あなたへの月(猫てんの受難)



捲簾は運命の導き(?)によって、自宅近くで行き倒れていた猫を拾って飼い始めた。
その猫に『てんぽう』と名付け、きちんと面倒を看て可愛がることにする。
病院で今は眠る恋人である天蓬の名前を猫へ付けたのは不可抗力だ。
寂しさを紛らわせる為に猫へ天蓬の名前を付けた訳じゃない。

似すぎてるのだ。

猫にしては奇妙すぎる行動。
捲簾に対して過剰に甘えるのは、死にかけていた所をようやっと拾われたからだろうと思っていた。
しかし。
捲簾のベッドで我が物顔で寝たり、やたら服の中へ潜り込んで腹に頬擦りしたり、コッソリ風呂を覗いたり、洗濯カゴへ顔を突っ込み恍惚とした表情でのたうち回るのは、いくら捲簾が猫を飼うのが初めてだからとはいえ可笑しいと思うだろう。
それとも付けた名前が悪かったのか。
今は大人しく病院で昏睡状態の恋人と、それはもう捲簾に対する執着心も行動も何から何までソックリだった。

それもそのはず。

捲簾が瀕死の状態で拾った猫は、実は天蓬そのものだった。
どういう経緯か当の天蓬も分からないらしいが、大事故に遭遇して病院へ搬送される途中に身体から魂だけが抜け出し、たまたまその場に居合わせた猫の身体へスルリと入ってしまったらしい。

それが分かったのは皆既月食の日。

突然倒れ込んだ小さな猫の身体が眩い光を放って人間の姿へと変貌を遂げる。
しかもそれは捲簾が愛している恋人の姿だった。

が。

もう一度自分を呼ぶ声を聞きたくて。
触れたくて抱き締めて欲しくて堪らなかった天蓬には、何故か大きな猫耳と長くてしなやかな尻尾が生えていた。
それから恋人であり可愛い愛猫との奇妙な生活が始まる。






世間の愛猫家に洩れず、捲簾も飼い猫のてんぽうをそれはもう文字通り猫可愛がりしていた。
猫を飼い始めてからは、今まで縁の無かったペットショップへも頻繁に通うようになる。
初めは単純に日々のエサを買う為に。
それが通ってみるとなかなか新鮮な発見があった。
とにかく目移りする程ペット用品には色んなモノがある。
猫用のペットフードは年齢別や食材に拘ったモノ、はたまた毛玉を排出する為のモノまで色々取り揃っていた。
それだけではなく、猫用のおやつから一緒に遊ぶ玩具、はたまた猫用シャンプーまで。
人間と変わらない程ありとあらゆるモノが売っているのに捲簾は驚いた。
今では仕事場の近くのペットショップへ毎日のように顔を出している。
お買い物スタンプカードも当然VIP会員だ。
今日も仕事帰りにてんぽうのおやつを買って帰ろうと考えていると、出先から事務所へ戻る途中に、見慣れない店が目に入った。

真っ白な外観に、猫の顔を象った可愛らしい木の看板。

どうやら新しく出来たペットショップらしい。
「へぇ〜こんな所に出来たんだぁ」
ペットショップの横には都合良く駐車場も完備されていた。
捲簾は時間を確認して、その駐車場へと車を止める。
今日はもう事務所へ戻って残務があるだけ。
少しぐらい時間を取っても大丈夫だろう。
「どんな感じかな〜」
ウキウキと財布を手に取って、捲簾は真新しいペットショップへと向かった。
ペットショップに入ろうとした捲簾の足取りが思わず止まる。
外壁を囲んでいる木製の柵に、犬が一匹繋がれていた。
尻尾がクリンと巻いた、やんちゃそうな柴犬。
近くにやってきた捲簾をご機嫌に見上げてきた。
その犬に捲簾は物凄く見覚えがある。

「…もしかして、ポチ?」
「わぅん!」

犬は元気良く鳴くと、嬉しそうに尻尾を振りたくる。
ポチは悟空が飼っている愛犬だ。
捲簾と天蓬の友人である金蝉は獣医で、捲簾の事務所近くで動物病院を開業している。
その金蝉が引き取って養育しているのが悟空だ。
普段仕事で忙しい金蝉は、小学校から帰ってくる悟空をあまり構ってやれないのを言葉にこそ出さないが結構気にしていた。
そんな時、悟空が一人でも寂しくないよう買い与えたのが柴犬のポチだった。
動物好きの悟空はポチを物凄く可愛がり、きちんと自分で散歩させたりご飯を与えたり甲斐甲斐しく面倒看ている。

そんな悟空の愛犬であるポチが何でこんな場所に繋がれているのか。

「あー…そんなに金蝉の所からは遠くねーか」
きっといつもの散歩がてらに通りかかって、捲簾と同様この店を見つけたのだろう。
捲簾はポチの頭をグリグリと撫でてから、店の中へと入った。
店内はまるで可愛い雑貨屋のような雰囲気だ。
色々なペットグッズがお洒落にディスプレイされている。
「ふーん…イイ感じじゃん」
ついつい職業柄、店舗を見渡しデザインをチェックしていた捲簾は、店の奥で首輪を手に取り楽しそうに眺めている子供を見つけた。

「おーい、悟空」
「あれ?ケン兄ちゃんっ!」

いつも構って遊んでくれる捲簾を見つけ、悟空が嬉しそうに走ってくる。
そのままの勢いで抱きついてくる小柄な身体を、捲簾は高く抱き上げた。
「外にポチがいたから悟空が居るなーって思ったんだよ」
「ケン兄ちゃんは?お仕事じゃねーの?」
「んー?仕事中なんだけど、な。後は事務所戻るだけだから。戻る途中でココ見つけて来てみたんだよ」
「俺もこの前ポチの散歩してたら見つけたんだっ!すっげ可愛い首輪あったから、今日は金蝉にお小遣い貰って買いに来たの」
「そっかそっか〜」
悟空の身体を下ろしながら、捲簾も興味津々に棚を覗く。
ペットショップにありがちなアイテムとも少し違うようだ。
どれもデザインを重視した首輪や自然素材を使った玩具など、この店のオーナーには拘りがあるらしい。
ペットフードも金蝉の病院で扱っているような、年齢や体調を考えたモノが豊富に取り揃えてある。
それだけではなく、ペット用のおやつも手作りのクッキーやパウンドケーキまで売っていた。
「へー…こんなおやつも売ってるのか」
こういうモノなら捲簾でも作れそうだ。
そのうちレシピを調べて、てんぽうにも作ってやろうと捲簾は微笑む。
人間の時もそうだが、猫になっても天蓬は甘いお菓子が大好きだ。
何となく人間と同じモノを与えるのはどうかな?と思っていたが、こうして売っているぐらいならちゃんと猫用に材料や甘味を気遣えば大丈夫だろう。
今度の休みの時にでもチャレンジしてみるかと捲簾が考えていると、服の裾をクイクイ引かれた。
「ケン兄ちゃんは?何かてんぽうに買ってくの?」
悟空は瞳を輝かせて捲簾を見上げてくる。
「そうだなー…折角来たんだし、何か買ってくか!」
悟空を伴って店内を見渡すと、猫用の玩具も大小様々置いてあった。
捲簾はそっとウサギの毛で出来た猫じゃらしを手に取る。

ムキになって猫じゃらしにパンチを繰り出す天蓬。

捲簾は想像して頭をプルプル振った。
猫のてんぽうだったら無邪気で可愛いなぁ、で済む。
しかし、あの中身が天蓬だと知っている今では、こんな玩具で遊ぶ天蓬というのも何だか複雑な心境だ。
実際てんぽうが天蓬だと分かる以前は、日中構ってやれない分帰宅してから随分こんな玩具で遊んでやっていたのだが。

天蓬…楽しかったのか。

それはそれで何だか頭痛がしてくる。
猫じゃらし片手に深々と溜息を零していると、悟空に腕を引かれた。
「ケン兄ちゃん!あっち!すっげ可愛くね?」
「んー?」
引かれるままに付いていけば、その売り場は。

「…ちょっといいかも?」

ペット用の洋服売り場だった。






「ケン兄ちゃんいっぱい買ったね〜」
「…ついつい珍しくてさ」
悟空と二人会計を済ませ、店の出口へ向かうと。
「うわっ!雨降ってる!?」
「あー…こりゃ本降りだな」
扉の外へ視線を向ければ、いつの間にか雨が降っていた。
夕立のような通り雨では無さそうだ。
「悟空、家まで送ってやっからポチと一緒に乗ってけよ」
「え?でも…いーの?」
「あぁ。それこそ悟空が濡れて風邪でも引いたら金蝉に文句言われるって」
外へ出ると、捲簾は屋根のある店先に悟空を待たせて、駐車場まで一気に走る。
運転席へ駆け込んで濡れた髪を適当に掻き上げると、低く暗い雲の流れを見上げた。

今日は天蓬戻れねぇな…。

仕方なさそうに肩を竦めた捲簾は、エンジンを掛けると悟空の待つ店先へと車で向かう。
「でも、ま。丁度良いかも?」
今日はちょっとお楽しみがあった。
それも猫のてんぽうじゃなければ意味がない。
待っていた悟空の前へ車を着けると、助手席のロックを外した。
「ケン兄ちゃん、荷物前に置いて俺とポチ後でいい?」
「おう!適当に荷物置いといていーぞー」
「ケン兄ちゃん…何か楽しそうだね?」
「え?そ…そっか?」
「うん。だってニコニコしてるよ?」
帰ってからのことを考えてたら、勝手に口元が弛んでいたらしい。
捲簾は悟空と犬を後部座席へ乗せると、とりあえず金蝉の動物病院へ車を走らせた。






「よ…っと!」
車から大きな袋を二つ取り出して、捲簾はエレベーターに乗って自宅のある階へ向かった。
いつもより少し帰宅が遅れたから、きっと猫はお腹を空かして待ってるだろう。
早足で扉の前に着くと、急いで鍵を開けた。

シャンシャンシャンシャン☆

扉を少し開けた瞬間、家の中からやかましい鈴の音が聞こえてくる。
「…またか」
捲簾が溜息混じりに扉を開けると、玄関先では。

「うにゃっ!」

両前足に鈴リングを着けた猫が激しく踊っていた。

シャンシャンシャンシャン☆
シャンシャーン☆

前足を振り回して飛んで跳ねてクルリと回って。
鈴の音を響かせながらヒョコヒョコご機嫌に踊っている。
「………。」
最近見慣れた光景だが、捲簾は二の句が継げずに黙り込んだ。

先週、ペットショップで買ってきた猫用の鈴付き玩具があった。
鈴の音色で猫の気を惹く単純なモノ。
その鈴の音を猫はいたく気に入った。
自分でも振り回して鳴らしたい。
しかし、猫の前足では鈴の付いている玩具を掴んで振ることは出来なかった。
前足でチョイチョイ突っついて項垂れる猫を眺めて、捲簾は仕方なさそうに苦笑いする。
猫が自分でも鈴を振って遊べるよう、玩具を分解して鈴だけを外した。
その鈴をゴムに通して輪っかを作り、猫の前足へ潜らせることが出来るように改造してやる。
ゴムの輪っかを少し大きめにしたので、猫でも無理せず自分で前足を通すことが出来た。

「うにゃぁ〜♪」
「そっかそっか、気に入ったか」

猫はいたくご満悦で、早速前足へ輪っかを通すと鈴を鳴らし出す。

シャン…
シャンシャン…
シャンシャンシャンシャン☆

「にゃにゃっ!」
「………。」
鈴のリズムに合わせて、猫がご機嫌にバタバタ走ったり飛び跳ねたり。
終いには立ち上がって腰まで振っていた。
猫だと思えば『器用だなー』とか『無邪気だなー』と微笑ましい限りだが。
踊っているのは天蓬の魂を持った猫。
天蓬が鈴を振って一人踊りまくってるのかと思うと、捲簾の心情は複雑だった。
確かに案外無邪気でバカだとは思ってたけど、ここまでとは。
バカらしくて突っ込む気力も萎え、捲簾は楽しそうに踊る猫を呆然と眺めていた。

それが最近ずっと日課のように続いている。

シャンシャン☆

「にゃっ!」

シャンシャンシャン☆

「にゃ〜ぁっ!」

シャンシャンシャンシャン☆

「にゃにゃんっ!」

シャーン☆

「うにゃっ!」

前足一杯振り切って猫がシメのポーズを決めた。
捲簾はただ呆れ返るのみ。
「………。」
「にゃふ〜」
満足しきった顔で、猫はその場に座る。
嬉しそうに捲簾を見上げ、パタパタ尻尾を振った。
「にゃっ♪」
「…熱烈なお出迎えご苦労さん」
ガックリとその場へ脱力する捲簾に、猫は不思議そうに首を傾ける。
雨の日だけでよかった。
毎回コレじゃ疲れる。
つくづくと溜息を零し、捲簾は荷物を持ち上げ部屋へ入った。
その後を猫もポテポテ付いていく。
「てんぽう腹減ってるだろ?」
「にゃっ!」
「まぁ…あれだけ運動すればな。今用意するから待ってろよ」
捲簾が持ち帰った袋の中から、新しいキャットフードを取りだした。
てんぽうの好きなまぐろ味で栄養バランスの整えられたものだ。
「にゃ〜う?」
猫は捲簾の脚にしがみついて、新しいエサの袋を興味津々で見上げる。
袋を開封すれば、食欲を刺激するまぐろの匂いが漂ってきた。
待ちきれずにフニフニ鼻をヒクつかせていると、目の前に生タイプのエサが置かれる。
「にゃ?」
「今日はカリカリじゃねーの。新しいの見つけてさ〜。和風シチューってヤツらしいな」
「にゃぁ〜♪」
猫は初めてのエサに瞳を輝かせ、ハグハグと食べ始めた。
具はまぐろだが、肉じゃがのような味で結構美味しい。
夢中になって食べ始めた猫は、捲簾がそっと側を離れたのに気付かなかった。



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