Attraction Garden


「せんせーさよーならぁ〜」
「はい、さようなら」
夕方前、保育園のお迎えラッシュ。
母親に手を繋がれた子供達を、保母達が笑顔で見送る。
ピークを過ぎると、室内の遊戯所は大分静かになった。
部屋の隅で園児が一人、積み木で遊んでいる。
「簾クン、ママのお迎え遅いですねぇ」
「…ママいないもん」
「………。」
新人の保父は、自分の失言に慌てて口を覆った。
こういう時は不必要に言い訳する方が、返って子供が傷つく。
「そうですか…じゃぁ誰がお迎えにくるのかな?」
保父は何事もなかったように、さり気なく話を流した。
「んとね?ごじょちゃんがお迎えにくるの」
「…ごじょちゃん?」

最近の子って、父親を名前で呼ぶモンなんですかねぇ?

不思議に思いながら、保父は笑顔のまま思案する。
「えっと…ごじょちゃんというのはパパなのかな?」
簾は保父を見上げて首を振った。
「ううん。ごじょちゃんはごじょちゃんなの〜」
「は?…あははは…そう、なんですかー…」
どうしたものかと途方に暮れ、保父は園児の側でしゃがみ込む。
「いつも簾クンのお迎えはごじょちゃんが来るんですか?」
「ちがう〜」
話があっさり終わってしまい、保父の笑顔が強張ってしまった。
僕もまだまだ未熟ですねぇ、などと肩を落としていると、目の前の道から急停車するブレーキ音が聞こえてくる。
保父がふと視線を向けると、視界に鮮やかな赤が飛び込んできた。
背の高い美形の男が、慌てた様子でこちらに向かって駆けてくる。
「簾悪ぃ!迎えに来たぞ〜」
「ごじょちゃんっ!」
嬉しそうに子供が走り込んで、男の長い脚にしがみついた。
保父もつられて立ち上がる。
仲睦まじい二人の様子に、微笑みながら声を掛けた。
「えーっと…簾クンのお父さんですか?」
「へ?いやいや、コイツ兄貴の息子だか…ら」
「あ、そうだったんですか」
保父が満面の笑みで頷く。
しばし悟浄は保父の笑顔に見惚れてしまった。

穏やかで優しそうな笑顔。
ついでに、かなりの極上美人だった。
自他共に認める面食いの悟浄でも、生涯美人ランキングぶっちぎりトップ間違いなし。
ただし、性別はどっから見ても男。
背も悟浄とさほど変わらない。

うわっ!俺ってば何男に見惚れてるんだよ!とか思いつつ。
でも、これほどの美人ならソレもアリかな?とか。
目の前の男を品定めしてしまった自分にかなり狼狽えた。
「えっと…ここの新しい保父さん?」
口に出してから、保育園にいるのだから保父に決まってるだろう!と内心で自分にツッコむ。
それほど悟浄は動揺していた。
「はい。先週からなんですよ」
保父は気にせず、ニッコリと悟浄に頬笑んで答える。
その笑顔にまたもや悟浄の心拍数が上がった。
煩いほどバクバクと心臓が高鳴る。

おっ…落ち着け俺!
相手はいっくら最上級美人でも男だ。

突然黙り込んだ悟浄に、保父は首を傾げた。
「あの…どうかしました?」
「えっ!?いや…何でもないからっ!!」
我に返った悟浄が、挙動不審に視線を泳がせる。
「ごじょちゃ〜ん…おやつぅ…」
足許から甥っ子がぐずり出す。
その様子に保父はクスッと笑みを零した。
「簾クン、今日は一生懸命おゆうぎ頑張ったからね」
「うんっ!レンいっぱいピョンピョンしたのっ!」
得意げに子供が胸を張る。
「あ、そうだ。これ、簾クンの連絡帳なんですけど…あのぉ、どうかしましたか?」
またまたポヤ〜ンと無意識に見惚れてしまった悟浄が、声を掛けられハッと我に返った。
「え?あ?な…何??」
「これ、連絡帳なんですけど。簾クンのお父さんに渡して頂けますか?」
「あぁ…連絡帳ね、はいはい」
「それで、ちょっと気掛かりがありまして」
保父はチラッと子供に視線を向ける。
「簾クン、ちょっと風邪気味みたいで。今のところ元気なんですけど、くしゃみをいっぱいしていたんです。熱が出たら大変ですから、今日は暖かくして早めに休ませてあげて下さい」
言われて甥っ子の顔を見下ろしてみると、頬が少し赤いようだ。
先程から鼻も啜っている。
「ケン兄も今忙しいからなぁ…気づかなかったみてぇ」
「もし酷くなるようでしたら、病院に行って看て貰った方がいいかもしれませんね」
「…そうだなぁ。寝込んだりしたら大変だし」
仕事が忙しいとぼやいていた捲簾が、会社を休んで簾を病院に連れて行けるかかなり疑問だ。
いざとなれば時間に融通の利く自分が動けばいいが、何げに息子を溺愛している兄が、心配し過ぎて仕事が手に付かなくなるのも目に見えている。
そうなると益々仕事が滞って忙しくなり、今度は捲簾の身体の方が心配だ。
悟浄にとっても簾は可愛い甥っ子。
普段近くにいる自分が気を付けてやらないと。
「やれやれ。俺まだ学生なのに、おとーさんの気分だわ」
肩を竦めて悟浄は苦笑した。
つられるように保父も頬笑む。
「今はひき初めですから、気を付けてあげて下さいね」
「りょーかい…ところで保父さん?」
「はい?何でしょう」
「…名前、教えて?」
すっかり口説きモードで、悟浄はいきなり保父の手を両手で握り締めた。






「あ、主任お帰りなさい。1時間ぐらい前に東邦物産の決算資料問い合わせがありましたけど〜」
事務所に台車を押して、捲簾が出先から帰社した。
途端に仕事の催促だ。
「東邦物産のは昨日データー渡しただろ〜、そこのダンボールん中。ソレ確認して電話しとけよ」
「分かりました。コレの貸借対照表どこやったっけ?」
事務所内では部下達が慌しく動き回っている。
帰社した捲簾も、つい先程まで顧客へ決算資料を届けてきたばかりだった。
「はぁ…あと馬渕建設の元帳と出しといて〜。チャート比較すっから」
ネクタイを緩めて捲簾がデスクに着く。
一息入れようとカバンを探って煙草を取り出した。
「あ…そっか。車ん中で切らしたんだけ」
ぼやきながら捲簾がまた立ち上がる。
「主任どちらへ?」
隣の席の部下が声を掛けてきた。
「煙草切れたから下の自販機行って、ちょい一服して戻る」
ヒラヒラと手を振って、捲簾は事務所を出た。

捲簾の勤務する会計事務所は、オフィスビルのテナントに入っている。
ビルの地下と1階は、オフィスに特化したショッピングモールになっていた。
様々な飲食店も入っていて、昼時はビル内外のサラリーマンやOLで賑わっている。
ビルには外資系の会社も多いので、1階のエントランスにある煙草の自販機は種類も豊富だった。

捲簾がエレベーターで1階へおりると、昼のピークは過ぎたせいか人も疎らだった。
ふと、自販機に向かっていた捲簾の足取りが止まる。
目の前をフラフラと左右に蛇行しながら、少し猫背気味の男が歩いていた。
肩までの髪を後ろに括って、白衣姿に便所サンダル。
「…このビル、診療所はねーよなぁ」
オフィスビルには似つかわしくない、異質な姿だった。
よろめきながら歩いていた男が、捲簾の目指していた煙草の自販機前でピタリと立ち止まる。
何やらゴソゴソと、白衣のポケットを無造作にまさぐっていた。
先を越された捲簾が、少し離れたところから男の動向を観察していると。

「………あっ!」

男は白衣のポケットから、多量の小銭を派手にばら撒いた。
チャリンチャリンとフロアのあちこちに小銭が転がっていくのを、男は愕然と眺めて硬直している。
あまりにも情けない姿に、捲簾はつい噴き出してしまった。
肩を震わせながら、捲簾は足元まで転がってきた小銭を次々と拾い集める。
小銭をばら撒いた張本人も、慌ててその場にしゃがみ込んだ。
「ほい、こっちにも転がってきたぜ」
「…はい?」
屈んだ体勢のまま、男が捲簾を見上げる。
白い肌にスラッとした細い首筋。
睫毛で濃く縁取られたアーモンド型の眼は、美しい完璧なフォルムで。
瞳は濡れて輝き、艶やかな色香を醸し出している。
美人に慣れまくって耐性のある捲簾も、思わず見惚れて絶句するほど超絶美形だった。
捲簾は思わず息を飲む。

でも、惜しいことに、どれだけ美人でも相手は男だ。
しかもかなりの変わりモンと見た。

動揺を抑えつつ、捲簾が小銭を掴んだ手を差し出す。
「あ…すみません。ありがとうございますぅ〜」
ぼんやりと捲簾を見上げて、男が微笑んだ。
花が綻ぶ様な笑顔に、捲簾の心臓がドクンと跳ね上がる。

男なのに。
男なのに。
ナニときめいてるんだ、俺!!

男の方は全く気にせず、自販機に小銭を落とした。
ボタンを押そうとしていた男の指がピタッと止まる。
『指まで綺麗でやんの、コイツ』と、捲簾がコッソリ観察している目の前で、突然男の身体が自販機に貼り付きながらズルズルと崩れ落ちた。
「おわっ!ちょっ…アンタ!?」
慌てて身体を支えると、力を無くした男の身体が小さく震えている。
「大丈夫かよ?具合でも悪くなったのか??」
「あ…あああぁぁ〜っ!折角ここまで来たのにぃ…」
苦渋を含んだ声に、捲簾は首を捻った。
どうやら、具合が悪い訳ではなさそうだ。
「ちょっと、いきなりどーしちゃったの?」
「無いんです…売り切れなんですっ!」
「………あ?」
悲痛な叫びに、捲簾は自販機に視線を向ける。
何十種類もある煙草の中で、一つだけ売り切れの赤ランプが付いていた。
その煙草は洋モクだろうか。
あまり見かけない銘柄だ。
「滅多に扱ってる自販機も販売店も無くって、漸くココの自販機で見つけたんです…それなのにぃ〜」
余程ショックなのかグッタリと脱力して、男は捲簾に身を預けきって泣き言を零す。
「あー、それなら。向こうのショッピングモールの雑貨屋で扱ってるんじゃねーの?ココの自販機補充してるのもその店だから」
「本当ですかっ!」
いきなり男が身体を起こして、捲簾の顔を見つめてきた。
見つめてくるのはいいけど。

おいっ…すっげ近過ぎるんだけど。
うわわっ、唇に息が掛かってるっつーのっ!

「あ…の…ちょっと」
居心地悪そうに捲簾が身を引くと、男が気付いて苦笑した。
「あ、すみません。僕視力悪くって、つい近づき過ぎちゃいましたね」
申し訳なさそうに捲簾へ頭を下げる。
男はどうにか姿勢を正すと立ち上がった。
「眼鏡を壊してしまって、どうにも視界が不確かで…あははは」
「…よくその視力で歩けるよなぁ」
「僕もそう思います〜」
「ナニ暢気なこと言ってんだか…」
「えーっと、ところで。ショッピングモールって言うのは…」
「ん?アッチ」
捲簾は入口を指差した。
男は無言でぼんやりと立ち竦む。
「はぁ…しゃーねーなぁ、ホラッ!」
動かない男の腕を掴んで、捲簾が歩き出した。
「え?あの??」
「どーせ俺も煙草買うから、連れてってやるよ」
「あ…でもお時間いいんですか?」
「ん?煙草買うぐらい時間なんか掛かんねーだろ。あ、もしかして俺が男前だからデートのお誘い?」
捲簾が笑って軽口を叩くと、男が驚いて目を見開く。
「じょーだんだって…」
「それもイイですねぇ」
「はぁ!?」
驚愕のあまり、声をひっくり返して叫んでしまった。
思わず立ち止まり、まじまじと男の顔を見つめてしまう。
男はニッコリと微笑み返す。
「先程のお礼に、コーヒーでもご馳走しますよ。コレってやっぱりデートのお誘いなんですかねぇ?」
「え…っとぉ…そうかも?」
捲簾は出会ったばかりの男と、何故かデートすることになった。


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