Attraction Garden


昼前。
捲簾宅のチャイムが連打される。
「はぁ〜い♪」
トコトコと簾が走ってドアを開けた。
「はよ〜、簾」
「おはよー、ごじょちゃんっ!」
簾は勢いよく悟浄の脚にしがみ付く。

ふと漂ういつもと違う匂い。

「あれ?ごじょちゃん…いー匂いがするぅ」
悟浄の脚に簾が鼻を擦り寄せた。
大きな掌が簾の頭を撫でる。
「そっか?昼間はあんまつけねーからなぁ」
「なんの匂い?」
簾が不思議そうに悟浄を見上げる。
「そうだな〜。オトナの匂い♪」
ニヤッと悟浄が口端に笑みを刻んだ。
「ふーん…パパもたまにいー匂いするけど。そうなんだ〜」
うんうんと簾は頷いている。
悟浄は簾を抱き上げて、頬に顔を寄せた。
「簾もイイ匂いする〜♪シャンプーの匂いかな〜?」
「やだぁ〜!ごじょちゃん、くすぐったいよぉ〜」
二人してじゃれ合いながら顔を擦り合う。
「そういや、ケン兄どーした?」
ふと室内を見回してから、悟浄が簾を見つめた。
簾は小さく首を傾げる。
「んと…パパね。朝起きたんだけど、身体痛いってまた寝ちゃった」
「…そんなに可愛がられちゃったのかぁ」
「え?何が??」
「あ、いやいや。そっかぁ〜寝てんのか。あれ?朝飯は食ったのか?簾」
「パパも一緒に食べたよ?」
「メシ食う元気があるならへーきか」
心配するほど具合が悪い訳ではないらしい。
悟浄は一瞬出かけるのを躊躇するが、大したこと無いと分かり、ほっと胸を撫で下ろした。
ふと、悟浄は視界の違和感に気付く。
「…何で留守録にしてるんだ?」
電話の留守録ボタンが点滅していた。
何気無しに液晶パネルを覗き込む。
「げっ!何だぁ?20件って??」
朝、捲簾が起きていたのなら留守録は確認してるだろう。
少なくともそれから20件も入ってるということだ。
たった2〜3時間でこの件数はおかしいだろう。
悪戯電話か、流行のストーカーか。
「これ、再生して消しちゃった方がいーのか?」
唸りながら悟浄は腕を組んで思案する。
「ごじょちゃん、どーしたの?」
「ああ、留守録がいっぱい入ってるなーって…」
「何かね、天ちゃんセンセーがいっぱいお話ししてたよ」
「………はぁ?」
「朝ね?パパが電話でお話してたんだけど、留守録にしちゃったの」
何でかな?と簾が悟浄に尋ねた。
「さぁ〜?何でだろうなぁ…」
悟浄は曖昧に返事を返すが、理由なんか丸分かりだ。

捲簾の思惑通り。
天蓬はあれからずっと、捲簾のことだけを想っていたのだろう。
何と言っても成就したばかりの恋だ。
昨日の今日で、捲簾が動けないのは天蓬にも分かっているはず。
それならせめて声だけでも、という一途な恋心からきっと電話してきたのだ。
しかし。
その電話の内容が問題だった。
たわいもない些細な話とか、捲簾の体調を気遣っての様子伺いなら、本人が居るのにわざわざ嫌味ったらしく留守電になんかしない。
と、なると。
きっと、捲簾を怒らせるようなコトを言ってきたのだ。
まぁ、何となく。
悟浄には予想が付いてしまっているのだが。

チラッと抱えた簾に視線を向ける。
あまり教育上、宜しくない内容を再度簾に聞かせる訳にはいかない。
もっとも録音最中の話も、簾には全く分かっていないだろうけど。
どうせ後で捲簾が抹消するだろうから、このままにしておこう。
悟浄は重い溜息を吐きつつ、簾を床へ下ろした。
捲簾の部屋のドアを軽くノックする。
「ケン兄〜撃沈してるって?」
「あー…腰が重くって仕方ねーよ」
ベッドに転がったまま、捲簾が億劫そうにぼやいた。
悟浄はベッドサイドに腰を下ろす。
「ふーん…腰だけ?」
ニンマリと悟浄が口元を緩めた。
捲簾が忌々しげに悟浄を睨み付ける。
「あ、そうそう。あの留守電…」
ぼそっと悟浄が呟くと、捲簾の肩が跳ねた。
あからさまに挙動不審で、ソワソワと視線を泳がせる。
黙って見つめていると、見る見る捲簾の頬が紅潮してきた。
誤魔化すように、捲簾は枕に顔を埋める。
「…ぜ〜んぶ天蓬だよ」
「あ、やっぱり?」
悟浄は喉で笑いを噛み殺した。
「で、何言ってきたの?愛の囁きオンパレードとか?」
「そんな…可愛らしいもんじゃねーよ。あのバカ」
「ん?違うの??」
予想が外れて、悟浄は首を捻る。
てっきり、しつこいほど恥ずかしい愛の告白大連発でもやらかして、捲簾のご機嫌を損ねたとばかり思っていたのだが。
「じゃぁ、何で電話でねーの?1回ちゃんと話聞いてやれば気が済むだろ?」
「あんなこと聞けるかっ!!」
真っ赤な顔で捲簾が起き上がる。
「あんな…コト?」
あまりの勢いに呆然とする悟浄に、捲簾が我に返って視線を反らした。
「天蓬、何したんだよ?」
「アイツ…朝っぱらからテレフォンセックスしかけてきやがった」
「はぁ!?」
「確かに俺が煽ったんだよっ!煽ったけどなっ!!朝の6時から何考えてやがんだーっっ!!」
捲簾はガシガシと髪を掻き回す。
さすがに悟浄も呆れすぎて、開いた口が塞がらない。
枕に八つ当たりし始めた捲簾を、悟浄は呆然と眺めた。
いちおう、聞かずにはいられない。

「で?ケン兄天蓬に付き合ったの?」
「あぁ!?何がっ!!」
「だから…テレフォンセックス」
「………。」

殴りつけていた枕を抱えて、捲簾は悟浄に背を向けた。
髪から覗いている耳が、真っ赤に染まっている。
「………ヤッちゃったんだ」
「しょーがねーだろっ!電話切っても切ってもかけ直してきやがってしつこいし、挙げ句に電話口で情けない声で泣くんだぞっ!」
「そんなの…嘘泣きに決まってんじゃん」
「何だとおおおぉぉっっ!?」
悟浄の突っ込みに、捲簾はショックで打ち拉がれた。
それぐらいあの天蓬ならやるだろう。
そこで、悟浄ははっと我に返った。
「まさかケン兄っ!リビングの電話で!?」
「アホかっ!簾が居るんだぞっっ!子機だ子機!!」
「はぁ…よかった。それぐらいは冷静だったんだ」
悟浄が安堵の溜息を漏らすと、捲簾は言葉を詰まらせる。
「ま、いーんじゃねーの?恋人ならソレもアリでしょ。いいなぁ〜ラブラブで♪」
「うっせーよ。振り回される身にもなってみろっ!」
「だって…それでも好きなんだろ?」
「………まぁな」
照れくさそうに捲簾が俯いた。
自然と悟浄も笑みを浮かべる。
「ねーねー、ごじょちゃん。遊ぼうよぉ〜」
リビングからオモチャを持って簾が走ってきた。
「あっと…悪ぃ。俺これから出かけるんだよ〜」
「えぇー…そうなんだ」
寂しそうに簾がしゅんと項垂れる。
その頭を悟浄は優しく撫でた。
「ゴメンな?」
「何だ…こんな時間から出かけるなんて珍しいな」
捲簾が時計に目をやると、まだ昼前。
悟浄の行動パターンは、バイトも遊びも陽が落ちてからが殆どだ。
こんな明るい時間に出かけるのは、大学か買い物か保育園に簾の送迎をする時ぐらい。
「ん?だぁって〜今日は念願のデートだもぉ〜ん♪」
「お前がデート!?誰とって…もしかして?」
悟浄が含み笑いを漏らす。
「八戒と初デートに決まってんじゃ〜んvvv」
「何時の間に!?」
捲簾の声が驚愕のあまりひっくり返った。
「ま、この男前の俺サマが本気を出して口説いたんだからなぁ〜当然でしょ?」
胸を張って悟浄が得意げに威張る。
「へぇ?それでファーレンハイト、な訳ね」
「香りから気合い入れねーとさ」
悟浄は双眸を眇めて笑う。

深紅と、炎のイメージ。
ファーレンハイトは悟浄のイメージそのものだ。

「本気なのかぁ」
「…まぁね」
捲簾は未だに八戒と顔を合わせたことはない。
昨夜、飲みながら何気なく天蓬から聞いた感じでは。

『僕と容貌は似ていますけど…性格がね』
『…似てねーの?』
『一見…ね。もっとも大抵の人は上っ面だけで充分みたいですけど』
『でもそれじゃ…』
『ええ。もちろん、そんな連中に八戒は本心なんか見せませんよ。そうだなぁ…案外僕よりもコワイかも知れませんねぇ』
『え?コワイ??』
『ええ。八戒はね、情が深いんですよ…もの凄く。だから本当に愛する人ができたらきっと…』
『きっと?』

その先を天蓬は微笑みで誤魔化した。
捲簾も結構酔いが回っていたから、さり気なく話を変えられても、それ以上気に留めなかったけど。

きっと?
何だったんだろう。

捲簾はぼんやりと悟浄の顔を眺めた。
「ん?何、ケン兄??」
「あ…いや。待ち合わせの時間いいのかよ?」
「えーっと…あっ!そろそろ出かけねーと!!」
悟浄が慌てて立ち上がる。
「そんじゃ、行ってくるから!」
「ああ…」
「簾、明日な〜」
「ごじょちゃん、ばいばぁ〜い」
騒々しく部屋を突っ切り、大きな音を立てて玄関のドアが閉まった。
捲簾はまだ、昨夜の言葉を考える。

確か、天蓬は。

『…でもね、僕と八戒は良く似ているんです』

あの時は何の気なしに聞いてたけど。
「天蓬と似てる…それって…」
脳裏を過ぎった予感に、捲簾は突然派手に噴き出した。


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