V.D. battlefield |
昼の長閑な悟浄宅。 その1室の窓からモクモクと白い煙が漏れ出していた。 はっきり言ってその量は異常なほど。 幸いなことにご近所に民家はなく、火事と間違われることはなかったが。 その煙の吹き出している部屋、台所は一種異様な雰囲気に包まれていた。 というより部屋の中に真っ白い煙が立ちこめ、何も見えない状態だった。 「ちょーっと、量を間違えてしまいましたかねぇ…ははは」 雰囲気に似つかわしくない暢気な声がする。 「ま、大丈夫でしょう。材料を間違えた訳ではないですから」 八戒は気にすることなく部屋に充満した煙を追い出すべく、窓を開け放ってパタパタと団扇で煙を追い出した。 煙の中から現れた八戒の姿は、ゴーグルに防塵マスクという出で立ちだ。 はっきりいって台所に立つ姿ではない。 「後は冷ましてと…楽しみですねぇ」 にこやかに笑う八戒の後ろ姿からは、どす黒いオーラが立ち上っていた。 「なーなー、八戒、ばれんたいんでーって何?」 八戒特製の大きなシュークリームを頬張りながら、悟空が尋ねた。 目の前にはシュークリームが20個山積みにされていたが、既に半分が悟空の胃袋に収まっている。 「バレンタインデー、ですか?」 悟空のカップにお茶を足しながら、八戒は目を丸くした。 「うん、何か街のアッチコッチでチラシが貼ってあって、女の子がいっぱい集まってるんだよなぁ…そんでね!すっごく甘くって旨そうな匂いがするのっ!」 幸せそうな表情で話す悟空は、今にも涎を垂らしそうな勢いだ。 悟空の意識は旨そうな匂いに重点が置かれてるらしい。 「あー、もうそんな時期なんですねぇ…」 八戒はお茶を啜りながら、壁に貼ったカレンダーを眺める。 「それって何かの日なの?」 口にシュークリームを頬張りながら悟空は首を傾げた。 「ええ、お休みという訳ではないんですが、まぁちょっとした行事みたいなもんですね」 八戒はニッコリ笑って答える。 時計をちらっと横目で確認すると、立ち上がって台所に向かい、もう1組カップを持ってきた。 それと同時に何やら違う部屋からドタバタと騒がしい音が近づいてくる。 「うっわ〜、何だよ朝っぱらからこの甘ったるい匂いは…お?チビ猿来てたのか」 中途半端に伸びた髪を一括りに纏め、いかにも寝起きの顔で悟浄が入ってきた。 「チビ猿ってゆーなっ!」 シュークリームを握りしめながら悟空が喚く。 「んじゃ、バカ猿」 「んだとぉーっ!この万年発情エロガッパ!!」 このまま放置すると不毛なケンカに発展すると見込んで八戒が間に入る。 「まーまー。悟空、そんなに握りしめたらクリームが出ちゃいますよ?それに悟浄、1時は朝っぱらなんかじゃありません」 悟浄の分のお茶を注ぎながらそれぞれに微笑む。 その微笑みに言い知れぬ恐怖を覚え、2人ともピタッと口を噤んだ。 空いている席に悟浄が腰掛けると、そつなく八戒がカップを差し出す。 悟浄はタバコを銜え火を点けると、窓に向かって煙を吐き出した。 「んで、和やかに何話してたんだよ?」 カップに口を付けながら八戒に尋ねる。 「バレンタインデーの話をしていたんです」 「あー、そんな時期だっけか?」 ふんふんと頷きながら悟浄がカレンダーに目をやった。 「だからぁ〜、ばれんたいんってなんだよぉーっ!」 悟空がテーブルから身を乗り出して悟浄に詰め寄る。 「あ?お子様は知らなくってもいーんだよ」 人の悪い笑みを浮かべて悟空の額をピシッと指で弾いた。 「何だよっ!俺ガキなんかじゃねーもんっ!!」 悟空が顔を真っ赤にして悟浄に殴りかかる。 その手を悟浄もガッチリと掴んで防御した。 「毛も生えそろってねーヤツは十分ガキだっつーの、ばぁか!」 「…け?」 悟浄の言っている意味が分からず悟空は首を傾げる。 「…悟浄、今は何時ですか?」 八戒はニッコリとブリザード付きの極上笑顔を悟浄に向けた。 「はい、すみませんでした」 あまりの恐ろしさに速攻白旗を揚げる。 「え〜っとぉ、バレンタインの話でしたっけ?八戒さん」 凍り付いた空気を誤魔化すように悟浄はわざとらしく話を戻した。 「ええ、悟空は今までバレンタインデーで何かしたことはないんですか?」 悟空はカップを持ったままきょとんと目を丸くする。 「え?ばれんたいんって何かする日なの?」 訳が分からず二人を交互に見やった。 「おいおい…何年一緒にいるんだっつーの、あの鬼畜生臭坊主さんはよぉ〜」 「本当に今まで何してたんでしょうかねぇ…あれだけ独占欲剥き出しで牽制しているっていうのに」 二人とも顔を見合わせ、呆れかえりながら同時に大きな溜息をつく。 「???」 悟空一人がすっかりカヤの外だ。 「なんだよぉ!二人とも何で教えてくれないんだよっ!!」 すっかりふてくされて悟空は癇癪を起こし始める。 「ま、こーゆーことは当事者に訊いた方がいいんでないの?」 悟浄はニヤニヤしながら悟空に目を向けた。 「とうじしゃ?」 「三蔵のことだよ。お前にとっては三蔵に関わることなんだからあいつに訊けばいいんだよ」 短くなったフィルターを灰皿に押しつけ、悟浄は素知らぬ顔でお茶を飲む。 「ふぅん、そーなんだ」 それでスッキリしたのか悟空は手に持ったシュークリームを頬張る。 「だけど…三蔵が素直に説明しますかねぇ」 カップを両手に持ち八戒が苦笑した。 バレンタインの存在さえ教えていなかった三蔵が今更素直に教えるだろうか? 「ま、そん時は八戒が教えてやれば?どーせコイツが泣きついてくるんだろうし」 ほぼ100%そうなりそうな予感はする。 八戒の方も心得ているようで、 「そうですねぇ、どのみち手伝うことになるでしょうから」 悟浄に向かってニッコリと慈愛の笑みを向けた。 一瞬ゾクッと悟浄の背筋に冷たいモノが走る。 「…手伝うってナニを?」 それとなく牽制しながら八戒に訊き返す。 「チョコ作りですよ。ナイショにしないとつまらないじゃないですか。悟空がチョコを買うとなると必然的に三蔵からお金を貰うことになるでしょ?そうすると三蔵が使い道を訊かない訳ありませんしね。となると、僕が材料用意して作るのを手伝うことになるじゃないですか…悟浄、何を考えてたんですか?」 微笑みながら八戒は悟浄の痛いトコをついてくる。 「あ…あはははは…なぁ〜んだろ〜なぁ〜」 とりあえず悟浄は自分に火の粉が降りかかる前に、笑って誤魔化しつつ防御をはった。 「全く…いくら僕でも悟空に薬を盛ってリボンをつけて、三蔵に渡したりなんてしませんよ〜?」 八戒はにこやかに恐ろしいことを口にする。 「あ、そう…俺はてっきり手伝わされるんじゃないかと…っ」 悟浄はつい言わなくても良いことを言ってしまった。 いやーな汗が全身から噴き出してくる。 恐る恐る八戒の方を伺ってみた。 「…そんなことしませんけど?」 くすくすと笑いながらも、そう言う八戒の目は笑ってない。 「ホントかよ?」 悟浄は疑いの目で八戒を探るように見つめた。 「おや?悟浄はそーなったほうがいいと?」 切り替えされて悟浄は慌てて首を振る。 「それに……」 八戒は突然言葉を濁して視線をさりげなく悟浄から外した。 わざとらしい八戒の態度に、嫌な予感がどんどんと膨張してくる。 「…んだよ、言いかけて途中でやめんなよ」 キッと強気で八戒を睨み付けた。 「いえ、大したことじゃないんで…」 『どうせ悟浄は動けませんからね』 内心でニンマリと悪魔の微笑みを浮かべる。 「なー、はっかい〜!おかわりないの!?」 はっと我に返り、すっかり存在を忘れていた悟空に2人して視線を向けた。 あれほど積んであったシュークリームはすっかり悟空の胃袋に収められている。 「こんの、万年欠食ザルッ!!てめぇどんだけ食やぁー気が済むんだよっ!!」 悟浄がべしっと悟空の頭を叩く。 「いってーなぁ、この赤エロガッパ!俺は八戒に言ってるんだもーんっ!!」 「んだとぉ!てめぇ〜っっ!!」 「やんのかよっ!!」 またもや一触即発、ガシッと互いの襟元を掴んだところで、 「はぁ〜い、そこまでにしてくださいね〜。今日のカップは僕のお気に入りなんですよー?割ったりしたら殺しちゃいますからね〜」 身の竦むようなことをさらりと八戒は口にした。 悟浄と悟空は互いに視線を合わせると、ギクシャクしながら手を外す。 「さてと…悟空、もうシュークリームはないんですよ。ホットケーキでいいですか?」 八戒がエプロンを掛けながら悟空を振り返る。 「うんっ!シロップいっぱいな!!」 さっきまでのことなど忘れたかの様に、大喜びで八戒に強請った。 「悟浄はどうしますか?お腹減ってるようでしたら、サンドイッチでも作りましょうか」 「…そうして下さい」 脱力してテーブルに突っ伏しながら、掌をひらひらと振る。 「それじゃ、少し待ってて下さいね」 悟浄の様子に苦笑しながら八戒はキッチンへと入っていった。 |