あなたへの月



捲簾が用意した夕食も綺麗に平らげ、天蓬は満足そうに尻尾を揺らしていた。
「はぁ…美味しかったです〜。もーお腹一杯で、パンパンですよ」
「珍しいな。お前がそんなに食うなんて」
「捲簾が作ってくれたご飯だからですよ。美味しくて残したりしたら勿体ないでしょう?」
「喜んでくれたならいーけど。そっか〜腹一杯か〜」
食器を片付けながら意味深な言葉を呟く捲簾に、天蓬の猫耳がピクリと動く。
捲簾へ視線を向ければ、口元を上げてニヤッと笑っている。
「???」
小首を傾げて見つめていると、捲簾がおもむろに冷蔵庫を開けた。
中からガラス製の涼しげな器を取り出す。
「天蓬用にデザート用意してたんだけど?杏仁豆腐」
「杏仁豆腐っ!」
天蓬の尻尾が歓びでパタパタと振られた。
甘党でデザートの類に目がない天蓬は、目を輝かせている。
「でも、腹一杯なら仕方ねーよなぁ〜」
「うわあああぁぁっっ!!」
クルッと背中を向けて器をまた冷蔵庫にしまおうとする捲簾に、天蓬は大袈裟な悲鳴を上げた。
「食べますっ!食べるに決まってるでしょうっ!意地悪しないで下さいよぉっ!!」
「えー?でも腹一杯なんだろ〜?」
「何言ってるんですかっ!甘い物は別腹なんですっ!」
「…野郎の発言じゃねーよ」
どんな反応をするか分かり切っていたが、とりあえず捲簾は突っ込んだ。
冷蔵庫を閉めると、杏仁豆腐の入った器とスプーンを天蓬の前に置く。
「ほい、どーぞ」
「頂きますぅ〜vvv」
嬉しそうに微笑んだ天蓬は、早速スプーンを取って食べ始めた。
一匙掬って口に入れると、繊細な甘さが広がって幸せな気分になる。
ホンワカ和んでいる天蓬を眺めて、捲簾は小さく笑った。
食器洗浄機のスイッチを入れ、二人分のコーヒーをカップへ注ぐ。
「ほい、コーヒー」
捲簾はテーブルへカップを置くと、椅子に腰掛け食後の一服に火を点けた。
視線を前へ向ければ、天蓬が一口一口幸せそうに味わっている。
「あ、そうだ。メシ食ってて忘れてたけど、どうだった?何か出てた?」
「は?何がですか?」
「何がじゃねーよ。さっきネットで調べてただろっ!」
「あぁっ!そのことですか…」
天蓬は一旦器をテーブルへ置いて、パソコンに視線を向けた。
捲簾が真剣な眼差しで天蓬を見つめる。






天蓬と捲簾は相談した。
早く天蓬が自分の身体へ戻れる方法を探そうと。
今は器械で身体を生かされているが、魂が離れたままでいい訳がない。
今病院で眠っている天蓬は抜け殻の状態なのだ。
普通の植物状態とは違う。
早く戻らないと、この先どんな事態が起こるか想像も出来ない。
しかし具体的な解決策など浮かばなかった。
今の天蓬には謎が多すぎる。
まず、どうして魂が離れて猫の身体に入ってしまったのか。
次に、猫の身体がどうして人間に変化するのか。
魂が猫の身体に入った経緯は分からない。
事故の直後で危篤状態だった事を考えると、色んな要因が絡んでいるような気がする。
それを考えても今はどうしようもない。
天蓬が猫から人間へ変化するきっかけになった原因が、先日の皆既月食らしいことは分かった。
単純に考えれば、また皆既月食が起きれば何かしらの変化はあるかも知れない。
しかし皆既日食はそう頻繁に起こるモノじゃなかった。
次はきっと何年も先だ。
そんなモノを待っている時間はない。
月が何かしらのキーワードになっている。
その方面からどんな些細な事でも、戻るためのヒントが探せないだろうか。
そう考えた二人は、とにかく出来るだけ情報を集めようと決めた。
今ではたった線一本で、世界中の何処にでもアクセスして情報は引き出せる。
それを猫になっていた天蓬がパソコンを使って探していた。






「とりあえず今のところコレと言った情報は掴んでません。同様の伝承なんかを世界中で探した方がいいかもしれませんねぇ」
「そっか…」
捲簾は椅子に凭れて肩を落とす。
あの短い時間ですぐに見つけ出せるとは思っていないが、何となく気落ちしてしまった。
天蓬が表情を曇らせる捲簾の手に触れて、力強く握り締める。
「大丈夫。詳しい方法が見つけ出せるかは僕にも分かりませんけど、どんな小さなコトでも絶対探し出して見せますから」
「天蓬…」
「ですから。それまで僕の身体のコト…お願いします」
天蓬が捲簾に向かって頭を下げた。
慌てて捲簾が天蓬の手を握り返す。
「そんなこと心配すんな。ちゃんと面倒看るから!」
「ありがとうございます…」
「早く見つけて欲しいけど…あんま無理すんなよ?戻るべきお前自身が倒れたなんて本末転倒だし」
「それは…捲簾が側にいるから大丈夫。僕だって捲簾にこれ以上心配掛けたくありませんからね」
捲簾の掌をポンと叩いて天蓬が微笑んだ。
「とりあえず、僕は捲簾が仕事をしている日中にパソコンで出来る限り調べてみますから」
「分かった。俺も時間が出来たら調べてみる」
「お願いしますね」
二人は硬く手を握り合って頷いた。

早く。
一日でも早く、戻るために。
以前の平凡だったけど、幸せな生活を取り戻すために。
天蓬の魂が身体へ還れるよう。

「あ…れ?」
ふと何かに気付いた捲簾が、小さく声を上げた。
「どうかしたんですか?捲簾」
呆然と天蓬を見つめる捲簾に、天蓬が心配そうに声を掛ける。

そうだ。
今まで天蓬の事で頭がいっぱいで気付かなかったけど。
天蓬が自分の身体へ戻ったら。
”てんぽう”はどうなってしまうんだろう。
まさか。

「死んじゃう…のか?」
捲簾が目の前に突き付けられた事実に愕然とする。
天蓬には戻ってきて欲しい。
だけど、それはあの小さな猫にとって『死』を意味するんじゃないか。
「え?死ぬって…どういうことですか?」
「てんぽうが…お前戻ったら…死ぬのか?お前取り戻す引き替えに…アイツを犠牲にしなきゃなんねーのか?」
捲簾の声が小さく震える。
縋るような視線を向けると、天蓬は微笑みながら緩く首を振った。
「大丈夫ですよ。猫は死にません。僕の魂とは別に、違う命の鼓動を感じるんです。今は僕に身体を貸してくれて奥深い所で眠っているだけですから。きっと僕が出て行けば自然と目覚めるはずです」
「ほんと…か?」
「ええ。僕の恩人…あ、猫ですけど。僕が戻った後も面倒看て下さいね」
「当たり前だろっ!俺は”てんぽう”の飼い主なんだからな」
「…飼い主。何かちょっとエッチな響きですよねぇ〜vvv」

ガツッ!

「いっ…たぁっ!マグカップで殴らないで下さい…よっ」
「てめぇがバカなコト言うからだ」
天蓬は頭を両手で抱えて、テーブルに撃沈する。
相当痛かったらしく、猫耳もへにょっと項垂れ尻尾も椅子の下に隠れてしまった。
呆れ返って大きな溜息を零すと、捲簾は空になっていたカップにコーヒーのお代わりをサーバーから注ぐ。
唸ってジタバタしている天蓬のカップにも、ついでに注いでやった。
捲簾はコーヒーを一気に飲み干すと、ダンッとカップをテーブルに叩き付ける。
音に驚いた天蓬の身体が竦んだまま小さく跳ねた。
猫耳がピクピク震えて、ペタリと頭に貼り付く。

………可愛い。

ハッと我に返ると、捲簾は頭を振ってわざと厳しい表情を浮かべた。
大袈裟に音を立てて椅子から立ち上がる捲簾に驚いて、天蓬が慌てて顔を上げる。
「あっ!捲簾何処に行くんですかっ!?」
「…風呂入る」
「それなら僕も一緒に…」

ジロッ。

「ダメ…ですよね…やっぱり」
思いっきりキツく睨み付けられ、天蓬はしゅんと項垂れた。
意気消沈して寂しそうに肩を落とす天蓬に、捲簾はチラッと視線を落とす。
「…何暢気に座ってんだよ」
「え…っ?」
驚いて天蓬が顔を上げると、怒った表情のまま捲簾が横を向いていた。
「入りたくねーなら…別にいいけど」
「えっ!あのっ!一緒に入って…いーんですか?」
天蓬が恐る恐る確認する目の前で、捲簾の頬が見る見る紅潮する。
「お前に入れっつっても面倒くさがるじゃん」
視線を逸らしたままボソボソと捲簾が言い訳のように呟いた。
天蓬の表情が嬉しそうに輝く。
尻尾も上機嫌にパタパタ振られるのを、捲簾がチラッと眺めた。
「髪と…尻尾も洗ってやるよ」
それだけ言うと、捲簾は慌ただしくバスルームへ行ってしまう。
ダイニングに一人取り残された天蓬は、捲簾の後ろ姿に微笑んだ。
「やっぱり…僕って甘やかされてますよねぇ」
それが自分の特権みたいで嬉しくて頬が緩んでしまう。
「捲簾待って下さいよぉ〜」
天蓬は勢いよく椅子から立ち上がって、バスルームの捲簾を追いかけた。






ゴー、と。
軽快なドライヤーの音がリビングに響く。
「あ、コラッ!じっとしてろよ。髪が乾かせねーだろ」
「でも…耳がくすぐったいんですよぉ」
バスローブを羽織った天蓬が床に座って、捲簾に髪を乾かして貰っていた。
ドライヤーの温風で耳がペタッと頭に貼り付くのを、捲簾が指で撫でて乾かしていく。
耳を摘んで温風を当てると、天蓬が笑いながら肩を震わせた。
念入りに耳を弄られて、相当くすぐったいらしい。
「けんれ〜ん。耳は大丈夫ですって〜」
「いいから大人しくしてろっての!頭乾かしたら、今度は尻尾だからな」
「はぁ〜い」
長い尻尾は水気を含んで、まだ毛が貼り付いた状態だった。
その尻尾を天蓬は上機嫌でパタパタと振っている。
二人で一緒に風呂に入って。
お互いはしゃぎながら身体の洗いっこをした。
二人して掌やスポンジで互いの身体に泡を塗り付け合っているうちに、お湯の温度だけではなく違う所の温度まで上がってしまい。
抱き合って、触り合って、擦り付け合って。
昂まった熱が治まらなくなり、ちょっと長風呂になってしまった。
少し逆上せ気味で残滓と泡を洗い流して、フラフラと二人身体を支え合って風呂から上がる。
それでも気分は悪くない。
天蓬の髪を指で掬って乾かしている捲簾の表情も満ち足りて穏やかだ。
「捲簾。もうそれぐらいで大丈夫ですよ〜」
「だぁめ!まだ生乾きじゃねーか。風邪引いたらどうするっ!今はともかく、小っちぇー猫の身体で体調崩したら辛いだろ?」
「う〜ん…確かに。金蝉の面倒受けるのは遠慮したいですね」
「何で?あんなんでもいちおうイイ獣医じゃん」
「金蝉に。っていうのがねぇ…あんまり借り作りたくないじゃないですか」
「そんなもんか?アイツには分かんねーんだから気にする事でもないだろ?」
「気分的にですよ」
「ふーん。よし!次は尻尾な!」
嬉しそうに尻尾を掴む捲簾に、天蓬は振り返った。
尻尾の先をパタパタ振ると、捲簾の口元が笑みで綻んだ。
「捲簾…そんなに僕の尻尾、お気に入りなんですか?」
「えっ!?あ…その…何か可愛いなーって」
捲簾が尻尾を撫でると、先がクルンと丸まって捲簾の腕に巻き付いた。
「…捲簾ってば」
ドライヤーを持ったまま、捲簾が床に突っ伏して震えている。
何だか頬擦りしそうな勢いだ。
「分かりました。心おきなく乾かして下さい」
「おうっ!任せろ〜♪」
ウキウキと尻尾を撫でる捲簾を、天蓬は肩を竦めて笑った。



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