Fugitive |
捲簾がこの街に来てから今日で3日目。 人通りの多い活気に溢れた街だった。 通りに面したオープンカフェで、捲簾はくつろぎながらのんびりと茶を飲んでいた。 その姿はいつもの軍服ではなく、黒のデザインカットにストレートのカーゴパンツとラフな私服姿だった。 街の観光案内所でもらった地図を眺めつつ、ぼんやりと考え込む。 「そろそろ…かなぁ」 捲簾が一人言ちると、視界の光が人影で遮られた。 見上げた視線の先の人物へ、捲簾はニッコリと笑いかける。 「よっ!」 「よっ!じゃないでしょう。こんなところで何やってるんですか、貴方は」 天蓬はあまりにも脳天気な上官の態度に、大きく溜息を吐いた。 「何って…天蓬と待ち合わせ♪」 「待ち合わせって…何時そんなこと約束しましたっけ?」 「でもお前ちゃんと来たじゃん」 頬杖を付きながら、捲簾はニッと口端で笑う。 天蓬は乱暴な仕草でドッカリと椅子へ腰掛けた。 「あ、お姉さん。コーヒー一つ追加ね〜」 捲簾がオーダーしていると、天蓬はズイッと身体を乗り出してくる。 「あんなことされたら僕が来ない訳にいかなくなるって、分かっててやったんでしょう?」 「まぁ〜な〜」 言い訳でもするかと思いきや、捲簾はあっさりと肯定した。 天蓬はグッと言葉に詰まると、着ていた軍服のポケットから封筒を取り出して、捲簾の目の前に置く。 「大体、コレは何なんですか?」 「あっれ〜?天蓬って字が読めなかったっけ〜?」 「そんな訳ないでしょうっ!」 「じゃぁ、そのまんまの意味だけど?」 「そのままって…」 今度こそ天蓬は絶句した。 悟空が預かっていた捲簾からの手紙。 そこに書かれていたのはたった一言。 『デートしようぜ、天蓬』 冗談だとばかり思っていたのだが。 「何たって、デートのお相手は深窓のご令嬢だから?コワイお目付役が付いてこない様にちょこ〜っと根回ししただけ〜♪」 「誰が深窓の令嬢なんですかっ!」 天蓬は憤慨しながら捲簾を睨み付けた。 「似たようなもんじゃん。上層部の連中なんか腫れ物扱うみてぇにお前のこと天界に拘束してさ。出征にお前連れ出すなんて言おうモンなら、後から後からキャンキャンうるせーし。人気者は大変だよな〜、元帥閣下?」 カップに口を付けながら、捲簾が双眸を細めて微笑む。 ふと、捲簾の言葉に天蓬が視線を上げた。 もしかして。 「…僕のこと下界へ連れ出そうとして、わざとこんなことしたんですか?」 もし、そうなのだとしたら。 「だから言っただろ?デートしようって」 「捲簾…」 天蓬は大きく目を見開いた。 「ど?感動した??」 得意げに笑うと、捲簾は天蓬の瞳を覗き込む。 天蓬は手を差し出して、捲簾の頬へと触れた。 「貴方って…本当にバカですよね」 「何だよそれっ!」 ムッとして睨み付けた先には、全開の笑顔。 いつもの取り繕ったような形だけではない微笑みに、捲簾は照れて視線を泳がせた。 「ああ、でも本当に久しぶりですよ。下界に降りたのは」 捲簾の副官になってからは、下界へ降りることも殆ど無くなっていたから。 「お前っていっつも俺が帰還するたびにブツブツ文句言ってただろ?任務終わったからって俺だけ釣りなんかしてきて狡いとか、自分も下界で買い物したいとかさ。そんなに俺とデートしたいのかな〜って」 捲簾は楽しげに天蓬を見つめる。 「別に捲簾とデートできるなら天界でも構わないですけど?」 「俺はヤだ」 「…それはどういう意味でしょうか?」 柔らかに微笑みながらも、天蓬は真っ直ぐに捲簾を見据えた。 「目が全っ然笑ってねーよ、おい」 天蓬は捲簾に関して、全く以て心に余裕が無い。 物騒な光を瞳に浮かべて、捲簾から視線を外さなかった。 あからさまな態度に、捲簾は呆れかえる。 しかし本音では、天蓬の自分に対しての余裕の無さが嬉しかったりして。 もちろん、そのことを天蓬に教える気など全く無かったが。 「だって、人目を気にしてデートなんかしたってつまんねーだろ?」 「貴方が人目なんか気にするんですか?」 「俺は繊細なのっ!」 唯でさえ悪評高い自分と、これまた別の意味で有名な天蓬が仲良くデートなんて、悪目立ちして仕様がない。 自分が影で何を言われても屁とも思わないが、天蓬が同じ目に遭うかと思うと滅茶苦茶胸糞悪かった。 天蓬は俺のモンだから、俺がコイツをボロクソに言うのはいいけどな。 いや、まてよ…逆か。 こんなどうしようもないヤツとつき合うなんて、元帥としての経歴に汚点が付くとか何とか言って、邪魔されたりしてな。 あ〜、そっちのほうがムカツク。 天蓬のブ厚い外面にみんなコロッと騙されてるし。 「そんなくだらないことで邪魔なんかさせませんよ?それにしても何ですか。人を詐欺師扱いして、失礼ですね」 「あれ?俺声に出してた?」 「思いっきり大きな独り言しゃべってましたよ」 わざと頬を膨らませて天蓬が拗ねて見せた。 「お前がカワイコぶっても気色悪いっての」 …実はそうでもないけどさ。 コレは心の声。 「捲簾。貴方僕を怒らせたくって下界まで呼び寄せたんですか?」 「迷子になっておうちに帰れなくなったから〜」 「ぶっ飛ばしますよ」 「ん〜?じゃぁ、独り寝が寂しくって来てもらったの〜、ってのはどーよ?」 「もうちょっとですかね?」 「…お前贅沢」 「じゃぁ、僕は天界へ帰ります」 「いやぁ〜んっ!天蓬ってば俺を捨てるのねーっ!」 捲簾は天蓬の腕に縋り付きながら、上目遣いにじっと見つめた。 確信犯だと分かっていても捲簾の蠱惑的な表情に、天蓬はドキッと胸を高鳴らせる。 ここでもう一押し。 「下界だったらさ、公明正大に天蓬とべたべたイチャイチャできると思ったんだけどな〜?」 ますます腕を絡ませて、捲簾はニッコリ微笑んだ。 捲簾とべたべたイチャイチャ!? 天蓬の理性がグラグラと揺さ振られる。 腕に懐いたままの捲簾を天蓬は見下ろした。 「例えば…具体的にはどんなことを?」 捲簾は首を傾げながら少し考え込む。 「そうだなぁ…例えば堂々と仲良く手でも繋いで歩くとか」 念願の手を繋いでラブラブデート!? 天界だと一目があるところでは手を繋ぐどころか、そっと握るのだって捲簾は許してくれない。 天蓬だって捲簾に関してだけは、一途に恋するオトコだった。 初々しいお付き合いをすっとばして即物的な大人の恋愛を満喫していても、天蓬にはそういうことに憧れがあったりする。 まず、根本的に天蓬は捲簾とデートしたことがなかった。 それどころか。 「お前はどんなことがしたいんだ?」 捲簾は何やら夢見る瞳で思考を飛ばしている天蓬の腕を揺する。 「あの…普通はどういうことをするんでしょうか?」 「はぁ?」 天蓬のすっとぼけた疑問に、捲簾は驚いて目を真ん丸く見開いた。 バツ悪そうに、天蓬が視線を逸らす。 「僕、デートってしたこと…無いんです」 「…まじ?」 「今までそういう相手…いませんでしたから」 顔を背けて言い訳している天蓬の耳朶がだんだん真っ赤に染まる。 つられて捲簾の頬も紅潮してしまった。 天蓬が色恋沙汰に初心だとは、今までの経験上捲簾だって思ってない。 それこそ抱き合う度に、この俺様が!散々啼かされて喘がされて。 結構アッチには自信満々だった俺が、毎回ベッドに撃沈させられている。 そう考えても天蓬のテクニックは絶品だった。 勿論持久力もバケモノ並だ。 コイツの場合、お付き合いイコール身体の関係だけだったんだろうな。 何事にも自分の好奇心を満たさないものにはいい加減で大雑把だから。 身体の事情として性欲さえ満たされれば、それまではよかったんだろう。 俺に出会うまでは。 「じゃあさ。俺と初デートだな」 捲簾は嬉しそうに双眸を細めて笑う。 「…この年になって情けないと思ってます?」 「何で?ただ、今まではデートしたいと思ったことがなかっただけだろ?」 「捲簾…」 天蓬は愛しいとか嬉しいとか、捲簾に関するあらゆる想いで頭がグチャグチャになって沸騰しそうになる。 このまま抱き締めたいなぁ…。 でもそれこそ捲簾のご機嫌を損ねたら、折角のデートのチャンスが無くなってしまう。 自分の感情でいっぱいいっぱいの天蓬が硬直していると、捲簾はそっと身体を離した。 ボンヤリとその様子を見つめていると、次第に捲簾の顔が近づいてくる。 唇を柔らかい、暖かな感触が掠めていった。 「…こーいうのもデートではアリ」 捲簾は悪戯が成功した子供のように笑う。 あまりの衝撃に天蓬は言葉を失う。 「ん?天蓬?て〜んぽ〜??」 硬直したまま無反応の天蓬に、捲簾が頬を突っついた。 それでも思考をブッ飛ばしている天蓬はなかなか現実に戻ってこない。 天蓬の頭の中では一つの結論がぐるぐると渦巻いていた。 デートなら公衆面前でも堂々と捲簾とキスしてもいいのか!? あまりにも反応がないので捲簾がどうしようかと考え込んでいると、天蓬の肩が小刻みに震えだした。 「天蓬?どうしたんだよ…」 「けんれーーーーーんっっっ!!!」 いきなりブチ切れた天蓬に、捲簾は強引に抱き竦められてしまう。 思いの丈をぶつける様にぎゅうぎゅうと締め上げられて、捲簾は息も絶え絶えに天蓬の背中を叩いた。 「おっ…落ち着けって!く…くるしっ!!」 「捲簾っ!好きですっ!愛してますっ!!僕には貴方だけですーーーっっ!!!」 「わか…った。分かったからっ!息が出来ねーっっ!!」 天蓬の腕の中で藻掻いていると、漸く天蓬が抱き締める力を少し緩めた。 熱く潤んだ瞳で捲簾をウットリと見つめてくる。 あからさまな天蓬の視線に捲簾の方が恥ずかしくなった。 「んな目で見んなよ…」 「僕はどんな目をしてます?」 「それはっ」 捲簾が言葉を詰まらせる。 「捲簾が好きで好きで堪らない、って目をしてるでしょう?」 「…うん」 コクリと素直に頷く捲簾に、天蓬が嬉しそうに頬笑んだ。 こんな捲簾も新鮮で可愛いですねぇ、などと天蓬は自分で自覚している以上に浮かれて舞い上がっている。 「あ…そうだ」 ふいに何かを思いだしたのか、捲簾が天蓬を見つめた。 「天界ではさ…どうなってんだ?」 自分でしでかしたことの顛末に後悔など更々していないが、一応は気になるらしい。 「どうもこうも…表面上は何も起こってませんよ?」 「はぁ!?」 さすがに捲簾も愕然とする。 出征中に大将が行方を眩ませるなど言語道断。 天界に戻ってからは上級神の説教フルコースと懲罰房ご招待、最悪は自分の進退問題に発展するぐらいは覚悟をしていたのだが。 捲簾は何とも言えない複雑な顔で唸っている。 「自分がどれだけのことをしでかしているか、分かってはいるようですね」 「…まぁな」 捲簾は視線を逸らして頭を掻いた。 「まぁ、部下から報告を受けた時、さすがに理由は分かりませんでしたが、貴方が確信犯だってことはすぐに分かったので、西方軍全体に戒厳令を敷いておきました。まぁ、戻った時に崖から転落して頭を打ったということにでもしましょう」 「…最初っからバレバレな訳?」 「それは、貴方のことですから。僕に分からない訳ないでしょう?」 「左様でございますか…」 捲簾はつまらなさそうに肩を竦める。 「ただし、僕が下界に降りる許可を貰うのに敖潤殿には説明してますから、きっちり彼のお小言を聞く覚悟はしてくださいね」 「うへぇ…」 ガックリと捲簾はテーブルへと突っ伏した。 戻ってからのことを考えると、鬱陶しくて気が重い。 項垂れている捲簾に、天蓬は頭を撫でて宥めた。 「3日間、貴方の捜索に時間を貰いましたから、ご希望通りのデートはゆっくり出来ますよ?」 天蓬の言葉に捲簾が勢いよく身体を起こす。 「まじ?直ぐに戻らなくてもいいのか?」 「発見次第すぐに戻ってくるように言われてますけど。3日目に見つかったことにすれば問題ないでしょう」 「悪知恵働かせてるなぁ〜。今頃司令官閣下は胃がシクシクしてんじゃねーの?」 「それを貴方が言いますかねぇ?」 天蓬は眉を顰めて捲簾を睨み付けた。 全く悪びれずに、捲簾は口端に笑みを刻む。 「んじゃ、さっそくデートしようっ♪」 「とりあえず、これからどうするんですか?」 デート初心者の天蓬が首を傾げた。 捲簾はキッと天蓬に鋭い視線を向ける。 「まずはお前の格好!」 「僕の…ですか?」 天蓬はきょとんと目を丸くした。 今日は定番ヨレヨレ白衣に便所ゲタではない。 いちおう内密とは言え捲簾捜索の任務なので、軍服姿で来ていた。 「デートに軍服なんて無粋だろ?」 「そうなんですか?」 そういえば、と改めて捲簾を眺める。 こちらに来てから着替えたのか、いつもの軍服姿ではなくラフな私服姿だった。 「とにかくお前の着替えが先だな。それから街ん中をプラプラと散策して買い物すんのもいいだろ?」 「ああ、そういえば。僕悟空にお土産買ってくるって約束してるんですよ。それに金蝉にも」 「んじゃ、それ見て回ろうぜ。その後途中で休憩して、飯でも食って…夜は酒飲みに行って」 「それから?」 天蓬が聞き返すと、捲簾は意味深に双眸を眇めた。 「俺ら大人なんだから。ベッドで身体の親睦を深めたいな〜って?」 「ああ、そういえば。貴方が出征していたから心身共にコミュニケーション不足ではありますよね」 「西方軍としては由々しき問題じゃねーの?」 捲簾が楽しそうに喉で笑う。 「確かに。大将と副官は親密な関係じゃないと、任務遂行時に支障を来しますから」 天蓬も艶やかに笑った。 「それじゃ、めーいっぱいデートしねーとな」 捲簾が椅子から勢いよく立ち上がった。 天蓬もそれに倣う。 「捲簾」 天蓬が掌を差し出した。 その手を捲簾がぎゅっと握り返す。 穏やかな風に天蓬の髪が流れるように舞った。 「ん?お前ちゃんと風呂入ってきたの?」 捲簾が天蓬の耳元に鼻先を付ける。 「だって、デートなんでしょう?」 「何だよ。天蓬だって浮かれてんじゃん」 二人は顔を寄せ合いながら、楽しそうに笑い合った。 「ご機嫌いかがですか〜?」 扉をノックをしながら天蓬が顔を覗かせる。 「…見て分かんねーのか?」 机の上に書類の山を築いて、金蝉が不機嫌全開で睨み付けた。 普段よりも大分書類の量が多い。 「何かありました?」 天蓬が首を傾げると、金蝉は盛大に溜息を吐いた。 「お前らがいねーから悟空のヤツ、ギャーギャー騒いで煩いったら。小突いても無視してもしぶとく諦めねーから、仕方なしに適当に構ってやってたらコレだ」 忌々しげな口調の割に、金蝉の表情は穏やかだ。 天蓬は内心で苦笑しながら、小さく首を竦める。 「すみませんね。貴方にもとばっちりが行ってしまって」 「全くだ!」 「これ、せめてものお詫びです」 天蓬は手にした袋を金蝉の目の前に置いた。 「何だこれは?」 「約束したでしょう?悟空にお菓子のお土産と、貴方にはお酒です」 袋の中を覗くと、確かに悟空が好きそうな大量の菓子と、見覚えのある瓶が入っている。 「迷惑料ですよ」 「フン…二度はごめんだぞ」 金蝉は素直に袋を受け取った。 「そういえば、諸悪の根元はどうした?」 「捲簾ですか?ちゃ〜んと戻ってますよ。さっきまで司令官殿にお説教を喰らいまして、今は自室で反省文を書かされてます」 「…どこのガキだ。デカイ図体をして悟空と変わんねーな」 金蝉は思いっきり呆れ返る。 「そこが捲簾の可愛いところですけどね」 さり気なく惚気を聞かされて、金蝉の眉間がますます歪む。 余計に頭痛が酷くなりそうだ。 「サルも昼寝をしてて仕事進めるのは今しかねーんだよ、ヒマ人はさっさと帰ってバカ大将でも見張ってろ」 「悟空がいないんじゃ、つまらないですねぇ。貴方の言うとおり捲簾のお目付でもしてきますよ」 天蓬は軽く手を振りながら扉へと向かう。 「おい、天蓬」 「何ですか?」 ふいに呼び止められて、天蓬が扉の前で振り返った。 「結局、アイツは下界で何してたんだ?」 金蝉もいちおうは気になっていたので尋ねる。 少し考えるように視線を上げると、天蓬はニッコリと頬笑んだ。 「すみません。西方軍の軍事機密、なんですよ♪」 「…何だそれは?」 金蝉が不審気に天蓬を見据える先で扉が静かに閉められた。 「よく分かんねーヤツラ…分かりたくもねーが」 深々と溜息を零すと、金蝉は窓の外を眺める。 ちょうど休憩の時間だ。 金蝉は袋を手に立ち上がると、悟空の待つ自室へと戻っていった。 |
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