あなたへの月



きゅるるるるる〜

規則正しい器械音しかしない病室に、脳天気な音が大きく響く。
「あ…腹減ったぁ」
「……………ぷっ!」
緊張感も何もない悟空の情けない声に、捲簾は小さく噴き出した。
悟空の腹はひっきりなしに腹の虫が騒いでいる。
捲簾が視線を上げて時計を見ると、まだ昼までには時間があった。
「俺、お腹空いたから帰るね」
腹を押さえながら悟空が照れくさそうに笑う。
「ん?一緒にメシでも食ってくか?と言っても…俺も買い物あるからあんま長く居れねーけど」
「ううん。金蝉と一緒に昼ご飯食べる約束してるから、待ってると思うんだ」
「そっか…じゃぁ、また今度メシ食おうな」
「うんっ!約束だよっ!」
余程空腹だったのか、悟空は捲簾に手を振ると慌ただしく病室を後にした。
「金蝉とね…健気な小ザルちゃんだな」
捲簾が腹を抱えてゲラゲラと笑う。
笑いが治まると、捲簾はふと動きを止めた。
何やら思案しながら腕を上げる。
「…そんなに天蓬の匂いなんかすんのか?」
捲簾は袖口に鼻を付けて、クンクンと自分の匂いを確認した。
しかし自分の匂いとどう違うのかなんて分かる訳がない。

それほど天蓬の匂いに慣らされてるってコトか?

捲簾は浮かんできた考えに恥ずかしくて赤面した。
ストンと椅子に腰を落とすとベッドに顔を擦りつけ、独りでジタバタと悶える。
「うわわっ!何照れてんだよ俺ぇっ!」
たかが自分から天蓬の匂いがするって言うだけで。
自分から他人の匂い。
「何か…すっげヤラしーの」
ポツリと本音を呟くと、また派手に捲簾が悶えまくった。
一頻り暴れると、そのままベッドに突っ伏す。
「しっかし…匂いに敏感なんて、やっぱ野生児だよな〜悟空は」
チラッと前に天蓬から聞いた話だと。
悟空は金蝉に引き取られる前、秘境と言っても過言でない程山奥で暮らしていたらしい。
近所の山が悟空にとっては格好の遊び場所。
村には小さな子供は悟空だけしかいなくて、山2つ超えた先にある町の小学校まで走って通っていたとか。
正真正銘、天然の野生児だった。
そんな大自然に囲まれた場所から、この都会へ連れてこられて可哀想な気もする。
ところが悟空本人は、側に金蝉がいればどうでもいいらしい。
「でもな〜本願成就するには手強いよな、金蝉も」
あまりにも無垢すぎて。
汚してしまうには躊躇ってしまうだろう。
「ま、その前に。手ぇ出したら立派な犯罪者だけどな〜」
金蝉の受難はまだ続きそうだ。
「ん?そういやぁ…」
悟空の事を思い出し、捲簾は再度自分匂いを確かめる。
「悟空のヤツ…”てんぽう”も同じ匂いだって言ってたよな?それって…ケモノ臭いってコト?」
そうなると、悟空の知っている天蓬もケモノ臭いと言うコトになる。
捲簾の身体が小刻みに震えだした。
「ぶっ…アッハッハッ!ケモノッ!天蓬がケモノ…ッ!当たってっけどっ…ぶぶっ!」
よくよく考えればあんまりすぎる悟空の態度に、捲簾は我慢しきれず大爆笑する。
決して悪気はないだろうが、あまりのも的を射る野生のカンには脱帽だ。
バシバシと布団を叩いて捲簾はひたすら笑い転げる。

「…うにゃ?」

何やらゾクッとする悪寒に、猫が寝ていたカゴから顔を上げた。
どうも何処かで噂されてるような。
「にゃ…へっくしっ!」
猫は派手にクシャミをすると、垂れてしまった鼻水をずずずと啜る。
これは気のせいとは思えない。
「にゃぁー…」
どこかで捲簾が自分の噂でもしているのだろう。
しかもイイ意味ではなく。

いい度胸です。
帰ってきたらお仕置きですねvvv

猫はまたクシャミを連発した。
寝ていたカゴからのっそり出ると、フローリングをすたすた歩く。
ローテーブルに勢いよく飛び乗り、置いてあったティッシュを器用に前足で引き出した。
「…っぶし!」
ティッシュごと前足で鼻を押さえ、器用に鼻をかむ。
すっきりすると、鼻をかんだティッシュを口に銜え、テーブル横にあったゴミ箱にポイッと捨てた。
「…んにゃ」
猫はそのままソファへ飛び移り、クッションへ頭を乗せて丸くなる。
ちょっとムキになって鼻をかみすぎて、頭がクラクラしたようだ。
捲簾が買い物に出かけて1時間ちょっと。
まだ帰ってこないだろう。
帰ってきた時の報復に備えて、猫はしばし眠りについた。






ガチャ。
玄関で鍵の回る音が響いた。
猫はパチッと目を覚ますと、一目散に玄関へ駆けていく。
「よっと…お?ただいま〜てんぽう!」
「にゃっ!」
両手に大荷物を持つ捲簾を、猫はパタパタ尻尾を振って出迎えた。
玄関先に重そうな袋を置いて、捲簾が大きく伸び上がる。
「あーっ!調子に乗って買いすぎた〜」
「にゃ?」
何をそんなに買ったのだろうと、猫は袋の中に顔を突っ込んだ。
すかさず捲簾がペシッと小さな頭を叩く。
「だぁ〜め!おやつは後でやるって」
恨めしそうに見上げる猫に口端を上げて、捲簾は荷物を持ち直してダイニングに向かった。
その後を猫も付いていく。
荷物をテーブルに置いて、袋から次々と買ってきた物を出し分け始めた。
猫は椅子に飛び乗ると前足をテーブルに掛け、目だけを覗かせじっと捲簾を見つめる。
「丁度日曜の売出しやっててさ。あれこれ見てたら時間喰っちまった」
病院に寄ってきた事は内緒にして置いた。
「にゃー…」
何やら低い声音で猫が鳴く。
捲簾が気付いて猫に視線を向けると、じっと不審気な眼差しで捲簾を睨んでいた。
「…何だよ?」
「うにゃぁ?」
問い詰めるような鳴き声に、捲簾は小さく首を傾げる。

何でこんなに不機嫌なんだ?

椅子の上では長い尻尾が震えながらべしべしと椅子を叩いている。
明らかに怒ってるようだ。
しかし留守にしていた捲簾には、猫が不機嫌な理由が分からない。
「どうしたんだよ?何かあったんか??」
「うにゃっ!」
プイッと視線を逸らす猫に、捲簾は整理する手を止めて少し考え込んだ。
”てんぽう”が怒る理由で考えつくのは、予定より遅く帰宅した事ぐらい。
時計を見ると、出かけてから3時間半経っていた。
病院に寄ってから急いでショッピングセンターへ向かったが、悟空が見舞いに来たせいもあって結構長いしていたようだ。
「俺が帰るの遅れたから怒ってんのか?」
「にゃっ!」
「仕方なかったんだって!途中で偶然悟空にあってさ。ちょっと話し込んじゃって…別にてんぽうのコト忘れてた訳じゃねーぞ?」
「にゃぁ?」
「ん?あれ?違うのか?えっと…」
しどろもどろに理由を考える捲簾を、猫はますます不審の眼差しで見つめる。
「だからっ!悟空と会って、その後すぐ買い物に行ったからっ!」
「にゃぁ〜?」
「ホントだってっ!」
「うにゃぁ〜?」
「悟空とも金蝉とメシ食う約束してるからって、すぐに帰っていったし!世間話っつーか悟空がお前のこと気にしてたから様子話したりっ!」
「………にゃ?」
「マジで嘘なんか言ってねーよっ!お前がケダモノ臭いとかそんな話ぐらいしかしてねーし!ん?違った…ケモノ臭いだ」
「うにゃーっっ!!」
やっぱり、と猫は全身の毛を逆立て激怒した。
勢いよく椅子から飛び降ると、捲簾の脚にガッチリ爪を立ててしがみ付き、猫キックをお見舞いする。
「痛っ!痛ぇっ!爪っ!だってホントのコトじゃねーかよっ!!」
「にゃにゃぁっ!!」
捲簾の言い草に猫は激昂し、尻尾をぼわっと膨らませながら激しく捲簾に猫キックを応酬した。
「おっ…落ちつけっての!マジで痛いんだってーっ!!」
捲簾は足に噛みつく猫を掴んで、ひょいっと抱き上げる。
「んな怒るようなことかぁ?お前猫なんだし、ケモノはケモノだろ?」
「にゃぁ〜っ!」
非難するような低い声で猫が唸り声を上げた。
尻尾を膨らませて怒る猫に、捲簾は肩を竦める。
「今はケモノで、ベッドではケダモノ。違うっつーの?」
「…うにゃっ!?」
捲簾がニッと意味深に口端を上げると、猫は漸く言葉の意味に気付いた。
今度は照れながら顔を逸らして、前足を使い顔を洗い始める。
コロッと現金に怒りを静めた猫を、捲簾が苦笑いして床に下ろす。
「まぁ、悟空はそんな意味で言ったんじゃないけどな〜」
「にゃ?」
猫が不思議そうに捲簾を見上げた。
捲簾が笑いを噛み殺しながら煙草に火を点ける。
「悟空がさ。俺の身体からお前の匂いがするってゆーんだよ」
「にゃぁ?」
「そ。お前。お前と天蓬の両方な。俺は全然気付いてなかったんだけど。そう言えばそうなのかなーって」
「にゃ?」
「ま、散々ケダモノ臭いことしまくってたら当然でしょ〜」
「にゃぁっvvv」
「おい、コラ。何興奮してチンチン出してんだよ。引っ込めろバカッ!」
「うにゃvvv」
「は?何考え…おいおいっ!いくら何でも無理だって!それに獣姦の趣味はねーぞっ!!」
「にゃあああぁぁ〜vvv」
「…分かった。脚だけ貸してやる」
「にゃっvvv」
捲簾の脚にしがみ付いたままだった猫が妖しげに腰を動かすのを、捲簾は額を押さえて溜息を零した。



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