Attraction Garden


翌日、捲簾は再び息子とともに病院を訪れた。
診察券と、面倒だったが月変わりになってしまったので再度保険証を受付に出す。
程なく名前が呼ばれて、診察室にすぐ案内された。
「簾クンこんにちは〜」
「こんにちは〜天ちゃんセンセー」
「はい、よくご挨拶できました」
カルテを片手に天蓬がニッコリ微笑んだ。
「どうですか?どこか痛いところか苦しいところとかありますか?」
天蓬が触診しながら簾に語りかける。
「んんー。ないよ」
「そうですか、それはよかった」
捲簾は傍らで息子と天蓬の会話をぼんやり聞いていた。
「捲簾、お熱何度でした?」
「んー…俺の平熱って高いんだよね〜」
「…いえ。捲簾ではなくて、簾クンのお熱です」
「あ…」
的はずれな捲簾の受け答えに、天蓬の横で看護婦が小さく噴き出す。
見る見る捲簾の顔が羞恥で紅潮した。
「そっそうだよな!えっと…今朝は6度4分だった」
あまりの情けなさに狼狽えて、しどろもどろ答える。
「ちゃんと平熱まで下がりましたね。顔色も良いようですし…簾クンちょっとお口あ〜んして下さい」
「あ〜」
「喉も腫れ上がってないし、大丈夫ですね」
「天ちゃんセンセー、レンの風邪直ったの?」
「はい、もうお外で遊んでもいいですよ〜」
「わーいっ!」
簾が嬉しそうに満面の笑顔で捲簾を振り返った。
捲簾もほっと安堵する。
「でも、これから寒くなりますからね。身体おかしくなったらすぐパパに言って下さいね?約束できればお薬無しにしてあげますよ〜」
「約束するーっ!」
簾は元気よく返事をした。
「あ、そうそう捲簾」
「ん?なに??」
「もう少し寒くなったらでいいんですが、インフルエンザの予防接種受けた方がいいでしょう。保育園とかだと一人が感染すればあっという間に広がりますからね」
「ふーん。そん時は予約すればいーの?」
「ええ。インフルエンザが流行りだしてからではワクチンが足りなくなるんですよ。早めの用心に越したことはありませんね」
「だよなぁ…今回は酷くならずに済んだけど」
「ええ。勿論貴方も例外ではないですよ〜?親子そろってしっかり備えましょうね♪」
「えっ!ちょっと待って!!俺もなのか!?」
突如、捲簾の顔色が変わる。
挙動不審にソワソワしだし、視線も落ち着かない。
奇妙な反応に天蓬は首を捻った。
「インフルエンザは年齢でかかり易い難いとかはないんですよ?」
「いやっ…そうだけど…おっ俺って滅多に風邪なんかひかないし丈夫だし、全然大丈夫だからっ!」
慌てて首を振る捲簾に、天蓬が思案する。
ふと閃いた事実に、天蓬の双眸が眇められる。
「捲簾…もしかして、注射嫌いですね?」
ギクッと捲簾の身体が不自然に跳ね上がった。
「えっ?パパ注射嫌いなの!?」
簾も驚いて背後を振り返る。
「そ…そんなことないぞぉ〜?あんな針の1本や2本、怖い訳ないじゃんっ!!」
あからさまな慌てように、天蓬が思いっきり不審の目を向けた。
「何でしたら今日早めに打っていきますか?そうですねぇ〜捲簾は大人だからお尻にぶっといのを2〜3本ばかりブスッと♪」
「―――――っっ!?」
そっくり親子は声にならない悲鳴を上げ、しっかり抱き合いながら後方へ後ずさる。
涙目になって震え、縋るような眼差しで天蓬を見つめた。
猛獣の前に差し出された小動物並の怯えっぷりに、天蓬はまん丸く目を見開く。
それと同時に側で控えていた看護婦が、とうとう耐えきれず派手に笑い出した。
「………あ」
はっと我に返ると、天蓬までもが机に突っ伏し、笑いの発作で痙攣している。
あまりの恥ずかしさに、捲簾は真っ赤になって震えた。
「なっ…何だよぉっ!そんなに笑うことねーじゃんっ!!」
羞恥心を誤魔化すために、捲簾は大声を上げる。
その必死な態度が更なる笑いを誘い、看護婦までもがその場にしゃがみ込んで大笑いし始めた。
「パパぁ…何でみんな笑ってるの?」
「………。」
さすがに情けなくって、息子に真実は言えない。
ただ恨めしげに捲簾は天蓬を睨み付けた。
「はっ…はぁ…可笑しっ…」
笑いすぎて浮かんだ涙を拭って、漸く天蓬が顔を上げる。
看護婦も笑いを抑えて、ヨロヨロ立ち上がった。
「そんなに注射が苦手なんて…珍しいです…よっ」
「だって身体に針刺すんだぞ!」
「そうですけど…死にそうな顔で怯えるほど痛くないでしょう?それよりも家の中で足の小指を角に打ち付ける方が余程痛いです」
「何だその例えは。全っ然注射と関連性ないだろーが」
「痛さの比較で分かりやすく説明しただけですよ」
「余計分かりにくいって!」
「そうですかね〜?僕アレってすっごい痛いと思いますけど」
「…小指ぶつけるのが?」
「ええ。ぶつけた瞬間あまりの痛さに動けなくなるでしょ?」
「そうだけど、痛さの種類が違うだろ?刺すんだぞっ!身体の中にあんな尖った針がっ!!」
ムキになって捲簾が主張するのに、天蓬はさすがに呆れかえってしまう。
「子供だってここまで抵抗しませんけどねぇ…」
「う…うるせぇよ」
暗に『子供以下』だと指摘され、捲簾が眉間を顰めた。
上目遣いで天蓬を睨め付け、盛大に拗ねまくる。
「て…天ちゃんセンセー…レン今日注射するの?」
簾はぎゅっと必死の形相で捲簾のシャツを握りしめ、ビクビクと怯えていた。
「いえいえ。簾クンは直ったばかりですから、お注射しませんよ?」
「ホント?」
「…それともパパと一緒にお注射していきますか?」
伺うようにニッコリ微笑むと、簾は恐る恐る父を見上げる。
「パパ…頑張ってね?」
「――――――っっ!??」
息子の哀れみを帯びた視線に、捲簾の顔が思いっきり強ばった。
「まぁ、丁度良いんじゃないですか?仕事に忙殺されて体調崩したら簾クンだって困っちゃいますよね〜」
「ね〜♪」
天蓬と簾は意気投合、無邪気に頷き合う。
椅子ごと看護婦の方を振り返ると、天蓬は簾のカルテを手渡した。
「と、言う訳で。幸いなことに月変わりで保険証もお預かりしてることですし、ちゃっちゃとカルテ作成してワクチンの準備しちゃって下さいね」
「…宜しいんですか?」
捲簾に同情しつつ、看護婦は天蓬に確認する。
「どうせ、この分だと後日来いって言ったって逃げそうですからね〜」
「ね〜♪」
またもや天蓬と簾が楽しげに頷き合った。
「分かりました…っ。すぐ準備しま…す」
肩を震わせ笑いを堪えながら、看護婦が診察室から消えていく。
捲簾はといえば顔面蒼白だ。
後ろの壁に貼り付き、怯えて硬直している。
「て…天蓬ぉ…やめよ?なっ!?」
捲簾は必死の思いで懇願するが、天蓬は優雅に脚を組んで椅子に座ったまま、穏やかな笑みを浮かべるばかりで。
あれほど見惚れていた微笑みに、恐怖が増長されることになろうとは。
悪魔の微笑みにひたすら怯えていると、簾が見上げながら脚にしがみ付いてきた。
「パパも注射嫌いだったんだね?イイ子に我慢出来たら、レンがお小遣いで煙草買って上げるっ!」
自分が宥めるために使った言葉をソックリそのまま息子に返されてしまい、捲簾は首筋まで真っ赤になってしまう。
大人が子供に注射で慰められるなんて。
「………ぷっ!」
天蓬は黙って二人の会話を訊いていたが、どうにも耐えきれず派手に噴き出してしまった。
またもや笑いの発作に襲われ、机に突っ伏ししゃくり上げている。
羞恥と怒りとゴチャゴチャになった捲簾が、抗議しようと口を開き掛けた途端。
「先生、ワクチン準備出来ました」
看護婦が俯き加減で震えている。
どうやら先程の会話に聞き耳を立てていたらしい。
「あ、準備出来ましたか。それじゃ、捲簾行きましょうね?」
「へ?どこにっ!?」
逃げようと一歩下がったところを、天蓬にガッチリ腕を捕まれた。
脚には簾が貼り付いたまま。
「処置室は向こうなので、僕がエスコートしてあげますね。よかったですね〜、インフルエンザも予防出来て、美人看護婦さんのオプション付きですよ♪」
そのまま力任せにずるずると捲簾を引きずった。
一見華奢な印象なのに、もの凄く力が強い。
必死になって脚を踏ん張っても、気にする様子もなく歩いていく。
それでも往生際悪く体重を掛けて天蓬の腕に逆らっていると、突然引きずるのをピタッと止めた。
天蓬が肩越しに最上級全開笑顔を向ける。
「そんなに歩くのがイヤなら、抱き上げて連れて行きましょうか?可愛らしい貴方を腕に抱いて処置室まで運べるなんて光栄ですねぇ」
「抱き…」
捲簾は一瞬、自分が天蓬に軽々とお姫様抱っこされる姿を想像してしまった。
「天蓬のオニーッ!悪魔ぁーっ!人でなしいいいぃぃ!!」
想像を絶する恥ずかしさに、捲簾が悲鳴を上げて悶絶する。
「失礼ですねぇ。初夜の予行訓練と思えばいいじゃないですか♪」
天蓬の爆弾発言に、捲簾の思考がパシッと弾けて停止した。
「ささ!簾クン、今のうちパパを運んじゃいましょう!」
「はぁ〜い♪」
ショックで動かなくなった捲簾を天蓬が引きずり、簾が後ろから押していく。
そうして処置室の扉が閉まった。
上手い具合に半分気絶していた捲簾は、注射針が腕に吸い込まれる恐怖の瞬間を見ないで済んだ。
昼に天蓬が出てくるのを待つ間、捲簾は待合室のソファで放心状態だった。
未だショックから抜けきれない。

天蓬が…天蓬がっ!
あんなヤツだったなんてえええぇぇっ!!

気分は暗転でピンスポットに照らされる悲劇の主人公。
勝手に作り上げていた理想の天蓬像が音を立てて瓦解した。
それに何やらさっきから、捲簾の体内危険センサーが点滅しっぱなしだ。

もの凄くイヤ〜な予感がする。

上手く言葉に出来ないが、身の危険を感じて仕方ない。
ソファで煩悶する父親の隣で、簾が買って貰ったジュースを嬉しそうに飲んでいた。
「パパぁ、天ちゃんセンセーまだ?」
複雑微妙な大人の心情を無視して、簾は無邪気に訊いてくる。
「レンね〜ハンバーグが食べたいなぁ」
脚をプラプラ揺らしながら、ニッコリ微笑んだ。
「ハンバーグかぁ…確か飲食街に洋食屋があったよな…」
記憶を辿っていると、ペタペタと便所サンダルの音が近付いてくる。
「お待たせしちゃいました」
捲簾の顔を見下ろして、天蓬が申し訳なさそうに笑顔を浮かべた。

…やっぱ美人だ。

当初のイメージが違ったからといって、捲簾は天蓬に失望もしていない。
ただ、認識を改めただけだった。
一癖も二癖もあって。
難攻不落な高嶺の花ほど、俄然気合いが入るもんだ。
ただ、高嶺の花だと思っていたのが、毒のある徒花だったというだけで。
それなら作戦を変更すればいい。

こーなったら、何が何でもぜってー落としてやるっ!

改めて捲簾は気合いを滾らせた。
そんな男心に気付いているのかいないのか。
天蓬は暢気に簾と手を繋いで歩いている。
「簾クンはハンバーグが好きなんですか〜」
「うんっ!一番好きなのはパパの作ったハンバーグ♪」
「へぇ〜。料理の上手なパパでよかったですねぇ」
楽しそうに会話している間にひょいっと首を突っ込む。
「簾は俺のハンバーグが一番好きか?」
「うんっ!あとエビフライとかシチューとかも好き〜」
「そっかそっか」
「捲簾って料理得意なんですか?」
天蓬にしてみれば結構意外らしく、感心しているようだ。
「まぁ〜ね。俺ってば結構家庭的よ?」
「…何だか凄いなぁ。それでしっかり子育てもして。良妻賢母の鏡ですね。直ぐにでもお嫁さんになれますよ♪」
「ん〜?じゃぁ天蓬貰ってくれる?」
わざと甘えた声で囁きながら天蓬の肩に懐くと、一瞬身体が強ばった。
直ぐに微笑みで誤魔化されてしまったが。
「いいですよ。それじゃエンゲージリングは給料の3ヶ月分で奮発しちゃいますね」
「いやん、嬉しい♪新婚旅行はヨーロッパ一周ねvvv」
「…パパと天ちゃんセンセー、結婚するの?」
キョロキョロと双方の顔を見上げて、簾が訊いてくる。
「いえ…その…」
「えーっと…」
何だか照れくさくなって、捲簾の頬が紅潮した。
隣で天蓬も伏し目がちにはにかんでいる。
この反応はひょっとして?

…簾、よくやったっ!

息子のお手柄に、捲簾が小さく拳を握った。
恋する男は猪突猛進で、周りのことなど目に入らない。
上機嫌な捲簾の横で、天蓬が口端に不敵な笑みを浮かべていた。


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