Valentine Attraction |
それは、いつもと変わらない昼の逢瀬でのこと。 昼食を取り終えた天蓬と捲簾は、ビル内のショッピングモールを歩いていた。 いつもと変わらないはずの場所が、違う匂いと雰囲気を漂わせていることに気付いたのは天蓬だ。 「…いい匂いがする」 匂いに誘われて目を向けたのは、ケーキショップ。 カフェも併設しているその店先が、何やら制服を着たOL達で賑わっていた。 ショーケースの中には、多種多様なチョコレートが陳列されている。 捲簾はふと周りを見回した。 ショップングモール全体の、赤やピンクの派手で乙女チックなディスプレイ。 あっちこっちにハートが飛び交っていた。 「あぁ…そういや。もうすぐバレンタインか」 漸く捲簾も普段とは違う雰囲気の正体に気付く。 来週末はバレンタインデー。 女性が公明正大にチョコとともに愛の告白が出来る日、らしい。 その心理の裏側には色んな思惑や打算が働いているようだが。 いずれにせよ、恋人達には甘い一時を送るアニバーサリーデイ。 恋人のいない女性には、かねてから恋心を寄せている男性に愛を告げるきっかけを与えてくれるブリリアントデイ。 それぞれ色んな想いを秘めた女性達が、店の前で何やら殺気立っていた。 異様な空気とは関係なく、周辺には甘い幸せな匂いが漂っている。 フラフラと匂いに釣られるように、天蓬の足が店の方へと引き寄せられていった。 「うわっ!天蓬!?」 捲簾は思いっきり焦って、天蓬の腕を掴んだ。 「え…どうしたんですか、捲簾?」 天蓬がきょとんとして捲簾を見上げる。 冗談じゃない。 捲簾の額に冷たい汗が流れる。 天蓬に付いていって、あんな混沌と化したケーキショップになんか行きたくなかった。 かと言って天蓬を勝手に行かせて一人で待たされるのもイヤだ。 天蓬はルックスだけなら最上級の美貌を誇っている。 見目麗しいその容貌に、あの辺に屯っている女性達が見惚れるのも想像に付く。 何も知らない通りすがりの不特定多数に嫉妬するのも馬鹿らしいとは分かっているが。 ムカつくものはムカつく。 だからと言って付いていくのもイヤだった。 何より捲簾は甘い物が得意ではない。 このフロアーに充満している匂いだけで、胸焼けしそうなぐらいだ。 「ど…どこに行くつもりなんだ?」 しっかりと天蓬の腕を押さえつけて、捲簾は一応確認してみる。 「あぁ、もの凄く美味しそうな匂いがしたものですから、つい。僕チョコレート好きなんですよ。買って行って休憩の時にでも食べようかと」 「か…買いに行くのかよ?」 捲簾の声が動揺して掠れた。 何だか怯えているように見える捲簾に、天蓬は首を傾げる。 「ええ。すぐに買って戻りますから、ちょっと待ってて貰えますか?」 「あそこは…止めた方がいいんじゃね?」 「は?」 顔を顰めて嫌そうに見つめる捲簾の視線を、天蓬が辿っていった。 その先には、女性達がはしゃいでチョコレートの品定めをしている。 視線を戻すと、天蓬はニッコリと微笑んだ。 「あれだけ女性が居るんですから、きっともの凄く美味しいんですよ。女性はそう言う所はシッカリしてますからね」 確かに、女性は自分が金を払う物に妥協なんかしない。 それに見合っただけの品質であるかどうか。 愛する男に不味い物など贈れば、その女性の資質までもが疑われる。 自己満足とはいえ、これは女性のプライドを懸けた決戦なのだ。 そういう自己顕示欲の強い女性は、捲簾も過去に何人…いや何十人とお付き合いしてきたので分かっている。 分かっているけど。 そういう女性達が群がっている場所に、ホイホイと天蓬を送り出すのは気が引けた。 「旨いかもしれねーけどさ…何もココで買わなくても…って、ああっ!?」 いつの間にか捲簾の腕を外して、天蓬が女性達の中へと突っ込んでいく。 天蓬が人混みに入っていくと、あんなに騒がしかったのがピタリと静かになった。 一斉に女性達が天蓬を値踏みするように、視線で舐め回している。 ああぁぁ〜、何か天蓬が視線で犯されてる気分。 そんな異常な状態にも、天蓬は涼しい顔をしている。 そう言う風に見られることに慣れてるのか、単純に気付いてないのか。 嬉しそうにショーケースのガナッシュを眺めている。 出来ればこの場から捲簾はさっさと立ち去りたかった。 今はともかく、チョコを買って天蓬が戻ってきたら。 「何言われっか…あーもうっ!」 捲簾は苛立たしげにガシガシと髪を掻き上げる。 別にそれが捲簾の働いているビルのショッピングモールじゃなければ一向に構わない。 何処で誰に目撃されるか、捲簾は内心でヒヤヒヤしている。 仮に何を言われたって、本当のことだけど。 進んで爆弾を拾うような真似をするつもりもなかった。 「開き直るしかねーか。変に動揺する方が不味いもんなぁ」 溜息を零して諦めつつ、捲簾は天蓬をじっと見つめる。 どうやらショーケースにある全種類のチョコを買ったらしい。 店員の女の子が大きな箱に端から次々とチョコを詰めている。 「天蓬…そんなにチョコが好きなのかぁ」 新たな発見だった。 天蓬が意外と甘党なのは知っていたが、あんなに買う程好きだとは捲簾も思っていなかった。 何となくオトコは自分も含めて甘い物が苦手だという先入観があったから。 確かに捲簾も少し疲れている時などは、甘い物が欲しくなる時がある。 それだって、せいぜいコーヒーに砂糖を入れるとか、息子の簾が食べている菓子をちょっとつまみ食いする程度だ。 自分のために菓子を買って食べるような習慣は無かった。 ふと、視界に飛び込んでくる可愛らしい色彩。 「うーん…」 唐突に捲簾は何事かを思案し始める。 来週はバレンタイン、恋人達の甘いイベント。 自分たちは男同士だから当てはまらないと捲簾は思わない。 実際、女性が男性にチョコやプレゼントを贈る習慣は日本だけだ。 チョコを贈るのは日本の菓子会社が売上向上にバレンタインを利用したらしい。 外国では性別関係なく愛する相手に、自分の意思表示として花束やプレゼントを贈る。 正しくバレンタインというなら、自分が天蓬に贈っても良い訳だ。 結構捲簾はイベントというのが大好きだった。 それに、自分がプレゼントしたら、どんな顔をするだろう。 想像すると俄然気合いが入って楽しくなってきた。 だが。 「でもなぁ…天蓬みたいに、平然とあの中に飛び込む図太い神経はねーし」 想像すると捲簾のやる気が萎えそうになる。 どうしたものかと考え込んでいると、本屋が目に入った。 ディスプレイ用の棚に平積みされているのは。 「…手作りチョコの本?へー、あんなにいっぱい本まで出てるのか〜ん?手作り??」 一瞬捲簾の脳裏に光が差し込んだ。 「そっか、自分で作ればいいのかっ!」 閃いた考えに捲簾はポンと手を叩いた。 チョコ菓子なんか作ったことはないが、レシピさえあれば何とかなる。 別に本屋で恥ずかしい思いをして買わなくても、ネットで検索すればいくらでも手に入るだろう。 材料はいっぺんに揃えるとなると、明らかにいい歳した野郎が手作りチョコ?と好奇の視線に晒される。 だが日を分けて、材料ごとに買う店を変えればバレることはないはず。 次々と捲簾の頭に『天蓬にラブラブ手作りチョコをプレゼント大作戦』の算段が立てられていった。 視線を漂わせて考え込んでいるとチョコの詰まった大きな箱を持って、天蓬が嬉しそうに戻ってくる。 「捲簾すみません、お待たせしちゃって…捲簾?」 店先に居るOL達の視線が一斉に集中した。 本人達はひそひそ話しているようだが、集団のひそひそ話は大きなざわめきになっている。 「捲簾ってばっ!」 一向に反応しない捲簾の腕を、天蓬が思いっきり引っ張った。 ふいに思考から戻された捲簾が、目の前の天蓬に焦点を合わせる。 「あ?天蓬買ってきたの?」 「はい…」 何故だか天蓬はご機嫌斜めだ。 プクッと頬を膨らまして捲簾を睨め付けている。 うわっ!そんな可愛い顔すんなーっ!! やっぱり捲簾の面食いは絶好調。 天蓬を抱き締めたくてウズウズしてくるが、理性を総動員して懸命に堪える。 すっかり捲簾の視界からは、大量のOL達も消え去っていた。 大事そうに大きな箱を抱えて見上げてくる天蓬に、捲簾は笑顔を向ける。 「そんなに買い込んで…食い切れるのかよ」 優しい声音に天蓬の機嫌も直ったようだ。 手提げに入った箱を嬉しそうに上げてみせる。 「だって、いっぱい種類があったから全部美味しそうに見えちゃって。冷蔵庫に入れておけば保存できますしね」 「ふーん…そんなにチョコが好きなんだ?」 さり気なく天蓬の腰に手を回すと、捲簾が先を即して歩き出した。 途端にケーキショップに群がる女性陣からどよめきが上がる。 すっかり自分たちの世界に突入した二人は、幸いにも気付かなかった。 「チョコに限らないですけど。お菓子は洋菓子も和菓子も大好きなんです」 「へぇ〜、珍しいよな。オトコで甘党なんてさ」 「そんなことないですよ。病院の医師でもそうですけど、結構オトコでも甘党な方居ますしね。八戒も甘いお菓子は大好きなんですよ」 「八戒ねぇ…やっぱ甘党な家系なんじゃねーの?」 天蓬と八戒は従兄同士で、割とよく似ている。 趣向さえ似ていても不思議ではない。 「うーん?そうなのかなぁ。よく八戒には手作りのお菓子ご馳走になりますけど。八戒は本人も好きなんで結構自分で作るんですよ。前に悟浄クンに作っていったらあんまり食べて貰えなかったって拗ねてましたけど」 「アイツもよっぽど疲れた時でもないと甘い物は全然食わねーからな」 悟浄も捲簾と同じに甘い物は苦手な方だ。 よく簾にはお土産で甘い洋菓子を買ってくるが、自分は一切口にしない。 「じゃぁ、捲簾の家系も甘党じゃないんですね」 「そうでもねーよ。オヤジは甘いモンすっげー好きでさ。買いすぎてお袋さんに良く叱られてるみてぇ。で、簾に買ったんだって誤魔化してんの」 肩を震わせて捲簾が苦笑を零した。 「あぁ、結構壮年の男性で甘い物好きな方は病院にも来ますよ。生活習慣病の危険があるから、ある程度は節制した方がいいですねぇ」 「だろ?それで怒られてんの。何か会社の健康診断で血糖値が高かったらしくってさ。甘い物禁止令が出たって、いい歳してぼやいてんの」 話ながら歩いていると、いつの間にかエントランスホールまで辿り着いてしまった。 捲簾はビルの時計を眺める。 まだ1時まで少し時間があった。 天蓬を手招くと、捲簾がホールの端まで歩いていく。 カフェでお茶をする程の時間はないので、ホールの喫煙所で時間を潰そうとした。 二人でベンチに腰掛けると煙草を銜える。 「そっか…捲簾は甘い物苦手なんですね。コレ捲簾にもお裾分けしようと思ったんですけど」 少し残念そうに天蓬が呟いた。 「チョコもさ、たまーに仕事で疲れた時に食いたくなるんだけど。せいぜい食ってビターチョコだな。甘くないチョコは苦みがあって結構好きだけど」 「…チョコ自体が嫌いな訳じゃないんですね?」 途端に天蓬の瞳が輝き出す。 その様子に捲簾は疑問を持ちながらも小さく頷いた。 「たまに悟浄がパチンコの景品で貰ってくることもあるし、たまには食うけど…何で?」 「え?何でって??」 「あ、いや…何か天蓬嬉しそうだから」 捲簾の言葉に天蓬は瞳を和らげて微笑んだ。 「だって、何か…自分の好きな物を捲簾も食べるんだーって思うと、何か嬉しかったんですよ」 「…ばぁか」 照れ隠しに煙草をふかして、捲簾は顔を背ける。 ますます天蓬の笑みが濃く色付いた。 「じゃぁ、今度…僕も捲簾に甘くないビターチョコをプレゼントしますね」 「チョコをプレゼントーッッ!?」 捲簾の声が驚愕のあまり、盛大に上擦ってひっくり返る。 「え?やっぱり…迷惑ですか?」 「いやっ!全然っ!そんなことねーけどっ!!」 「そうですか?よかったvvv」 天蓬の綺麗な微笑みに、捲簾は異常なほど鼓動を高鳴らせた。 チョコをプレゼントって…やっぱりっ!? 来週末はバレンタインデイ。 捲簾だって御多分に漏れず、目の前の恋人との甘い一時に期待している。 つい嬉しさのあまり頬が紅潮してしまった。 あからさまに喜ぶのも恥ずかしくて、捲簾は俯いてしまう。 捲簾ってば…そんなに可愛い顔してっ! 僕からチョコを貰えるのがそんなに嬉しいんでしょうか? 天蓬はじっと手に持ったチョコ詰めの箱を眺めた。 生憎この中にビターテイストのチョコは入っていない。 こんな捲簾の可愛い顔を見れるのなら、いくらでもチョコなんかプレゼントしますよっ! 頬を染めて俯いたままの捲簾に、天蓬はウットリと魅入った。 この時、天蓬にバレンタインの存在は皆無だった。 |
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