Attraction Garden


八戒との待ち合わせは12時。
駅前のよく分からないモニュメントの前。
待ち合わせには在り来たりで、返って探しづらいかなとも思ったけど。
以外にも人は多くなかった。
これならすぐに見つけだせる。
それよりも、八戒が自分を見つける方が早いかも知れない。
駅前には噴水があって、その中心にどこぞの著名な彫刻家が作ったらしいモニュメントが建っていた。
悟浄は石で出来た噴水の縁に腰掛け、右腕の時計を見る。
時間は11時半。
30分も早く来てしまった。
「おいおい…遠足前にはしゃぐガキかってーの」
自分でツッコミながら、羞恥を誤魔化すように前髪を掻き上げる。
悟浄はぼんやりと空を見つめた。
厚い雲が立ち込め、陽射しが降りてこない。
「絶好のデート日和…な訳ねーか。う〜寒っ!」
上着のポケットに手を突っ込み、悟浄は小さく震えた。
ここ数日ですっかり空気に冬の気配が漂っている。
煙草を銜えて火を点けると、見るともなしに人通りを眺めた。
友人同志や恋人達が嬉しそうに相手を見つけ、駆け寄ってくる。
「あー…早く八戒に逢いてぇ」
溜息混じりに煙を吐き出した。
人の会話が音だけになって耳に入ってくる。
笑っている声、怒っている声。
ただのざわめきにしか聞こえない。

八戒が来たらどうしようか。
とりあえず、寒いからどこかに入って。
時間が時間だからお茶よりは食事かな。
仕事をしてきてから来るみたいだし。
その後は買い物でも映画でも、八戒の行きたいところに連れて行こう。
途中で休憩して、夜には食事して。
それから。
ずっとそのまま八戒と一緒に居たい。

予定を考えているだけでも楽しくなってきた。
自然と悟浄の頬が弛む。
でも、八戒はどうなんだろう。
まだ戸惑っているけど、嫌われてはいない――――と思う。
触れる指を、掌を。
邪険に払われたりするけれど、拒絶されてはいなかった。
自分は『友達』が欲しい訳じゃない。
唯一無二の存在が欲しいから。
欲張りだから、自分が愛する以上の気持ちを相手に求めてしまう。
だから、自分が愛している八戒に。
もっともっと自分以上に愛して欲しい、求めて欲しい、繋がれて欲しい。
自分だけのモノにしたい、されたかった。
無い物強請り何かじゃない。

だって。
目の前に八戒は、居る。

悟浄は腕時計に視線を落とす。
いつの間にか1時間経っていた。
12時半。
「…どうしたんだろ?遅ぇな」
新しい煙草を口に銜え、悟浄がぼやく。
ちゃんと八戒に時間は伝えたし、不承不承八戒も頷いてた。
自分から確認までして、手帳に書き込んで。
1分でも遅刻してきたら帰りますからね、と恥ずかしそうに睨んできた。
それなのに。
「何か…あったとか?」
八戒は真面目で律儀だ。
例え今日のことが不本意だとしても、約束を勝手に反故にしたりしない。
今日ここへ来る前に保育園を通った時、何かの書類を抱えた八戒の姿を窓越しに見かけた。
病気で寝込んでいる訳ではないはず。
考えていると、段々不安になってきた。
良くないことばかり頭に浮かんでしまう。

ここに来る途中で、交通事故にでも遭ったんじゃないか。
八戒は美人だから、どこかのバカにナンパでもされ、しつこくされてるんじゃないか。

悟浄が煩悶している横で、誰かが携帯で話し始める。
「あー…俺も八戒の携帯、訊いときゃよかった」
天蓬の番号は聞いたというか、無理矢理メモリーさせられたが、肝心の八戒に聞きそびれていた。
今更ながら自分の迂闊さに悟浄は項垂れる。
悟浄が知らないのだから、当然八戒が悟浄の携帯を知る訳がない。
もしかしたら天蓬に訊いてるかも知れないが、それなら遅れると分かった段階でとっくにかけてきているだろう。
望みは薄そうだ。
悟浄は小さく溜息を漏らす。
「まさか…マジで八戒に何かあったんじゃねーだろうなぁ」
確かめるには、保育園に行ってみればいいけど。
もし、こちらに向かってるかも知れない八戒と入れ違う可能性もある。
そう考えると、悟浄は動けなかった。
「はぁ…こんなことなら、直で保育園に迎えに行けばよかった」
後悔したってどうしようもない。
それに、八戒と待ち合わせてデートっていうのをしたかった。
いつもお世話になっている簾の保父さんとしてではなく、八戒個人と付き合いたいと思ったから。

「あ…やだ、雨?」

どこからか声が聞こえてきた。
ポツリ、と。
悟浄の頬に冷たいモノが落ちてくる。
慌てて悟浄は空を見上げた。
暗く立ち込める雲間から、水滴が尾を引き落ちてくる。
ポツリ、ポツリと。
次第にその感覚が早くなる。
同じように噴水前に居た人々が、駅やショッピングモールへと雨宿りに走り去った。
気が付けば、悟浄一人。
道に傘の花が次々開いていく。
悟浄は黙って、ただ空を睨み付けていた。






保育園に連絡のあった病院へ、八戒と同僚の保母ですぐに駆けつけた。
園児の母親はただ泣いて取り乱すばかりで、どのような容態なのか要領を得ない。
二人がかりでどうにか宥めて落ち着かせると、集中治療室横のソファへ座らせた。
落ち着きを取り戻した母親が、辿々しく事故の状況を話し始める。
要は、母親と園児が買い物に出かけたらしい。
少し目を離した隙に、事故は起こる。
花屋で立ち話をしていた時、園児が道を挟んだ向かいにある公園へ一人で行ってしまった。
会話の途中で我が子が居ないことに気づいた母親は、大きな声で名前を呼んだ。
それに気づいた園児が、慌てて母親の元に戻ろうと道に飛び出した。
そこに黄色の信号で無理矢理突っ込んできた車が、園児に接触したらしい。
不幸中の幸いで、驚いた園児が後に転んだため、正面衝突は免れた。
車は急ブレーキを踏んだが間に合わず、転んだ園児の右脚を轢いてしまう。
慌てて降りてきた運転手が、警察と消防に通報をした。
その間も母親は気が動転して、ただ痛がる我が子を抱き締め泣きじゃくるばかり。
母親と一緒にいた花屋の主人も子供が同じ保育園に通っている為、気を利かせて保育園の方へ連絡してきたのだ。
大まかに状況が分かると、八戒も同僚の保母も安堵する。
まだ分からないが、命に別状はないようだ。
同僚の保母がコーヒーを買ってきて、母親に手渡した。
「本当に…申し訳ありません、ありがとうございます」
か細い声で、母親が頭を下げて礼を言う。
「気にしないでください。それよりもお母さんが倒れてしまったらもっと大変ですよ?」
「そう…ですよね。何か頭の中がゴチャゴチャして…主人が海外に単身赴任中で、もしものコトがって思ったら…どうしたらいいか分からなくなって。私がしっかりしなくちゃいけないのに」
母親は無理矢理笑顔を作るが、カップを持つ手が震えている。
未だにショックが大きいのだろう。
八戒と保母が横に付き添っていると、治療室から医師が出てきた。
「先生っ!娘は!?」
必死の形相で母親が医師に縋り付く。
「脳に損傷はありませんから大丈夫です。左脚を2箇所骨折していますが、綺麗に折れてますし。子供ですから直ぐに骨も付いて、リハビリすれば全く問題ありませんよ」
「よかったぁ…」
同僚の保母が安堵の溜息を漏らした。
八戒もほっと胸を撫で下ろす。
「ありがとうございますっ!」
泣きながら母親は何度も頭を下げた。
「よかったですね」
八戒が頬笑むと、母親も涙を拭って大きく頷く。
「本当に…ご心配おかけしてしまって…っ。先生方もありがとうございました」
「いえいえ。早く元気になるといいですね」
「ええ…」
話していると、園児を乗せたストレッチャーが治療室から出てきた。
園児の意識もはっきりしていて、寄り添った母親に笑顔を向ける。
もう心配はないだろう。
「それじゃ、私たちとりあえず今日は帰ります」
同僚の保母が母親に声を掛けた。
「本当にご足労駆けてしまって。改めて保育園の方にはお礼に伺いますから」
「そんな、お気になさらず。僕達も後日お見舞いに来ますね」
園児の顔を覗き込んで、八戒が頬笑んだ。
嬉しそうに園児も頷く。
病室に向かう母親達と別れ、八戒と保母はロビーに出た。
「あ、園の方に連絡入れなきゃ」
保母がロビー脇にある公衆電話に走っていく。
とりあえず八戒は待合室の椅子に腰掛けた。
一時はどうなることかと思ったけど、大事に至らなくて本当によかった。
八戒は緊張していた身体から力を抜く。
ぼんやりと入口から外を見ると、雨が降り出していた。
「いつの間に…」
何の気無しに呟いて、八戒はロビーの時計を見上げる。
いつの間にか夕方になっていた。
「もう…5時…か。結構経ってたんですね」
八戒が少し驚いていると、電話を終えた保母が戻ってくる。
「お待たせ。園長に連絡は入れておいた。やっぱりみんな心配して残ってるみたい」
保母が肩を竦めて苦笑した。
「あら。雨が降ってたのね…車で来て正解だったな。八戒センセーどうする?一度園に戻るなら乗せていくけど。それともそのまま出かけるの?」
「え?出かける…って」
八戒が困惑した表情で首を傾げる。
「だって、今日約束があったんでしょ?大丈夫なの?ちゃんと事情言って遅れるって連絡した?」
「あっ…」

悟浄との待ち合わせ!

今まですっかり忘れていた。
もう一度八戒は時計に視線を向ける。
5時を少し過ぎたところだ。
八戒の慌てぶりに、保母が目を見開いた。
「まさか…何も言ってないの?」
「………どうしよう」
「どうしようじゃないでしょっ!」
保母は気が抜けたように立ち竦む八戒の腕を、強引に掴んで歩き出す。
「何で連絡入れなかったの?彼きっと心配して待ってたわよ!」
「そうかも…知れません」
引きずられるままに八戒は保母の後を付いていく。
駐車場まで来ると、保母は八戒を強引に助手席へ押し込めた。
自分も運転席に滑り込むと、急いでエンジンを掛ける。
「場所、どこなの?」
「え?あの…」
ワイパーの動きを見つめながら、保母が端的に尋ねた。
「場所よ!待ち合わせの…そこまで送るから。もう居ないだろうけど、彼がそこでどれだけ貴方を待ったか自分の目で確かめなさい」
「………。」
「そうじゃなきゃ…彼、可哀想でしょ」
「…はい」
サイドブレーキを降ろすと、エンジンを踏み込んだ。
側道に出ると、かなり雨足が強いことに気づく。
八戒は濡れる窓の外を眺めた。

どうしよう。
こんな形で嫌われたくは無いのに。
理由を言えば、許してくれるかもしれないけど。
それでも。
一瞬でも僕は悟浄のことを忘れていた。
僕が来るのをずっと待って、待ち続けて。
きっと僕のことだけを考えて、待っていてくれたのに。

八戒は額を窓にぶつける。

そんな優しい彼のことを。
一瞬でも忘れてしまった自分が許せなかった。

保母がチラッと視線を向ける。
「すぐに…謝りにいきなさいね」
優しい声で呟いた。
八戒は俯いた顔が上げられない。
掌が白くなるほど硬く握り締めていた。
「でも…僕は…」
「流されるままだと後悔するよ?」
「え…」
信号で止まると、保母は八戒を見つめる。
「自分がどうしたいか、どう思ってるか。ちゃんと主張しなきゃ。逃げてたら始めることも終わることもできないでしょ。少なくとも彼…悟浄クンは始めてると思うけどなぁ」
「………。」
八戒はただ黙って耳を傾ける。
「簡単なことじゃない?一緒に居たいか、居たくないか」
「僕は…悟浄と居たい…です」
小さな声で八戒が心情を吐き出す。

そうだ。
僕は一緒に居たいんだ。
悟浄が選ばせようとしてたことは、そんな簡単なことだったのに。

「じゃぁ、そう言えばいいのよ。後は八戒センセー次第かな?」
「え?僕次第??」
保母がニッコリ頬笑む。
意外な言葉に、八戒は目を見開いた。
「そうそう、惹きつけるも手懐づけるのも八戒センセーの手腕でしょ♪」
「手腕…って。何だか犬の躾みたいだなぁ」
「男を誑かすのなんてそんなもんよ」
八戒は思いっきり驚いて、顔を真っ赤に染める。
「たっ…誑かすってっ!?」
「あら?違うの??」
サラリと返された言葉に、八戒は信じられない思いで見つめた。
その瞳は優しくて、からかいや侮蔑の色はない。
「友情でも愛情でも、欲しい気持ちは同じだと思うけど。気持ちに性別はいらないでしょ」
信号が変わり、車を走らせる。
「あーっ!もうっ!!駅前はこれだから…バスもタクシーもあるんだから、車でわざわざ迎えになんか来なくていいのよ。渋滞するの分かってるのに〜!!」
駅前のターミナルまであと100m。
苛立って保母がハンドルを叩いた。
「僕、ここでいいです」
「そう?大丈夫…ね?」
保母が八戒の瞳を伺う。
「大丈夫です」
今度はハッキリした声で八戒も答えた。
保母も双眸を和らげて頷く。
「あ、バッグは後に…傘持ってきてないでしょ?シートの下に置き傘あるから」
「ありがとうございます」
「…頑張ってね」
荷物と傘を取って車を出ると、八戒は頭を下げて走っていった。
保母は進まない車の中で、ドッカリとシートに凭れ掛かる。
「やれやれ…今日は慌ただしいこと」
苦笑を漏らすと、小さくなっていく八戒の背中を見送った。



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