V.D. battlefield

机の上に山積みされていた書類も全て片づけ、三蔵はかけていた眼鏡を外した。
見計らっていたかのようなタイミングで扉をノックする音がする。
「三蔵様、書類を取りに伺いました」
入ってきた僧が恭しく頭を下げると、決済された書類を束ねて静かに部屋を辞した。
「…ふん」
三蔵はつまらなそうに懐から煙草を出して銜えると、ボンヤリと窓の方を見やる。
「大分日が暮れたな…」
窓から差し込む日差しは、濃いオレンジ色に変化して室内を染め始めた。
小さく溜息をつくと、三蔵は煙草に火を点けて煙を肺に吸い込む。
室内の空気を入れ換えようと窓に近づくと、反対の廊下側からバタバタと騒がしい音が近づいてきた。
ピキッと額に青筋を浮かべると、三蔵はおもむろに懐へと手を差し込む。
「さぁ〜んぞっ!!」
バンッと扉を突き破る勢いで悟空が飛び込んできた。

バシイィィィーンッ!!

「いってぇーっっ!?」
三蔵の渾身のハリセンが悟空の脳天をクリーンヒットする。
あまりの衝撃に悟空は頭を抱え込んでその場でうずくまった。
「てっめーは、何度言えば分かるんだ、このバカ猿!扉は静かに開けろっつてんだろっ!!」
三蔵は怒りのオーラを背中に背負い、ハリセンを持ったまま仁王立ちしている。
「そんなことより、さんぞっ!」
「あぁ?んなことだとぉ〜!?」
さらにきっつーいハリセンをくれてやろうと三蔵が腕を振り上げた。
「ばれんたいんって何?」
「……。」
腕を振り上げたままの体勢で三蔵が固まる。
「ねーねー、ばれんたいんってなにっ?それっておいしい日なんでしょっ!?」
硬直したままの三蔵の袖をぐいぐい引っ張り、悟空がしつこくまとわりついた。
「…誰に訊いたんだ?」
ギクシャクと腕を下ろして三蔵が問いただす。
「えー?違うよぉ、だって街がばれんたいんでおいしい匂いで、女の子がいっぱいなんだっ!」
悟空が腕をパタパタと振り、一生懸命に説明をする。
「…訳が分からん」
色んなコトをいっぺんに説明しようとして、悟空の頭はかなり混線しているようだ。
ま、何を言わんとしているか大体分かるのだが。
「だからっ!ばれんたいんって何?」
悟空は首を傾げて三蔵を見上げる。
「…うちには関係ねーことだ」
「うそだぁ〜!だって悟浄がとーじしゃの三蔵に訊けってゆったもんっ!!」
悟空は掌をグーにして力一杯主張する。
「あんのクソガッパ、余計なことを…」
三蔵は忌々しげに舌打ちをする。
頭の中で悟浄の姿を思い浮かべ、20発ぐらい銃弾を撃ち込んだ。
「ねぇねぇ、さんぞ?」
三蔵の答えに目をキラキラと輝かせ期待する。
「とにかく、仏教には関係ねーことだ」
悟空から目を逸らし、そっけなく三蔵は答えた。
心なしか煙草の煙を吸い込む勢いが増している様な…。
背中を向けた三蔵を悟空はじっと見つめ、とてとてと前に回り込んだ。
「ね、さんぞ…それって俺が『け』がはえてねーガキだから関係ないの?」
悟空の言葉に三蔵は思いっきり咽せ返る。
「げほっ…てめぇ誰にんなこと言われた?」
分かってはいたがとりあえず確認した。
「え?ごじょだけど??」
ハデに咽せ続ける三蔵の背中をさすりながら、悟空は邪気もなく正直に答える。
「…今度あったら穴だらけにしてやる」
咳混みながらも三蔵は毒づいた。
「とにかく、あれは女が騒ぐ行事だからな。お前のことがどーとかって事とは全然関係ねーよ」
三蔵は乱れた呼吸を整えようと椅子に腰掛け、机に置いてあった茶を一気飲みする。
「ふーん…でも、ばれんたいんって何するの?なんで旨そうな匂いがすんの??」
よいしょっとかけ声をあげて悟空が三蔵の膝によじ登った。
「…誰が乗ってこいって言った」
小さく溜息をつくと眉間に指を当てる。
「ねー、三蔵?」
「…そう言うことは八戒に訊いてこい」
面倒なことは八戒に押しつけようと三蔵は試みる。
「えー、だって八戒も三蔵に訊けって言ったから〜、やっぱりさっき訊いとけばよかったな」
悟空は頬を膨らまし、拗ねながら三蔵に抱きついた。
「…どいつもこいつも」
ここには居ない2人の顔を思い浮かべ、三蔵は不機嫌そうに溜息をついた。
三蔵はひょいと悟空をかかえて床に下ろす。
「おら、夕飯食いに戻るぞ」
三蔵の言葉に悟空はパーッと満面の笑みを浮かべた。
「やったっ!」
ウキウキと小躍りしながら三蔵より先に部屋を出る。
『…ま、この調子で忘れるだろ』
やれやれと呆れながら三蔵も悟空の後に続いた。

しかし、『ばれんたいん=旨そう』と脳みそにインプットされた悟空は三蔵の思惑を裏切り、しっかりと覚えていた。



「そうでしたか、教えてくれなかったんですね」
予想通りの展開に八戒は苦笑した。
「うん…そーゆーことは八戒に訊けって」
おやつの八戒特製バケツサイズプリンを食べながらも、悟空は心持ち悄気ていた。
「悟空、バレンタインというのは一番好きな…大切な人に自分の気持ちを伝える日なんですよ。その時にチョコレートを添えるのが通例なんです」
微笑みながら八戒が悟空に教える。
「一番…大切なひと?」
悟空は食べるのをやめ、八戒を見上げた。
「ええ、一番大切な人に自分がどれだけ好きかを伝える…そういう日なんです」
「…大切な、好きな…人…」
スプーンを握りながら悟空はひとり呟く。
今、悟空の頭の中に浮かんで居るであろう不機嫌な表情を思い出し、八戒はわずかに微笑む。
「えーっと…そんじゃ俺は三蔵にチョコあげるのか?」
悟空は真剣な顔で八戒に訊ねた。
「そうですねぇ…悟空が一番大好きなら」
八戒はニッコリと答える。
「うんっ!俺三蔵が一番好き…あっ!!」
突然悟空が何かに気付いたように声をあげた。
「でも…俺…お金ないよ?何か欲しいときは理由を言って三蔵におこづかい貰ってるけど…三蔵に貰ったお金で三蔵にチョコあげてもしょーがないよなぁ」
悟空はガックリと項垂れる。
俯いてしまった悟空を八戒は宥める。
「大丈夫ですよ、僕はチョコを使ってお菓子を作るつもりでいるんです。どうせ材料が多いですから悟空も一緒に作りましょう。それを三蔵に渡したらどうですか?」
八戒の提案に悟空はパッと顔を上げた。
「えっ!八戒いいの?」
悟空の瞳は期待でキラキラと輝いている。
「ええ、この前悟空がバレンタインの話を出した時からそのつもりでいたんですよ」
正直な悟空の所作に八戒は微笑んだ。
『…ちょっと、三蔵が羨ましいですねぇ。どっかの誰かさんはホント素直じゃないですから』
八戒はめずらしく昼前から出かけている、ここに今居ない人物の面影を浮かべて苦笑する。
「おいしいチョコを作って三蔵をビックリさせちゃいましょうね」
「うんっ!」
八戒の言葉に悟空は元気に返事をした。
ようやく安心したのか悟空はスプーンを握り直し、巨大プリンとの格闘を再開する。
暫くもぐもぐと食べていたが、ふと悟空が顔を上げて八戒を見つめた。
「…どうかしましたか、悟空」
ぽけっとしている悟空に八戒は声を掛ける。
「えとね…八戒は悟浄にチョコあげるの?」
悟空の直球ストレートの言葉に、八戒は口に含んだお茶を器用に喉に詰まらせた。
苦しそうにテーブルに突っ伏しながら八戒は何度も咳き込む。
「八戒!?どーしたの、大丈夫??」
悟空は慌てて立ち上がり、心配そうに八戒を覗き込む。
「…っ、だいじょ…です…」
大きく息を吸い込んで、心配する悟空に笑いかけた。
『あー…何でこんなに鋭いんですかねぇ』
悟空に見えないように八戒は苦笑する。
目に滲んだ涙を拭いながら八戒は椅子へ座り直した。
八戒の様子に安心して悟空も戻って座る。
「ビックリした〜、八戒いきなりいっぱい咳するから…ビョーキになったのかと思った」
「ははは…悟空の言葉に驚いたもんですから」
悟空は首を傾げる。
「え?俺なんか八戒が驚くようなこと言ったっけ??」
八戒が話を蒸し返すのを躊躇するように考えていると、
「だって…一緒に住んでるんだから、八戒は悟浄が一番好きなんでしょ?」
無邪気な悟空の言葉に八戒は目を見開いた。
「好きだから…ずっと一緒に居たいし…」
悟空は呟きながら頬を赤らめる。
真っ直ぐな悟空の心を八戒は微笑ましく思う。
「そうですね…でも悟浄はどうでしょうねぇ」
溜息混じりで八戒がぼやいた。
「…俺がどーしたって?」
頭上からかかる声に八戒は驚いて顔を上げる。
「悟浄!?いつ戻ってたんですか」
「いつって…今だけど?声掛けながら帰ってきたって全然気付かねーし…で?俺がなんなの??」
率直に突っ込まれて八戒はどうしたものかと思案する。
はっきり言ってめずらしく八戒は動揺していた。
「ごじょー!ドコ行ってたんだよ!?」
八戒が口を開く前に悟空が身を乗り出してきた。
「お前…まぁたそんなもん食ってんのかよ。俺は〜、ちとヤボ用があってな♪」
答える悟浄はいつになく上機嫌だ。
「そう言えば訊いてませんでしたね。出かけるにしてはいつもより大分早すぎでしたし、こんなに早く戻ってきて…何かあったんですか?」
八戒はどうにかその場をやり過ごしたことに安堵すると、今度は悟浄のいつもと違う行動が気にかかる。
「ん?買い物に行っただけ。煙草も切れてたしな〜」
買い物に行ったと言う割に、悟浄の手には煙草の箱しかない。
「…煙草しかないじゃないですか」
悟浄のあまりにも上機嫌な様子を不審に思い、八戒は探るように問い返した。
「あー、取り寄せしてもらいに行っただけだからな」
何を、と更に問いつめようと八戒がした途端、
「なになに?それって食い物!?」
悟空がものすごい勢いで悟浄に身を乗り出した。
「あのな〜、テメーと一緒にすんじゃねーよ、チビ猿!」
バカにしたように呆れながら悟浄が溜息をつく。
「猿じゃねーっ!んじゃ何買ったんだよーっ!!」
癇癪をおこしながら悟空が喚いた。
悟浄は何かを考え込むように首を捻ると、
「ひ・み・つ!」
ニヤッと不敵に笑うと鼻歌交じりにダイニングから出ていった。
「…何だよ、すっげー気持ち悪い〜」
悟空がぼそっと呟く。
出ていく悟浄を八戒は無言で眺めた。
『あれは絶対何か企んでますねぇ…おいおい白状して貰いましょうか。』
八戒はひっそりと不敵に微笑んだ。