あなたへの月



クライアント先のビルから捲簾と部下が出てきた。
コンペが終わり、ふと時計を見ると4時になっている。
ほぼ予定通りといったところか。
「大将。俺先日発注した家具の確認へ行きますけど、どうしますか?」
「んー?そうだなぁ…ちょっと本屋寄ってから事務所戻る」
「そうですか。じゃぁ事務所へは俺が連絡入れておきますから」
「おう」
部下が地下鉄の入口へ下りていくのを見送り、捲簾はそのまま歩道を歩きだした。
5分程歩いた場所に、大型書店がある。
外国人も多く流行発信基地的な土地柄、デザイン系の書籍や洋書も多く取り扱っていた。
目当ての書店へたどり着くと、とりあえず専門的な棚へ移動する。
デザイナーズファニチャーのカタログをパラパラと眺め、数冊買うことに決めた。
最近のリフォームブームで、内装だけではなく家具までトータルに注文を受けることが多い。
先端情報は不可欠になっていた。

そういや…金蝉もリフォームしたいって言ってたよなぁ。

今は店舗兼住居の一戸建てに住んでいるが、近い将来住居部分を改築したいらしい。
養育している悟空の為だ。
今は元々余っていた部屋を片づけて悟空用に与えているが、中学生になれば手狭で使い勝手が悪い造りになっている。
まず収納スペースが少ない。
せいぜい小さめのウォーキンクローゼットがあるぐらい。
今でも部屋の中は、悟空の衣類や玩具や本などでモノが溢れかえってる。
天蓬のマンションみたいに雪崩を起こす程ではないが、雑然としすぎて片付けしても圧迫感があった。
それならいっそ隣の部屋もぶち抜いて空間を拡げて、ゆとりのある収納スペースも確保した部屋に改装してやりたいと金蝉は考えている。
何だかんだ文句をいいながらも、面倒見のいいマメな保護者っぷりだ。

悟空の部屋なら自然素材を使って…ハウスシックなんてとんでもねーしな。
家具も確かベッドに机ぐらいだったよな。
それなら部屋ごとコーディネート考えた方がいいかも。

捲簾は悟空をイメージして、金蝉宅の間取りを頭の中で展開した。
やるからには悟空に喜んで使って欲しい。
今度金蝉に大体の要望を聞いてみるか。
そういやぁ…何かこの前てんぽうにワクチンがどーのこーのって言ってたよな。
アイツ連れてくついでに話せばいいか。
つらつら考えて購入する雑誌を抱え直し、捲簾は洋書のコーナーも見てみようと店内を移動した。
本棚を見上げながら、目当ての場所を探して歩く。
「えーっと、洋書は…あれ?階が変わったのか?デザイン系の棚の近くだったはず…」
記憶していた場所に洋書は置いてなかった。
捲簾はキョロキョロと店内を眺めながら探す。
店内の奥にカラフルな色遣いの書籍が平積みになっているのが見えた。
コーナー面積を拡げて場所を移動したようだ。
漸く目当ての洋書を見つけて、捲簾が向かっていくと。
視界の端に、陰鬱な表紙が目に入る。
「…ホラー?オカルト?」
棚を見上げると、多岐に渡ったオカルト関連の本が収まっていた。
伝承からノンフィクション、エッセイから内外問わずのホラー小説まで所狭しと置かれている。
何となく興味を引かれて、捲簾は表紙や背表紙をボンヤリ眺めた。
「んー?『西洋魔物図鑑』に『狼男伝説』ねぇ…」
何気なくタイトルを斜め読みしていたが、ふと天蓬の言葉が頭を過ぎる。

月を見て人間になるなんて、狼男とは逆ですよね。

ハッと我に返って、捲簾がコーナーの書籍を真剣に眺め始めた。
「もしかしたら…何か手懸かりになりそうなことが載ってるかもしんねぇ」
とりあえず目に付いた本を手に取りパラパラと捲って中身を確認し、伝承などが載っている物を選んでいく。
伝承や民俗学、宗教的な物まで数冊選び出した。
天蓬が猫の身体から本来の自分へ戻れる確実な方法が記載されて無くてもいい。
何かしら似たような伝承や事例が見つかればそれだけでよかった。
「…こんなもんか?」
捲簾は腕に大量の本を抱えて、本を確認する。
選んだ仕事用の雑誌と合わせると10冊は越えていた。
重そうに本を抱え直して、捲簾が途方に暮れる。
「これじゃ…洋書まで持って帰れねーよなぁ」
仕方ない。
洋書の方は出直して後日また見に来ようと決めた。
捲簾にとって最重要課題は天蓬が目覚めること。
本の重みで足許をふらつかせながら、捲簾は会計する為レジへと向かった。
紙袋2つを下げて書店を出ると、携帯を取りだして事務所へ連絡を入れる。
クライアントから自分宛の電話がなかったかどうか、何かトラブルや急な仕事が入っていないかどうかだけ確認した。
特に何もないと分かると、捲簾はそのまま直帰することを告げて携帯を切る。
何となく気持ちが急いていた。
自宅で留守番している天蓬に本のことを伝えたいのと、ネットで調べて何か情報がつかめたかどうか早く確認したい。
逸る気持ちのままに捲簾はタクシーを掴まえると、急いで自宅へ戻っていった。






マンションでタクシーを降りた捲簾は、自宅の窓を見上げる。
暖かくなって日も延びている。
時間は夕方の5時を回っていたが、空はまだ明るかった。
大荷物を抱えて、捲簾はエレベーターで自宅へ向かう。
扉の前に重い紙袋を降ろして、ポケットを探り鍵を取り出した。
鍵を回してドアを開けると、荷物を玄関先へ移動する。
「てんぽー?ただいま〜」
「うにゃっ!?」
リビングの方から返事する鳴き声がして、ストンと飛び降りた音が聞こえた。
どうやらいつもより早い捲簾の帰宅に驚いたらしい。
もの凄い勢いで、小柄な身体が玄関に向かって突進してきた。
「にゃーっ!うにゃーっ!?」
鳴き声を上げて猫が捲簾の足許をグルグル徘徊する。
「にゃ?にゃにゃっ??」
捲簾を必死に見上げて、頻りに鳴き続けた。
小さく笑うと、捲簾が玄関先でしゃがみ込む。
「うにゃ?」
猫は身体を伸ばして捲簾の肩に前足をタシッと乗せた。
顔色を窺うように顔を覗き込んでくる。
「大丈夫だっての。別に具合が悪くなって早く帰ってきた訳じゃねーよ」
「にゃぁ?」
「コレ買い物してきてさ。わざわざ事務所持っていってまた家に、っての面倒だから直帰してきた」
捲簾は玄関に下ろした大きな紙袋をパンパンと叩く。
猫が尻尾をクリンと丸めて不思議そうに首を傾げた。
何が入ってるのか気になるらしく、じっと紙袋を見聞する。
その後にトコトコと紙袋へ近付いて中を覗き込もうとしたが、身長が足りなかった。
猫は前足を袋に掛ると、中が見たくて躍起になる。
放っておくと紙袋へダイブしそうな勢いに、捲簾は声を殺して可笑しそうに笑った。
「うにゃっ!?」
ひょいっと紙袋を両手にぶら下げて捲簾がリビングへ向かうのに、猫も走って付いてくる。
捲簾はリビングの床へ紙袋を下ろすと、中身を重ねて置いていった。
「にゃぁ〜?」
紙袋の中から出てきたのは大量の本。
捲簾にしては珍しい買い物だ。
猫は興味津々に眺めながら尻尾をパタパタ振った。
「今日さ。仕事の資料探そうと思って本屋行ったんだよ。そしたらちょっと目について」
捲簾が猫の前に次々と本を並べて置き直す。
置かれていく本の表紙を、猫は面白そうに眺めて頷いた。

捲簾の買ってきた本は、伝承やオカルト関連の本ばかり。
ちょうど猫もネットを使って、そっち方面も調べている最中だった。
行き着く考えは同じだったと言うことか。

「にゃぁ〜」
猫は手前に置かれた1冊の表紙に爪をかけ器用に捲った。
体重を掛けて本を開くと、目次のページを興味深げに眺める。
「戻り方自体が載ってるとは思えねーけど。何かヒントみたいなことでも書かれてればなーって」
「にゃっ!」
間髪入れずに猫が頷いたので、捲簾はきょとんと目を丸くした。
「何だ…てんぽうも同じコト考えてたんだ」
「にゃっ!」
猫は嬉しそうに尻尾を振り回す。
「結構タイトル見てそれらしい感じの選んで買ってきたんだけど。さすがにちょっと買いすぎたか」
猫の目の前に置いた本以外にも、十数冊山積みにされていた。
殆どが厚いハードカバー本だったので、読んでいくのにも時間が掛かりそうだ。
「まぁ、俺と手分けして読めば大丈夫だよな?」
積み上げた本から猫へ視線を戻すと。

「…なにやってんだ?てんぽう」

猫が身体を広げ、腹這いになって本に覆い被さっていた。
「うにゃっ!」
「…そんな必死にならなくっても。俺が読んだのも後で読ませてやるって」
どうやら大量の本を見て、天蓬の病気がでたらしい。
読書中毒症、簡単に言えば本オタク。
捲簾が読む本は貸して貰えないと思い込み、体を張って死守しているようだ。
さすがに呆れ返って、捲簾は大袈裟に溜息を吐いた。
今だ突っ伏して本の上で”猫の開き”になっている小さな頭をペンッと叩く。
「お前ネットと読書じゃますます目に負担かけるじゃねーかよ」
「…うにゃ」
猫は納得できないようなふて腐れた鳴き声を上げた。
「1日どっちかにしろ。ネットか本か。いいか?俺の言うこと聞けねーなら、本は全部事務所に持ってくぞ?」
「うにゃぁ〜っ!!」
文字通り必死の体で、猫がガッチリと本にしがみ付く。

「ネットと本、交代にするって約束できるか?」
「にゃっ!」
本の上へ俯せたまま短く返事をする猫を、捲簾は苦笑いしながら抱き上げた。
「じゃぁ、とりあえずはこの本な」
捲簾はさっき猫が開いていた本を指差す。
本の前に猫を下ろすと、残りの本を重ねてクロゼットへ片付けた。
「さてと。メシの用意でもすっかな〜」
猫は早速与えられた本を読み始めたらしい。
前足をペタッとページに乗せると、器用に肉球に貼り付けページを捲っていた。
天蓬は一旦本を読み始めると、驚異的な集中力で周囲の全てを遮断する。
捲簾も嫌って言う程分かっているので、そのまま猫を放置して楽な格好に着替えてきた。
リビングへ戻ると、猫は真剣な表情で紙面を眺めている。

「て〜んぽぉ〜。腹減ってねーの?」
「………。」
「メシ、まだいらないのかぁ〜?」
「………。」
「ま、いーけど。後で人間に戻ったら一緒に食わせればいいしな」

窓の外へ視線を向けると、空が茜色に染まり始めている。
あと少しで陽が落ちて、天上に明るい月が昇るはず。
「月…か」
捲簾はカーテンを閉めるのに窓際へ近寄り、ぼんやりと空を見上げた。
月が天蓬を猫から人間へ変化させるなら。
きっと魂が戻るにも、外部から何らかの作用が必要なはずだと捲簾は考えた。
ただ、それが何かが分からない。
何でも良いから、早く方法が見つかればいいけど。
病院で天蓬に逢う度、捲簾の焦燥は募っていく。

1日でも。
1分1秒でも早く戻さなければ。
目の前の天蓬が儚く消えてしまいそうで恐くなる。

猫になった”てんぽう”との穏やかな日々に、それは鈍痛を伴って疼いていた。
「…焦ったところでどうしよもねーけど、さ」
自分に言い聞かせるように捲簾が小さく呟く。
気を取り直してエプロンを身に着けると、捲簾は冷蔵庫の食材を確認して夕食の準備を始めた。




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