あなたへの月



「あー…太陽が黄色い」

カーテンを勢いよく開け、空を見上げた捲簾がポツリと呟く。
身体が、というより腰が怠い。
寝癖の付いた髪を手櫛で撫でつけながら振り返ると、猫は元気に朝ご飯のカリカリエサを食べていた。
「ふぁっ…」
思いっきり伸びをすると、寝ている間に強張った関節を解す。
捲簾がペタペタとリビングを横切り、猫の側までやってきた。
その場でしゃがみ込んで、のんびりと食事中の猫を眺める。
「お前…妙に元気だよなぁ〜」
「にゃっ!」
猫は捲簾を見上げながら、調子良くパタパタ尻尾を振った。
「俺は怠くってしょーがねーっての」
「うにゃ?」
ペシッと猫が捲簾の腰を前足で叩く。
「そうそう、腰がな。って誰のせいだと思ってんだよ!」
「にゃぁ〜vvv」
しゃがんでいる捲簾の膝に前足を乗せると、猫がしきりに尻尾を揺らして照れまくる。
「いや…別に誉めてねーけど」
「にゃっ!?」
ガックリと項垂れる猫に、捲簾は小さく噴き出した。
喉で笑いを堪えていると、猫は恨めしそうに捲簾を睨む。
怒ってるらしく、ちょっと毛が逆立った尻尾を床にベシベシ叩き付けた。
「んな怒るコトねーじゃん。」
「にゃー」
猫はまだ何か言いたげに、捲簾をじっと見上げる。
やれやれと肩を竦めていた捲簾が、唐突に真顔で猫を見つめた。
あまりに真剣な表情に、猫も何事かと身構える。
「てんぽう」
「…にゃ?」
「何かさー。お前…前よりスゴくね?」
「うにゃぁ〜??」
猫は思いっきり脱力して捲簾の脚に突っ伏した。

何を考え込んでいるのかと思いきや。

「あっ!何ダレてんだよっ!」
「にゃー」
憤慨している捲簾を横目に眺め、カカッと後ろ足で頭を掻く。
「だってそーじゃんっ!今まで朝まで失神したままだったコトなんかなかったし!」
「うにゃ?」
言われてみれば、と猫も天井を見上げながら考える。
「…だろ?」
「にゃvvv」
猫は甘えた声を上げると、しきりに顔を洗い出した。
捲簾が腕を組んで唸る。
「アレか?やっぱケモノ化してる分、本能的な部分も強くなるっつーのか?」
「にゃぁ〜vvv」
猫の前足が捲簾の腰を撫で回す。
「いや…今更俺の腰使い誉められても」
指先でピシッと猫の額を弾くと、捲簾は勢いよく立ち上がった。
「イタタタ…」
腰に力を入れたせいか、鈍痛で足許がふらつく。
猫が慌てて捲簾の脚を抱えて支えようとした。
「大丈夫…じゃねーけど。まぁ、程々にしねーとマジで起き上がれなくなりそーだし?」
「うにゃ」
「俺だけじゃねーだろ。お前もだって。今朝の状態は何なんだよ?」
「にゃー?」
捲簾に睨まれるとバツが悪いらしく、そっぽを向いて毛繕いし始める。
今朝の目覚めはとんでもなかった。






昨夜も何度目かも覚えていない吐精で感極まった捲簾は、墜落するように俯せで突っ伏した。
それからの記憶は無い。
朝、条件反射で目を覚ませば、そのままの状態で枕に顔を埋めていた。
もちろん全裸のまま。
半身を動かしただけで、腰に鈍痛が走る。
少し早い時間に目覚めたので、捲簾はそのまま枕に顔を乗せてぼんやり呆けた。
「…だる」
とりあえず首を巡らせて猫に戻っているはずの”てんぽう”を探して視線を彷徨わせる。
上掛けの上からパタパタと手で探っても、カタマリに当たらなかった。
不思議に思って耳を澄ませても、リビングに気配はしない。
「何処行ったんだ〜?」
念のため上掛けを捲ってみても傍らに猫の姿は見当たらなかった。
まだ寝惚け気味の頭でつらつらと考えていると、何だか背中に乗っかる暖かな重みに気付く。
「もしかして…」
腕を布団の中に入れ、自分の背中を探ってみた。
丁度腰の当たりで丸まっている物体に指が触れる。
「何で猫のクセに子亀状態なんだよ〜」
捲簾は呆れながら両腕を腰に回し、柔らかい身体を思いっきり擽った。
「お〜き〜ろぉ〜」
「うにゃぁっ!?」
突然寝ている所を襲撃され、猫は派手に腰で跳び上がる。
布団の膨らみが腰からもそもそと這い上がってきた。
「…にゃ」
寝起きの脱力した鳴き声が耳元で聞こえる。
布団から顔だけ出した猫は、挨拶代わりに捲簾の項をペロッと舐めた。
「はよ〜」
「にゃ〜」
のんびりと飼い主と猫が挨拶を交わす。
枕に片頬を埋めている捲簾の肩の上で、猫はそのまま丸くなった。
「おい、ソコで寝るなよ?もう起きなきゃなんねーし」
「にゃっ!」
捲簾は枕に顔を擦り付け、欠伸を噛み殺す。
「それにしてもよぉ〜お前ってば、まぁたヘンな所で寝てたよな?苦しくねーのかよ」
「にゃ?にゃぁ〜ん」
猫がゴロゴロ喉を鳴らしながら、捲簾の耳元に鼻先を擦り寄せた。
やけに甘えた態度に、捲簾は小さく笑いを漏らす。
ふと。
捲簾の脳裏に先日の出来事が蘇った。

何でだか猫はいつも捲簾の腹の中に潜り込んで寝ていて。
最初は寒いからなんだろうと思っていた。
しかしあまりにも猫の態度が怪しいので確認してみれば、寝ている間に捲簾の身体へ悪戯していた事が発覚。
さすがに捲簾も叱りつけたばかりだったのだが。

「…もしかしてお前」
「にゃぁ?」

突然捲簾の頬が引き攣る。
起きた時の状態をもう一度辿ってみた。

捲簾は自分が何時寝たのか覚えていないので、失神した事は間違いない。
朝目覚めたら、猫は捲簾の腰の当たりに覆い被さるように寝ていた。
しかも腰というか、下腹部辺りに妙な違和感が残っている。
きっと昨夜の残滓がそのままなんだろう。
ということは、天蓬も後始末せずにそのまま寝てしまった事になる。
しかも腰に覆い被さったまま。
そうなると、導き出される答えは1つのみ。

「おーまーえーはーっ!俺んナカに突っ込んだまま寝やがったのかっっ!!」
「うにゃっ!?」
捲簾は勢いよく身体を起こして、猫を怒鳴りつけた。
猫が捲簾の肩からベッドにぼてっと振り落とされる。
朝陽の変化で身体が猫に戻れば、自然と縮まり性器は抜けるだろう。
それにしたって、そのままのうのうと寝入るなんてとんでもない。
「あ−もうっ!うわっ!固まってガビガビじゃねーか〜」
捲簾が自分の股間を覗き込んで、ガックリと項垂れた。
天蓬もそのまま寝てしまったのなら当然。
散々吐き出したモノが下肢にこびり付いて気持ち悪い。
「にゃっ♪」
「そんなモンお揃いだって喜んでんじゃねーよっ!バカッ!!」
大股開きで見せびらかす猫の頭をペチッと叩いた。
フワフワな腹の毛が、何やら凝り固まって妙な寝癖が付いている。
捲簾はガシガシと髪を掻き回すと、ベッドから降りた。
全裸のまま大きく体を反らして伸びる。
「まずシャワーだっ!何二度寝しようとしてんだよ、お前もだって。朝メシはそれから!」
「にゃー」
問答無用で猫は捲簾に首を掴かまれ、プラ〜ンとぶら下げられた状態でバスルームに強制連行されて行った。






腰が本調子じゃないせいもあって、出社の準備に手間取ってしまった。
時計を見ると大騒ぎして、捲簾が慌てて玄関に走る。
猫も後を追って見送った。
「じゃーなっ、てんぽう!」
「にゃっ!」
捲簾は小柄な身体を抱き上げ、小さく音を立ててキスをすると、ポイッと玄関先に猫を放り投げて出かけていった。

ガチャンと音が鳴った後、急に静かになった室内。

猫はポテポテとのんびり歩いてリビングへ戻る。
そのままリビングを横切り、愛用の藤カゴへ入ると大欠伸した。
「にゃぁー…」
涙目になった顔を前足で拭うと、コロンと丸くなる。
人間の時は本を読み耽って、2〜3日寝食を忘れる事もあった。
その度に捲簾から怒鳴りつけられていたのだが。
どうも猫になってからはしょっちゅう睡魔が襲ってくる。

確か…『寝る子』で『ねこ』なんでしたっけ。
はぁ〜。それにしても眠いですねぇ。
まぁ、昨夜の捲簾もっ!あんまり可愛いからつい無理しちゃいましたしね…フフフフ。

猫はもう一度小さく欠伸を漏らして、ゆっくりと目を閉じた。
眠気に漂いながら、ぼんやりと今日の予定を考える。
とりあえずは本能に逆らわず、少し仮眠を取った方がいいだろう。
眠いのを我慢してても、頭はスッキリしない。
今日からの猫には重要課題があった。

捲簾が仕事で留守の間に、どんな些細な事でもいいから人間へ戻れるヒントを探し出す事。

昨日少しパソコンを使って調べてみたが、国内では大した情報を得られなかった。
出来る限り検索する範囲を広げて見た方が良さそうだ。
科学的な事は勿論だが、伝承やオカルティズムの類まで。
自分が変化する原因になっている『月』と、その過程について。
どんなことでもいい。
自分のためにじゃなく、捲簾のために戻りたい。
例え壊れかけている自分の身体でも。
戻って、自分の身体で捲簾を抱き締めたい。

捲簾がそれを望んでいるから。

その手のジャンルのチャットに入って、情報を探して貰うっていう手もありますよね。
使えるモノはこの際何でも利用しないと。
何にせよ、もうちょっと…頭をスッキリ…させてから…ですけど。
捲簾…僕…頑張ります…から…ね。

思案しているうちに、猫はつかの間の睡眠に落ちていった。



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