Attraction Garden


今日もいつもと変わらず、賑やかな1日が始まった。

「簾、ハンカチとティッシュ持ったか?」
「ん…ハンカチない。せんたっきにポイした〜」
「あーっ!もう早く言えっての」
捲簾は引出しを漁ると、玄関でしゃがみ込んでいる息子に手渡す。
「くまさんのヤ。うさちゃんがいーのっ!」
プイッと顔を背けて、息子の簾が駄々を捏ねた。
「ったくぅ!時間がねーってのに…ほら、うさぎの!ちゃんとポケットに入れろよ」
「はぁ〜い♪」
もそもそとポケットにハンカチを詰め込む息子の足に、捲簾は慌てて靴を履かせる。
腕時計に目をやると、既に8時だった。
「げっ!ヤベッ!出るぞ簾!!」
捲簾は慌てて息子を抱えると、大急ぎで玄関を出て戸締まりする。
全力疾走でエレベーターに向かう途中、同じマンションに住んでいる弟の部屋のチャイムを連打した。
直ぐに返事が聞こえ、ドアが開かれる。
「はよぉ〜っす」
ハブラシを銜えたまま、赤い頭がのっそりと扉から覗いた。
「悟浄、俺今日残業だから、保育園に簾迎えに行ってくれ」
「おー…また残業?最近多くね?」
寝癖の付いた頭をポリポリ掻いて、悟浄は大欠伸を零す。
「何処の企業も半期決算で忙しいんだよ、マジで大丈夫か?」
「へーき。今日は教授休みで、午後は授業ねーし」
「お前もなぁ…いい加減就職活動しねーと間に合わねーぞ」
「だって俺面倒だから研究室残るも〜ん」
「またかよ…大体悟浄、お前は!」
捲簾が説教モードに入ると長くなる。
「…ケン兄、時間いいの?」
「あっ!そうだった!!」
バツ悪い弟がすかさず突っ込みを入れて誤魔化すと、捲簾が我に返った。
「んじゃ、お迎え頼んだからなっ!」
「おう。簾あとでなぁ〜」
「ごじょちゃんバイバァ〜イ♪」
捲簾は息子を抱え直すと、エレベーターに乗り込んで地下駐車場まで降りる。
助手席の補助シートに息子を放り込むと、自分も乗り込みエンジンを掛けた。
時計を確認すると、エンジンを暖気する間もないことに気づく。
「あーっ!もうっ!道混んでんじゃねーぞっ!!」
踏み込んだクラッチを外すと、捲簾はアクセルを踏み込んだ。






捲簾は大学を卒業後、在学中に取った資格で公認会計士をしている。
学生時代からそこそこ順風満帆。
仕事も遊びもそれなりに楽しんでいた。
長身の体躯に手脚も長い。
服を着ていても、しなやかで躍動感ある筋肉が想像できる。
一見男らしいクールな美貌で威圧感があるが、笑うと無邪気で愛嬌があった。
そういう自分のパーソナリティを充分熟知していた捲簾は、下半身のお遊びも無茶苦茶派手に満喫していた。
特定の彼女は作らないが、捲簾の周りには常に最上級の女性が居る。
それも複数。
遊び慣れたオンナ達と、一時の快楽を共有する。
捲簾はそうやって、満ち足りた人生を謳歌していたのだが。

ウッカリ落とし穴にはまってしまった。

捲簾御用達の女性の中でも、年上でバリバリのキャリアウーマンが居た。
理知的でサッパリした性格だが、ベッドの上では情熱的。
捲簾との付き合いも、3年という異例の長さを誇っていた。
しかし、ある日を境に女性との連絡が全く音信不通になる。
首を傾げながらも、捲簾は「ま、いっか」と大して気にも留めていなかった。
美人なら来る物拒まず、去る者追わず。
疎遠になってから約1年。
その女性が何の前触れもなく、小さな赤ん坊を抱いて捲簾のマンションを訪れる。
突然の訪問に捲簾も面食らった。
とりあえず部屋に女性を招き入れ、捲簾はコーヒーを入れる。
サーバーに落とす間も、つい女性の抱いている小さな物体に視線が行ってしまう。

マズイ。
何かメッチャクチャ嫌な予感がする。

コーヒーをテーブルに置くと、捲簾は向かい側のソファに座った。
「久しぶりだなぁ…いつの間にか子供も出来て。結婚してたのか」
「結婚?そんな訳ないでしょ?だってこの子、貴方の子供だし」
「………え?」
捲簾の背筋に冷たい汗が伝い落ちる。
「この子の顔見れば一目瞭然でしょ?貴方にソックリなんだから」
言われて捲簾が子供の顔を覗き込んだ。
切れ長の目、眉の形、鼻筋の通ったところや、口元。
どのパーツを取ってみても、捲簾に瓜二つだった。
弟の悟浄とだってここまで似ていない。
「あ…そ…なんだ」
捲簾は思いっきり脱力して、ソファに沈んでいった。

とうとう俺も年貢の収め時か。

にしたってもうちょっと…いや、かなり遊び足りねーなぁ。
認知だったらいくらでもすっけど、結婚はヤダ。
あーもうっ!俺ってば何しくじってんだよぉ。
どーにか誤魔化せねーかな…相談もされてねーのに勝手に産まれてもさ。
いっそ逃げるか。
捲簾はガックリと項垂れながらも、頭の中は不謹慎な企みでいっぱいだ。
「…そんなに嫌そうな顔しなくても。別に結婚して欲しいなんて、これっぽっちも思ってないから。と言うより、貴方みたいな浮気者の妻なんか死んでもゴメンだわ」
女性は微笑みながらカップに口を付ける。
「へ?じゃぁ…何??」
真逆の反応に捲簾は拍子抜けした。
それなら彼女は何しにココまで来たのか?
ただの報告という訳では無いのは確かだ。
「私仕事でね、今度ニューヨークの本社で大がかりなプロジェクトがあって。そのリーダーに抜擢されたのよ」
「へぇ?」
「その仕事…10年計画で当分日本に帰って来れないし、殆ど生活の大半がそのプロジェクトに掛かりっきりになるのよねぇ」

あ、何かすっげぇヤな予感。

「私、浮気者の妻になるのも、ましてや母親になるのも人生の予定に入って無いから」

うわっ!予感的中。

「そう言う訳で。この子…貴方の子供には間違いないから、責任持って育ててね」
女性はニッコリ笑うと、腕に抱いた我が子を捲簾へと押しつけた。
ポイッという具合に手渡され、捲簾が慌てて抱きかかえる。
「そんなこと言ったってっ!お前だって苦しい思いして産んだんだろ!?母親になるつもりないなら、なんでコイツ産んだんだよっ!」
母性のかけらもない女性の態度に、理不尽な怒りが沸き上がった。
「だって、気が付いた時にはもう5ヶ月で下ろせなかったの。第一これは貴方のオンナ遊びが原因で招いた誤算でしょ?」

我が子の誕生を誤算だと言い切る薄情な母親。

捲簾の双眸が怒りで物騒に眇められる。
「とにかく渡米の準備で時間がないのよ。出国前にうちにある子供のモノは送るから、後は宜しくね」
「お前…本当にそれでいいのかよ」
捲簾が一言低く唸った。
立ち上がった女性が淡い笑みを浮かべる。
「…言ったでしょう?『誤算』だって。ああそう、その子の名前は簾って言うの。貴方の名前から取ったから」
軽く右手を閃かせると、女性は何の未練も躊躇もなく捲簾と我が子に背を向けた。
玄関から無情にもドアの閉まる音が響く。
呆然と子供を抱きながら、捲簾は暫くその場から動けなかった。
何も知らない我が子は、捲簾の腕の中で安らかに寝入っている。

ある日突然、父親になってしまった。

捲簾には父親としての自覚も心構えもない。
異母弟の悟浄にはひたすら呆れられた。
「うわっ、最悪っ!何ハマッてんだよぉ〜!マジでどーすんの?」
送りつけられたベビーベッドに眠る子供の頬を指で突きながら、悟浄が溜息混じりで捲簾を振り返る。
「どーするもねぇだろ…あのオンナ、行き先も言わねーで渡米しやがって」
「…すっげぇ姉ちゃんだな。ケン兄、区役所で手続きはしたの?」
「それはさすがにな…俺の息子には代わりねーしさ」
「ま、ココまで似てりゃ疑いようもねーわな」
トコトコと捲簾の居るソファに近づくと、悟浄はニヤリと口端を上げた。
「お前…明日は我が身だって分かってる?」
ジットリと捲簾が悟浄を睨め付ける。
半分だろうと血は争えず、弟の悟浄も下半身はお盛んだ。
「ご心配なく〜。俺、ケン兄と違ってナマでやんねーもん」
「そう言ってるヤツが、オンナにハメられてゴムにコッソリ穴開けられんだよ」
「…コワイこと言うなよ」
思いっきり悟浄の頬が引きつる。
脛に傷を持ちまくるクセにこの兄弟、根本的にお気楽精神だ。
「はぁ…俺仕事よーやっと慣れてきたところだっつーのに、どうすんだよ」
ついつい、今後の子育て生活を考えると頭が痛い。
最近、煙草の本数も倍に増えていた。
「とりあえずさ、赤ん坊から面倒見て貰える託児所探すしかねーんじゃね?ケン兄忙しい時は俺が迎えに行ってやるけど」
「ん…そうしてくれると助かるわ」
「やっぱさ…お袋さんには頼みづらいんだろ?」
「…言えねーだろ?ウッカリ孕ませちゃったんで、代わりに面倒見て下さい、な〜んて」
「だよな…オヤジは何も言ってなかったけど、お袋さん激怒してたし」
「俺らの血ってさぁ〜完璧オヤジ譲りだもんな」

捲簾と悟浄の家庭環境も、かなりややこしい。

もともと捲簾が幼い時に母親が事故で亡くなって、後妻に入った女性との間に産まれたのが悟浄だ。
その悟浄の母親も、10年前に病死している。
更にその後父親は再婚して、今の母とは兄弟揃って血の繋がりはない。
なかなか豪快な美人で、兄弟との仲も悪くはなかった。
しかし、母親は下町気質で義理人情に厚く、曲がったことが大っ嫌いだ。
まさに今回の騒動は不義理以外の何者でもない。
それとなしに悟浄が実家に戻って事情を告げると、母親は烈火の如く怒りまくり大層ご立腹だそうな。
捲簾としても、血の繋がりのない孫を世話させる訳にいかないと思っている。
「正直、なるようになれって感じなんだよなぁ」
溜息混じりに捲簾がぼやいた。
「まぁね。母親のオンナもさぁ〜今はいい加減だけど、そのうち子供が恋しくなるんじゃねーの?」
「アホか。今更のこのこ戻ってきたって親権は譲らねーよ」
「…何だケン兄。文句言ってるけど、すっかり情が移ってんじゃん」
悟浄がさも可笑しげにゲラゲラ笑う。
腹を抱えて爆笑する弟の頭を小突きながら、捲簾も苦笑を浮かべた。
「だってさ、俺にソックリなんだもん」
ベビーベッドへ視線を向けて、捲簾が肩を竦める。
「ま、ケン兄昔っから結婚はしたくねーけど子供は欲しいつってたんだから、丁度良いじゃん」
「…予定が大分早すぎだけどな」
「パパになったんだから、ちょっとはオンナ遊び自粛しろよぉ〜?」
「テメェが言うんじゃねーっ!」
ソファから身を乗り出すと、付けっぱなしのテレビからチャイムが流れた。
「ん?何だ…臨時ニュース〜?」
悟浄の声に、捲簾もテレビの方へ顔を向ける。
番組の途中で、ニュースデスクに切り替わった。
どうやら、飛行機事故があったらしい。
乗員乗客全員死亡のニュースが淡々と流れた。
「ふぅん…最近多いよな」
ボンヤリ画面を眺めていると、日本人乗客が10名ほど乗っていたらしい。
その名前と顔写真が順繰り映し出された。
「………あっ!」
唐突に捲簾が大声を上げる。
驚きで眼を見開いて、画面を注視して固まっていた。
「ケン兄どーしたん?知り合いでも居た??」
画面には。
先日背中を向けて去っていった、子供の母親が映し出されていた。


Back    Next