Fugitive again


「ったく…ついてねーよなぁ〜」

軍宿舎の回廊をブツブツ一人言ちながら、捲簾が歩いている。
今日は朝イチで軍の定例会議があった。
当然の事ながらバッくれようと、朝、コソコソと自室の扉を開く。
と、そこには部下達が爽やか笑顔で、シッカリ待ち構えていたのだ。
有無を言わさず連行され、そのまま会議場へと放り込まれた捲簾は、午前中を下らない上級神の小言を子守歌に睡魔と闘っていた。
漸く昼に解放され、昼食を取ると妙に時間が空いてしまう。
一度待機所へと向かっていた足取りを、逆方向へと変えた。
「…3日ぐらい見かけてねーよなぁ。まぁたアイツは籠もってんだろ」
捲簾は朝っぱらからの不機嫌の腹いせをしようと、天蓬の部屋へ向かうことにする。
途中何やら騒がしくあちこちの回廊を走り回る音がしていた。
自軍の部下達が落ち着きないのはいつものことなので、捲簾は大して気にも留めず、天蓬の執務室兼私室がある東棟の軍宿舎へとのんびり歩く。
天蓬の部屋が見えてくると、突然捲簾の眉が顰められた。

「はぁ…誰だよ。不用意にミステリーゾーンを開けたのは」

天蓬の部屋の前は決壊したドアとともに、回廊を越えて本雪崩が築かれている。
捲簾は額を抑えながら部屋の前まで近付いた。
じっと本雪崩を観察すると、どうやら部屋の主は一緒に雪崩れて来なかったらしい。
巻き込まれた者も不幸中の幸いでいなかったようだ。
しかし、この状態を放置して逃走したのは許せない。
「誰だか知んねーけど、キッチリ片づけて行けよなぁ〜っ!!」
乱雑に積み上がった本をヒョイヒョイと跨いで、捲簾は室内を覗き込んだ。
「お〜い、天蓬〜?」
呼んでみるが返事はない。
それもいつものことなので気にせず、ズカズカと室内に踏みいった。
大抵本を読んでトリップしている時、天蓬は周囲の変化に全く気付かない。
今日もそうだろうと、捲簾は天蓬の魔窟と化した室内を一通り見て回った。
しかし。
「…何でいねーんだ?」
もう一度探してみるが、部屋のどこにも天蓬が見つからない。
無造作に本を積み重ね、今にも雪崩を起こしそうな執務机を背にして、捲簾は首を捻って考え込んだ。
希に上から落ちてきた本に生き埋めになって居る時もあるのだが、今日は床に天蓬が埋もれてる様な本の山は見当たらない。
寝室も浴室も覗いてみたが、天蓬の姿はなかった。
「…どこほっつき歩いてるんだ?金蝉の所か??」
一番あり得そうな行き先を考えるが、さっき悟空に引きずられてどこかへ出かける金蝉を見かけたばかりだ。
何やら大きなバスケットを持っていたから、ピクニックといったところか。
仮に知らずに天蓬が金蝉の部屋へ訪れていたとしても、戻って来るには充分な時間が経っていた。

さて、元帥閣下は何処へ消えたのか?
捲簾は全く分からず、しきりに首を捻った。

ふと、形ばかりの応接セットのテーブルが目に留まる。
捲簾は近寄って見下ろした。
「何だこれ…アルバム?」
途中まで整理されたまま放置されている。
その横には未整理の写真が重ねて置かれてあった。
捲簾は一番上の写真を手に取る。
「へぇ〜何時取ったんだ?コレ。前に桜の根元で悟空と寝入っちまった時のだな」
数枚とって見てみると、花見に行った時とか訓練の合間にふざけて撮った写真だった。
アルバムを捲ると、同じような写真が綺麗に整理されている。
「それにしても…こんな途中で放り出して、ドコいったんだアイツ?」
飲み掛けのコーヒーカップもそのまま。
ますます訳が分からず捲簾が腕を組んで考え込むと、視界が不自然なことに気づいた。
「白衣…何で脱ぎ捨ててあるんだ?」
漸く様子がおかしいことに気づいた捲簾は、慌てて室内を見回しだす。
執務机に詰まれた本が不自然に崩されている状態。
引き出しは何かを探った後か、開いたまま中身が乱雑に掻き回されていた。
捲簾は踵を返すと、寝室へ入る。
さっきは気づかなかったが、クロゼットが開いたままになっていた。
扉の中を覗き込むと、軍服と代えの白衣が掛かっていて、その下の引き出しは何かを引っ張り出した形跡がある。
「私服に着替えたのか?何だっていきなり…」
天蓬は極度の無精者で、よっぽどのことでもない限り、どこに行くのでも白衣姿のままで済ませていた。
その徹底振りは天帝の御前だろうと変わらない。
さすがにマズイと思った捲簾が、無理矢理着替えさせることもあるぐらいだ。

その天蓬がわざわざ着替えてまで、一体どこに行ったというのだろう?

何となく捲簾が不安に駆られていると、回廊の騒がしさが耳につく。
「そういやぁ…さっきから騒がしいけど。まさか!?」
捲簾が弾かれたように入口の本を蹴り崩して外へと飛び出した。
丁度そこへ、捲簾に気づいた部下達が走り込んで来る。
「大将っ!」
部下達はどこか困惑した表情だった。
「どうした?天蓬に何かあったのか!?」
「大将、もう御存知なんですか!」
やっぱり、と捲簾は頭を抱え込む。
そうじゃないかと察知した途端、案の定この騒ぎの原因は天蓬だったらしい。
「いや…さっきから騒がしかったから、そうじゃねーかなーと思って。それで?今度は天蓬が何やらかしたんだ?」
「元帥が…ゲートを突破して下界に降りたらしいんです」
「は?下界に??」
捲簾は間の抜けた声を上げた。
別に下界に降りること自体は珍しくも何ともない。
正当な申請さえ出せば、軍部の者は大抵許可されていた。
「またアイツのことだから、本かガラクタを買いにでも行ったんじゃねーの?」
「それが…申請は出されていないんですよ」
「そうなの?」
「今日のゲート管理の当番が自分の知人だったんですけど」

部下の話によると。
その日の昼前。
唐突に私服姿の天蓬が、ゲート前に現れたらしい。
通例通り許可証の提出を求めた門番を振りきって、天蓬は勝手に下界へ降下してしまったそうだ。

「何か…元帥、どうしても取りに行かなきゃいけないものがあるとか言ってたらしいですよ。あまりの剣幕に知人も腰が引けちゃったらしくって…」
そりゃ、直属の部下達にさえ畏れられているのだから、その門番の反応も当然と言えば当然だが。
「自分でわざわざ取りに行かなきゃいけないもの?大抵は下界便で済ましてたはずだけどなぁ、アイツ」
捲簾は首を捻りながら理解に苦しんだ。
天蓬は下界で欲しいモノがあれば、駐留している部下達に頼んで取り寄せていた。
「ですよねぇ…下界の連中にも連絡してみたんですけど、誰も最近元帥からの頼まれ物は聞いてないって言ってましたし」
「んー?本読んでて何かいきなり欲しいモノが出てきたとか?でも、それこそ下界便で頼めば済むことだしなぁ…」
ますます捲簾の眉間に皺が寄った。

あまりにも不可解な、天蓬の謎の行動。

「それにしても、不味くないですか?元帥、無許可で下界に降りてしまった訳ですし」
「…だな」
コッソリ降りればいいものの、派手なパフォーマンスで大騒ぎを起こしては、いずれは司令官はたまた上級神の元に話が抜けるのは時間の問題だろう。
捲簾は壁に寄りかかってしばし思案する。
「そういやぁ、都合よく司令官殿は留守だったよな」
「は?ええ、確か四竜王の会議に出席とかで出払ってますね」
「戻りの予定は?」
「確か…3日後だったと思います」
「そりゃ好都合だな」
「と、言いますと?」
部下達は一斉に首を傾げた。
「俺が直接下界に行って、天蓬連れ戻してくる」
捲簾はニッと口端に笑みを浮かべる。
「それが一番でしょうけど、申請はどうしますか?」
「あー?そんなもん、コッソリ行きゃーいいんだよ。まぁ、騒ぎの件もあるから、お前門番に話通しとけよ」
「分かりました。アイツもこれで元帥に何事か遭ったら処分どころじゃ済みませんからね」
「だろ?幸い司令官殿もいねーんだから?何事もなくお留守番してましたって、な。テメェらも全員キッチリ話合わせとけよ」
「それはもうっ!でも大将、元帥が何処に行ったか分かるんですか?」
「いんや、コレがぜ〜んぜん!」
キッパリと言い切る捲簾に、部下達は呆気に取られた。
捲簾は煙草を銜えながら、しばし考え込む。
「門番のヤツさ、下界降りた時の天蓬に何か気付いたこと無かったのか?」
「元帥ですか?自分が聞いたのは…私服姿で、これといって荷物も持ってなかったらしいですけど」
「あー?手ぶらで下界行ったのか?アイツ」
「らしいですよ…ああ、そういえば」
何かを思い出したのか、部下がポンッと手を打った。
「何か…地図っていうか…何処かの案内パンフレットみたいなのを持っていたらしいですけど」
「―――――分かった!」
捲簾が壁から勢いよく身体を起こす。
「え?元帥の行き先分かったんですか!?」
部下達は全員目を丸くして驚いた。
「ああ…多分間違いねぇな。でも今更何で…」
十中八九、天蓬は絶対あの街にいる。
ただ、その場所へ行かなければならなかった天蓬の意図が読めない。
あの街に、どうしても何かを取りに行かなければならなかった。
と言うことは、天蓬はあの時あの街に何かを置き忘れたと言うことになる。

捲簾がちょっとした画策をして、二人で初めてデートしたあの街に。

それが捲簾には全く思い出せなかった。
あの天蓬が軍規違反をしてまで下界に降りなければ行けない、何か。
「…全然思い出せねーなぁ〜」
イライラと捲簾が頭を掻く。
「あのー、大将?」
すっかり自分の世界に入り込んでいる捲簾に、部下達が恐る恐る声を掛けた。
「ん?ああ…兎に角俺はこれから下界に行ってくっから、お前達も口裏合わせとけよ」
「了解しました。じゃぁ、自分はゲート番に話つけてきます」
「おう、頼むぞ」
こんなところで悩んでいても仕方がない。
慌てて走り去る部下達を見送りながら、捲簾は深々と溜息を漏らした。
捲簾は煙草を取り出しながら、天蓬の部屋の中を思い出す。
あの状態からいって、唐突に思い出したということは推測された。
何をしていて思い出したのか。
机は何かを探してた形跡もあった。
それでも見つからなかったから、天蓬は慌てたのだろうか。
室内を見て、他に思いつくことはこれといってなかった。
「確かテーブルに…アルバムがあったよなぁ」
整理途中で投げ出されていたアルバム。
きっと天蓬は直前まで写真を整理していたはずだ。

キーワードは。
アルバムに写真、そしてあの街。

「写真…ん?確かあの時…」
煙草を燻らせていた捲簾の眉が顰められる。
「ああっ!?もしかして…」
唐突に閃いた答えに、捲簾が大声を上げながら壁を叩いた。


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