Attraction Garden


「八戒センセーどうしたんですか?」
「…はい?」
同僚の保母さんが、八戒のデスクにカップを置いた。
「あ、ありがとうございます」
八戒は礼を言うと、暖かなコーヒーに口を付ける。
今日は日曜日。
保育園は休みだが、八戒を含めて休日出勤の保母が数名いた。
「な〜んかさっきから時計ばっかり気にしてるでしょ?」
唐突に突っ込まれて、八戒はコーヒーを器用に喉へ詰まらせる。
どうにか噴き出さずに飲み込むが、気管にまで入ってしまった。
「ゲホゲホッ…」
「やだ、大丈夫!?」
涙目になって咽せ返りながら、八戒は小さく頷く。
傍らの同僚も心配そうに、背中をさすってくれた。
どうにか咳が治まると、八戒は大きく息を吐く。
「すみません…でした」
八戒が苦笑して、立っている同僚を見上げた。
「もぅ…いきなり咽せるからビックリしたわよぉ。ホントに大丈夫?」
「はい、もう平気です」
心配げに見つめる同僚に、八戒は笑みを返す。
同僚は安心すると、自分の席に戻っていった。

それにしても。
そんなに時間を気にしていたのだろうか。

八戒の頬が羞恥で赤らむ。
時刻はまだ10時。
出勤したのが8時で、まだ2時間しか経っていない。
何だか今日に限って、時間が過ぎるのを遅く感じていた。

理由なんか分かっている。

視線の先には小さなお守り。
八戒はペンを置くと、可愛らしい袋を手に取った。

『これは、おまじないみたいなもんです』
『…おまじない?』
先日天蓬から渡されたお守り。
何故だか安産祈願のお守りだった。
しかもキティちゃん絵柄が愛らしい。
一体どんな顔してコレを買ったのだろう。
単純に近所の神社がそうだったのか、天蓬がいい加減だったのか。
後者なのは間違いない。

天蓬は知っている。
何もかも。

『きっと、八戒の為になりますよ』

そういって天蓬は優しく微笑んだ。
「僕の為…ねぇ」
八戒はじっと手の中のお守りを見つめる。
「あっと…いけない!仕事仕事」
我に返ると、小さく頭を振った。
改めてペンを握り直して、日誌に視線を落とす。
八戒の勤める保育園では、毎日子供達の様子を日誌に記録していた。
「あ…簾クン」
ちょうど次は簾のところだ。
昨日はあんまりお昼寝して無かったらしい。
「そういえば…食事も少し残してたっけ」
外で元気に遊んではいたので、体調が悪いと言う訳じゃ無さそうだけど。
何か心配事でもあったんだろうか。
心配事、と言えば。
「確か、昨夜は天ちゃんが簾クンのお父さんと…」
結局どうなったのか。
これといって天蓬から何も連絡は入っていない。
「…失礼なことしてなければいいんですけどねぇ」
天蓬の傍若無人振りは、身内の八戒が一番よく知っている。
散々迷惑を掛けて居るんじゃないかと、八戒はひそかに心配していた。
もっとも悟浄の話だと、簾クンのお父さんもなかなかスゴイ人物らしい。
あの天蓬とつき合えるだけでも、驚愕と共に尊敬に値するが。
横からクスクスと小さな笑い声が聞こえてきた。
「八戒センセー、また時計見てたわよ」
「あ…」
つい、ボンヤリしながら、また時計を眺めていたようだ。
「なになに?今日はデートでもあるのかしら〜?」
「違っ…そんなんじゃありませんよ」
「そう?最近毎日来ているあの人…簾クンの身内の彼と逢う約束でもしてるんじゃないの?」
「そういう…訳…じゃ…」
八戒は頬を染めて俯いてしまう。
これでは、認めているようなものだ。
「へ〜?何か彼って最近一生懸命で可愛いよね〜。前はそんな感じじゃなかったのに」
「え?そうなんですか??」
意外な言葉に八戒が目を丸くする。
同僚はう〜んと腕を組んだ。
「前は…そうねぇ〜愛想が良くって人懐っこい感じ。それに軟派で女の扱いに慣れてるのが分かるって言うか」
「それは…今もそうじゃないですか?」
「そうなんだけどね…上手く言えないけど、卒がなく自分のことを分かってて計算されてる感じ?」
「悟浄が…計算…?」
八戒にはいつもの悟浄から想像出来ない。
「変わったのは八戒センセーに会ってからじゃないかなぁ」
「僕と…ですか?」
「そう。何かすごくじゃれてて可愛いじゃない」
「まぁ、大型犬みたいではありますけどねぇ」
「そうそう、そんな感じ」
八戒と同僚は顔を見合わせると、同時に笑いを零した。
「それで?今日は彼とデートなの?」
思いっきり核心を突っ込まれ、八戒がうっすらと頬を染める。
「そんなんじゃ…ないです」
「えー?照れることないのに〜」
「もぅっ!からかわないで下さいっ!!」
八戒はぎこちなく視線を逸らした。
同僚は肩を竦めて苦笑する。
「ゴメンゴメン!からかってる訳じゃないの。彼…悟浄クンだっけ?すごい一生懸命八戒センセーにアタックしてたから、そうなのかなーって」
「僕…良く分からないんです」
「そうなの?」
同僚が首を傾げる。
「だって僕は男だし。きっと僕が慌てるのを見て面白がってるんですよ」
「そうなのかなぁ。そういう風には見えないけど?」
椅子を回して同僚が八戒に向き直った。
「ただ八戒センセーをからかってるだけなら、毎日朝や夕方にわざわざ来ないんじゃないかな?それに彼って学生でしょ?授業だって、友達とのつきあいだってあるんじゃないの?それで毎日日課のように会いに来るなんて、かなり大変だと思うけど」

言われてみれば、確かにそうだ。
悟浄は簾の送り迎えという名目はあっても、毎日必ず八戒に会いに来る。
朝と夕方、決まった時間の送り迎えに、大学の授業。
それに週に3日は、夜中までバイトをしていると言っていた。
それでも、悟浄は楽しそうに笑って八戒に会いに来ている。

「まぁ、男の子同士だから恋人っていうのじゃないんだろうけど、そういう友達は大切にした方がいいと思うよ?」
「そう…ですよね」
八戒は同僚の忠告に頷いた。

でも、ダメなんだ。
悟浄は『友達』なんか欲しがっていない。
僕を見るアノ瞳はそんな関係を求めていない。

僕は。
どうすればいいんだろう。
どうしたいんだろう。

自分のことが一番分からない。
今日悟浄に逢えば、何か分かるかも知れないと思った。
八戒は天蓬から貰ったお守りをじっと見つめる。
『これは…八戒が素直になれるお守りなんです』
天蓬から手渡された時も、八戒は信用していない。
話半分で聞き、適当に礼を言って受け取った。

そんなコトが起こる訳がない。

「あれ?随分可愛いお守りね」
「ああ…親戚から預かってるんです」
「へぇ…親戚で御出産があるの?」
「は?えぇ…まぁ」
八戒は適当に笑ってその場を誤魔化す。
「八戒センセー、終わったら上がっても良いわよ。本当は今日は出勤日じゃないんだし」
「はい。でも、もう少しですから」
「そう?待ち合わせの時間大丈夫なの??」
「…昼ですから」
「じゃぁ、まだ今上がっても早いかぁ。それにしても、何か天気崩れそう…雨降るのかしら?」
窓から見える空は重い雲が立ちこめ、薄暗く曇っている。
今日の天気予報では夕方から崩れると言っていたのに。
「八戒センセー、傘持ってきてる?」
「あ、僕置き傘置いてあるんで」
「そっか。さてと…私もさっさと仕上げて、買い物にでも行こうかな〜」
同僚は大きく伸びをすると、机に向かった。
八戒もそれに倣って、日誌のページを捲る。
突然、事務所内の電話が鳴り響いた。
「はいは〜い、私出ます〜」
一番電話の近くにいた保母が、受話器を取り上げる。
「もしもし…え?あ、はい。そうですが…はい…はい…ええっ!?」
応対していた保母が大声を上げた。
何事かと、一斉に振り返る。
八戒も驚いて視線を向けた。
「どうかしたの?」
電話を取った保母が、全員を見回す。
「病院からで…うちの園児がさっき…交通事故に…お母さんが取り乱してるらしくって」
「ええっ!?」
室内の空気が一瞬で緊張する。
その場にいた全員が、驚愕で表情を強張らせた。



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