あなたへの月



粗方片付けも終わると、すっかり陽も暮れていた。
地平線からは闇の帳が訪れ始める。
「んー?メシどーすっかなぁ」
いくら美味しいからとはいえ、さすがに二食続けてイワナじゃ飽きてしまう。
捲簾はエプロン姿で思案する。
冷蔵庫の中にもそれなりに食材は揃っていた。
「野菜が結構あるし…海老もあるな。天ぷらにでもすっか?そしたらアイツ蕎麦が好きだから茹でて〜。デザート無いとウルセーから白玉でも作って小豆に抹茶ソースでもかければいいかなぁ。アイスもあるし」
捲簾は蕎麦をメインにした夕食を考えた。
それなら時間も大して掛からない。
捲簾自身も昼間は結構張り切りすぎたので、身体に疲労が残っていた。
どうせなら手早く用意して、食後はゆったり休みたい。
「よっし!準備すっか〜」
薄暗くなった室内に灯りを点け、ロールカーテンを下ろそうと窓に近付いた。
外は既に闇が包んでいた。
空には丸く大きな月が浮かんでいる。
どうやら今日は望月らしい。

逢いたくて逢えなかった天蓬に、漸く再会できた日と同じ月が浮かんでいた。

感慨深げに捲簾は見上げ、苦笑いを浮かべるとカーテンを下ろす。
そのままキッチンへ戻りシャツの袖を捲り上げると、食事の準備をすべく手を清めた。
天ぷらの材料になる野菜を切ってから、天ぷら粉を溶いていると。

「…捲簾っ!けんれぇ〜んっ!!アダッ!?」

…どうやらベッドから落ちたらしい。
鈍い音がして、ブツブツ悪態を吐く声が寝室から聞こえてきた。
呆れながら手を休めると、額を押さえた天蓬がトボトボ出てくる。
「寝惚けてベッドから落ちちゃいました…」
「みてぇだな。すっげ音したし」
「痛いですぅ〜」
情けない顔で天蓬が捲簾を見上げた。
打ち付けた額は赤くなり、僅かに腫れている。
プッと捲簾が小さく噴き出すと、天蓬はふて腐れて頬を膨らませた。
尻尾を振り回して、怒りをアピールする。
「そんな笑うことないじゃないですかっ!痛いんですからねっ!」
「大袈裟なんだよ〜。ちょっと腫れてるだけじゃねーか。んなの舐めてりゃ直る」
「…じゃぁ、舐めて下さい」
「は?」
「舐めれば直るんでしょ?」
上目遣いにムスッと睨み付ける天蓬に、捲簾は思いっきり呆れた。

…子供じゃねーんだから。

まだ尻尾を振り回して拗ねる天蓬をつくづく眺める。
深々と溜息を零すと、天蓬の猫耳を摘んで自分の方へと引っ張った。
「イタッ!ちょっ…何する――――」

ペロッ。

「………あ」
「後は冷やせば平気だろ」
捲簾は薬箱を取ってくると中から湿布を取りだし、ペタッと天蓬の額へ貼り付ける。
嬉しそうに額に手をやって尻尾をパタパタ振る天蓬に、捲簾は照れ隠しで軽く小突いた。
「それよりさっき、やたら慌てて呼んでなかったか?」
寝起きで焦っていせいでベッドから落ちたと捲簾は思ったのだが。
一瞬きょとんと目を丸くした天蓬は、漸く我に返った。
「そうだっ!コレ見て下さい!」
そう言って捲簾の方へ右手を差し出す。
「…肉球は残ってねーぞ?」
「猫パンチされたいんですか?」
「冗談だってっ!右手がどうかしたのかよ?」
「手じゃないですっ!コレですよっ!悟空に貰った…」
「首輪?」
天蓬の腕には悟空お手製ビーズで出来た猫用首輪が揺れていた。

コレが一体なんだと言うんだ?

捲簾が首を傾げると、天蓬はブレスレット代わりの首輪を指でずらした。
「ココを見て下さい。このムーンストーン…」
「あ…れ?何でっ!」

天蓬が指し示したムーンストーンが淡い光を放っている。
ライトが反射して輝いてるのではない。
石自体が光を発していた。
呆然と捲簾は石を疑視する。
「どーゆーコト?」
「僕にも分かりません。ヒトの姿に戻ってぼんやりしていたら、薄暗い室内でコレが光っていたんですよ」
捲簾が天蓬の腕を引き寄せ、石を間近で観察した。
気のせいかも知れないが、石が以前より膨張して大きくなっている。
よく見ると、石には金色の粒子が浮き出て、中心から輝いてるように見えた。

「いくらパワーストーンだからって、普通こんな風にはならねーよな?」
「僕だってこんなの初めて見ましたよ…でもやっぱりこれは月の力、なんですかね?」
二人はまじまじとムーンストーンを眺めて首を捻る。

この異変は何かの予兆なのか。

捲簾の肌がゾクリと粟立った。
握り締めた拳に汗が滲んでくる。

また、もし、天蓬に何かあったら。

「………捲簾」
無意識に握られた拳を、天蓬の掌が優しく包んだ。
力が入って強張った指に口付けを落とす。
ふと力の抜けた指を開かせてると、天蓬は掌を重ねた。
互いの指を絡めて、天蓬が微笑みかける。

「僕には捲簾が居るから…何があっても大丈夫です」
「天蓬…っ」

捲簾の肩へ腕を回すと、縋るようにしがみ付いてきた。
震える肩を何度も撫でてあやす。
「そんなに悲観的なことばっかり考えちゃダメですよ?」
「でもっ!」
「この石の光が何かが起こる前兆だとしたら、きっと良いことかも知れません」
捲簾が顔を上げると、天蓬が目の前で石を揺らした。

石から溢れる仄かな光は、優しく穏やかだ。

「コレを作ってくれたのは誰ですか?」
「あ…っ」
「悟空が、一生懸命僕のことを思って作ってくれた物ですよ?災いをもたらすハズがありません」

悟空は子供なりに、天蓬のことで小さな心を痛めていた。
捲簾の心が壊れそうな程悲嘆に暮れていた時、その慟哭を全て受け止めていたのは悟空だったはず。
誰よりも捲簾の痛みを理解していたのは悟空だ。
そして、捲簾と同じぐらい天蓬が戻ってくるのを願っている。
その悟空が。
猫の姿はしていても、天蓬のことを想って拙いながらも一生懸命作ってくれたモノだ。
周囲に明るさを振りまき、優しく楽しい空気を運んでくれる悟空のこと。

「きっと…何か良いことが起こるかも知れません。悟空なら奇跡を呼んでくれるかも」
「そっか…そうだよな」

悟空の笑顔はヒトに穏やかで暖かい気持ちを与えてくれる。
「あの金蝉をあそこまで変えたんですから、実証済みでしょう?」
「ぷっ…違いねぇや!」
不機嫌な仏頂面をした麗しの美貌を思い浮かべ、捲簾はついつい噴き出した。

「…いっキショッ!」
「あれ?金蝉風邪ひーたの?」
イワナを銜えたまま悟空が目を丸くする。
不審気に顔を顰めると、金蝉がズズズッと鼻を啜った。
「いや…何だか無性にムカついたような?」
「ムカツク?何に?」
「…分からん、が。考えたくもねーな。どうせ捲簾が猫と余計な話をしてるに違いねー」
「え?ケン兄がてんぽうと?」
「何でもねーよっ!オラッ!こぼしてんじゃねーよっ!」
金蝉は頭を振って予感を払い除けると、自分の分のイワナを悟空へ差し出した。

「だからね?ぜーったい良いことが起きると思うんですよね〜」
「イイコトねぇ…」
「例えば…」
「例えば?」
「あ、ダメですっ!そんな…言っちゃったら叶わなくなるかも知れないじゃないですかvvv」
「…正月の初夢じゃねーんだから」
「でも…あああぁぁっ!やっぱり言えませんっ!」
「…言うな。もう分かったから」
頬を紅潮させて頻りに悶える天蓬に、捲簾が胡乱な視線を向けた。
あまりにもあっさり引き下がるので、天蓬はムッと口を尖らせる。
「え?何ですかっ!聞いて下さいよっ!言わせて下さいっ!」
「言わなくっても分かるっつーのっ!バカッ!何もシテねーのに想像だけで勃起すんなっ!」
「………おや?」
指摘された天蓬の股間は、思いっきり布地を押し上げていた。
呆れすぎて開いた口が塞がらない。
「ったく…所構わず発情すんなよ」
「猫だから年中無休で発情するんですぅ〜」
「生憎俺はメス猫でもねーし発情してねーのっ!相手が発情しねーとオス猫は発情しねーんだとよ〜」
「チッ…金蝉も余計な知識を」
天蓬は忌々しげに舌打ちする。
「はいはい、お前はソレをさっさとスッキリさせてこ〜い。俺はメシの準備で忙しいからな」
「けんれぇ〜んvvv」
思いっきり猫撫で声で呼びながら、ピタッと天蓬が捲簾の背中に張り付いた。
後から腰に腕を回してガッチリ動けないようホールドする。
「お・れ・は・い・そ・が・し・いーっ!」
「何でそんなに邪険にするんですかぁ〜寂しいですぅ〜構って下さぁ〜いっ!」
「メシ食うのが遅くなんだろっ!」
「だって…捲簾が冷たいから辛いです」
「…股間がだろ」
天蓬の腰が捲簾の臀部にグイグイ擦り付けられている。
尻尾までが脚に巻き付き縋り付いてきた。
こめかみを引き攣らせて、捲簾が肩越しに振り返ると。
「………うっ!」
瞳にウルウルと今にも零れ落ちそうな程涙を浮かべた天蓬が、上目遣いに捲簾を見つめていた。
さすがに捲簾も怒りを削がれてしまう。

「あのな?天蓬」
「捲簾は発情してないって言うけど」
「…俺は猫じゃねーしな」
「でもっ!捲簾はいつだって、僕が欲しいって言うと発情してくれるでしょ?」
「………。」
「分かりました。捲簾がご飯の準備しているのをオカズにして寂しくヌキますから」
「オカズ違いだろーがっ!」
捲簾は顔を真っ赤にして喚くと、天蓬を張り付かせたまま後ずさってソファに倒れ込んだ。
「ぐえっ!」
勢いよく捲簾に乗っかられ、天蓬が潰れた声を上げる。
天蓬の上から退くと、捲簾はその場にしゃがみ込んで髪を掻き上げた。
重々しい溜息を零した後。

「舐めてやっから、とりあえずそれで今は我慢しろ」
「えっ!いいんですか?」
「…最初っからソノ気だったクセに」
捲簾がファスナーを下ろしてショートパンツに手を掛けると、天蓬が脱がせ易いよう腰を浮かせる。
「やぁ〜やっぱりイイコトがありましたねvvv」
「ホント…お前は単純で可愛いよ」
「おや?惚れ直しちゃいました?」
「直す必要がないくらい惚れてるよっ!」
捲簾は顔を真っ赤に紅潮させながら、腹立ち紛れに天蓬の性器を強く握った。



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