あなたへの月



パチパチと生木が弾ける音と香しい匂いが漂い始めた。
本日の釣果はイワナが15匹。
まずまずの手応えだった。
捲簾はクーラーボックスから4匹だけ取り出して捌き始める。
残りは金蝉の所へお裾分けだ。
適当に拾ってきた石で即席竈を作ると、櫛にイワナ2匹を差してシンプルな塩焼きを準備する。
残りの2匹は軽くソテーした後、ハーブをふんだんに使ったトマトの煮込み料理にしようと決めた。
先に米を研いでご飯を炊くことにして、その後にトマトソース作りに入る。
割と頻繁にキャンプはしているので、アウトドア料理も手慣れていた。
手際よく準備を終わらせると、捲簾はイワナを焼く火元にしゃがみ込む。
皮の灼ける芳ばしい匂いが食欲をそそった。
しかし。
焼いているイワナの横で、更に香ばしい匂いを発しているモノが刺さっていた。
「にゃー…」
猫がじっと座って火の番をしている。
その目の前には。
逃げ回った末に捕獲されたサンショウウオが、見るも哀れな姿で焼かれていた。
捲簾の口元が僅かに引き攣る。

マジでこんなモン食う気か、コイツ?

じっくり火に焼かれて、サンショウウオが見る見る黒コゲになっていった。
「にゃーにゃー」
猫はキラキラと目を輝かせて、真っ黒に変色していくサンショウウオを眺める。
口元はぽかーんと開けたまま、口端からダラダラと涎が垂れていた。

何でイワナじゃなくてサンショウウオでヨダレなんか出るんだよっ!?

捲簾の額にイヤな汗が滲んでくる。
まさかと思うが、自分にも食べろと勧めるんじゃないかと危惧した。
勿論勧められたって食べる気は無い。
サンショウウオの黒焼きが身体に良くたって、別の方法で体調を整える方を選ぶに決まってる。
妙な展開に振られないよう、捲簾が猫から視線を逸らすと。

ポンポン。

前足が捲簾の腕を叩いてくる。
「…何だよ?」
「うにゃっ!」
猫は黒コゲになって煙を上げているサンショウウオを差して、尻尾をパタパタ振った。
どうやら出来上がった、らしい。
捲簾は嫌そうな顔を隠しもせず、串刺しになったサンショウウオを手に取った。
「ホントに食うの?」
「にゃっ!」
元気良く返事を返す猫に、捲簾が肩を竦める。
「こんなの食って、腹壊したらどーすんだよ」
「うにゃぁ〜?」
「確かに焼いてあるけど…でもなぁ…こんなの食ったって旨くも何ともねーだろ?折角イワナ焼いてんのに」
「にゃ?」
猫が脂を弾いて美味しそうに焼けているイワナに顔を向けた。

ボタボタボタッ!

物凄い勢いで涎が零れ落ちる。
どう考えたってその反応の方が正解だ。
捲簾は安堵すると、ニッコリ猫へ笑いかける。
「だろ?すっげ〜旨そうだろ?型も大きいし脂も乗ってるし。絶対コレより旨いって!」
何とか説得しようと明るく力説するが。
猫はもう一度イワナへ視線を遣ってから、すぐに捲簾の手元を見上げる。
「にゃっvvv」
「…どーしても食うのか」
サンショウウオを持った手にまとわりつく猫に、捲簾が諦めの溜息を零した。
仕方なく立ち上がると、猫用に皿を取り出して目の前に置く。
「ほら。コレでいーんだろ?」
捲簾は心底嫌そうに、串刺しにされた黒コゲのサンショウウオを皿に載せた。
猫が興味深げに顔を寄せ、ふんふんと匂いを嗅ぐ。
「………。」
「…だから言ったじゃねーか」
物凄いコゲ臭さに、猫は思いっきり口を開けて苦悶した。
しきりに前足で鼻を擦ってクシャミを繰り返す猫に、捲簾が苦笑いする。
「やっぱ無理だろ?」
見ているのも嫌でさっさと処分しようと櫛を取り上げると、すかさず猫の前足が飛んできた。
皿から持ち上げようとする捲簾の手をパシッと押さえ込む。
「何だよ?食わねーんだろ?」
「うにゃっ!」
猫は首を振って否定した。
捲簾は双眸を眇めて胡乱な表情を浮かべる。
「あんだけ咽せ返っておいて、まだ食うつもりかよ?やめとけっての」
「にゃぁ〜」
それでも猫は首を振り続けた。
なかなか諦めない猫に、捲簾はガシガシと髪を掻き上げる。
「あのなぁ…こんなモン食ったって、身体に良い訳ねーよ。黒焼き食うっつーのは何の根拠もない民間療法なんだからな?第一お前どこも体調悪くねーだろーが」
「にゃ?」
懇々と捲簾が諭すと、猫は何やら意味深に捲簾を見つめた。

むに。

「…いきなりドコ触ってやがる」
捲簾が猫の小さな頭をべしっと叩く。
しゃがんでいた捲簾の股間に猫の前足が伸びていた。
プックリ膨らんだ肉球でペタペタ触られ、捲簾は慌てて腰を引く。
「何なんだよっ!」
「うにゃ〜」
「あ?精力絶倫になるっての?コレが??」
「にゃっvvv」
捲簾の疑問を肯定して鳴いた猫に、捲簾はガックリ脱力した。
あまりにもしつこいから、何かあると薄々感づいていたが。
それにしたって。

「それ以上お前が絶倫になってどーすんだっ!!」

長閑な河川敷で清流の音を掻き消す絶叫がこだました。






結局散々止めたのを聞きもせず、猫はサンショウウオの黒焼きを丸飲みする。
まぁ、味など聞かなくっても、猫が水をがぶ飲みしていたので分かるだろう。
「良薬口に苦し…だなぁ?」
ニヤニヤしながら嫌味を言えば、猫はキッと涙目のまま捲簾を睨み付けた。

フフフフ…そんなに暢気に笑ってられるのも今のうちですよ。
夜になったら、ちゃ〜んとサンショウウオの効能をご披露しますからねvvv

と、猫が密かに気合いを漲らせているのなんか、捲簾には分からない。
未だに咽せている猫の背中を宥めて、大笑いしていた。
「ほら、口直し」
捲簾が猫の皿へ焼き上がったイワナの塩焼きを置いてやる。
笑いが治まっていない捲簾に猫はふて腐れるが、皿から漂う美味しそうな匂いに心を奪われた。
とりあえず匂いを確かめると、ハグッと一口齧り付く。
「にゃぁー…vvv」
口一杯に広がる至福の味に、猫はご満悦の鳴き声を上げた。
夢中になって食べ始めると捲簾が立ち上がり、炭火で煮込んでいた鍋の方を確かめる。
箸でトマトソースを掬って、味を確認して満足そうに頷いた。
炭から鍋を下ろすと、大皿へ煮込み料理を盛りつける。
「おっし!こんなもんだろ」
大きめの皿へ炊きたてのご飯をよそうと、料理と一緒に猫の元へ戻っていった。
「てんぽうも食うだろ?」
「うにゃ?」
骨だけになったイワナから顔を上げると、猫は興味津々で皿を覗き込む。
これまた美味しそうな匂いに、クンクンと鼻を鳴らした。
「猫の時の味覚だとどーかなぁ?お前が好きな煮込み料理だけど…いちおう塩分は控え目にしておいたから」
「にゃっvvv」
捲簾が自分の好物を作ってくれたのに喜んで、パタパタと尻尾を振る。
よそったご飯に煮込んだイワナを載せて、その上からトマトソースをかけた。
それを猫の前に置いてやる。
「熱いから気を付けて食えよ?もしかしたらもうちょっと冷ました方がいいかも」
「にゃぁ〜」
捲簾に注意され、猫は少し冷めるのを待つことにした。
その間も美味しそうな匂いが、絶えず敏感な鼻腔を誘惑する。

ボタボタボタボターッッ!!!

「…てんぽう。ヨダレ。魚に垂れてっから」
「うにゃ?にゃぁ〜」

猫は慌てて前足で口元を拭った。
捲簾は仕方なさそうに肩を竦めると、魚をフォークで少し崩してやる。
そうした方が冷めるのも早いだろう。
ソースに指を付けて舐め取ると、少し冷めていた。
「多分…もう大丈夫。食ってもいーぞ〜」
「にゃっ!」
元気良く猫は鳴くと、目の前の皿へ勢いよく顔を突っ込む。
口の周りを真っ赤にしながら、豪快に魚へかぶりついた。
「うにゃぁーvvv」
満足そうに鳴くと、またすぐ皿へ顔を伏せる。
猫の感情を露わにする尻尾も、上機嫌で揺れていた。
味の方はお気に召したようだ。
捲簾も小さく笑って、食べ始める。
「コレ食って少し休憩したら帰るから。あんま遠くまで行って遊ぶなよ?」
「にゃ?」
猫は顔を上げると目を丸くした。
まだ昼を少し過ぎたばかりで、天気が崩れてきている訳でもなく陽も高い。
帰るには早すぎるんじゃないだろうかと、猫は不思議そうに首を傾げた。
「前みてぇにのんびり夕方までは無理だって。月が出たらどーすんだよ?」
「にゃぁ…」
そういえばそうだったと、猫は残念そうに溜息を零す。
外でいきなり猫から人間へ変貌しては、何処で誰に見られるか分からない。
久しぶりに捲簾とデートなのに。
猫はしゅんと気落ちして顔を伏せた。

ポンポン。

大きな掌が宥めるように頭を撫でる。
「にゃ…」
「いーじゃん、また来れば。今度は身体が戻って…俺らだけでも、金蝉や悟空達と来ても良いし。だろ?」
「にゃぁー…」
猫は瞳を潤ませ、捲簾の膝にしがみ付いた。

ペチッ!

唐突に頭を捲簾に叩かれる。
「お前…口の周りトマトソースだらけなんだよっ!ああっ!?染みついたじゃねーかっ!トマトは落ちねーんだぞっ!!」
言われて視線を落とせば、ジーンズの膝が真っ赤な染みだらけになっていた。
それにしたって。
「うにゃぁっ!!!」
猫がペシペシと前足で捲簾の膝を猫パンチする。

捲簾ってば!
デリカシー無さ過ぎですっ!

ムキになって膝を抱え込み猫キックも炸裂してくるのを、捲簾は笑いながら宥めた。
猫は夢中になって気付かない。
痛みを堪えるように微笑む捲簾の表情に。

ああでも言わないと、弱音を零しそうだったから。

「いってぇよ!バカ…悪かったって!」
「にゃーっ!!」

捲簾は暴れる猫を抱き上げて、柔らかい毛に顔を埋めて硬く目を閉じた。



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