あなたへの月 |
捲簾の視線の先で。 大きな猫耳がピクピクと動く。 「はあああぁぁー…」 捲簾は全身でめいいっぱい溜息吐くと、スタスタと寝室へ入っていった。 「あっ!捲簾ドコ行くんですかぁっ!?」 慌てて天蓬が後に付いていこうとすると、捲簾がすぐに寝室から戻ってくる。 バサッ。 「とりあえずコレ着ろよ。見てる方が寒い」 捲簾はプイッと視線を逸らした。 僅かに頬が赤い。 天蓬の前に、以前泊まる時に使っていたパジャマ一式が置かれた。 暖かくなってきたとは言え、夜半は少し冷える。 天蓬は言われたとおりパジャマの上を羽織った。 それだけ着ると床に座り込み、何とも言えない表情で捲簾を見上げてくる。 「何だよ?ちゃんと全部着ろよ」 「…着れないです」 「は?」 「尻尾があるから下が履けないんですっ!」 「あ…そっか」 捲簾は言われてから尻尾の存在を思い出した。 確かに長い尻尾はパジャマの中では収まりが悪そうだ。 「ん〜寒くなけりゃいいけど。お前今まで天然毛皮着てた訳だし?」 「天然毛皮って…」 憮然とした顔で唇を尖らせる天蓬に、捲簾は小さく噴き出した。 肩で笑いながら、ソファに掛けてあった綿のファブリックを天蓬へ投げ渡す。 「それでも掛けてろよ。少しはマシだろ」 「はぁ…」 捲簾に言われたとおり下肢に巻き付けてみた。 余った布地の裾から覗く尻尾が、嬉しそうにパタパタと床を叩く。 ………マズイ。 結構可愛いかも、しれねー。 捲簾は思わず掌で口を覆った。 これじゃコスプレマニアと変わらない。 いやいや、俺は動物好きなんだっ!と邪念を打ち払って、捲簾が思いっきり首を振った。 「捲簾…何してるんですか?」 突然真っ赤な顔で黙り込む捲簾を、天蓬は不思議そうに眺める。 捲簾は頭を抱えたまま、チラッと天蓬の頭を上目遣いに見つめた。 柔らかな毛の生えた三角の耳が、左右にピクピク動いている。 チクショーッ!卑怯だぞ天蓬っ!! 捲簾が床を転がってジタバタと悶えた。 実は”てんぽう”の猫耳は、捲簾の密かなお気に入りだった。 頭を撫でる時、いつも耳を指先で擽っていたほどだ。 一人で暴れる捲簾を観察していた天蓬は、腕を組んで思案する。 一体どうしたんでしょうか?突然可愛い顔してはしゃいだりして。 天蓬は捲簾の態度を思い出す。 何かやけに自分の頭を見ていたような。 漸くピンと来た天蓬が、口元を緩めて人の悪い笑みを浮かべた。 「捲簾はコレお気に入りなんですか〜?」 「あ?」 つい条件反射で天蓬の方を向いてしまった捲簾の前で。 天蓬は猫耳を左右に振ると、ペタリと伏せて見せた。 「ーーーーーっっ!!!」 捲簾は顔を真っ赤にすると、声も出せずに床をバンバンと叩く。 あまりの喜びように、天蓬も呆けてしまう。 「…捲簾がそんなに猫好きだとは知りませんでした。それならそうと言ってくれれば」 「言ったら?何なんだよ??」 嫌な予感がして、捲簾の視線が物騒に眇められた。 「プレイの一環で、猫耳疑似獣姦プレイでも…痛ぁっ!?」 問答無用で、捲簾の拳が天蓬の頭にメリ込む。 痛みで床を転がる天蓬を無視して立ち上がると、捲簾はキッチンへ向かった。 「捲簾…?」 漸く痛みが引いて天蓬が顔を上げると、目の前にカップが置かれる。 天蓬専用のマグカップからは、コーヒーの良い香りが漂ってきた。 捲簾も自分の分のカップを持って、天蓬の側に座り込む。 「…それで?」 「は?何でしょうか??」 「何でしょうか?じゃねーだろっ!何だっていきなりお前が猫になってんだよ!訳を言え、訳をっ!」 「あぁ…そのことですか」 天蓬は納得して頷くと、カップのコーヒーを一口啜った。 「実は…話せばと〜っても複雑なんですけど」 「な…何だよ?」 天蓬の真剣な表情に、捲簾は思わず息を飲む。 一体どんな複雑なことが遭ったんだろうか? 固唾を飲んで天蓬を見つめると、話してくれるのを待つ。 「実は…」 「実は?」 「僕にもぜぇ〜んぜん分からないんですぅ〜♪」 ガッッ!!! 「な…んで…っ…踵落としっ!?」 「誰が冗談を言えって?」 捲簾の踵が天蓬の頭上へ綺麗に落とされた。 地を這うような恐ろしく低い声音で、捲簾が吐き捨てる。 「だからっ!本当に分からないんです…僕だってどうしたらいいか…いきなり猫になってしまったんですよ?」 「だから…その経緯を話せって言ってんだろうが」 捲簾は深々と溜息を零した。 きっと天蓬には分からない。 天蓬が二度と目覚めないと宣告された時。 どれほど恐かったか。 まず捲簾を襲ったのは、哀しみよりも底の見えない昏い恐怖心だった。 天蓬を永遠に失うコトなんて、考えても居なかったから。 捲簾が辛そうに顔を顰めて黙り込むと、天蓬は寄り添って頭を肩へ預ける。 「僕…此処に来る途中で事故にあったでしょ?」 天蓬は穏やかな声で話し始めた。 「本当に一瞬の出来事で…気が付いたら身体に激痛が走って全く動けなかった。自分に何が起こったのか認識できたのは、目の前を流れていく多量の血を見てからです」 当時の悲惨な現場を想像して、捲簾は硬く目を瞑る。 捲簾も実際現場へ行ったが、道路に残る夥しい天蓬の血痕を見つけ痛みを感じたほどだ。 「周りの喧噪というか。悲鳴や絶叫がどこか遠くの方で聞こえてるようでした。指先から段々冷たくなって、意識も朦朧として。もしかして自分はこのまま死んでしまうのかって思った途端、不思議と意識がはっきりしてきたんですよ。このまま死にたくない、捲簾を置いて逝くなんて絶対イヤだって。すぐに救急車に運び込まれ、搬送されるのは覚えていたんです。でも…出血が酷かったから、次第に意識が遠くなってしまい…覚えてるのはそこまでなんです」 天蓬は捲簾の身体を抱き寄せる。 捲簾があやすように天蓬の頭を撫でてやると、フッと詰めていた息を吐き出した。 「次に目を覚ました時、僕は植え込みの中に倒れていました。しかもあれ程のケガをしたはずなのに身体のどこも痛くないんです。おかしいな、ってさすがに思いましたよ。髪を掻き上げようとして、自分の手が奇妙なことに気づいたんです。まるで猫みたいだって…我に返って全身触って確かめ愕然としました」 天蓬はやせ細った小さな猫に姿を変えていた。 「暫くは呆然とその場で踞っていました。頭も混乱してましたし、1日動くことが出来なかった」 それはそうだろう。 人間の自分が、ある日目覚めたら猫に変わっていたら。 自分だったら混乱するよりも先に、何も考えられなかっただろう。 「とにかく考えて考えて…まず思ったのは、自分は死んでしまったのかと。それで魂が抜けて、何らかの偶然でこの猫へ入ってしまったのかも知れない。状況から考えてそれしか…考えていく内に段々と冷静になりました。まず、自分が猫になって目覚めるまでどれぐらい時間が経っていたか分からないけど、おそらくもう自分の葬式は済んでいるだろう。もう自分が戻れる身体は無いだろうなって。捲簾にもきっと迷惑掛けてしまった…僕の鞄には免許証が入っていたし、携帯はアドレスの最初が貴方だったから、きっと真っ先に連絡が行ったはずでしょう?次には金蝉。アドレスなんて二人以外は行きつけのお店ぐらいしか登録してなかったので」 確かに。 警察から連絡が入ったのは、自分と金蝉だけ。 天蓬自身、既に身内らしい身内は鬼籍に入っている。 実際小学生の頃に両親を事故で亡くしていた天蓬は、祖父と暮らしていた。 その祖父も大学を卒業間近で亡くして以来、ずっと天涯孤独だ。 「天蓬、勘違いしてるぞ?お前はまだ死んじゃいない。植物状態だけど、搬送された病院で生きてる」 「え…そう…なんですか?」 告げられた事実に、天蓬は大きく目を見開いた。 しがみつく天蓬の指先が震える。 「うん。ちゃんと身体も暖かくて…本当にただ寝てるみたいなんだ。俺が呼べばすぐに目を覚ましそうなのに…もう…一生…このままだってっ!」 「捲簾…」 「そんなこといきなり言われたって信じらんねーよっ!身体も暖かくて、心臓もちゃんと動いてんのに…さ」 「何で自分の身体から離れてしまったんだろう…」 天蓬がポツリと小さく呟いた。 一番信じられない思いをしてるのは天蓬だろう。 捲簾は顔を上げて、天蓬の頬を優しく撫でた。 「…よくここまで戻って来れたな」 「まず、自分がどこにいるのか知るのが最初でした。どうやら僕が倒れていたのは、どこかの病院の中庭だったようです。もしかしたら搬送された病院だったのかも。とにかく捲簾に逢いたくて。それしか考えられなかった。病院の敷地から出て街並みを観察したら、来たことのない場所だった。町名を確認して、捲簾の所から大分離れてしまっているのが分かって。さすがに少し落ち込みましたけどね」 天蓬が小さく笑って肩を竦める。 「でも現在地が分かればどうにでも行くことが出来ますから。それからの僕は、捲簾ともう一度逢う為に必死でした」 天蓬の話を聞いていた捲簾は、ふと首を捻った。 捲簾が猫を拾ったのは、事故から3ヶ月も経っている。 あの病院からは確かに距離はあるけども、そこまで日数が掛かるとは思えなかった。 そんな疑問が顔に出ていたのか、天蓬が寄ってしまった眉間の皺を突っついてくる。 「僕は猫なんですよ?そんな大通りを堂々とは歩けません。もしかしたら捕まれば野良猫として保健所に連れて行かれる可能性もある訳だし。出来るだけ猫しか通れないような細い路地を辿りながら来たんですよ。そうすると結局大回りすることにもなりますから。それにお腹だって減ります。食べる物を探してるうちに別の猫の縄張りに入ってしまって、怪我もしたんですよ?」 「え?でもお前…」 確か自分が拾った時に、そんな酷い傷は無かったはず。 捲簾が驚いていると、天蓬がニッコリ頬笑んだ。 「世の中捨てたモンじゃないですね。たまたまそこに人が通りかかって、助けて貰いました。その人は猫が好きな方だったらしくて、ケガを負った僕を動物病院へ連れて行ってくれたんです。ケガが癒えるまで、その方の庭先にお邪魔してました」 「そっか…いい人に会えてよかったな」 「ええ。ケガがすっかり直った僕は、またここに来る為結構彷徨いました。今度は出来るだけ他の猫が通らない場所を慎重に選んで。街中は割と公園があって、ボランティアの方々からエサを貰えるんですけど。無用な諍いはしたくなかったので、極力食事の回数も減らして…ただ早く貴方に逢いたかった」 「天蓬…お前…っ」 「でもね?全然辛くはなかったんです。僕には捲簾に逢えることの方が大切だったから」 捲簾は天蓬の身体をギュッと抱き締めた。 そんな思いまでして、ひたすら自分に逢うことだけを念じて3ヶ月も。 困惑や歓喜でゴチャゴチャになって、捲簾は言葉が出ない。 「そうして過ごす内、漸く見覚えのある景色になった時は、本当に嬉しかった。これでやっと捲簾に逢えるって、慌てて走りました。だけど、気づいてしまったんです」 「え?何が…」 突然寂しそうに表情を曇らせる天蓬を、捲簾が驚いて見つめた。 その時の天蓬に、何が起こったんだろう。 「マンションの前まで辿り着いた時、僕は自分が猫になってしまったことを思い出したんです。そして、思い知らされた。この姿で貴方に逢えたところで気づいて貰えるはずがないって」 「あっ…それは…っ」 戸惑う捲簾に、天蓬は微笑みながら首を緩く振った。 「貴方が偶然に僕を見つけたとしても、『あ、猫が居る』ぐらいにしか思わないでしょう?僕は貴方の名前を呼ぶことも出来ないんだから。そう気が付いたら…絶望感で全身から力が抜けて、動けなくなりました。もう僕は貴方と一緒に居ることは出来ないんだ。そう悟ったら途端に目の前が真っ暗になって」 「天蓬…」 「まさかね?貴方が僕を拾ってくれるなんて、夢にも思わなかった。朦朧とした意識の中で貴方の顔が見えた時、どれだけ嬉しかったか…っ」 頬笑む天蓬の頬を、スッと涙が伝い落ちる。 「僕の身体はもう無いけど、このままの姿でも捲簾と一緒に居られるって…それだけで…」 天蓬も形は違うが、捲簾と同じ絶望を感じていた。 愛するヒトを永遠に失う哀しみ。 でも、天蓬も自分も間違わなかった。 見失いそうになった唯一無二の存在を、もう一度抱き締めることが出来る喜び。 「でも…どうして捲簾は僕を拾ってくれたんですか?」 天蓬が涙を拭うと、今まで思っていた疑問を捲簾に問い掛けた。 天蓬の記憶だと、捲簾は犬が好きだったはず。 昔実家で飼っていたと聞いたことがあるし、ましてや猫を飼うほど好きだとも聞いたことがなかった。 不思議そうに首を傾げる天蓬の猫耳を、捲簾が笑いながら擽る。 ピクピクと伺うように反応する耳が何ともおかしかった。 「偶然なんだけどさ。本当は金蝉に犬を飼えって言われてたんだ」 「金蝉に、ですか?」 旧知の友の名前が出て、天蓬は目を丸くする。 「ココさ…一人じゃ広すぎるだろう?金蝉が俺一人だと余計なことバッカ考えるんじゃないかって。幸いこのマンションはペット飼っても大丈夫だし。でも、俺断ったんだ」 「え?どうしてですか?捲簾は犬が大好きでしょう??」 「好きだけど。好きだけじゃ飼えないって。俺の仕事時間不規則だし、犬だとちゃんと規則正しく散歩にも連れて行かなくちゃならないし、躾だってしないと周りに迷惑掛けることになる。俺の都合だけで飼われたら、犬の方が可哀想だろ?」 「それは…そうでしょうけど」 「実は。金蝉には絶対猫はヤメロって言われたんだよな」 捲簾が双眸を細めて、楽しそうに口端を上げた。 天蓬には何で猫がダメなのか皆目見当が付かない。 「猫の気質がお前に似てるからだってさ。余計にお前のこと思い出すだろうって。でも…俺はそれでも良かった。一人じゃなきゃ何でも…それで、金蝉に誰か猫の貰い手を探してる人が居たら紹介してくれって頼んでた所に、お前がグッタリしてマンションの前で倒れてた訳」 「僕…倒れてて良かったです〜」 情けない声を出して、天蓬が脱力した。 偶然というか、執念というか。 二人の間には切り離すことの出来ない絆が確かにあるのかも知れない。 「じゃぁ、僕の名前を猫に付けたのは?」 「それは何となく…瞳の色がさ、お前と同じだったから。金蝉は自虐的だってイイ顔しなかったけどな」 「ああ見えてヒトがいいですからねぇ…」 「でも飼うんなら、お前のことさっさと去勢しろって言ってたけど?」 「…いい度胸です」 天蓬の尻尾が怒りを露わにベシベシと床を叩いた。 「ん?そういやぁ。お前が猫だったってことは…」 風呂場を覗き見するアノ不審な行動も、捲簾の自慰を嬉々として眺めてちょっかいまで出したアノ余計な行動も。 何から何まで全部、天蓬が確信犯でしでかしたことになる。 見る見る捲簾の顔が真っ赤に紅潮してきた。 プイッとそっぽを向く捲簾の背中を天蓬が眺める。 捲簾ってばいきなり真っ赤になって、何を思い出したんでしょう…って、あっ! 天蓬は思いっきり頬を弛めると、ニンマリと頬笑んだ。 「うわわっ!天蓬っ!?」 突然ギュッと背後から抱き締められ捲簾が慌てふためく。 腕の中から抜け出そうと藻掻いてみるが、更にキツく抱き締められてしまう。 「けーんれんvvv」 「んっ…」 耳元で囁かれ、ゾクゾクと肌が粟立った。 覚えのある感覚が背筋を駆け抜ける。 興奮した血が下肢で疼きだした。 「僕ね?何が一番不甲斐なかったって言うと、貴方が寂しくて自分の手で身体の熱を慰めているのに、触れることも出来なかったことなんです…こうして」 「う…あぁ…っ」 天蓬の掌がシャツの間から入りこみ、引き締まった胸元から腹部を撫で回す。 「…触れたくて堪らなかった」 勃ち上がり掛けた胸の突起を捻るように潰され、捲簾の背中が綺麗に反り返った。 散々今まで熱を持て余していた身体は、呆気ないほど天蓬の手に堕ちてしまう。 「も…い…からっ…早っ」 濡れた呼吸を乱して、捲簾が天蓬腕を掴んだ。 一度発情した身体は、快感を求めて暴走する。 何よりも。 あれ程望んで焦がれていた天蓬の愛撫を、身体は素直に悦んだ。 天蓬が耳朶に舌を這わせながら、クスクスと笑いを漏らす。 「…舌はザラザラしてねーのな」 「今は猫じゃありませんから」 「耳と尻尾以外はな」 捲簾は背中を天蓬へ預けて、自分からパジャマのズボンを下ろした。 天蓬の手を掴んで下肢へと導き、下着の中に潜り込ませる。 「は…あっ」 性器を強く握り込まれ、捲簾が気持ち悦さそうに息を吐いた。 欲情することに躊躇しない淫猥な表情に、天蓬の下肢も熱く脈動する。 「捲簾…このままココで?」 囁く声音も、甘く掠れた。 捲簾が快感に蕩けた瞳で、ぼんやりと天蓬を見つめる。 「ん…背中…痛くなっから…ベッド。それに…ちゃんと抱き合いてぇし…っ」 「そうですねっ!」 天蓬は捲簾を抱えて勢い良く立ち上がると、大慌てで寝室へと走り出した。 |
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