V.D. battlefield

「…痛い」
布団にくるまったままの悟空が、掠れた声でボソッぼやいた。
「痛い…痛い痛い痛い…い〜たぁ〜いぃぃ〜♪」
呪文のようにブツブツと呟く。
ただ呟くだけではつまらないのか、歌うように節まで付け始めた。

ガチャ。

ふいに寝室の扉が開かれる。
大きなお盆を持ち、いつもの法衣姿で三蔵が入ってきた。
悟空の声がピタリと止む。
つかつかと足早に三蔵がベッドへ近づき、部屋においてあるサイドテーブルへとお盆を置いた。
部屋の中には食欲を刺激するいい匂いが漂う。

ぐうううぅぅ〜。

まだ寝ていると思っていた悟空の腹の虫が盛大に喚きだした。
一瞬三蔵は目を見開き、小さく苦笑する。
「おい、悟空起きろ」
平素と変わらぬ不機嫌そうな声音で、三蔵が悟空を呼んだ。
布団の隙間からコソッと悟空の大きな瞳が三蔵を見上げる。
その瞳は真っ赤に充血して泣き腫らした後のように潤んでいた。
機嫌が悪いのか、思いっきり眉が潜められている。
じぃっと上目遣いに三蔵を睨め付けると、サッと布団の中に隠れてしまった。
「…おい」
三蔵の声が不穏に低くなる。
「………。」
頑なに返事を返さない悟空に、三蔵が小さく溜息をついた。
その様子を敏感に察知して、布団に籠もったままの悟空がピクッと反応する。
三蔵は無表情を保ってはいるが、内心どうすればいいのか困惑しまくっていた。
こんなことになるはずじゃ無かったのだ…三蔵の人生計画では。
言われるまでもなく、三蔵は悟空を溺愛している。
そりゃもう分かりづらい態度ではあるけれども、二人を知る者ならば一目で分かるぐらいに三蔵は悟空を甘やかしていた。
二人を知る者その1、悟浄に至っては。

「…何?あの寄るな触るな撃退オーラは。悟空に近付くと目から殺人ビームでも出るんじゃねーの?」

と、三蔵の悟空に対する異常なまでの独占欲をそう評している。
尤もビームは出ないが、問答無用で銃弾は飛んでくる。
そして、二人を知る者その2、八戒に至っては。

「本っ当に三蔵は悟空に関してだけは甘いですよねぇ。まぁ、不器用すぎてあまり悟空には伝わってないようですけど。たまには分かりやすい愛情を与えることも大切だと思いますよ?」

お前みたいに直球で分かり易すぎなのもどうかと思うけどなぁ、と悟浄が呆れて呟いたのを耳にして、ニッコリ笑顔で気孔砲を2〜3発ぶち込んだとか。
三蔵にしてみれば大変ムカつくが、八戒の言葉には一理ある。
何やらグッタリと意識を失った悟浄を八戒が鼻歌交じりに引きずって行ったが、バカップルのスキンシップなど知ったこっちゃねー。
確かに悟空は幼く見えるが、世間で言えば思春期のお年頃。
悟空を手元に置いてから『いつかは…』と、幼子の成長をムラムラ…じゃなく、ドキドキと心待ちにはしていたのだが。
ただ、見守っているだけでは今の状況は何も変わらない。
三蔵の待ち望んでいる関係はそんなモノではないのだから。
もうそろそろ変えてもいいんじゃねーか?
きっと、何があっても悟空は悟空であり続けるだろう。
それぐらいの自信は三蔵にもあった。

だから。
昨夜は自分に賭けてみよう、と。

我ながら陳腐な表現だが、夢のような一夜だった。
普段の姿からは想像も出来ない、悟空の艶を帯びた表情から目が離せなかった。
必死に自分の身体へ回される細い腕。
三蔵の欲望を貪欲に迎え入れた、熱く絡みつく粘膜の感触。
今も耳に残っている、掠れた甘い嬌声。
あまりの歓喜に、三蔵は我を忘れて悟空の身体に溺れてしまった。
気が付けば腕の中にはグッタリと力尽きた愛し子の身体が。
散々泣き腫らした目の淵が憐憫を誘う。
何度も合わせて貪った小さな唇が赤く艶を帯びているのを目にすると、再び欲情してしまう自分に呆れて苦笑するしかない。
悟空を手に入れて初めて、三蔵は自分がここまで強欲だったのかと気付かされた。
そっと小さな身体を横たえて、悟空を起こさないように情事の後始末をする。
三蔵もベッドに横たわり、悟空を大切に腕に抱いた。
そうすると悟空は温もりを求めるようにモゾモゾと身体を動かして、自分から三蔵へとピッタリ擦り寄っていく。
三蔵は満足そうに微笑むと布団を引き上げて悟空を抱き締めたまま、夜明けまでの短い睡眠をとった。

そして、今のこの状況。
嬉し恥ずかし目覚めの朝、を期待した訳ではなかったが、こうも頑なに拒絶されてはどうすればいいのか。
その辺三蔵だって未経験なのだから対処法など思いつかない。
悟空から感じる気配は決して自分を嫌悪してはいないのだが。
どちらかと言えば、直接三蔵へと伝わってくる悟空の感情は…拗ねている?
一体何に?
このままでも埒が明かないので、三蔵はコホンと咳払いをするとサイドテーブルを引き寄せた。
「おい、朝飯持ってきたぞ。早く食わねーと冷めちまうが…」
心なしかいつもの三蔵より気弱な声音。
すると布団の中からニュッと悟空の腕が差し出される。
意味が分からず三蔵が眉を潜めて眺めていると、
「さんぞ…手…」
悟空が小さく呟いた。
「あ?手がどうかしたのか?」
「もぅっ!手ぇ貸してって言ってんだってば!!」
ジロッと布団から悟空が三蔵を睨んだ。
悟空は真っ赤に紅潮した頬を思いっきり膨らまして拗ねている。
「…身体痛くって起きあがれねーんだもんっ!」
要するに、だから手を貸せと言うことらしい。
デリカシーのかけらもない三蔵に悟空はむくれていたのだ。
三蔵はしばし呆然と悟空を眺めていたが、我に返ると差し出された悟空の小さな手を握る。
そうしておもむろにグッと力を入れて悟空を引っ張り上げた。
「痛っ…痛いってばっ!もぅっ!!」
悟空が涙目になって三蔵を非難する。
「あ…すまん…」
珍しく三蔵が素直に謝った。
ベッドの端に腰を下ろすと悟空の背中に腕を回して、ゆっくりと身体を起こすのを手伝う。
枕を重ねてベッドヘッドに差し込み、その上へと悟空をそっと凭れかけさせた。
「飯…食うんだろ」
ベッドに座った悟空の前に、三蔵は食事の乗ったお盆を置く。
三蔵にされるがままに身体を委ねていた悟空は、突然小さく吹きだした。
肩を震わせながら楽しげに笑う。
突然笑い出した悟空に訳が分からず、三蔵はムッと不機嫌になると眉間へ皺を寄せた。
「何いきなり笑ってやがんだ、猿」
「だってさ…今日の三蔵すっげー優しいんだもん、何かヘン」
繋いだままの三蔵の手をぎゅっと握り締めながら、悟空はクスクスと笑った。
機嫌の悪さを隠そうともせず、ますます三蔵の眉間に深く皺が刻まれる。
もっとも半分は悟空の言うとおり、らしくない自分に対しての照れ隠しでもあった。
「何だ、不満か?」
懐から煙草を取り出すと、乱暴に火を点け吸い始める。
悟空はじっと三蔵を見上げて、ニッコリと微笑んだ。
「ううん。いつもの三蔵も好きだけど…たまにはこーいうのもいいかなぁって思ったから」
悟空の告白に三蔵が大きく咽せる。
「下らねーこと言ってないでさっさと食え」
「下らなくないよっ!」
悟空が大きな声で叫んだ。
「三蔵のことで…下らないことなんか、いっこもねーよ。俺三蔵のことが好きだからっ!」
必死になって悟空は三蔵に一生懸命伝えようとする。
三蔵はふっと微笑むと、悟空の額を指で弾いた。
「いたっ!」
「んなコト…言われなくたって知ってんだよ、バカ猿」
「も〜!また猿ってゆーっ!!」
ぷぅっと頬を膨らまし、悟空はポカポカと三蔵の胸を叩く。
三蔵は悟空に叩かせたまま、自分の胸へと引き寄せ抱き締めた。
「さんぞ…?」
「お前の『声』はうるせーからな…」
「俺の声…」
いつでも、どこにいても。
悟空の『声』は三蔵に届いている。
「…そうだよね、えへへ」
嬉しそうに悟空が三蔵へと擦り寄った。
「お前には聞こえるか?」
そう呟くと三蔵は悟空を強く抱き締める。
悟空の耳に流れてくる三蔵の規則正しい心臓の音、身体を柔らかく包んでいる温かい温度と。
そして、
『悟空、………だ』
悟空の瞳が大きく見開かれた。
「うん…聞こえる。ちゃんと聞こえるよ、三蔵」
悟空がぎゅっとしがみ付く。
「何泣いてんだ、ばぁ〜か」
「うるさいなー、もぅ!三蔵ってばムードが無さすぎっ!」

ぐううううぅぅぅ〜〜〜っっ。

再び悟空の腹の虫が催促するように鳴り響いた。
「誰がムードがねーだ。お互い様だろ?」
くくくっと三蔵が楽しげに喉で笑いを噛み殺す。
バツ悪そうに悟空の頬が紅潮した。
「ほら、とりあえず食え。片づかねーだろ」
しぶしぶ頷くと、悟空は箸を手に取る。
悟空が食事をに口を付けると、三蔵は傍らで新聞を読み始めた。
「三蔵?仕事行かなくてもいーの?」
首を傾げて不思議そうに三蔵を見つめる。
ちらっと眼鏡越しに視線を向けるが、すぐに新聞へと戻した。
「…今日は休みだ」
聞き逃しそうな程小さな声で三蔵が呟く。
途端に悟空の顔に満面の笑みが浮かんだ。
「ホント?じゃぁ今日は三蔵ずっと一緒に居てくれるの?遊んでくれるの!?」
悟空がキラキラと瞳を輝かせる。
「どうせ動けねーんだろ?」
意味深に三蔵がニヤリと笑った。
「あうぅぅ…さんぞーのいじわる」
上目遣いで三蔵を睨むが、すぐに嬉しそうに悟空は微笑んだ。

「一緒に居てくれるだけでいーんだ…」