Attraction Garden


簾の風邪騒動も一段落したある土曜日。
大学が休みにも係わらず、悟浄は午前中から起き出してカーテンを勢いよく開けた。
空は高く、秋晴れの良い天気だ。
「おーっし!ちゃっちゃと洗濯でもすっかな〜」
さすがに面倒がって1週間も溜め込むと、サニタリーも足の踏み場が無くなる。
ご近所の仲良し親子は、捲簾も仕事が休みでほのぼの親子スキンシップを図っているに違いない。
親子水入らずの所を、わざわざ邪魔しに行くのも気が引ける。
もしかしたら、天気が良いから出かけてるかもしれないし。
悟浄は顔を洗ってコーヒーをセットすると、ジーンズにシャツというラフな出で立ちに着替えた。
「洗濯が済んだら適当に買い出しして〜。ついでにレンタルビデオでも借りてくっか」
1日の予定を決めると、昨日買い置きしたサンドイッチを銜えつつサニタリーを覗く。
カゴの中には結構な量の衣服が山積みになっていた。
「ん〜?2回に分けないと無理っぽいなぁ」
前髪を掻き上げると、悟浄は小さく溜息を零す。
洗濯機の蓋を開け、適当な量の衣服を放り込んだ。
「さてと、洗剤…あれ?」
洗剤を入れようと箱を持ち上げると、妙に軽い。
箱を開けると、微量の洗剤しか残っていなかった。
「あー…そっか。先週買わなきゃって思ってたんだよなぁ。すーっかり忘れてたわ」
とりあえず1回分ぐらいは大丈夫そうだ。
残りの洗剤を箱ごとひっくり返して、洗濯機の中へと放り込む。
蓋を閉めてスイッチを押し、悟浄はリビングへと戻った。
丁度コーヒーも落ちた様だ。
デカンターから大きめのマグカップに移して、一口啜った。
煙草を銜えると、椅子に腰を下ろす。
「あ〜とりあえず1回終わったら干してドラッグストア行くか」
洗濯すると決めた以上は、全部終わらせたい。
これだけの良い天気だし。
幸いマンションから近い場所に、安売りしている大型のドラッグストアがあった。
「洗剤と…あ、シャンプーも買い置きしておくか。他になんかあったかなぁ」
頭の中で日用品を思い浮かべていると、突然八戒の笑顔が浮かんでくる。
来週は念願の初デートだ。
「…ゴムも買っておこっかな〜♪」
さすがに初デートじゃガードが堅そうだが、万が一ということもあり得る。
初めてでナマじゃ、男の八戒には身体が辛いだろう。
要らぬ妄想をして、悟浄はデレデレと鼻の下を伸ばした。
はっと我に返ると、パチンと頬を叩く。
「今からこんな顔してちゃ、八戒に警戒して逃げられるっつーの!」
悟浄は短くなった煙草を灰皿に押しつけた。
どうも調子が狂いっぱなしだ。
今までのオンナ相手と違って、どうも八戒だと余裕が無い。
もっと自分はスマートに口説けるはずだと思っても、あの綺麗な顔を見ると理性が簡単に飛んでしまう。
サカリのついたガキみたいに、必死になって口説いて引かれたのではどうしようもない。
悟浄自身、男を口説くのは初めてなのでよく分からないと言うのもあるのだが。
それでもオンナと同じようにいかないことぐらいは分かる。
色々口説きのパターンを変えて、何に反応を示すかを根気よく探っていた。
案外ストレートな言葉に、八戒はイイ反応を返す。
「ん〜古典的な方がいいのかな?ハッキリ言うと、可愛く頬なんか染めちゃったりしてたよなぁ」
案外恋愛経験は少ない方なのかも知れない。
デートだって数えるほどしかしたことないのかも。
「初な処女相手を扱うようにした方がいいのかも?それはそれで新鮮でいいなぁ〜♪」
悟浄は今まで百戦錬磨、酸いも甘いも経験してきた女性の相手しかしたことがなかった。
恋愛ゲームを満喫することが目的だったから、当たり前ともいえるのだが。
本気で誰かに恋して囚われて、真剣になって口説こうと思ったのは八戒が初めてだ。
「あっはっはっ!俺の方がウブウブじゃん。いやん、はじゅかし〜♪」
軽口で照れを誤魔化し、少し冷めかけたコーヒーを一気に飲み干した。
丁度サニタリーからアラームが聞こえてくる。
洗濯が終わったらしい。
「さてと。ささーっと干して買い物行くか!」
気合いを入れて立ち上がると、悟浄は上機嫌で窓を開けた。






悟浄が近所のドラッグストアーへ向かうと、運良く売出し日だった。
入口にお目当ての洗濯洗剤も山積みされている。
「おおっ!俺ってば今日ラッキーディ♪」
カゴを取ると洗剤を入れてから、店内へと入った。
まだ午前中で開店したばかりのせいか、客もまばらで混んでいない。
悟浄は見るともなしに、ぼんやりと店内の棚を物色していった。
買おうと思っていたシャンプーもカゴに入れ、掃除洗剤の棚へと歩いていく。
どうせだから風呂の掃除でもするかと、風呂用洗剤を探す。
いつも使っているメーカーの物を見つけると手を伸ばした。
すると逆側からも同じように手が伸びてきて、指が触れ合ってしまう。
「あ、すいません」
穏やかな声音に、悟浄が目を見開いた。
慌てて横に居る人物を確認する。
「八戒っ!?」
「え?あ…悟浄??」
いきなり名を呼ばれた八戒も、驚いた表情を見せた。
「うわっ!すっげぇ偶然!やっぱ俺たちって運命の赤い糸で結ばれてるのかな〜♪」
「…どこの女子高生ですか。馬鹿なこと言って」
「いやん、八戒ってばひっどぉ〜い!ごじょ泣いちゃうからぁ〜」
わざとらしく瞳を潤ませ上目遣いに拗ねると、八戒は盛大な溜息を零す。
「その乙女ブリッコは止めて下さい。男がやっても不気味ですから」
「え〜?俺ってば可愛くない??」
悟浄が小首を傾げて見つめると、八戒は何やら複雑そうな笑みを浮かべた。
「それが…困ったことに、そうでもないんですよねぇ」
「え!?」
予想外の言葉に悟浄が期待で瞳をキラキラ輝かせると、八戒がにっこりと微笑む。
「何か大型犬みたいでしょ?」
「…ぜ〜んぜん嬉しくなぁ〜い」
浮上した気分を即効で叩き落とされ、悟浄は頬を膨らませて拗ねた。
ブツブツ文句を呟きながら、ふと視線を落とす。
八戒の持っているカゴには、あらゆる掃除用途の洗剤類が入っていた。
しかも大量に。
さすがに悟浄も首を傾げた。
「なぁ、何だってそんなに洗剤ばっか買うの?」
悟浄に指摘されると、八戒は小さく肩を竦める。
「これだけ買い揃えても、1日で使い切っちゃうんです」
「へ?」
この大量の洗剤類を?
たった1日で!?
年末の大掃除だってそんなことはないだろう。
悟浄の頬が僅かに引きつった。
もしかして八戒は塵一つ許せないような潔癖性とか?
「ず…随分と念入りに掃除するんだな」
「いえ。これがあまりにも汚れ方が酷くって、普通の掃除では済まないんです」
それは大袈裟過ぎじゃないかと思いながらも、八戒の真剣な表情に悟浄は唸って考え込む。
「それってどんな辺境だよ?」
「違います。辺境じゃなくって魔境なんです」

まっ…魔境ぉ!?

もの凄い例えに、悟浄の声がひっくり返った。
八戒がポリポリと頭を掻く。
「冗談ではなく、とにかく凄い部屋なんですよ。発掘した場所から何が出てくるか分からないし」
「部屋っ!?部屋って…人間が生活している部屋のことだよな??」
「…珍獣だったらよかったんですが。まぁ、ある意味珍獣ですけどねぇ」
八戒がしみじみと呟いた。
ますます悟浄の眉間に皺が寄る。
「なぁ…ソコってマジで人間が住んでるの?」
恐々と悟浄が好奇心半分で尋ねた。
「いちおう生物学上は人間ですね。でも日常生活は人間じゃないですね、破綻してます」
少し悟浄は考え込む。
「それってさ〜、良く最近テレビなんかでやってる『片づけられない』っていう病気?」
「違います。片づけられないんじゃなくって、片づける気が無いんです。それでいて収集癖まであるもんだから困るんですよ」
「…最悪じゃん」
「いい加減いい年なんだから、面倒見が良くって忍耐強いマメな恋人を見つけて、さっさと既成事実でも作って結婚してくれればいいのに。理想ばっかりうるさくって、刹那的快楽主義で決まった相手も作らないんだから」
心底呆れてるのか、八戒は忌々しげに吐き捨てた。
八戒の壮絶な毒舌ぶりに、悟浄は驚いて目を見開く。
「えっと…ソイツって八戒とどういう関係?」
愛しの八戒が甲斐甲斐しく面倒を見ているという事実だけで悟浄にとっては嫉妬の対象だが、あまりにも豪快で凄まじい人物像に好奇心の方が勝ってきていた。
一体どんなヤツなのか、純粋に気になる。
「僕の従兄です」
「…八戒の従兄?」
「ええ。僕にとっては数少ない親戚なんです。だから余計に気がかりで…それで面倒見てしまうのもいけないんでしょうけど」
「ふぅん…」
悟浄の頭に八戒情報がちゃっかりインプットされた。
「それで、1週間おきに従兄の部屋を掃除してるんです」
「じゃぁ、これから敵陣に乗り込む訳だ」
「敵陣…確かにそんな気分ですね」
おかしそうに八戒が笑いを零す。
悟浄は八戒の持っているカゴを取り上げた。
「え?悟浄…」
「一人じゃ大変だろ?俺も一緒に手伝ってやるよ。どうせヒマだったし」
そのままスタスタとレジへ向かう。
慌てて八戒が悟浄に追いついた。
「でも悟浄は関係ないんだし、折角のお休みなんでしょう?」
「関係無くないっしょ?」
くるりと悟浄が振り返る。
「関係あるじゃん。だって俺は八戒の恋人候補なんだし?仮に付き合うようになったら俺にも人ごとじゃないでしょ?八戒との大切な時間を取られることになるんだしさ。敵さんの確認はしたいじゃん?」
悟浄がウィンクしながら口端で微笑むと、八戒の頬が真っ赤に染まった。
「僕はっ!別に悟浄とそのっ…付き合ってる訳じゃないんですから」
「今は、でしょー?明日は分かんねーだろ?」
「明日も無いですっ!」
「じゃぁ、明後日は?その次の日は??」
「そんなの…僕だって分かりません」
八戒が恥ずかしそうに視線を逸らす。
悟浄が嬉しそうに微笑んだ。
「ま、そう硬く考え込まなくってもさ。俺としてはだ、八戒の綺麗な手が大量の洗剤で荒れるのはイヤな訳。俺の独り善がりな我が儘なんだから」
レジで品物の会計を済ませると、八戒がカゴを取って台に乗せる。
「…ありがとうございます」
「どういたしまして」
小さく呟かれたお礼に、悟浄が八戒の耳元で返礼した。






八戒と悟浄は仲良く買い物袋を分けて持ち、のんびりと側道を歩いていた。
「この先の信号を左に入って、少し歩いたところのマンションなんです」
「へぇ〜。すげーな。この辺って高級住宅街だぞ」
「そうですねぇ…従兄は遺産もあるし、お金に困ってないですから」
「うわっ!仕事何やってんの?」
「医者なんです」
「あー、そりゃ高給取りだな」
悟浄が納得して頷くと、八戒が首を傾げる。
「そうでもないみたいですよ?開業医じゃない限り、世間のイメージで言う高給は取れないみたいだし。まぁ本人は仕事自体が趣味らしいから気にしてないみたいですけどね」
「へー、そういうもんなんだ」
悟浄が意外そうな顔をすると、八戒は苦笑した。
「まぁ、色々資産運用とかしていて、医者としての収入よりもそちらの方で稼いでいるみたいですけど」
「ふーん…」
「あ、このマンションですよ」
八戒が指差したマンションを悟浄が見上げた。
「…所謂デザイナーズマンションってヤツ?」
外観からモダンで変わった形をしている。
スチールとコンクリートが絶妙に調和している。
無機質な色彩の中に、手摺りの鮮やかな赤が何ともカッコイイ。
興味深げに眺めていると、八戒がエントランスで手招いた。
「いーなぁ…俺もこんなトコ住んでみてぇ」
キョロキョロと物色しながら悟浄は八戒の後をついて行く。
悟浄はこれから魔境の部屋に乗り込むことなど、すっかり忘れ去っていた。


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