Attraction Garden


起床して朝一番に、捲簾は息子の様子を見に子供部屋を覗く。
「簾。朝だぞ〜」
ベッドでむずがる息子の額に掌を当てた。
昨夜よりも熱が上がってるような気がする。
「簾…ちょっと起きようか」
「んっ…パパおはよぉ…」
寝起きで挨拶する簾の声が僅かに掠れていた。
起き上がるのを手伝い、捲簾が息子の顔を覗き込む。
「身体辛いトコねーか?喉や頭が痛いとか…お腹は?」
捲簾は心配そうに様子を伺った。
小さく首を傾げ、簾はうーんと考え込む。
「痛いトコないよ。でも何か熱いの〜」
「そっか…熱があるかもな。ちょっと計ってみっか。もし熱があったら保育園お休みして病院行こうな」
捲簾が持ってきた薬箱から体温計を探していると、簾が頬を膨らませて拗ね始める。
「えーっ!保育園行きたぁ〜いっ!病院やだやだぁ〜」
簾がベッドの上で駄々を捏ね、じたばたと暴れた。
「いっぱい病気が酷くならねーうちに直さないと。もっと保育園お休みしなくちゃなんねーぞ?そんなのイヤだろ?」
言い聞かせて捲簾が息子のパジャマのボタンを外す。
腋の下に体温計を挟むと、襟を直して肩を撫でてあやした。
それでも簾は上目遣いに睨んで拗ねたまま。
「だって…注射キライだもん」
余程怖いのか、涙目になってボソッと呟いた。
検温の終わった電子音が微かに聞こえる。
捲簾が体温計を脇から取り外して、簾の体温を確認した。
「う〜ん…37度か。ちょっと熱があるなぁ」
「…注射ヤダぁ〜」
簾が本格的にぐずりだす。
「大丈夫だって。簾は男だろ?強い男は注射なんか怖くないんだぞ〜?」
「でもぉ…痛いのヤぁ…」
「風邪が酷くなったらもっといっぱい痛いんだぞ?」
「う…いっぱい痛くなるの?」
心細げに簾が父親を見上げた。
縋るような眼差しを受け、捲簾はニッコリ微笑む。
「ちょっと痛いのといっぱい痛いのどっちがいい?もし簾が注射ガマンできたら、大好きなチョコアイス買ってやるんだけどなぁ〜」
小さな手がギュッと捲簾のシャツを掴んできた。
「…ガマンする」
「おっし!じゃぁ着替えような?」
「うん…」
簾はベッドから降りると、自分でタンスを開けて服を選ぶ。
着替え始めた息子を眺めていると、玄関のチャイムが聞こえてきた。
「はいはい〜っと」
ダイニングを横切り、相手を確認もせずに捲簾はドアを開ける。
「はよーっす!どう?簾の体調」
甥っ子の体調が心配だったらしい悟浄が、朝っぱらから顔を出した。
「んーやっぱ微熱あるから病院連れてくわ」
説明する捲簾の後に続いて、悟浄は部屋に上がりこむ。
「ん?簾は?まだ寝てんの??」
「いや、今着替えてる。あぁ、そうだ保育園と会社に連絡いれねーとなぁ」
「あ、保育園は俺に任せて♪」
「………あ?」
受話器を手に取って、捲簾が振り返った。
「俺が直接八戒センセーにお休みするって言ってくるから〜♪」
「…それが目当てか」
ちゃっかり簾の病気を利用する弟に胡乱な視線を向ける。
「いーじゃんよぉ〜!大学行くついでに寄るんだから」
「どっちがついでだよ…」
捲簾が呆れながら溜息を吐いた。
「いっけどな。テメェ妙な面倒事だけは起こすんじゃねーぞ?」
「昨日の今日でソレはマズイっしょ?今日はフォロー入れねーとさ」
「お前…マジなんだなぁ」
つくづくと感心して、捲簾が呟く。
今まで弟の悟浄は、自分から積極的に口説くような真似をしたことが無い。
そんなことをしなくても、向こうから自信満々自薦するオンナ達が後を絶たないからだ。
まさに入れ食い状態。
その中で御気に召したオンナ達を、お持ち帰りして頂くだけだった。
駆け引きでオンナとの会話を楽しむ為に、口説きめいたことをすることはあっても。
その気の無い相手を、真剣になって口説き落とそうと思ったことは今まで一度も無かった。
相手の様子を探って、自分のフェロモンにかからなければそれまで。
そんな面倒なことしなくても、他を当たればいいだけだった。
捲簾は自分も同じような事をしているだけに、悟浄の積極さに余計驚いた。
「ま、これからどうなるかは、俺にも分かんないけどねぇ〜」
淡い笑みを浮かべて悟浄が肩を竦める。
「パパぁ〜着替えたよ」
子供部屋から着替え終わった簾がトコトコ現れた。
「簾大丈夫かぁ〜?」
「あ、ごじょちゃん!おはよー」
「おぅ!やっぱちょっと顔赤いなぁ」
捲簾が会社に電話している間に、悟浄はパンをトースターに放り込む。
「オレンジジュースとリンゴジュースどっちがいい?」
「んとね、オレンジのがいい」
「ほい。パン焼けるまでソレ飲んでな」
「はぁ〜い♪」
「ケン兄は卵2つでいー?」
フライパンを熱しながら、掴んだ卵を掲げて見せた。
受話器相手に話しつつ、捲簾が小さく頷く。
「ごじょちゃんゴハンは?」
鼻歌交じりに目玉焼きを作る悟浄の背中に、簾が声を掛けた。
「んー?俺はもう食ってきたんだよ〜ん。ほい、上がり♪」
軽快にフライパンをひっくり返して、皿に目玉焼きを乗せる。
丁度パンも焼きあがったようだ。
「ほら、先に食っちまえよ」
「うん。いただきまーっす」
小さな掌を合わせて、行儀良くペコリと頭を下げパンに齧りつく。
「簾、朝メシ食ったら病院行くからな」
電話を終えた捲簾も食卓に着いた。
悟浄からカップを受けとり、正面に座る息子へ言い聞かせた。
「あっと…んじゃ俺そろそろ行くわ」
時計を見た悟浄が、慌てて立ち上がる。
放ってあったリュックを肩に掛けて玄関に向かった。
「保育園の方頼んだぞ〜悟浄」
「りょーかい!八戒待ってろよーっ!!」
妙な気合を漲らせて叫びと共に、玄関のドアが閉まる。
「…アイツ、ちゃんと用件分かってるんだろうな?」
額を押さえて捲簾がぼやいた。






捲簾は息子を連れて、会社近くの病院まで足を運ぶことにした。
朝、会社の同僚に理由を言って休む旨を伝えると、心配そうに気に掛けてくれアドバイスまでしてくれる。
その同僚にも簾と同じぐらいの子供が居るのだ。
「そっか、父親だけだから大変だよなぁ。そうそう、会社の近くに総合病院あるだろ?あそこの小児科って結構評判いいらしぞ。どうせなら安心して簾クン任せられる医者の方がいいだろ?」
「へぇ?でも紹介状ナシで行っても平気かな」
「大学病院じゃねーから大丈夫だろ?それにオフィス街にある病院だから、小児科ならそんなに待たされないだろうし」
「そうなんだよ。病院って待ち時間が長すぎて…簾の風邪拗らせそうだしな」
「だろ?うちの柏崎女史も、娘さんが具合悪くなると連れてってるらしいぞ?あの人自宅からだと結構遠いのにさ〜。よっぽどイイ医者がいるんじゃねーの?」
「ふーん。じゃぁ、行ってみよっかな。それに帰りがけ持って帰りたいデータもあるし」
「…大口の仕事は終わったんだから仕事持ち帰らなくってもいいって。簾クンの側に居てやれよ」
同僚は呆れた声で呟いた。
捲簾は電話越しに口端を上げ苦笑した。
「そうしてぇけど。簾だってすぐ具合良くなるかまだ分かんねーし、いちおう家でも対処できるようにしないと混乱するだろ?」
「ったく…アイツら、ちっとはお前ばっか頼んねーで、鍛えた方がいいんだよ。課長だっているんだから。俺がよぉ〜っく言っておくって」
「…悪ぃな」
「気にすんなよ」
同僚の心遣いに、捲簾は微笑む。
結局、アドバイス通り会社近くの病院まで簾を連れてきた。
保険証を窓口で出し必要事項を記入してから、待合室で呼ばれるのを待つ。
平日にもかかわらず、待合室は結構混みあっていた。
それでも子供連れは少ない。
「簾、直ぐ呼ばれるからイイ子で待とうな」
「うん…」
神妙な顔で座って、簾は足をふらつかせた。
相変わらず注射への恐怖が拭えないらしい。
宥めるように息子の頭を撫でると、名前が呼び出された。
「さて、簾行こっか?」
「う…パパ…抱っこぉ」
簾は小さく震えながら捲簾へと腕を伸ばす。
「しょーがねーなぁ。男なんだからシッカリしろー?」
息子の身体を抱き上げて、捲簾は小児科診察室の扉を開けた。
中待合いで立っていると、カーテンを開いて顔を出した看護婦に案内される。
「えーっと…簾クンですねぇ。どうしちゃいましたか〜?」
カルテを開いて話しかけてくる医師に、捲簾の方が大きく目を見開いた。
「あーっ!?アンタ!昨日のっ!!」
「…はい?」
驚いて捲簾が指差した相手は、昨日出会ったナゾの美人。
しばし見つめ合うこと数秒。
「ああっ!昨日の…その節は助かりました。ありがとうございます〜」
ワンテンポ遅れて思い出した医師が、捲簾にニッコリ微笑んだ。

…相変わらずの美人だ。

またもや捲簾はその笑顔に見惚れてしまう。
なるほど、医者だったのか。
それなら昨日の白衣姿も納得出来た。
この病院から捲簾の勤めるオフィスビルまで、そう遠い距離ではない。
空き時間にそのままの姿で、煙草を探してやってきたのだろう。
捲簾が思考を飛ばしている間、医師はカルテを眺めていた。
「ふむ。ちょっと微熱があるんですねぇ。今日お熱は計りましたか?」
「………。」
「あの…お父さん?」
反応のない捲簾に、天蓬は首を傾げる。
その仕草も何だか可愛らしかった。
自覚する前に、勢いで医師の手をガシッと握り締める。
「…捲簾って呼んで欲しいなぁー」
「え?あの??」
突然の行為に驚く医師に、様子を眺めていた看護婦が噴き出した。
小さな笑い声に、捲簾がハッと我に返る。
目の前には困ったように微笑む医師。
「パパぁ…なにやってんのぉ〜」
顔を真っ赤にして、恥ずかしそうに簾が睨んできた。

しまった…いつもの調子でついつい。

どうしたもんかと思案していると、逆に掌が握りかえされる。
驚いて捲簾が目の前の医師を見つめた。
「それじゃ〜僕のことは天蓬って呼んで下さい♪」
小首を傾げて愛嬌込めた声音に、またもや看護婦が派手に噴き出す。
何だか捲簾の方が恥ずかしくなって、頬を染めてしまった。
「センセー、てんぽーってお名前なの?」
息子だけは無邪気に問い返す。
「ええ、そうですよ?天ちゃーんって呼んで下さいね〜?」
「はーい、天ちゃんセンセー」
「よく言えました〜。簾クンはお利口さんですね♪」
楽しそうな医師と息子の会話に、何故だか嫉妬心が湧き上がってしまう。
すぐ我に返って頭を振っていると、医師は簾の額に掌を当てて診察していた。
「はい、お口あーんしてくださ〜い」
「あ〜」
「はい、いいですよ。喉はまだ大丈夫みたいですね。それで、えーっと捲簾?」
「えっ!?な…なに??」
唐突に名前で呼ばれ、捲簾が慌てふためく。
「簾クンのお熱、何度ありましたか?」
「えーっと…朝は37度だった」
「微熱ですね。お鼻も出ているようですし、風邪の引き始めですね」
医師は頷いて、カルテに症状を書き込んでいった。
「簾クン、お腹の音を聞くので、お洋服上げて下さい」
「はぁ〜い」
来ていたトレーナーを上げながら、元気良く返事を返す。
ペタペタと聴診器を当てて、内臓の音を確認していく。
「はい、もう下げていいですよ。肺の音も正常ですから、大丈夫でしょう。今日はお薬3日分出しますので。身体を暖かくして、栄養のある物を食べさせて下さい。それでキチンとお薬飲んで安静にしていればすぐ良くなりますよ」
天蓬は処方箋を書くと、看護婦へと手渡した。
「…お注射ないの?」
恐る恐る簾が伺うと、医師はニッコリと微笑む。
「簾クンはいりませんよ〜?どちらかと言えば、風邪の移る心配があるので、貴方が予防注射した方がいいかな?捲簾」
「へっ!?何で俺??」
顔面蒼白になって、捲簾が挙動不審に慌て出す。
実は、捲簾も大の注射嫌いだった。
少し涙目になって表情を強ばらせる捲簾に、医師は小さく噴き出す。
「冗談ですってば。可愛らしいヒトですねぇ」
医師は楽しそうに笑いを零した。
からかわれたと分かり、捲簾は真っ赤になって不機嫌そうに眉間を寄せる。
「何だよソレ…」
「すみませんねぇ」
なおも微笑みを浮かべる医師に、捲簾はプイッと視線を逸らした。
その笑顔さえ壮絶に綺麗で、それ以上怒れなくなってしまう。
「はい、おしまいですよ〜。いちおう様子を見て、また3日後に来て下さいね」
医師が微笑むのに、捲簾がチラッと視線を向けた。
「どーせならデートのお誘いの方がいーなぁ〜」
「ええ、僕が寂しくならないように、浮気しないで絶対3日後に会いに来て下さいね♪」

…コイツ、結構慣れてるな。

かなり本気のお誘いをさり気なくかわされ、捲簾が諦めて肩を竦める。
息子を立ち上がらせると、捲簾は溜息吐きつつ診察室を後にした。
去り際にもう一度視線を向ける。
「またね、捲簾?」
色香を含んだ艶やかな笑顔に、捲簾は取り返しが付かないほど撃沈した。


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