あなたへの月



食材とお菓子の入った袋をぶら下げて、捲簾は上機嫌で帰ってきた。
今晩も空には雲が無く、東京の空でも星が小さく瞬いて見える。
天上にはポッカリと薄もやを纏った月が浮かんでいた。
捲簾はエレベーターホールを通り過ぎ、階段の方へ向かう。
軽快に階段を上りながら、空を眺める。
「折角カメラ用意してたのに…結局皆既月食撮れなかったなぁ」
尤もその皆既月食のおかげで大騒ぎだったけど。
捲簾は小さく笑いを漏らすと、早足で階段を駆け上った。
自宅前に着いて買い物袋を片手に移し替え、ジーンズに繋いだチェーンを引っ張り鍵を取り出す。
「ただ〜いまっ!」
荷物を抱えてドアを開けると。

「あっ!捲簾お帰りなさぁ〜いvvv」

またもや人間の姿に戻った天蓬が嬉しそうに玄関まで出迎えに来た。

どさ。

目の前を呆然と疑視して、捲簾が荷物を取り落とす。
今日は皆既月食ではない。
昨夜の状況から言って、天蓬が変化したのは皆既月食が原因だと考えるのが妥当だと思った。
まぁ、この際原因はどうでもいい。
今ニコニコ笑って目の前に立つ天蓬には、やっぱり昨夜と同じ猫耳と尻尾が生えていた。
それこそ昨夜見たので今更どうだっていい。
捲簾が驚いているのは猫が人間に変化したことではなく。

「…何でエプロンなんかしてんだよ〜」

眉間を押さえて捲簾が溜息交じりにぼやいた。
猫耳尻尾付きの天蓬は、素肌にエプロンだけ身に着けた姿で捲簾の前に立っている。
俗に言う裸エプロン姿。
エプロンは真っ白いフリル付き。の訳が無く、普段捲簾が使用しているシンプルな生成の物だ。
一見するとエプロンスカートを着ているようにも見えた。
それプラス猫耳に尻尾。
一体コレは何のコスプレだ?と考えて頭痛がしてくる。
「コレ…似合ってません?」
「わーっ!回らなくていいっ!!」
天蓬がエプロンの裾を掴んでクルリとターンした。
回る勢いで長い尻尾がフワッと揺れる。

…似合ってるから困るんだよっ!

見た目だけは可憐な風情の超絶美人。
それプラス、今はオプションで頭に三角の耳がちょこんと付いている。
しかも長い尻尾まで。
可愛らしさを増長させるアイテムまで付けて、尚かつ裸エプロン姿。
中身が天蓬じゃなければ、興奮してダイニングテーブルに押し倒してる所だ。

しかし。
目の前で小首を傾げているのは、羊の皮を被った狼…もとい、猫の皮を被った絶倫ケダモノ。

そんなウッカリ似合ってるなんて言ったりしたら逆に大喜びで押さえ付けられ、どんなプレイを強要されるか分かったモンじゃない。
捲簾はジットリと恨めしそうに天蓬を睨み付けた。
「ふむ。捲簾が奥さんはヤダって言うから、僕がやってみたんですけど〜」

だから、その突飛な思考はどこから来るんだ!?

喚きそうになる言葉を飲み込んで、捲簾は玄関にしゃがみ込む。
聞いた所で天蓬の複雑怪奇な脳みそを理解出来ないのはいつものこと。
捲簾はグッタリと気疲れして、頭を抱え込んだ。
「あのっ!捲簾?大丈夫ですか?どこか身体が痛いとか??」
突然玄関にしゃがみ込んで項垂れる捲簾に驚いて、天蓬がオロオロと心配してくる。

「…天蓬」
「はいっ!やっぱり辛いんですか?横になった方が…あっ!そのままで。僕が抱いて運びますからっ!」
「違う。コレ」
「はい?」

捲簾が天蓬の鼻先に買い物してきた袋を差し出した。
つい条件反射で天蓬は袋を受け取る。
「キッチンに持ってけよ」
「え?あの…でも…捲簾身体の具合は?」
「…お前がバカ過ぎて力が抜けただっけ〜」
「バカってなんですかっ!」
「嬉しそうに裸エプロンで出迎える野郎の何処がバカじゃねーんだ?」
「え?だって〜恋人が裸エプロンでお出迎えって嬉しくないですか?僕だったら捲簾にそんなことされたらっ!」
天蓬は頬を紅潮させると、興奮気味に捲し立てた。
呆れ返った捲簾が、髪を掻き上げながら溜息を零す。
「…やってもいねーことで鼻血噴くな、アホ天」
「え?」
慌てて鼻を押さえる天蓬の横を捲簾が通り過ぎた。
「あっ!ちょっ…捲簾??」
「荷物。ちゃんと持ってこいよ〜」
玄関先に天蓬を放置して、捲簾はキッチンに入っていく。
言われた通り買い物袋を抱え直し急いでキッチンへ追いかけると、捲簾が居なくなっていた。
「あれ?捲簾…」
天蓬がキョロキョロと視線を巡らせると、寝室から捲簾が戻ってくる。
徐に天蓬へ近寄ると、肩にガシッと手を掛けた。
捲簾はエプロンのヒモを掴んで、一気にずり下げる。
「捲簾っ!?そんな…こんな所でいきなりぃ〜vvv」
ポッと天蓬が頬を染めて、もじもじと身体を捩らせた。
「バァ〜カ。何期待してんだ。メシ作るんだからエプロン返せっての」
不気味に恥じらう天蓬を睨み付けると、捲簾が持っていた着替えを押しつける。
「なぁ〜んだ。やっぱり捲簾ってば裸エプロンに興奮して、キッチンで激しく卑猥な行為をっ!じゃないんですかぁ〜?」
「あー?恥じらう新妻をキッチンで調理って?何のAVだよ、そりゃ」
「でも『食事よりお前が食べたい』っていうのは定番でしょ?」
「何?ご馳走してくれんの?」
「そりゃもぉ〜いくらでもvvvあ、でも食事は捲簾の下のクチ限定で」
「…そっちかよ」
捲簾は天蓬から無理矢理エプロンを剥ぎ取って身に着けた。
渋々と天蓬も渡されたシャツを羽織る。
今日は脚周りのゆったりしたショートパンツも穿く。
これなら多少違和感があっても、尻尾が片足の方から出せるので問題ない。
ダイニングテーブルで買ってきた食材を整理する捲簾に、着替え終わった天蓬が近付いた。
「あんまり買ってこなかったんですね?」
「ん?もう時間が遅かったし、あんま良い素材残ってなかったから。明日1週間分買い出しし直そうと思って」
「ふーん。こっちの袋は何ですか?」
同じ様な袋がもう一つテーブルに置いてある。
「あぁ、それお土産」
「は?僕に…ですか??」
「…欲しがったのお前だろうが」
「あっ!もしかして!!」
天蓬が膨らんだ袋の中を覗くと、中にはフィギュア付き菓子の箱が詰め込まれていた。
ざっと見た限り10箱は入っている。
天蓬の瞳が嬉しそうにキラキラ輝いた。
「けんれ〜んvvv」
パタパタと尻尾が歓びで激しく振られる。
「あ、お前のは半分。動物のヤツ。残りは俺のだからなっ!」
「はい?捲簾の…ですか??」
きょとんと目を丸くして、天蓬が意外そうに首を傾げた。
僅かに捲簾の頬が赤く染まっていく。
「菓子のコーナーいったらさ。何か面白そうなのがあったから…」
天蓬がまじまじ見つめると、言い辛そうに捲簾が口籠もった。
とりあえず天蓬は袋の中から箱を出してみる。
半分は捲簾の言った通り、天蓬が密かに集めていた動物フィギュア付きの菓子。
もう半分は。
「あれ?これって…グリコのお菓子ですか??」
昔懐かしい、おまけ付き菓子の元祖。
しかしそれは記憶にある物とは僅かに違う。
何だか箱も大きくて豪華だった。
おまけの箱には何やらレトロ感漂う絵柄が描かれている。
「えーっと…昭和の…昔の家庭用品のおまけ?」
「あぁ。何か昔の電化製品とか…そういうのが入ってるらしいからさ。昔のってデザイン的に古くさいって言ったらそれまでだけど、結構味があってイイモノがあったから。何か面白れーなぁって」
「そうですか。捲簾のお仕事に何か参考になるかも知れませんよね。レトロモダンな家具とか」
「そうっ!そしたらついつい…とりあえず店にはそれしかなかったんだけどさ」
照れくさそうに捲簾が笑うと、天蓬は訳知り顔で頷いた。
「普通のお店ではそんなもんですよ。こういう物集めてる人は専門の玩具屋へ行って『箱買い』するんです」
「箱買い?コレだって箱じゃん」
「いえ。バラじゃなくて、1ケースってことですよ。僕も買いに行けば4〜5ケース纏め買いしてましたしね」
「しっ…4〜5ケース!?」
捲簾の声が驚愕でひっくり返った。

こんな物をケースでって…。

「いや、だって…おまけが欲しいのかもしんねーけど。そうしたら菓子だって」
スゴイ量になるんじゃないか?
それを食べきるのは子供ならともかくかなりキツイんじゃ。
捲簾は呆然として菓子の箱を眺めた。
「まぁ、こういう物についてる菓子ってあまり美味しくないんですけど。どちらかと言えばおまけがメインですし。僕は本を読んでる時に小腹が空いたら食べてましたけどね」
「お前はな…甘党だから平気だろうけど」
「心配しなくても。捲簾の買ったほうのキャラメルも僕が食べますよ」
天蓬が捲簾の言い分を察して小さく笑う。
こういう物を集める人には付いているお菓子を捨ててしまう人もいる。
菓子を買うから甘党だということはない。
捲簾もそうだ。
しかし中身が食べ物だけに、捲簾は捨てたくなかったのだろう。
案外生真面目で常識を持っているのを天蓬は理解していた。
何となくバツ悪そうに見つめてくる捲簾に、天蓬はニッコリ微笑んだ。
「捲簾、コレ向こうで開けて見ていいですか?」
「あ…うん。俺メシの用意するから」
天蓬は捲簾の了承を取ると、袋ごと抱えてリビングへ移動する。
「でもっ!あっちこっち散らかすんじゃねーぞっ!!」
「大丈夫ですって〜」
「…お前の大丈夫は当てになんねーっての」
嬉々として箱を開け始めた天蓬を眺めて、捲簾は小さく苦笑した。






そんなに空腹感もなかったし時間を掛けたくもなかったので、捲簾は簡単なメニューで済ませることにした。
あんかけ焼きそばにかける野菜を中華鍋で手早く炒めていると、何かをふと思い出した。
「あ、そうだ。天蓬!」
「何ですか〜?」
「お前もメシ食うよな?」
「お腹空きました〜」
おまけを弄って遊んでいる天蓬を眺めて、捲簾は首を傾げて思案する。
「やっぱ…人間の食事?」
「…ブッ飛ばされたいんですか?」
天蓬が頬を引き攣らせながらニッコリ微笑んだ。
今の天蓬は猫耳と尻尾はあるが、人間の姿で。
当然食事だって人間の食事に決まっている。
「しょーがねーだろっ!分かんねーんだからっ!!」
不穏な空気を漂わせる天蓬に、捲簾が牽制して喚いた。
確かに人間の姿をした天蓬がエサ入れに顔を突っ込んで、カリカリエサを美味しそうに食べてたら相当不気味だろう。
「ちゃんとお前の分も作ってるって…あっ!でも」
「でも?」
「ん?お前また戻ってるなんて知らねーから、”てんぽう”用に奮発してマグロ買ってきたんだけど」
捲簾が何となく残念そうに呟くと、天蓬が呆れた視線を向けてくる。
「…別に人間の僕もマグロは好きですけど?スーパーで猫用マグロなんて売ってないでしょう?」
「そう言えばそっか。んじゃ、明日はマグロ丼にしようっ!」
杞憂が晴れると、捲簾は上機嫌で鍋を返して火を止めた。
出来上がった野菜のあんかけを、用意してあった二人分の麺の上に分けてかける。
もう一方のコンロではシュウマイを蒸籠で蒸していた。
そちらも火を止め、気を付けながら蒸籠を外す。
「天蓬、メシ出来たから。食っちまおう」
「はぁ〜いvvv」
調子よく返事をすると、嬉しそうに尻尾を振って駆け寄ってきた。
さっさと席に着くと、箸を持って料理を待ち構える。
捲簾がスープ皿を天蓬の前に置いて、自分も席に着いた。
「頂きまーす♪」
「熱いから気を付けろよ?お前猫舌だし…猫舌?」
「元々猫舌ですけどね」
天蓬と捲簾は顔を見合わせると、小さく噴き出す。
少し遅めの和やかな食事が始まった。
「そういや…何でまた人間になったんだよ」
天蓬の小皿にしゅうまいを取り分けながら捲簾が問い掛ける。
裸エプロンの衝撃で、捲簾は肝心なことを聞き忘れていたのを思い出した。
しゅうまいを口に運んで、天蓬は肩を竦める。
「やっぱり良く分からないんですけど…捲簾が出かけた後、暫くぼんやり外を眺めてたんです」
「外を?暗くて別に何も見えねーじゃん」
「景色を見てた訳じゃないですよ?早く捲簾帰ってこないかなーって。それで改めて外眺めたらすっかり陽が落ちてたでしょう?何気なく空を見上げたんです」
「空…」
捲簾がポツンと呟いた。
天蓬もその言葉に頷く。
「ええ。そうしたら、綺麗に霞みがかった月が浮かんでいて。そう言えば捲簾が皆既月食見たがっていたなって。ぼんやり考えてたんですけど…そうしたら唐突に頭が揺れるような感覚が襲ってきて。何て言うか…目眩で視界が歪む感じなんですどけ、立っていられなくなって意識が遠のいたんです」
「それって…昨夜もそうだった?」
「はい。どれぐらい意識を失っていたかは分かりませんけど、そんなに長い時間ではなかったんじゃないかな?ふと意識が戻って、視界に入った自分の手を眺めたらみたらこの手でしょう?あ、また人間になれたんだって」
「また月、なんだ」
捲簾はお茶を啜って、窓の外へ視線を向けた。
天蓬の変化には原因は分からないが、何かしら”月”が係わっているらしい。
「それで僕考えたんですけど。昨夜の皆既月食はきっかけなんじゃないかって」
「じゃぁ、この先も月を見れば人間になんの?」
「多分…比較対象が今のところ出来ませんけど。例えば天気が悪くて月が見えない夜に変化しなければ確信出来きますけどね」
「ふーん…何か狼男みてぇ」
「アレは逆じゃないですか」
天蓬が呆れたように溜息吐くと、捲簾は小さく喉で笑った。

この際理由なんか何でもいい。

「俺は…天蓬が居ればいいよ、別に」
「捲簾…」

寂しそうに呟く捲簾に天蓬は痛みを覚えて、言葉を掛けることも出来ずにじっと見つめた。



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