Attraction Garden


翌日。
さすがに仕事が忙しい中で連休は気が引け、明日の通院に備え捲簾は出社の準備をする。
今日は授業のない悟浄に簾の面倒を頼むと、嬉々として保育園にすっ飛んでいった。
恋する男は一途らしい。
準備を済ませると、捲簾は子供部屋を覗き込んだ。
「簾、今日は大人しく寝てるんだぞ?後で悟浄も来るから」
「うん…ちゃんと寝てる」
簾は寂しそうに布団から顔を覗かせる。
ベッドに近寄ると、捲簾は膝を折って屈み込んだ。
寝ている息子の髪を優しくかき上げる。
「お土産にチョコアイス買ってきてやるからな」
額をつけて、捲簾が微笑んだ。
「パパ…いってらっしゃい」
小さな手が捲簾の首にしがみ付く。
抱きついてくる背中を捲簾はポンポンと叩いて宥めた。
「今日は早く帰ってくるから」
後ろ髪を引かれつつ、捲簾は子供部屋を出る。
悟浄へ言伝をメモ書きしてから、自宅を後にした。






慌しく仕事をやっつけていると、あっという間に午前中が終わっていた。
捲簾は昼食をとる為、一人エレベーターに乗り込む。
いつも昼休みは大抵一人で過ごしていた。
「あー…今日は何食うかなぁ」
ぼんやり考えていると1階のエントランスに辿り着く。
ショッピングモール内のレストラン街に行こうと足を向けると、どこからともなく小銭がばら撒かれる金属音が響いてきた。
視線を廻らせると、煙草の自販機前に白衣姿の男が呆然と立ち尽くしている。
「…またかよ。なにやってんだ、アイツは」
捲簾は額を押さえながら、転がっている小銭を拾い集めた。
屈みこんで慌てている白衣の背中を、トンと拳で小突く。
「ほら、転がってたぞ」
「あれ?またお会いしちゃいましたねぇ」
天蓬は立ち上がり捲簾から小銭を受け取った。
その小銭を投入して、今日は無事お目当ての煙草を購入する。
「一昨日カートン買いしたのはどーしたんだよ?」
まさか、2日で吸いきった訳じゃないだろうに。
「ああ、今日持ってくるの忘れちゃいまして〜あははは♪」
「忘れたって…病院に置いておけばいーんじゃねーの?」
「………その手がありましたかっ!」
今気づいたとばかりに、天蓬はポンと掌を打った。
暢気なのか間が抜けているのか。
思わず捲簾はガックリと脱力する。
「ところで、捲簾はどうしてここに?」
穏やかな声で名前を呼ばれ、捲簾の鼓動がトクンと脈打った。
視線の先には、天蓬が相変わらず柔らかい微笑を浮かべている。

やっぱり今日も美人だ。

分かってはいても、捲簾はその笑顔に見惚れてしまった。
「捲簾…どうかしました?」
気が付くと、不思議そうに天蓬が捲簾の顔を覗き込んでいる。
「あ…や、何でもねーよ」
「そうですか?何だかぼんやりしてましたから。それで?」
「へ?それでって??」
捲簾が瞬きしながら首を傾げた。
「ですから、どうしてまたここに居るのかなーって」
「ああ。俺の職場、このビルに事務所入ってるから」
「そうなんですか〜」
「そうなんですよ〜。で、今は昼休み」
「え?もうそんな時間なんですか?」
天蓬はキョロキョロと周りの様子を観察する。
「まさかコッソリ抜け出して来たとか?」
「いえいえ。僕の診療午後からなんです」
「あ、成る程ね」
捲簾が納得して頷いていると、天蓬が微かに微笑んだ。
「ところで、捲簾?」
天蓬の手がそっと肩に触れてくる。
突然のことに捲簾が驚いて硬直した。
普段なら何ていうことのないスキンシップでも、天蓬からされるとなると話は別。
捲簾の心拍数は急激に上がり、見る見る頬が紅潮してしまう。
「僕もお昼まだなんです。よかったらご一緒しません?」
伺うような極上笑顔に逆上せて、クラクラ目眩がしてきた。
というより、本当に立ち眩みがした。
一瞬視界が回って、身体が前に傾いでしまう。
「えっ?捲簾!?どうしました??」
天蓬が咄嗟に捲簾の身体を抱き留めた。
「捲簾!捲簾!?」
慌てて天蓬が身体を揺すると、捲簾の身体が僅かに身動ぐ。
肩口に伏せられた頭を支えて、天蓬は頬を掌で叩いた。
「あ…れ…っ?」
漸く掠れた声が耳元で聞こえてくる。
「よかった…気がつきましたか?」
「へ?え…ええっ!?俺??」
捲簾が我に返って顔を上げた。
一瞬だが気を失っていたらしい。
「ちょっとあちらに座りましょうか」
天蓬は壁際の休憩コーナーを指差し、捲簾の腰に腕を回して支えながら歩き出す。
ソファに捲簾を座らせると、掌で頬を包んで顔を近づけた。
余計に捲簾の頬が羞恥で染まる。
「んー…ちょっと熱いですねぇ。ちょっと目の方見ますね」
天蓬の指が下瞼を、軽く下に引っ張った。
「充血してますね。最近寝不足でしょう?今も目眩してます?」
「いや…今は平気だけど」
「簾クンの看病と仕事で疲労が溜まってるみたいですね。貴方自身の身体も労ってあげないと、簾クンだって心配しちゃうでしょう?」
「そうは言ってもなぁ…仕事の忙しさはどうにもなんねーし」
「結構生真面目なんですね。自分で何もかも背負い込もうとしてはダメです。人を掌握して使いこなすのも仕事の内だと思いますよ」
天蓬は隣に腰掛け、捲簾の手を諭すように握り締めた。
掌から伝わる熱の感触に有らぬ妄想を期待してしまい、捲簾は内心狼狽える。
「ちょっと…いいですか?」
天蓬がそっと捲簾の手を持ち上げた。
「え?ええ?あのっ…」
こんな所で一体何を!?と捲簾が慌てふためくと、天蓬が苦笑する。
「いちおう脈も計っておいた方がいいかと思ったんですけど…あんまり興奮しちゃ逆上せちゃいますよ」
「あ…」

俺ってば何勘違いしてるんだよーっ!
うわっ!メチャクチャ恥ずかしいっっ!!
今時処女だってこんなに恥じらわないってーのっっ!!!

あまりの羞恥に天蓬の顔を見ていられなくなり、捲簾は黙って俯いた。
天蓬は腕時計の秒針を見ながら、脈拍数を確認している。
激しい鼓動が耳障りなほどうるさく響いた。
「ん…ちょっと早いけど大丈夫ですね」
捲簾の手を下ろして、天蓬が穏やかに微笑む。
「どうです?吐き気とかは無いですか?」
「ないないっ!もう全然平気だからっ!」
「そうですか、それはよかった。でも無理しちゃダメですからね?」
天蓬の言葉に捲簾は何度も頷いた。
安心した様に肩の力を抜くと、天蓬は小首を傾げる。
「…お昼、どうします?」
天蓬に言われた途端、空腹を思い出して派手に腹が鳴った。
分かりやすい返事に、天蓬がクスクス笑って肩を揺する。
「食欲があれば心配ないですね。ご一緒してもいいですか?」
「あ、俺奢るよ。何か迷惑かけちまったし…」
殊勝な態度で申し出るが、捲簾は内心狂喜乱舞していた。

何だかうまい具合にお近づきになれたじゃん♪
何事もまず親しいお付き合いの第一歩は、食事に誘うことからだもんな〜。

捲簾は頬が緩みそうになるのを、必死に堪える。
片や天蓬と言えば、戸惑っているようだ。
「え?でも僕医者として当たり前のことしただけですし…」
「でも、結果として面倒見て貰ったことには変わりないじゃん。だから奢らせろよ、な?」
天蓬を真っ直ぐ見つめながら、意識して捲簾は艶やかな笑みを浮かべる。
オンナなら間違いなく即オチのフェロモン大放出。
一瞬目を見開いた天蓬は、嬉しそうに双眸を眇めた。
「それじゃ…今日はご馳走になりますねvvv」
はにかむような笑顔を向けられ、捲簾がパッと視線を逸らす。

うっ…やっぱすっげぇ可愛いかも。
鼻血出そー。

落とすどころか逆に落とされた気分で、捲簾は何だか小さな敗北感に打ち拉がれた。
密かに煩悶していると、天蓬が捲簾の腕を掴んで立ち上がらせる。
「早く行かないと待たされちゃいますよ?」
そのまま腕を引き寄せ、天蓬が歩き出した。

何か腕組んじゃったりして、やけにフレンドリーなんですけどっ!

これで天蓬がオンナなら、正に完全無欠な恋人同士だろう。
捲簾的には全く問題ないのだが。
むしろ大歓迎。
心の中ではデレデレと相貌崩して浮かれまくっていた。
「…れん!捲簾ってばっ!」
耳元で呼ばれて、捲簾がハッと我に返る。
「え…あ、ゴメン。何?」
「もぅ…どうしたんですか?いきなりボンヤリしてるから、また調子が悪くなったのかと思っちゃいましたよ」
「違う違う!ホント悪ぃ!ちょっと午後の作業考えてて」
まさか正直に『このままラブホにでも連れ込みてぇ』なんて、ヨコシマな妄想をしてたとは言えず、差し障りない理由で適当に誤魔化す。
「それならいいんですけど。ところで何食べましょうか?」
飲食街を歩きながら、のんびりと天蓬が訊いてきた。
「何でも奢るよ?何が食いたい??」
上機嫌に捲簾が答える。
少し考え込んで天蓬が俯く。
「そうですねぇ…最近ご飯食べてないんで、普通の定食が食べたいです」
「へ?定食??」
「ええ。イヤですか?」
「いや…ヤじゃねーけど。そんなんでいいの?」

折角一緒に食事するのにランチの定食?
もしかして奢りだから遠慮でもしてるのかな?
それにしたって定食…色気が全っ然ないんだけど。

「最近コンビニで買ったパンか麺類とかばかりでしたから、久しぶりにちゃんとしたご飯が食べたいな〜って」
ヘラッと天蓬が笑うのに、捲簾が顔を顰める。
「何だよソレ!ちゃんと飯は食わねーとダメだろっ!一日のエネルギー源なんだぞ?そんなジャンクフードばっかりじゃ身体に悪いっての。マジで医者の不摂生じゃん!」
突然熱弁を奮い出す捲簾に、天蓬が首を傾げた。
「でも…いつも何かしながら食べてるんで。空腹が治まればそれでいいですし、それこそ自分で料理なんて出来ませんから」
天蓬の言い訳に、捲簾の足取りがピタッと止まる。
「そんなんじゃいつか倒れるぞ?料理出来ないなら作ってくれる彼女見つけるとか…」
「え〜?そんなヒマないし、メンドくさいですよ」
「…彼女いねーの?」
「残念ながら…僕モテないんですよねぇ」
「えっ!うっそ!?そんなに美人なのに!?」
驚いてつい本音を漏らすと、天蓬が小さく苦笑した。
「…本当ですよ。な〜んか最近は僕みたいな男でも愛してくれる人っているのかなーって。精神的にも肉体的にもちょっと寂しかったりして」
「うん…勿体ねぇな」
「え?何ですか??」
「あっ!いや…そんなに心配しないでもそのうち見つかるんじゃねーの?」
「…そうだといいんですけどねぇ」
伏し目がちに天蓬が艶めいた溜息を零すのに、捲簾の喉がゴクリと鳴る。

何だったらとりあえず身体だけでも慰めようか?

言いそうになるのを渾身の忍耐で噛み殺す。
そんなことを言って警戒されては先がなくなる。
捲簾が欲しいのは身体だけじゃない。
今更だけど、自分は天蓬にかなりハマッている。
「やっぱ重症…」
どうやら相当この変わり者美人に惚れているらしい。
「あ、捲簾!ここのお店はどうですか?」
嬉しそうに捲簾を見上げ、天蓬が腕を引いた。

あーやっぱ可愛いかも。
絶対欲しいなぁ。

じっと物欲しげに見つめていると、天蓬の口端に笑みが浮かぶ。
「ささ、まだ並ばないで入れますよ♪」

…やっぱり何だか手慣れてる。
さりげな〜くかわしたよな、今。

なかなか一筋縄ではいかない予感に、捲簾はコッソリ溜息を零した。


Back    Next