あなたへの月



捲簾が夕食の後片づけをしている間、天蓬は床にクッションを抱えてゴロンと転がり本を読み始めていた。
普通ならそこで手伝うぐらいしても良さそうだが、捲簾が頑なに拒否する。
「けんれーん?本当に手伝わなくていいんですかー?」
「…そこら辺で転がってろ」
「そうですかー?」
一応声は掛けてみるものの、殆ど社交辞令だ。
過去に手伝わせて食器を何十枚とダメにした経験があり、それ以来捲簾は天蓬に手伝わせるのを諦めた。
黙々と食器を洗っていると、リビングを天蓬がコロコロと転がってくる。
「けんれーん」
「何だよさっきから!」
「だって、寂しいですぅ〜」
クッションを抱え込んだ天蓬が尻尾をパタパタ振りながら、捲簾を上目遣いに見つめてきた。

ガチャン!

「え?捲簾食器割っちゃったんですか?手ケガ―――」
「大丈夫だ…手が滑って落としただけ」
「本当ですか?それならいいんですけど…」
捲簾にケガがないと分かって、天蓬はニッコリ微笑んだ。

…すっげ質悪ぃんだけど。

無意識なのか、わざと捲簾を煽っているのかが微妙なところ。
見た目だけは極上美人。
プラス愛らしい猫耳と尻尾をつけた天蓬に、捲簾の理性がグラグラと揺さ振られた。
「騙されるな〜俺っ!」
ブツブツ呟きながら捲簾は無心になって食器を洗う。
天蓬はリビングからずっと捲簾に声を掛けているが、知らん振りを決め込んだ。
暫く無言で黙っていると、天蓬も諦めて声を掛けなくなる。
どうやら捲簾に無視されてご機嫌斜めになったらしい。
寝そべったままゴロンと床を転がり、プイッと捲簾に背中を向けてしまう。
捲簾も何となく雰囲気で察したが、雑念を払って食器洗いに専念した。
どうにか洗い終わると、大きく溜息を吐く。
重労働をした訳でもないのに、やけに疲れてしまった。
ダイニングテーブルに手を付いて煙草を銜えると、リビングで転がる天蓬を眺める。
捲簾が構ってくれないので拗ねているのか、こちらに背を向けてクッションの上に俯せになったまま本を読んでいるらしい。
ショートパンツの裾から覗いた長い尻尾を、左右にユラユラ振っていた。
ふて腐れていても捲簾の動きが気になるのか、猫耳がキッチン側へ向いて物音を気にしている。
捲簾は声に出さず小さく笑うと、リビングの天蓬へ近付いた。
「てーんぽ!コーヒー飲むか?」
側で屈み込んで訊ねると、チラッと視線を向ける。
クッションに顔を埋めると、眉間に皺を寄せながらわざと本を読み始めて無視をした。
子供じみた反応に、捲簾はやれやれと肩を竦める。
一度拗ねると、天蓬はグズグズと根に持って捲簾が忘れた頃まで引きずる事が多い。
それが原因で殴り合いの喧嘩になることもしょっちゅうあるのだが。

別にイヤで無視した訳じゃねーしなぁ。

ここは年上の捲簾が折れてやるべきかと、天蓬の傍らに座り込んで顔を覗いた。
天蓬が機嫌を損ねるのも些細なことだが、上機嫌になるのも案外簡単だ。
「…天蓬の好きなミルフィーユ、デザートに買ってきたんだけどなぁー」

ピクピク。

天蓬の頭の上で猫耳が素直に反応する。
「そっか…腹一杯でいらねーか。じゃぁ、明日悟空にでも持っていってやるか」
「食べますーっっ!!」
もの凄い勢いで起き上がると、捲簾の腰にしがみ付いた。
してやったりと捲簾がニンマリ口端を上げる。
我に返った天蓬は引っかけられたと気付いて、顔を真っ赤にした。
しかし、飛びついた状態では今更引っ込みが付かない。
天蓬は捲簾の腰に額を擦り付けると、悔しそうに低く唸った。
捲簾が笑いを堪えて、天蓬の猫耳を指先で撫でる。
「で?コーヒーでいいのか?」
「……………紅茶にして下さい」
恥ずかしそうに天蓬がポツリと呟いた。
ポンポンと頭を叩くと、天蓬の拘束が弛む。
捲簾は立ち上がると、ニッコリ微笑んだ。
「紅茶ね。んじゃ用意すっから、ちょっと待ってろよな」
「はい…」
胡座を掻いて座り込んだ天蓬は、照れ隠しかむくれたまま尻尾でペシペシ床を叩いた。






すっかり甘い物で機嫌が直った天蓬は、捲簾がティーポットで入れた紅茶を飲みつつホッと息を吐いた。
天蓬がお茶を飲んでいる間、捲簾は何やらキッチンのキャビネットを漁っている。
何かを探しているようなのだが。
「捲簾どうしたんですか?一緒にお茶飲みましょうよ」
「んー?俺は後でコーヒー飲むからいい。先に掃除をな〜」
「また掃除ですか?こんな時間から??」
天蓬は不思議そうに目を丸くする。
今日は午前中いっぱい、捲簾は掃除機を引きずり回していた。
キッチン周りや風呂の掃除まで一通り済ませているはず。
他に掃除する所が残っていただろうかと、天蓬は首を傾げた。
捲簾がキャビネットから取り出したのは小さなコンビニ袋。
律儀に取っておいたらしい。
その袋を持つと、捲簾はダイニングからリビングまで歩いていく。
目的は猫トイレ。
掃除用のスコップを持つと、ザクザクと砂を掻き始めた。
「んー?あんま汚れてねーな」
捲簾がモクモクとトイレ掃除している姿を、天蓬は何とも複雑な表情で眺める。
居たたまれないと言うか、恥ずかしいというか。
要するに、自分の排泄物の後始末をして貰っている羞恥心があった。
生き物であるからには当然の自然の摂理。
猫の自分がしたモノだと分かってはいても、複雑な心境だ。
捲簾は砂のカタマリを数個拾い上げると、持っていたビニール袋に放り込む。
その後に猫砂を均していた捲簾が、ふと手を休めて天蓬を振り返った。
じっと注視される居心地悪さに、天蓬は無意識に頬を赤らめる。
「な…何ですか?」
「んー?ちょっと気になったんだけどさ」
「何でしょう?」
「俺…まだ一度もお前がココで用を足してるトコ、見たことねーんだけど?」
「けっ…捲簾っ!?」
「…何で真っ赤になってんの?」
顔色を変えて声を裏返らせる天蓬を見つめ、不思議そうに捲簾が首を捻った。
「捲簾はっ!目の前で僕がシテるとこ見たいんですかーっ!?そんな…捲簾にスカトロの趣味があったなんてーーーっ!!」
「バカッ!何言ってんだあああぁぁっっ!!!」
漸く自分の言ってることに気付いた捲簾が、真っ赤な顔で怒鳴り散らす。
「僕…捲簾の為ならどんなことだってスル覚悟がありますけど…でもっ!さすがにスカトロだけは――――」
「しなくていいっつーのっ!!」

ガツッッ!!!

興奮して喚き散らす天蓬の頭上に、捲簾の一撃が落とされた。
「イッ…たぁ〜」
頭を抱えた天蓬がテーブルに突っ伏す。
痛みで猫耳がペタリと寝そべった。
涙目になって天蓬が捲簾を見上げる。
「俺が言ってるのは猫っ!猫のてんぽうの方っ!猫がクソしてるとこ見たってムラムラすっかーっ!!」
「え?じゃぁ…僕だと?」

ガコッッ!!!

「じょ…だん…なのに…っ」
猫トイレスコップが思いっきり天蓬の頭に突き刺さった。
そのままグリグリ抉ると、天蓬が暴れながら悲鳴を上げる。
「言われて聞き流せる冗談じゃねーよ、バカ天」
「でもそういう嗜好がある人だって居る訳だし〜」
「ほぅ?じゃぁ、同好の士でも探すんだな」
怒りでこめかみを引き攣らせ、捲簾が忌々しげに吐き捨てた。
本気で怒っている捲簾に、天蓬がしゅんと項垂れる。
頭の猫耳もへにょっと伏せられ、尻尾も力無く垂れ下がっていた。
「…ごめんなさい」
「…もう、いい」
捲簾は天蓬のつむじを眺めて深々と溜息を零す。
そんな素直に反省されると調子が狂ってしまう。
しかも今の天蓬には猫耳と尻尾のオプション付き。
更に憐憫が漂って、何だか自分が虐めたような気分になってきた。
「許してくれますか?」
ウルッと涙で瞳を潤ませて、天蓬が上目遣いに捲簾の様子を窺ってくる。
天蓬の見た目だけは可憐な風情に、捲簾は思わず後ずさった。

ぜってぇわざとだ。
天蓬の卑怯者おおおぉぉっっ!!

心の中では罵声を浴びせつつ、捲簾の心拍数はドキドキと高まってしまう。
結局、捲簾は天蓬に敵わない。
自分でも甘いと分かっていても、ついつい絆されていた。
「もういいから。紅茶冷めるだろ?」
なおも様子を窺って天蓬がじっと見つめてくる。
「あーっ!もうっ!!」
捲簾は額に手をやると、身体を屈めた。

チュッ。

見上げている天蓬の唇に、軽く音を立ててキスを落とす。

「もう怒ってねーよ」
ニッと口端を上げると、漸く天蓬が安堵の笑みを浮かべた。
「ほら、ケーキ食っちまえよ」
「はいvvv」
天蓬は嬉しそうに頷くと、再びフォークを手に取る。
「あ。それでさっきの話なんですけど〜」
「さっきの?」
「何時トイレしてるのかって」
「…話を蒸し返す気か?」
「そうじゃなくて。捲簾が見たこと無いの当たり前なんですよね〜」
「は?当たり前って??」
話が分からず、捲簾は天蓬に聞き返した。
ゴミを捨てて手を洗ってから、天蓬の向かいに腰を下ろす。
「だって僕、捲簾が仕事で居ない間にしてますもん。元々猫ってそんなに回数しませんしね」
「そうなのか?」
初耳だったらしく、捲簾はきょとんと目を見開いた。
ケーキを食べながら天蓬が頷く。
「それに僕だっていくら猫の姿をしてるとはいえ、捲簾にしてるトコなんか見せられませんよ?恥ずかしいじゃないですか」
「…でもお前猫じゃん」
「猫だって中身は僕なんですから、人並みの羞恥心はあるんですっ!」
「………。」
「ちょっと。何でソコで黙るんですか?」
胡乱な視線で天蓬が捲簾を睨む。

散々ヒトには嬉しそうに恥ずかしいことばかりさせる張本人に羞恥心があるなんて、大いなる矛盾じゃねーのか?

捲簾は溜息交じりに言葉を飲み込んだ。
「あっ!何で呆れたみたいに溜息なんか吐くんですかぁ!」
「だって呆れてるし」
「何でっ!?」
「さぁ?裸エプロンで出迎えるヤツには分からねーと思うけど?」
「どうして裸エプロンとトイレが関係あるんですか??」
真剣な顔で悩み始めた天蓬を放っておいて、捲簾は自分のコーヒーを入れようと立ち上がった。



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