Fugitive

何だか今日は騒がしい。
先程から走り回っている何人もの足音が、回廊を行ったり来たりしていた。
ふと、天蓬は手元の文字から視線を外す。
「…何なんでしょうかねぇ」
この棟一体は西方軍の軍舎なので、必然的に足音は自軍の部下達の物だ。
「全く。皆大将を見習って落ち着きがないんだから」
しかし、今は自軍の半数が大将共々下界へ出征中のはず。
帰還の報告が来ている訳でもないのに、この騒がしさは何だろうと天蓬は眉を顰めた。
ふと、一際騒がしい足音がこちらに向かって近づいてくる。
部屋の前で途切れると、直ぐに慌しく扉が叩かれた。
「天蓬元帥!元帥いらっしゃいますか!?」
今日の本は天蓬が漸く手に入れたお気に入りだ。
平素なら居留守を使って無視するところだが、天蓬はますます不審気な表情で扉を睨み付けた。
「この声は…」
捲簾と共に下界へ降りた部下の一人だ。
任務完了の報告を受けたのは一昨日。
帰還は明日の予定だったはず。
それが何故1日早く帰還して、尚且つこんなに慌てているのか。
報告では死傷者も無く、妖怪の討伐も滞りなく終えたはずなのに。
「どうぞ。入りなさい」
天蓬が立ち上がりながら扉に向かって返事を返す。
「失礼します!」
転がり込むように室内へ駆け込んできた部下は、表情が青褪め唇が小刻みに震えていた。
「どうかしたんですか?帰還は明日だったはずですよね。捲簾大将はどうしました?」
冷静な天蓬の声に、部下が思い出したように顔を上げる。
「ごっ…御報告します!大将が…捲簾大将が下界の本陣から行方不明になられましたっ!」
「捲簾が…行方不明?」
天蓬の表情から笑みが消え、途端に視線が険しくなった。
軍大将が本陣から居なくなるなんて異常な事態だ。
「捲簾が居なくなった経緯を説明しなさい」
天蓬は腕を組むと、困惑する部下の顔を真っ直ぐに見据えた。






捲簾が任務完了後にふらっと居なくなるのは、別段珍しいことではなかった。
大抵本隊の引き上げ作業には3日程かかる。
特殊な任務でもなければ、大将が直々に指示する必要もない。
天界の司令官に帰還の報告さえしてしまえば、大将としての任務はほぼ終了。
部下達が忙しなく働いている間は、はっきりいってヒマだった。
その時間の暇つぶしと称して、捲簾は部下達に行き先を告げるとフラフラと出かけていくことが多い。
近場に水辺があれば、釣りが趣味の捲簾は竿を片手に嬉々として出向いた。
または花が咲き乱れる絶景の場所を見つけると、酒瓶を下げながら上機嫌で遊びに出かける。
近くに大きな街でもあるなら、買い物をしに繰り出して行ったり。
天蓬が最初部下から捲簾が居なくなったと聞いたときは、いつもの放浪癖が出ただけだろうと思っていた。

しかし。
捲簾は、部下の誰にも何も告げずに。
突然、居なくなってしまったのだ。

「最後に大将を見た者は、本陣のテントへ入っていくところを確認したそうです。見張りをしていたものも証言しています。しかし、その後…誰も大将を見ていないのです。帰還の準備が早めに整ったので、大将に報告へ行きましたらその時には…慌てて全隊総出で捜索したのですが、大将の姿は何処にも…こんなこと司令官殿にどう報告すればいいのか判断できないので、取り急ぎ元帥へは真っ先に御報告しなければと思い、参上しました」
部下は戸惑いを隠せずに、視線を床へ落としたまま状況を報告する。
机に身体を寄りかからせ部下の報告を聞いていた天蓬は、腕を組んだまま暫く考え込んだ。
「捲簾の荷物は?」
「そのままの状態でした」
「特に何かを持って出かけたということでは無いんですか…」
天蓬は眉間を指で押さえながら溜息を吐いた。
一体、今度は何を考えてるんですかね、あのヒトは。
捲簾の身に何か異常な事態が起こったとは、天蓬は微塵も考えてない。
十中八九、捲簾は自分の意思で姿を眩ませたのだ。
何らかの思惑があって。
さすがにその理由までは天界で待機していた天蓬には分からない。
「本当に…困った上司ですねぇ。部下達にこんな心配をかけて」
「如何致しましょうか、元帥」
不安げな表情で、部下は天蓬を伺い見る。
天蓬は肩を竦めながら苦笑いを浮かべた。
「まぁ、どっちみち探さない訳にはいかないんですけどね」
「それでは…」
「下界へは僕が降ります」
「では、さっそく手配を」
「いえいえ、下界へは僕一人で降ります」
天蓬の言葉に部下は驚いて目を見開く。
「そんな…危険です!元帥お一人で捜索など。小隊を御付けになって下さい!万が一のことが元帥にありましたら、それこそ我らは軍上層部にどう…」
「それだから、ですよ」
「え…」
天蓬はニッコリと微笑む。
「此度のこと、司令官殿には僕の方から報告をします。出来るだけ事を荒立てるのは避けましょう。内密に済ませるには僕が単独で動く方が都合いいんです。公になれば、間違いなく捲簾は懲罰だけでは済まないかもしれません」
謹慎だけで済めばいいが、最悪は軍大将を解任されかねない。
任務は帰還完了し、司令官に報告するまでが任務なのだ。
いくら討伐任務は終えていたとしても、任務の途中で責任者である大将が離反するなんて許されることではない。
「いいですか?下界に降りていた貴方達は勿論ですが、天界に待機していた者も…西方軍全ての者たちに今回の件は伏せて置くように徹底して戒厳令を敷くように。これだけ騒いでいれば、何れ他の連中の耳に入るのも時間の問題です。急いでください」
「はいっ!承知いたしました!」
部下は姿勢を正すと、力強く頷く。
「とにかく、今回の件は僕に一任してもらいます…安心して構いませんよ?」
天蓬はふっとその顔に不敵な笑みを浮かべた。
その表情は嘗て最前線で一騎当千戦う元帥の姿と重なる。
部下は背筋を震わせると共に安堵の溜息を吐いた。
「それでは、元帥。自分は待機所の方へ」
「頼みます」
最敬礼すると、部下は来た時同様慌しく退室して行った。
部下を見送ってから、天蓬はクロゼットの前に作っていた本の柱を無造作に崩す。
扉を開けると、ここ暫く袖を通していなかった軍服を取り出した。
「まぁ、無茶を進言しに伺うんですから、それなりの礼は尽くさないといけませんよね。面倒ですけど」
自軍の待機所だろうが軍の指令本部だろうがお構い無しに、天蓬は普段から薄汚れたままの白衣姿でウロウロしている。
前回軍服を身に着けたのは何時だったか、天蓬自身も思い出せなかった。
ベルトを締め、襟の金具を止めながらブーツに履き替える。
「さてと。敖潤殿のご機嫌伺いに参りますか」
ゆったりとした足取りで、天蓬は自軍の司令官室へと向かった。






司令官との会見を終え、天蓬は自室へと戻ってきた。
軍服の襟元をくつろげながら、煙草を口に銜える。
ソファへと腰を下ろすと、テーブルの上へ地図を広げて視線を落とした。
「今回の出征はこの森林地帯だったんですよねぇ。今更暢気に釣りなんかしてるとは思えませんし、此処にはいないでしょう。となると、一番近い街は…」
地図の上へ視線を走らせると、小さな街が近くにあった。
しかし、この街は今回の妖怪討伐の原因となった街だ。
既に先の妖怪に街は襲われて、ほぼ壊滅していた。
天蓬は更に南の方へと視線を向ける。
陣を張っていた場所より多少離れてはいるが、大きめの街があるようだ。
「多分…ここですかね」
天蓬は指でその街の場所をコツンと叩く。
十中八九、捲簾は間違いなくこの街に居るだろう。
見当を付けたところで、天蓬は準備をしようと立ち上がった。
ふと耳を澄ませると、もの凄い勢いの足音がこちらに向かって近付いてくる。
天蓬は表情を和らげて微笑んだ。
軽快な足音が部屋の前に辿り着くと、キキーッと急停止する。
「天ちゃ〜んっ!いるー!?」
扉をブチ破る勢いで、小さな身体が飛び込んできた。
「はい、悟空いらっしゃい」
天蓬は悟空の頭にポンと手を乗せる。
「今日はどうしました?新しい絵本でも探しにきましたか?」
「えーっとぉ…あれ?何だったっけ??」
悟空は用事を忘れたらしく、小さく首を傾げた。
外からは回廊を急ぎ足で闊歩する足音が近付いてくる。
「てめっ…このバカ猿っ!全力疾走してんじゃねー!!」
不機嫌のオーラを撒き散らしながら、息も絶え絶えな保護者が扉から顔を覗かせた。
「おや?金蝉まで…一体どういう風の吹き回しですか?」
額に汗を滲ませ荒く呼吸を繰り返す金蝉に、天蓬はついつい苦笑する。
金蝉は天蓬の姿を目にして、すっと眉を顰めた。
「何だお前。軍服なんか着て」
「僕は軍人ですから、別に不思議ではないでしょう?」
天蓬がニッコリと微笑むと、金蝉はますます不審気に双眸を細める。
「ケッ!今更てめぇが形で軍人らしいことなんかするタマかよ」
「あれ?心外ですねぇ〜。僕はいつも一軍人として心がけているつもりですけど?」
「お前が都合の良い軍人像だろうがっ!」
「あははは。バレました?」
天蓬はのほほんと頭を掻いた。
「それで?僕に何か用があったんじゃないんですか?」
本題を切り出すと、金蝉は思い出したようにキョロキョロと室内を見回す。
「どうしました?金蝉」
「アイツはどうした?」
「捲簾…ですか?」
「他に誰が居る」
憮然とした表情で金蝉は天蓬を睨め付けた。
さて、どうしましょうか?
口止めをすれば金蝉は他言しないでしょうけど。
いちおう軍内部の秘密事項ですしねぇ。
天蓬が表情には出さずに思案していると、金蝉は小さく溜息を吐いた。
「やっぱり…戻ってないんだな」
金蝉の呟きに、天蓬の目が見開かれる。
「やっぱりって…どういうことですか?」
口調は穏やかだが、天蓬の鋭い視線が金蝉を射抜いた。
じっと真剣な眼差しで、金蝉の真意を探ろうとしている。
「バカかお前。俺を探ったって仕方ねーだろうが」
金蝉は心底呆れ返って、嫌そうに眉間を歪めた。
「あははは、すいませんね。軍師としてのクセなんで」
「…自分のことも分かってねーのか」
「はい?」
天蓬はきょとんと首を傾げる。
さっきの視線はあからさまな嫉妬だ。
恋に目の眩んだ色ボケ軍師は、そんなことにも気が付かないらしい。
あのバカ大将、うっとうしいコト俺に押しつけやがって。
内心で舌打ちしながら、金蝉は腰に貼り付いている幼子に視線を落とした。
「おい、悟空。お前が預かったモノ、天蓬に渡してやれ」
「あっ!そうだった!!」
悟空は漸く思い出して、ズボンのポケットを探り出す。
「僕に渡すモノ?」
「うんっ!はい、コレ!」
悟空は封筒を天蓬へと差し出した。
それを受け取り、天蓬は金蝉へと視線を向ける。
「お前んトコのバカ大将に悟空が頼まれてたんだよ。もし今回の出征で自分が戻っていなかったらお前にソレ渡すようにってな」
「計画的だったんですか!?」
天蓬は驚きながら封筒をじっと見つめた。
「さぁ?俺らは何も訊かされてねーから。それに何が書いてあるかも知らねーし、興味もねーよ」
フンと鼻で笑って、金蝉は視線を逸らす。
「とにかく、ソイツは渡したからな!おい、悟空。帰るぞ!」
「ええ〜?俺天ちゃんと遊びたい〜っ!」
「ダメだ。天蓬はこれから出かけるんだとよ」
「え…何で」
天蓬は金蝉の言葉に唖然とした。
自分は何も言っていないのに、何でそんなことが分かるのだろう。
余程不思議そうな顔をしていたのか、金蝉は天蓬を見返すと深々と溜息を零した。
「お前が大人しく待っているようなヤツか?それぐらいのことは俺だって分かる」
「…成る程」
呆れ変えた口調で嫌そうに呟く金蝉に、天蓬は破顔した。
「…悟空」
天蓬は身体を屈ませて、悟空の顔を覗き込む。
「天ちゃんはこれから下界に出かけてきますから、お土産いっぱい買ってきて上げますね」
「ほんと?わぁ〜いっ!!」
悟空は大喜びでピョコピョコと跳ね回った。
金蝉は素直に喜ぶ悟空が面白くなく、苦々しい表情で天蓬を睨む。
「金蝉にも借りが出来ましたから、お土産買ってきますね」
「いらんっ!」
金蝉がムッとしたまま即答すると、天蓬は口元に笑みを浮かべたままスイッと近付いてきた。
「この前…花見の時に飲んだ下界のお酒。貴方いたく気に入ってましたよねぇ?」
天蓬がニッコリと微笑む。
チラッと金蝉が視線を向けると、わざとらしく咳払いをした。
「…お前が勝手に持ってくるモノなら別にかまわん」
悟空と天蓬が金蝉を見返すと、その頬にどんどん赤みが増して紅潮する。
「………ぷっ!」
思わず天蓬が小さく吹き出してしまった。
肩を震わせながら笑っている天蓬を、金蝉は思いっきり睨み付ける。
「てめぇ…何笑ってやがる!」
「いえいえ…貴方って本当に不器用なんですねぇ」
「うるせーよっ!」
「なに?なになに??」
悟空一人が訳が分からず、キョロキョロと二人の顔を見上げた。
金蝉は悟空の手を掴むと、扉に向かって歩き出す。
「え?どしたの?金蝉??」
「帰るんだよっ!邪魔したな」
「いいえ〜。お構いもしませんで」
天蓬は上機嫌で微笑みながら、手を振って二人を見送った。
乱暴に扉が閉められると、手に持った封筒へと視線を落とす。
「さて。捲簾は何を書いていたんでしょうね」
封を切ると、中には便せんが一枚。

その紙の真ん中には、たった一言だけ。

あまりにも簡潔すぎて、捲簾らしいと言えばらしいのだが。
その書かれていた言葉に、天蓬は思いっきり脱力して呆れ返った。

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