ける。 「…何だ、テメェ」 「いんや〜?べっつにぃ〜。金蝉ってばイイお父さんしてんじゃ〜ん♪」 「誰がお父さんだっ!」 真っ赤な顔で憤慨する金蝉を眺め、捲簾は小さく噴き出した。 ますます金蝉の眉間に深く皺が寄る。 「だって悟空の面倒も甲斐甲斐しく看てるし?ちゃんと授業参観まで行って。世間の父親よりよっぽど仲良し親子だって。なぁ?てんぽう」 「にゃぁ〜」 相槌打つように猫がタイミング良く鳴いた。 「フンッ…勝手に言ってろ」 プイッと視線を逸らす金蝉の頬はやっぱり赤いまま。 案外満更でもないようだ。 悟空は猫を抱えてオロオロする。 「なー、金蝉もケン兄ちゃんもケンカすんなよぉ」 コーヒーメーカーをセットすると、捲簾は不安げに見上げてくる悟空の頭をガシガシ撫でた。 「別にケンカなんかしてねーぞ?悟空と金蝉が仲良くっていいなーって言ってるだけ。だろ?てんぽう」 「にゃっ!」 悟空の腕の中で猫が元気に鳴いた。 まるで会話してるかのようなやり取りに、悟空はパチクリと目を瞬かせる。 金蝉はこれ見よがしに大きく溜息吐くと、ソファへ身体を投げた。 「金蝉コーヒーでいいだろ?悟空はカフェオレな」 「あ、俺冷たいのがいい!」 「オッケ〜、アイスな」 捲簾が上機嫌で冷蔵庫から氷を出して準備する。 悟空は猫を抱えて金蝉の側によると、隣に腰を下ろした。 「…何かケン兄ちゃん元気だね?」 「鬱陶しくて暗いよりマシだろ」 「そうだけど…何か違うんだ」 「あ?違う??何言ってやがる」 話ながら金蝉はついでとばかりに、指で猫の口をこじ開け口腔をチェックする。 「何て言えばいいのか分かんねーけど…何かすっげー元気なんだよっ!」 「んなもん見りゃ分かる」 「だからっ!そうじゃなくってぇ〜」 旨く伝えられないもどかしさに、悟空はバタバタと脚を跳ね上げた。 「おいおい、痴話喧嘩すんなよ〜」 「うっせー!さっさとコーヒー寄越せ!」 「はいはい。態度のでっけぇお客様だこと〜」 捲簾は肩を竦めて、人数分のカップを棚から出す。 話の内容までは聞こえなかったようだ。 「だからさ…上手く言えねーけど。前とおんなじケン兄ちゃんなんだ」 「前と…同じ?」 金蝉は猫パンチを受けながら眼球をチェックしていたが、小さな声で呟く悟空の言葉に眉を顰めた。 「それは一体―――――」 意味が分からず問い返そうとした時。 「お?てんぽう〜。金蝉から鰹の生り貰ったぞ〜!食うか?」 「にゃっ!」 捲簾の声に嬉しそうに鳴いて応えると、猫が悟空の腕から飛び降りた。 一直線に捲簾へ駆け寄って、足許へガシッとしがみつく。 「待てっ!今用意してやるから…新聞でも読んで待ってろ」 「にゃ?」 捲簾がテーブルに置いてあった新聞を目の前に差し出すと、猫は素直に口で銜えた。 そのままリビングの邪魔にならない所まで歩いて持っていく。 「こっ…金蝉!?」 「………。」 驚愕で目を丸くしている金蝉と悟空の目の前で。 猫が口から新聞を落とし、前足で紙面を丁寧に伸ばした。 そして、パラリと。 前足の爪をページの端に引っかけ、器用に紙面を開く。 「にゃ…にゃ〜」 新聞の前に座り直した猫は、意味不明に小さく鳴きながらじっと新聞を眺め始めた。 よくよく見ると視線が上下に動き、まるで記事を読んでいるかのようで。 金蝉と悟空はポカンと口を開いて唖然とする。 無言で注視している前で猫は何事かに頷くと、またもや器用にページを捲った。 「にゃ…うにゃっ!」 前足で何かの記事をペシペシ叩きながら怒ってるらしい猫の様子に、悟空が金蝉の袖口を引く。 「なぁ…金蝉。てんぽうって新聞読んでんの?」 「猫が読める訳ねーだろ。馬鹿らしい」 「でもさっ!何か目ぇ動いてるし、あれって新聞に書いてあることで怒ってんじゃねーの?」 「偶然だっ!」 「でもぉー…」 金蝉が強引に言いくるめても悟空は気になるらしく、興味津々でじっと猫を眺めた。 ふと何かを思いついた悟空が、金蝉に振り向く。 「そう言えばさ、天ちゃんもいつも新聞読んでたよなっ!」 「偶然だって言ってるっ!!」 あくまでも現実主義の金蝉。 悟空の話さえ聞く耳持たない。 興味がないとばかりに視線を逸らすと、悟空は小さく首を傾げた。 「でもさ〜、マジで天ちゃんに似てんのな」 「……………偶然だ」 そっぽを向いたまま金蝉が忌々しげに呟く。 「何で金蝉てんぽうと天ちゃんがソックリだとヤなの?ケン兄ちゃん楽しそうだからいーじゃん」 不思議そうに見上げられ、金蝉は仕方なさそうに溜息を零した。 大人もコイツみたいに全て割り切れれば楽できるんだろうな。 金蝉はたまに悟空の大らかな性格が羨ましく思う。 そんな風に思えれば、捲簾だって自分で自分を追いつめる真似をしないだろうに、と。 ぼんやり金蝉が考えていると、キッチンからよしっ!と威勢の良い声が聞こえてきた。 「てんぽう、ホラ出来たぞ?」 「にゃっ!」 捲簾がエサ入れを掲げると、猫が嬉しそうに返事をする。 慌てて近寄ってくる猫の前で、捲簾がサッとエサ入れを隠した。 「うにゃっ!?」 「新聞。読みっぱなし。ちゃんと片づけろって散々言ったよなー?」 ニッコリ頬笑むと、猫が知らんぷりで視線を逸らす。 「てんぽう、新聞か・た・づ・け・ろ♪」 「うにゃー…」 猫は面倒くさそうに鳴くと、トボトボ読んでいた新聞の所まで戻った。 広げっぱなしで放置していた新聞を、これまた器用に爪を紙面の端に引っかけ元通りに折りたたむ。 それを銜え直すと、ソファの横に置いてあるマガジンラックの中に差し込んだ。 「にゃ?」 片付け終わった猫が振り返ると、捲簾は満面の笑みを浮かべて手招きをする。 「やれば出来んじゃねーか。ほら、おやつ食っていーぞ」 「にゃっ!」 猫は嬉しそうに鳴くと、猛ダッシュで捲簾へ駆け寄り身体を擦り付けて甘えた。 捲簾は目の前にエサ入れを置いてやり、食べ始めるのを眺めながら優しく頭を撫でる。 それは一見仲睦まじい飼い主と愛猫の日常に見えた、が。 「…こんぜーん」 「…偶然だ。たまたまだっ!」 「でも…てんぽう…猫なのに新聞…」 「俺は何も知らんっ!」 奇妙な行動をする猫らしからぬ猫からギクシャクと視線を外して、金蝉は心の平穏のために何も見なかったことにした。 暫く話をした後、金蝉と悟空は病院の診療があるからと帰っていった。 「…金蝉、何かあったのか?」 「にゃ〜」 悟空はそうでもなかったが、金蝉はやけに猫から視線を逸らして腰が引けていた気がする。 猫が近寄ると、思いっきり頬を引き攣らせ硬直した。 終いには、帰り際の捨て台詞。 「テメェ…一日中猫相手に独り言ばっか言ってんじゃねー!馬鹿らしい」 「は?俺てんぽうと話してたんだけど?」 「……………帰る」 やけに疲れた顔をして、金蝉は悟空に引きずられて帰った。 ドアが閉まって、捲簾が首を傾げる。 「どうしたんだろうな?アイツ」 「にゃ?」 金蝉の憔悴など全く分かってない人間と猫一匹は、顔を見合わせると不思議そうに首を捻った。 時計を見ると3時を少し過ぎている。 「あー、買い物行かねーとか。昨日何も買ってこなかったしな」 「うにゃ?」 捲簾はリビングに戻ると、ソファにダイブした。 仰向けに転がっていると、猫がやってきて腹の上に乗ってくる。 「メンドくせーけど、ちょっと昼寝したら出かけるか。てんぽうは留守番な」 「にゃ〜」 猫も一緒に出かけたいのか、捲簾の腹を前足でペシペシ叩いた。 「ダメだって。お前連れてくと余計なモン欲しがるし」 「うにゃ…」 「どーせフィギュア付きの菓子が欲しいんだろ?お前のマンション行ったら、ゴロゴロちっこい動物のフィギュア出てきたな〜」 「にゃ…」 猫が小首を傾げて上目遣いに捲簾を見上げてくる。 尻尾はクルリと先を巻いて、甘えるように捲簾の身体に擦り付けた。 あまりに愛らしい姿を見せられ、一瞬捲簾は絆されそうになる。 「うにゃぁー…」 トドメの猫撫で声。 「…1個だけだぞ?」 「にゃっ!」 結局、捲簾は”天蓬”には甘かった。 |
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