あなたへの月



「はぁ…疲れちゃいますよねぇ」

背中をベッドへ凭れかけ、天蓬はハグハグと口を動かす。
「仕方ねーだろ?お前だってきっちり検査して貰った方が安心だろうが。ほれ、あ〜ん」
「あ〜」
差し出されたスプーンに天蓬は食い付いた。
「熱っ…」
「あ、悪ぃ。まだ熱かったか」
捲簾がスプーンで重湯を掬って、ふーふーと息を吹きかける。
起こして貰った身体を枕に沈めると、天蓬が深々と溜息を零した。
「何だか情けないです…食事をすることも満足に出来ないなんて」
天蓬はパジャマから覗く痩せ細った腕を眺めて顔を顰める。

昏睡状態の間動かしていなかった身体からは全ての筋肉が削ぎ落ちていた。
ほんの少し身体を動かしただけでも息が切れ、疲労困憊でベッドに突っ伏してしまう。
腕に力を入れることも出来ず、食器を持ち上げることさえもままならない。
自分の身体なのに自分の意思で動かせないことが、天蓬には歯痒かった。

「三ヶ月動かなかったからなぁ。最初っから元通りに何でも出来る訳ねーだろ?」
「それはそうなんですけど…」
プクッと頬を膨らませて不満を零す天蓬に、捲簾は肩を竦めた。
天蓬は目覚めてからずっとこんな調子でふて腐れている。
「今度は大丈夫。ほい、あ〜ん」
「あ〜」
八つ当たり気味にスプーンへ食い付くと、仏頂面のまま口を動かした。
「んだよ。それとも俺の介護は不満だとでも?」
「そ…そんなことありませんよっ!」
ジットリ睨み付ければ、天蓬が慌てて否定する。
そのまま黙っていると、困惑した表情で天蓬が苦笑いを浮かべた。
「正直捲簾が居てくれて助かってます。こんな身体じゃ何も出来ないし…僕には身内も居ませんからね。迷惑掛けちゃってるなーとは思ってるんですけど」
「んなこと、いちいち気にすんじゃねーよっ!」
ペチッと捲簾が俯き加減の天蓬を叩く。
小さく息を吐いて、捲簾が持っていた茶碗を置いた。
「俺は好きでお前のこと構ってんだから。別に甘やかしてる訳でもねーし、怪我人が遠慮なんかしてんじゃねーっての」
捲簾の言葉に天蓬が目を見開く。

「俺はお前の何だ?」
「え?えーっと…誰よりも大切な恋人、です」
「俺も同じ。だからいちいち申し訳無さそうにされる方が、何だか他人行儀でムカツク」

真摯な告白に天蓬は双眸を眇めて頬笑んだ。
「えー?どうせなら甘やかして欲しいです〜」
「…調子に乗んな、バカ」
嬉しそうに頬を弛める天蓬に、捲簾が赤面しながら悪態を吐く。

「…ゴホゴホッ!」

背後から聞こえた咳払いに、捲簾が振り返った。
入口には不機嫌全開の金蝉が立っている。
「あれ?金蝉来てたの?何で声掛けねーんだよ」
いつの間にか現れた金蝉に、捲簾は不思議そうに首を傾げた。
天蓬はそっぽを向いてチッ!と舌打ちする。
あからさまな天蓬の態度に、金蝉が顔を顰めた。
捲簾は背後で気づいてなかったが、天蓬は気づいていながら知らん顔していたのだ。

ヤダなぁ〜もう、金蝉ってば!
僕と捲簾の甘い時間を邪魔したりして無粋ですよっ!

そう言わんばかりに、天蓬が金蝉を睨み付けながら頬笑む。
分かりやすい程邪険にされると金蝉としても面白くない。
キツく天蓬を睨み返してから、捲簾へ視線を向けた。
「俺はノックもしたし声も掛けた。テメェらがイチャイチャしやがって気づかなかっただけじゃねーか」
「あ?誰がイチャイチャなんかしてたんだよっ!天蓬にメシ食わせてただけだろ?」
「…自覚ねーのか」
金蝉は深く刻まれた眉間の皺をグイグイ押さえる。

イチャついてる自覚のない天然な捲簾に、確信犯で甘えてイチャつく天蓬。

明らかに捲簾は天蓬を甘やかして構っている。
その辺の心境は金蝉も分からないでもない。
天蓬が目覚めるまでの間、どれだけ捲簾が傷ついて寂しい想いをしていたか、間近で傍観していたのだ。
心を触れ合わせることの出来なかった時間を埋め直すように、捲簾が天蓬にベッタリくっついてるのは理解できる。
捲簾に関しては理解できるが。

天蓬のヤツ、調子に乗ってやがんな。

問題は天蓬の方。
捲簾が構ってくれるのをラッキーと言わんばかりに、ベタベタ甘え倒している。
すっかり頬まで弛みっぱなしだ。
事故に遭う前から天蓬は捲簾に構って欲しがりの甘えたがりな気はあったが、捲簾が鬱陶しがって必要以上には甘やかさなかった。
それでも文句をいいつつ、こまめに天蓬の生活面まであれこれ面倒を看る捲簾を、金蝉は内心『奇特なヤツ』と呆れ返っている。
あんな厄介なヤツを飼い慣らすだけではなく愛しているんだから、捲簾も相当趣味が悪いかマゾだな。と金蝉も勝手に決めつけていた。
そう言う金蝉も二人に巻き込まれて文句を言いながらも、それなりの年月をつき合っているのだからお人好しだ。
邪魔するな〜と邪険なオーラを撒き散らしている天蓬を無視して、金蝉が持っていた花束を捲簾へ放り投げる。
「おわっ!見舞いで持ってきた花投げるヤツがあっかっ!」
「悟空からだ。アイツも後で来る」
「んー?何だよ…一緒に来れば良かったじゃん」
「アイツが学校から帰るのは午後だろ。俺は仕事があるからな」
「あ、そっか」
納得して捲簾が貰った花を天蓬へ見せた。
「悟空からだってさ。後で来たらちゃんと礼言えよ?」
「勿論ですよ…綺麗ですね」
白と淡いピンク色を基調とした可憐な花束に、天蓬は双眸を和らげる。
天蓬がベッド脇に立っている金蝉へ視線を向けて意味深に微笑んだ。

「貴方が選んだにしてはイイ趣味ですね」
「…うっせーよ」

プイッと視線を逸らせてぶっきらぼうに吐き捨てる金蝉に、天蓬は可笑しそうに喉で笑う。
捲簾が目を丸くして金蝉と天蓬を交互に見遣った。
「へ?だってコレ…悟空からじゃねーの?」
「悟空にお見舞い行くなら持っていけって言われたんでしょう?あの子ならきっと自分が好きな花を選んで持ってくるでしょうからねぇ」
「成る程、ね」
手にした花束を眺めて、捲簾も笑みを浮かべる。
確かに金蝉の持ってきた花は、悟空が選ぶような種類じゃない。
捲簾でさえこの花の名前が何かも分からなかった。
悟空ならきっと誰もが知っている花を選ぶはず。
その点金蝉は色合いで選んだか、店先で適当に目に付いた花を買ってきたのだろう。
「ま、悟空とお前からってことだよな」
立っている金蝉を見上げて楽しそうに口端を上げると、金蝉の頬が僅かに赤らんだ。

金蝉だって捲簾と同じように天蓬が目覚めるのを信じて待っていたから。

天蓬もそのことはちゃんと知っている。
「金蝉もありがとうございます。悟空には後でお礼言いますからね」
何となく気恥ずかしくて黙っている金蝉に、天蓬と捲簾は苦笑いを浮かべた。
「さってと!んじゃコレ花瓶に生けてくるか〜」
「…俺がやってくる」
「ん?でもさっき枯れちまった花片付けて、花瓶を給湯室に置きっぱなしにしてあるんだよな」
「どの花瓶だ?」
「えーっと…あぁ説明すんのメンドくせぇから一緒に行くわ。ついでに煙草吸いてーし」
「あっ!捲簾僕も行きたいです〜連れてって下さぁ〜い!煙草吸いたいですよぉ」
甘えた声で強請る天蓬を、捲簾がじっとり睨み付ける。
「ダメに決まってんだろ」
「えーっ!何でですかっ!」
「メシだってまだロクに食えねーのに、煙草なんか論外だっての」
「だって吸いたいんですっ!捲簾だけズルイっっ!」
プクッと頬を膨らませて拗ねる天蓬に、金蝉と捲簾は思いっきり溜息を零す。
腕を組んで仁王立ちした捲簾が、冷ややかな眼差しで天蓬を威圧した。
「天蓬。お前は俺よりも煙草が大事だって言うんだな?」
「そんなのっ!捲簾の方が大事に決まってるじゃないですかっ!」
「そうか。じゃぁ俺の言うこと聞いて、勿論我慢できるよな?」
「うっ…それは…っ」
天蓬が声を詰まらせて煩悶すると、捲簾が大袈裟に肩を竦める。
「口では何とでも言えるけど、お前の愛なんてそんなモンなんだ…」
これ見よがしに哀愁を漂わせて瞳を伏せると、天蓬が慌てて身を乗り出した。
「そんなことありませんっ!僕がどれだけ貴方を愛してるか知ってるでしょうっ!」
「本当か?」
「当たり前ですっ!この世で一番貴方を愛してるのは僕ですからねっ!」
「じゃぁ…愛してるなら俺のお願いなら聞いてくれるよな?」
「当然ですっ!」
「じゃぁ、イイ子で待ってろ。五分で戻るからな?」
天蓬の方へ顔を寄せて軽く口付けると、途端に天蓬の表情が嬉しそうに輝く。
「はいっ!待ってますっ!」
「そんじゃ煙草吸ってくるな〜」

バタン。

「………あれ?」
すっかり天蓬は手懐けられていた。






病室から出ると、金蝉が髪を掻き上げ息を吐いた。
「…何なんだあのバカは。お前も甘やかし過ぎじゃねーか」
「そうでもねーよ。あれぐらいしてやらねーと、アイツそのうち癇癪起こしそうだし」
捲簾は苦笑を浮かべると金蝉と廊下を歩いていく。
病棟の端に設けられた喫煙スペースに着くと、煙草を取り出して火を点けた。
空気に揺らいで上っていく紫煙を目で追っていると、金蝉は難しい顔で考え込む。
「で。本当のところどうなんだ?」
金蝉も検査の経過が気になっていたらしい。

植物状態の天蓬に出された診断は残酷だった。
まず意識を回復すること事態が奇跡。
万が一覚醒したとしても、脳の損傷具合から半身不随は免れない。
二度と自分の力で立ち上がることは出来ないだろう。と、医者からは宣告されていた。

煙を目で追っていた捲簾が、真っ直ぐ金蝉を見つめる。
「まだ全部の結果が出た訳じゃねーんだけど。奇跡どころじゃねーってさ」
「あ?」
「…魔法だって」
捲簾は可笑しそうに笑いを噛み殺した。
「ちゃんと動くし、感覚もあるんだよ。天蓬の足」
「本当…か?」
「あぁ。今は筋肉が落ちて満足に動かせねーけど。擽ったら笑うしな」
「魔法…か」
「そうとしか言い様がねーって、担当医が驚いてた」

医者の見解はこうだ。
事故で天蓬は脳挫傷と診断された。
疾患部分は神経を司る部分まで到達していて、手術をしても回復の見込みは殆ど皆無だと捲簾も宣告されている。
ところが。
奇跡的に天蓬が意識を取り戻して再度脳の検査をしたところ、疾患部分が回復していたらしい。
初めて見る症例だと医者も驚愕した。
脳と共に損傷していた頸椎部分までもがほぼ正常な状態にまで戻っていたので、半身麻痺の危険は回避されたと捲簾は呼び出された担当医に言われる。

きっと、あの月の力だ。

天蓬の魂が身体に戻った後、猫が付けていた首輪はボロボロになった。
悟空がくれた首輪。
月の力を閉じこめることが出来る石。
石は全ての力を解放した後、粉々に砕け散ってしまった。

月が、捲簾に全てを取り戻してくれた。

「たださ。やっぱ元通りに動けるようになるまでは、相当時間が掛かるって。まずは体力の回復が先で、その後根気よくリハビリを続けて。身体を動かす筋肉を付けるにはかなり厳しいらしいから」
筋肉が落ちるのは動かなければあっという間だが、元に戻すにはその何倍も時間が掛かる。
捲簾が溜息混じりに煙を吐き出すと、金蝉が口端を上げる。
「今更どうってことねーだろ。アイツが弱音吐くならド突いてその後慰めりゃいーだけだ」
「何だそりゃ…飴と鞭かよ」
「天蓬には一番効果的だろーが」
的を射る金蝉の見解に、捲簾はぽかんと呆けた。

でも確かにそうかも知れない。

「飴ねぇ…」
確実に天蓬がやる気を出して頑張りそうな奥の手が捲簾にはあった。
「まぁ、宥め賺してどうにかするけどな」
「そうしろ」
金蝉は小さく笑みを浮かべると、捲簾の肩を叩いてエレベータへと歩いていく。
「おい。もう帰んのかよ!」
「デレデレしたテメェらの面なんか見てたら胸焼けすんだよ」
厭そうに顔を顰めた金蝉が扉の向こうに消えた。
ボンヤリ見送ってしまった捲簾は、我に返って自分の頬を叩く。
「…デレデレしてたか?」
そんなに分かり易い程顔に出ていたのかと照れてしまった。

やっと取り戻した天蓬との時間。
少しぐらい嬉しくてニヤけてしまうのは大目に見て欲しい。

そろそろ天蓬が戻ってこない捲簾に苛立ってるかもしれない。
紅潮した頬を掌で覆って表情を引き締めると、捲簾は花束を花瓶へ移し替えるために給湯室へ歩いていった。




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