あなたへの月 |
「てんぽ〜」 「にゃ?」 朝ご飯も食べ終わり水を飲んでいると、リビングで捲簾が手招いている。 ソファへ腰掛けている捲簾の横へスタッと軽快に飛び乗った。 「うにゃ?」 ちょこんと座って首を傾げると、首へ指が回される。 「ほら、昨日悟空から貰った首輪。猫になったからベッドに落ちてたぞ」 「にゃっ!」 朝になって人間から猫に戻る際、手首に嵌めていたはずのアクセサリーが外れてしまったらしい。 大人しく座っていると、捲簾が着け直してくれた。 「お?似合う似合う。こう見ると悟空も結構センスあるじゃん」 「うにゃ〜」 「はいはい。モデルがいいから当然ね」 胸を張って威張る猫を、捲簾は呆れて見下ろす。 ビーズが朝日を反射してキラキラ輝いている。 猫は首周りを自分で見ようとキョロキョロした。 捲簾が苦笑しながら鏡を持ってきて見せようと立ち上がった時、小さな違和感に気付く。 「ん?あ…れ??」 視線を猫へ戻して、じっと首輪に視線を向けた。 何か…変だな。 どこがどう変だと聞かれると答えに窮するのだが。 何かが捲簾の脳裏で引っかかった。 「にゃ?」 考え込みながら首輪を注視している捲簾に、猫がポンッと前足を乗せる。 「え?あぁ…ちょっと気になって」 「うにゃぁ??」 猫も一緒になって首輪を見下ろした。 取り立てておかしな所は無いと思うのだが。 捲簾の指が首輪に触れる。 指先で持ち上げると、朝陽に反射して輝いた。 すると。 「あれ?」 捲簾がマジマジと真ん中にある石を見つめた。 乳白色のムーンストーンが。 「何か…色が変わってねーか?」 角度を変えて光に照らしてみる。 石の色が、昨日より変化しているように思える。 僅かに金色が混じっている、ような。 「にゃ?」 生憎天蓬はそう念入りに石の色まで見てはいなかった。 猫は不思議そうに首を傾げる。 「昨日はさ、悟空が作ったって言うから感心して結構眺めてたんだよ。その時は真ん中のムーンストーンがこー…半透明な白だったはずなんだよ。でも今は…何かうっすら金色の濁りが入ってる」 「うにゃ〜?」 「違うって!勘違いじゃねーよ!絶対白1色だったんだ…けど」 たった1日で石の色が変化するのだろうか? 『月の力を繋ぎ止めるのに使われたんだってさ〜』 ふいに悟空の言葉が蘇る。 月の、力? 「…まさか、な」 捲簾は苦笑しながら呟いた。 「にゃっ!にゃっ!!」 突然黙り込む捲簾を猫が前足でペチペチ叩く。 ハッと我に返ると、捲簾は猫を抱き上げた。 「にゃー?」 心配そうに見つめてくる猫に捲簾が頬笑む。 「昨夜言ったじゃん。ムーンストーンには月の力を繋ぎ止めるパワーがあるって。もしかして色が変化したのもそうなのかなぁって」 「うにゃ?」 「この際さ…何だっていいよ。お前が戻れるなら、どんな伝承でもまじないでも。信じなきゃ何も変わらない。そうだろ?」 「にゃっ!」 捲簾の言葉に猫も頷いた。 はっきりとした原因も元に戻れる方法も分からない今。 どんな些細なことでも試してみる価値はある。 「人間になれば着けられないだろ?念の為月明かりに当ててみるか」 「うにゃ〜」 「つっても…月の力集めたからって、どうすればいいか分からねぇんだよなぁ」 「にゃにゃっ!」 何やら猫が得意げに尻尾を振り出す。 「ん?調べんの?」 「うにゃっ!」 「そっか…見つかればいいな。いっそ俺もお月様に願掛けでもしてみっか!」 猫へ額を付けて捲簾が頬笑んだ。 お願いです。 俺に天蓬を返して下さい。 胸で燻る痛みを堪えて、捲簾は何度も祈るように願った。 来週天蓬をコッソリ病院へ連れて行く為、捲簾は仕事のスケジュール調整を図る。 後から入ったアポイントは日にちをずらし、どうにか1日明けることが出来た。 来週の中頃、とうとう天蓬は自分の身体と対面する。 「…はぁ」 パソコンの画面をスクロールしながら捲簾が溜息を零した。 いずれはそうなると分かっていたつもりだ。 きっと天蓬は自分の身体に会って確かめたいと言い出すだろう、と。 器械で繋がれている植物状態とはいえ、ちゃんと生きている。 天蓬は絶望を振り切って一時は諦めたのだ。 自分の目で実感したいのは捲簾にも痛いほど分かる。 だけど。 天蓬は大丈夫だろうか? あの生気の欠片もない、自分の身体に対面して。 弱々しく儚い自分の姿を見て、傷ついたりしないだろうか。 そう杞憂して捲簾は今まで黙っていた。 「どうかしたんですか?大将。何かデザインで困ったことでも?」 図面を抱えたスタッフが捲簾に声を掛ける。 「あ?」 気のない返事をして、捲簾がパソコンの画面を眺める。 丁度CADでデザインの調整をしていたところだった。 捲簾はまた溜息を吐きながら、椅子にドッカリ背を凭れ掛ける。 「違う違う。コレは大した変更じゃねーから」 「じゃぁ、何かあったんですか?さっきから溜息ばっかり吐いて」 「え?マジで?俺溜息なんか吐いてる?」 「…自覚無かったんですか?」 心配そうに視線を向けるスタッフに、捲簾は口端を上げた。 「仕事のコトじゃねーから。まぁ、ちょっと…色々頭痛ぇことがあってさ」 「何ですか?大将が手ぇ付けた女性がかち合ってシュラバ、とか?」 「…何で俺が悩むとソッチ関係なんだよ?」 「えぇっ!?違うんですか!」 「違うよ、バァカ!」 軽口叩くスタッフを捲簾が軽く小突く。 つい心の脆さが態度に出てしまったのを内心苦笑して、捲簾は当たり障りのない話題へすり替えた。 「猫がなぁ〜部屋で俺が居ない間に悪戯しまくって」 「あぁ。猫のてんぽうさんが」 最近飼い始めた猫のことだと分かり、スタッフが頷く。 向かいに座っていた猫好きのスタッフも、話を聞いて顔を出した。 「大将、猫のてんぽうさんがどうかしたんですか?」 「…おい、チョット待て。何で猫に”さん”付けなんだよ?」 捲簾が首を捻ると、スタッフ達が顔を見合わせる。 「だって…呼び捨てにするの抵抗あるじゃないですか。仮にも天蓬先生と同じ名前なのに」 スタッフは互いにうんうんと頷く。 「あぁ…アイツいちおう先生だっけ」 捲簾はすっかり天蓬の職業が頭から抜け落ちていた。 大学で建築学の講師をしているので、確かに『先生』と呼ばれる立場ではある。 「でもな〜。やっぱ猫に”さん”は普通付けねーだろ」 何だか納得いかずに捲簾が首を捻った。 「いーじゃないですか。大体大将が猫に天蓬先生と同じ名前付けるからややこしくなったんですよ」 「そうそう。猫でも天蓬先生の名前を呼び捨てにするなんて出来ませんって。俺らの気持ちの問題ですから大将には関係ないです」 スタッフは捲簾へ捲し立てると、一斉に知らん顔する。 猫の名前でいちいち文句を言われる筋合いは無いっ!とばかりに、捲簾はムスッとふて腐れた。 「俺がどんな名前つけようが勝手だろぉ〜。第一天蓬にソックリなんだからアイツ」 「ソコが分からないんですよ。猫のてんぽうさんと天蓬先生のドコが似てるんです?」 「あ?まず瞳の色が一緒だろ?そんで俺にベタベタ甘ったれてまとわり付くトコだろ?それに好奇心旺盛でオモチャや本や雑誌好きで、だけど好きなクセにすぐ放ったらかして散らかし放題なトコとか。それと〜」 捲簾は嬉しそうに似ているところを指折りながら上げ始める。 いつまでも終わらなさそうな気配に、スタッフは思いっきり呆れ返った。 「…大将、大将」 「…もう、いいです」 「え?まだあるぞ?」 キョトンとする捲簾に、スタッフは胡乱な視線を向ける。 「猫のてんぽうさんと天蓬先生がどれだけ似ているか、大将の力説で分かりましたから」 「…そっか?」 ニコニコ機嫌良く捲簾が笑うと、スタッフは一斉に溜息を零した。 捲簾は典型的な親バカタイプらしい。 しかも何だか惚気られている気がする。 要するに。 捲簾は如何に自分と天蓬が普段から親密な付き合いをしていたか、暴露したことに気付いていなかった。 「マジで大将…俺らが知らないと思ってんのかな?」 「だとしたら大将も結構天然だよな。あれだけ惚気てて全然自覚ねーんだから」 スタッフ達は顔を寄せ、小声でヒソヒソ話し合う。 自分達の仲を無意識に惚気る捲簾と、わざと惚気て尚かつ言い触らす天蓬。 スタッフ全員が二人の仲に気付かないはずがない。 二人が恋人同士だということは周知の事実、暗黙の了解だった。 バレてないと思ってるのは捲簾ただ一人だけで。 「なぁ〜にコソコソ話してんだよっ!感じ悪ぃぞ〜」 捲簾が睨み付けると、スタッフ達はやれやれと肩を竦めた。 むくれる捲簾を宥めもせずに、それぞれの仕事に戻っていく。 ぽつん、と取り残された捲簾は。 「…俺、何かヘンなこと言ったかぁ??」 やっぱり自分が惚気ていたことに気づきもせず、ひたすら首を捻った。 スタッフに相手にされず、捲簾は仕方なしに作業を再開する。 捲簾の前で仕事をしているスタッフのパソコン画面に離れている席のスタッフからメッセージが入った。 『天蓬先生が目覚めて全快したらパーティやろう。スタッフ全員で大々的にお祝いして、大将を驚かせよう』 メッセージを読んだスタッフがニッコリ微笑みながら、すぐにレスを入れて送信する。 『何だったら全快祝いと一緒に、俺らで天蓬先生と大将の結婚パーティでも企画するか?』 悪巧みしている顔が捲簾にバレないように仕事をしていると、速攻で返事が戻ってきた。 『了解。全員にコレ回しておく』 背後を振り向くと、メッセージをやり取りしたスタッフが視線を合わせてニヤッと笑う。 頷いてまたパソコンへ向き直ると、スタッフは小さく溜息を零した。 天蓬先生。 早く目を覚まして、大将の側へ戻ってきて下さいね。 ずっとずっと、大将待ってますから。 スタッフは込み上げてくる寂寥感を打ち払い、姿勢を正して今度こそ仕事を再開した。 |
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