あなたへの月 |
「…偶然だ」 一通り話を聞いていた金蝉は、一刀両断に切り捨てる。 「だってよ〜!雑誌はたまたま俺がちっちゃく載ってたヤツ選ぶし、本だって俺が天蓬んちからパチッてきたヤツ…」 「偶然だっ!」 捲簾の声を遮って、金蝉が大声を張り上げた。 「…そんなムキになることねーじゃん」 「バカみてぇな話をするからだろーがっ!」 「バカでも何でもホントだしぃ〜?」 「じゃぁテメェが寝惚けてたんだろ」 「仕事から帰ってきて玄関で寝惚けるかよ」 やれやれ。と捲簾はわざとらしく肩を竦めてみせる。 その態度に金蝉は剣呑に双眸を眇めた。 「ま…夢だったら、俺もこんなこといちいち金蝉に言ったりしねーんだけど」 小さく溜息吐く捲簾に、金蝉が僅かに目を見開く。 確かに捲簾はそう言う冗談を言うタイプではない。 それにしたって、にわかに信じられるような話ではなかった。 「偶然だろ…猫が文字を読むなんて話、聞いたこともねー」 「じゃぁ、てんぽうが特殊なのかな?」 捲簾が煙を吐き出しながら苦笑いする。 「それに文字を読んでるとは限らねーだろ?写真を見て形や色に興味あったとか。猫が選んだ雑誌だって、そこにお前が写ってたからって言うなら、姿として認識しててもそれは不思議じゃねー」 金蝉は言葉を選んで自分の考えを話した。 目で認識する情報としては確かに雑誌の件は納得する。 しかし、それなら天蓬から貰った専門書を選んだ理由が分からない。 「あの棚に置いてあるのは、仕事で必要な資料ばっかりで専門的な本しか置いてない。その中で猫が選んだあの本は…本だけは天蓬から貰ったヤツで、アイツが気に入ってたんだ」 「…応用理学の本をか?」 「アイツの趣味なんて俺らが考え及ぶ訳ねーじゃん」 「それはそうだが…じゃぁ、何でお前はその本を天蓬から貰ってきたんだ?」 「貰ったってゆーか…正確には取り上げてきたんだけど」 「は?」 捲簾が言い辛そうに、言葉を濁した。 やけに視線が泳いでいる。 金蝉は胡乱な視線で捲簾を睨んだ。 じっと捲簾へ視線を向けていると、見る見る頬をが紅潮してくる。 「???」 捲簾の妙な反応に、金蝉も困惑した。 何だか嫌な予感がする。 何気なく話の流れで口をついて出ただけだったが、聞いたことを後悔し始めた。 「あのさ…アノ本、天蓬が漸く手に入れたとかで。何か応用力学であの著者が書いた本って、絶版でなかなか見つからなかったらしくてさ。古本屋を渡り歩いてすっげぇ苦労して探し出したらしいんだ。で、アイツ読み始めたらずっと熱中しちゃって、俺が話しかけてもろくに返事もしねーし。ついついブチ切れちゃって…」 「…何子供みてぇなコトしてんだよ」 金蝉は呆れ返って、額を押さえて溜息吐いた。 要するに。 本ばかり読んで構ってくれないから、捲簾が天蓬から本を取り上げたらしい。 捲簾によって隠された本を天蓬は読まないうちに、捲簾宅の本棚に収まった。と言うことだ。 「だからさ。あの本…うちに来ても天蓬のヤツしつこく読みたがって。その度に大喧嘩したんだよな。もしアイツが居たら、やっぱあの本読みたがってたろうなって…思ったから」 「…勘違いすんなよ」 突然金蝉が強い語気で捲簾の話を遮る。 真っ直ぐに見据えられ、捲簾は眉を顰めた。 「あの猫は天蓬じゃねぇ。似てるからって重ね過ぎんな。身代わりにもするな」 「俺…は…そんなつもり…」 捲簾は寂しさを埋める拠り所を、無意識にあの猫に求めていたのかも知れない。 無意識にしろ、意図的にしろ。 天蓬にしてやれないことを、猫の面倒見ることで自分を慰めていた。 二人の近くにいる金蝉だからこそ、捲簾の奥深くで澱んでいる哀しみが全て見えていた。 それは一種の逃避行動で、金蝉しか捲簾を諭すことはできない。 「天蓬は生きてるんだ。お前が間違えるな」 「こんぜ…ん…っ」 捲簾の瞳が大きく見開かれる。 「お前の天蓬は、今病院でうざってぇ器械に繋がれてさえ生きてるヤツだ。お前が猫を構おうが、仕事してようが、寝ようが、メシ食ってようが…それこそ何してようが、その間もちゃんと生きてる。例えお前の声に応えなくても、笑いかけなくても。そうじゃねーのか?」 あまりにも冷静に淡々と話す金蝉の声に、捲簾が強く拳を握った。 そんなことは、分かってる。 「言われなくたって…分かってるんだよっ!!」 絶叫しながら、捲簾が拳を壁に叩き付ける。 捲簾の反応は予期していたのか、金蝉は驚きもせずに黙って捲簾を見つめた。 「分かってるっ!分かってるけどっ…辛いし…痛ぇんだよぉ…っ」 金蝉は悲痛な慟哭を、何も言わず静かに聞いている。 「…だったら、最初っからそう言いやがれ」 「あ…ぁ?何言って…」 困惑で瞳を揺らす捲簾に、金蝉が溜息を零した。 「辛いんだったらそう言え。寂しくてやりきれねーなら、此処に来て悟空でも構って発散しろ。一人でウジウジ抱え込んでんじゃねーよ、鬱陶しい」 言い方はキツイが、金蝉なりに心配して居るんだろう。 その不器用な優しさが、少し痛かった。 「俺らにはお前の辛さや哀しみなんて想像も出来ねー。だけど、俺も悟空も…お前の何百分の一ぐらいは辛いんだ」 金蝉の言葉に捲簾は驚いた。 捲簾が漸く笑みを浮かべる。 「ひでぇなぁ、金蝉。たった百分の一かよ。天蓬が聞いてたらニッコリ笑顔で報復されるぞ?」 「ふん。グースカ寝てる暇があったら、それぐらいしてみやがれ」 憮然と吐き捨てる金蝉に、捲簾はとうとう噴き出した。 「あっはっはっはっ!明日天蓬の見舞いに行ったら、そう言ってやるよ」 「あぁ。ついでに猫と浮気でもしてやるって言ってやれ。アイツもおちおち寝てられなくて、そのうち目ぇ覚ますだろ」 「…だと、いいけどな」 捲簾の呟きに、金蝉はフンッとそっぽを向いた。 猫が本当に文字が読めるのかどうかはともかく。 捲簾は仕事の帰りに天蓬のマンションへ寄り、数冊の本を持ってきた。 どれも梱包を解かれていない物で、きっと事故前に注文をしてこれから読むつもりだったのだろう。 箱の中から適当に選ぶと、表面に被った埃を掌で払った。 天蓬のマンションへは余り寄らない。 扉を開ける事で、天蓬の生活していた空気が逃げてしまうような気がして。 それに此処での思い出は未だ鮮明すぎて、捲簾にはまだ辛かった。 本だけ取ると、すぐに部屋を出て鍵を掛ける。 階段を下りながら本のタイトルに目をやった。 「禁じられた性技?環境倫理学のすすめ?おまけフィギュアカタログぅ?あのバカ!また余計なモン増やそうとしてやがったな…つーか、どんな基準で買ってるんだよ、この本」 趣味もジャンルもバラバラな本に、今更ながら捲簾は溜息を零す。 天蓬のアンテナはあちこちに向いていて、気分次第で本を買っては増やしていた。 増やすだけ増やして読んでも片付けることをしない。 積み上げられた本が雪崩を起こすたびに、その都度捲簾が怒鳴りながら整理整頓をしていた。 「ま…掃除しなくていいのは助かるけどな」 捲簾は一人言ちると、猫の待つ自宅へと帰っていった。 鍵を開けて玄関に入ると、猫が座って出迎えた。 「にゃっ!」 嬉しそうに尻尾をパタパタと振っている。 「ただいま〜、てんぽう。今日は部屋の中散らかしてねーだろうな?」 「にゃぁ〜」 捲簾に睨まれると、猫はバツ悪そうに視線を逸らした。 散々怒られたので、さすがに反省はしたらしい。 ダイニングへ入っていく捲簾の後を猫も付いていった。 「…よし。今日は綺麗だな。そんじゃてんぽうにご褒美をやろう」 「にゃ?」 捲簾は鞄を置いてしゃがみ込むと、猫の前に持っていた本を並べて置いた。 「俺のじゃねーんだけどな。もしかしたらお前が気に入るかと思って」 本の表紙を見て、猫は突然尻尾の動きを止めた。 じっと視線は本の表紙に注がれたまま、少しも身動ぎしない。 捲簾が不思議そうに首を傾げると、猫が捲簾を見上げた。 「にゃにゃぁ〜っ!!」 猫は大声で鳴いたかと思うと、大喜びで尻尾を激しく振り回す。 前足を本に乗せると、ペタペタと表紙を叩いた。 それだけでは治まらず、今度は身体をゴロンと倒すと本に身体を擦り付け始める。 のたうち回って喜ぶ猫の様子に、捲簾は呆気に取られた。 …そんなに嬉しいのか?この本が?? 「てんぽう…?」 猫は本を全身で抱えて、ウットリと惚けている。 まるでまたたびでも嗅いでいるようだ。 スリスリと本に頬擦りして、悦に浸っているようにしか見えない。 「お前って…何でそんなに天蓬ソックリなんだ?」 「…にゃ?」 捲簾の呆然とした呟きに、猫が本を抱えたまま顔を上げた。 本好きまでは目を瞑ろう。 しかし持ってきたのは天蓬の本で、かなり趣味が偏っていた。 自分が読んだとしても、大した興味もなく数ページ読めば飽きるだろう。 そんな本を。 人間ではなく猫がこれほどまでに大喜びするなんて、普通では考えられなかった。 「ま…いいけどな」 捲簾が思い悩んだ所で、猫の性格が変わる訳じゃない。 これも縁だったのだろう。 たまたま捲簾が拾った猫が、奇天烈な恋人に似ているだけ。 そういうことにしておこう。 捲簾はガシガシと頭を掻きながら立ち上がった。 「にゃ?」 「本は後っ!ちゃんとメシ食ってからだ。じゃねーと本は没収だからな!」 「うにゃっ!」 猫が慌てて立ち上がり、捲簾の脚にガッチリしがみ付く。 本を取り上げられてはたまらない、というところだろうか。 「ちゃーんとメシ食えばいいんだよ。そしたら見てもいいから」 「にゃっ!」 猫は元気良く返事を返すと、エサを用意する捲簾の後に付いていった。 捲簾がパソコンでメールを読んでいる間に、側にいた猫が居なくなっていた。 今では昼寝用となった籐カゴを覗いてみたがカラッポだ。 パソコンの電源を切ると、捲簾は寝室へと向かう。 すると。 「…お前ねぇ。誰のベッドだと思ってんだよ」 寝室のダブルベッドの真ん中で、猫が仰向けで腹を出したまま寝ていた。 あまりにも無防備な姿を見て、怒る気にもなれない。 よくよく眺めてみると、もぞもぞと口が動いて何やら寝言のような鳴き声を出していた。 一体どんな夢を見ているのか。 捲簾は小さく微笑むと、猫の身体を抱き上げた。 「…にゃ?」 「あ、悪ぃ。ちょっと場所移すからな。ど真ん中で寝られたら俺が寝れねーだろ?」 「うにゃぁ…」 寝惚けた鳴き声を上げると、眠そうに瞼が閉じていく。 猫の身体を足許の方へ移して、捲簾も布団の中に潜り込んだ。 頭を枕に落とすと、ふいに昼間の金蝉の言葉が浮かんでくる。 ついでに猫と浮気でもしてやるって言ってやれ。 「浮気ねぇ…浮気どころかスッカリご無沙汰なんだけどな」 捲簾は横向きに身体を倒すと、切なそうに呟いた。 最後に天蓬と抱き合ったのは、事故の前日。 あれから3ヶ月。 捲簾は全くセックスをしていなかった。 天蓬がいた頃は、コソコソ内緒で摘み喰いもしていたのだが。 さすがにそんな気は起きなかった。 しかし、オトコとして生理的欲求は確かにある訳で。 以前は深く眠りにつくために自分で適当に処理していたが、猫を拾ってからはしていなかった。 猫とはいえ、何となく気が引けるというか。 なまじ天蓬に似ているだけに、見られたらと思うと羞恥の方が勝った。 今まではそれでも特に切羽詰まった状態でもなかったけど。 今日は違った。 やはり天蓬のマンションへ寄ってきたのが不味かったのか。 先程から下肢が熱を保って疼いていた。 気にしないようにしていたが、それが返って逆効果になったらしい。 このままでは治まりがつかないだろう。 こんなことになるなら風呂に入った時に抜いてくれば良かったと、捲簾は溜息交じりに悔やんだ。 そっと身体を起こして、足許にいる猫の様子を覗いた。 猫は丸くなって熟睡しているようだ。 規則正しく背中が上下に動いている。 「…仕方ねーか」 捲簾は枕に頬を埋めると、熱を孕んだ自身の雄へと指を絡めた。 |
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