Valentine Attraction |
「あら?先生何かスゴイ豪華ですねー」 小休止しようと天蓬が先程買ったチョコの箱を開けると、看護士達が色めき立って集まってくる。 コーヒーを手渡され、天蓬がニッコリと微笑んだ。 「お昼に見つけたんですよ。何かいっぱい売ってたもんですから、ついつい買っちゃいました」 「あぁ、そんな時期ですもんねぇ〜」 「は?そんな時期??」 意味が分からず、天蓬はそのまま聞き返す。 不思議そうに首を傾げている天蓬に、周りの人々は一瞬驚愕して固まった。 「せ…先生…まさか知らないなんて言いませんよね?」 勇気を出して声を掛けたのは、たまたまその場にいた内科医師。 チョコを口に放り込みながら、天蓬は目を丸くして見上げた。 「え?知らないって…何のことですか?」 「は…はははは…やだなぁ〜冗談ですよね?」 「………冗談?」 天蓬はゴクンとチョコを飲み込むと、眉間に皺を寄せて考え込む。 本気で分かってない様子に、ますます周囲がざわめいた。 只ならぬ雰囲気に、天蓬も段々と居心地悪くなってくる。 一体この空気は何なんでしょうか? 時期とか言ってますけど…2月に何かありましたっけ?? 「先生…まさかバレンタインを知らない訳じゃありませんよね?」 「バレンタイン…あぁ!」 漸く納得いったように、天蓬がポンッと手を叩いた。 一斉に周囲が安堵の溜息を漏らす。 「成る程。そう言えばそんな時期でしたよね。だからケーキショップの前に女性が大勢居たんですか」 「先生。その女性の中に突進して、ソレ買ってきたんですか?」 「ええ。さすが女性に人気があるだけあって美味しいですよ〜」 「はぁ…知らないってスゴイなぁ」 周りの男性医師は一様に頷き合った。 「あー驚いちゃいましたよ。先生ってば本気でバレンタイン知らないのかと思って。まぁ、先生に限ってそんなことないですよねー…」 何やら集まっていた女性看護士達の天蓬を見つめる視線に気合いが籠もる。 互いを牽制し合って、バチバチと見えない火花が散っていた。 天蓬を囲んでいた医師達の表情が、途端に引き攣りだす。 周囲の思惑など何処吹く風で、天蓬は幸せそうにチョコを食べていた。 医師の一人が澱んだ空気に耐えきれず口を開く。 「せっ…先生はチョコそんなに好きなんですか?」 「はい。結構自分で買って食べますよ。疲れている時に食べると頭がスッキリしますしね」 女性陣は天蓬の言葉を一言一句漏らさぬように、静まり返って聞き耳を立てている。 「じゃぁ…バレンタインはチョコ沢山貰えて嬉しいでしょう?」 「どうですかねぇ…小さな患者さんやそのお母さんからじゃ、どっちみちマズイでしょう〜あははは」 「いや…それ笑い事じゃないから。手ぇ出すんじゃねーよ」 同僚の医師がすかさず突っ込みを入れてた。 「だから、さすがにソレは…ねぇ?」 天蓬も苦笑を浮かべながら肩を竦める。 「患者さんや家族はともかく、他にもいっぱい貰ってるんでしょう?」 「え?僕がですか?全然」 「ええっ!?」 一斉に医師も看護士達も驚いて目を見開いた。 ルックスは最上級の超絶美形で、人当たりも良く物腰も柔らかい。 しかも医師で、マンションも所有しているという噂がある。 こんな美味しい玉の輿条件の揃ったオトコが、本命チョコを貰ったことがないなんて信じられないだろう。 周りが愕然としている様子に気付いて、天蓬がキョロキョロと顔を見回した。 「え?僕…何か変なこと言いました?」 暢気な声に我に返ったのは同僚の医師。 「お前なぁ…それって嫌味か?まだ毎年貰い過ぎちゃって困っちゃうんですよ〜って言われる方がマシだっての」 「はぁ?」 「だーかーらーっ!お前ぐらいルックスが良けりゃっ!貰ってないなんて嘘クサイって言ってんの!!」 「あぁ…そう言うことですか」 途端に天蓬は目を眇めて笑みを浮かべた。 その妖艶な表情に女性陣は勿論、つい男性医師達も息を飲んだ。 「でも本当に貰ってないんですよ?丁重にお断りしてますので」 「何だよ…やっぱそういうアプローチはあるんじゃねーか」 何となくほっとして、同僚の医師は肩を竦める。 そうだとしても、やっぱり何かモヤモヤとしたわだかまりがあった。 「でもお前チョコ好きなんだろ?貰えるモンは貰ったらいいんじゃねーの?」 自分で買うほどのチョコ好きなら、同僚の考えは至極当然だろう。 それこそ天蓬なら自分で買わなくとも、バレンタインに相当大量のチョコを贈られるはずだ。 胡乱な視線で見つめられて、天蓬は困ったように笑みを浮かべる。 「だからですね。見返りを期待したチョコなんか貰えませんよ。僕は返す気持ちなんかこれっぽっちも無いんですもん。女性がよく義理チョコだからって結構口にして渡しますけど、本当に100%気持ちが無いのかどうか何て分からないじゃないですか。そういう面倒なことイヤなんですよ」 天蓬の発言に女性達の空気が明らかに変化する。 一斉に溜息を零して、皆がそれぞれ落胆しているのがあからさまだった。 突然重くなった雰囲気に、男性陣は慌て出す。 全てが天蓬狙いだったのかと思うと面白くはないが、ここで波風立てるのは得策ではない。 集団になった女性ほど恐ろしいモノはない。 「でもお前恋人いねーだろ?もしを好みの女性がチョコ持ってきたらさ、やっぱチャンスって思わねーか?」 周りを一瞥して、同僚の医師は沈みきった場の空気を和ませようと試みた。 女性陣も再び色めき立つ。 しかし。 「あぁ、言ってませんでしたっけ?僕、最近可愛い恋人が出来ちゃったんですぅ〜vvv」 「なっにいいぃぃっ!?」 デレッとだらしなく笑う天蓬に、同僚の医師は大声で叫んだ。 周りの女性陣も衝撃に打ち拉がれている。 「何時だよソレ!全然訊いてねーよっ!」 「だって訊かれなかったですもん」 「訊かれなかったって…お前…まぁ、いい。それでか…最近飲みに誘ってもさっさと帰っちまうのは」 「すみません…出来るだけ一緒にいる時間を作りたいものですから」 蕩けるような笑顔で惚気を訊かされ、同僚はこれ見よがしに溜息吐いた。 「それにしても珍しいな。お前がそんなに惚れ込むなんて」 「もぅっ!運命の出逢いなんですっ!初めて逢って目があった瞬間に一目惚れしちゃいましてねぇ。僕、スッゴイ一生懸命頑張って口説いたんですよvvv」 幸せそうな笑顔を浮かべる天蓬を眺めていた女性陣は、諦めて戦線離脱して行く。 結局周りに残ったのはお茶をしている男性医師陣と、興味津々な同僚医師だけになった。 「はぁ〜事なかれ主義で面倒くさがりのお前がねぇ…晴天の霹靂か天変地異かって感じだな」 実はこの同僚、大学時代からの同期で、昔の天蓬の悪行三昧も全て知っている。 だからこそ尚更に今此処にいる誰よりも一番驚いていた。 「んじゃ、今度紹介しろよな」 「ヤ、です」 考える間もない天蓬の拒絶に、同僚は思いっきり鼻白む。 物騒な視線で天蓬を睨め付けてきた。 「おい、どういう意味だよ?」 「勿体なくって誰にも会わせたくないんです」 「何処の深窓の令嬢だよ、そりゃ」 天蓬の心の狭さに、同僚は怒りよりも呆れ返る。 あの傍若無人で相手の気持ちなどお構いなしに喰い散らかし放題だった天蓬に、ここまで盲目的に惚れさせた相手。 ますます同僚は気になってきた。 「おいおい。俺だって人のモンに手ぇ出すほど無粋じゃねーぞ?」 「貴方がソレ、言いますかねぇ」 天蓬の容赦ない突っ込みに、同僚はグッと言葉を飲み込んだ。 確かに。 学生時代に同僚もソコソコお盛んな方で。 知らずに天蓬の取り巻き連中を頂いてしまったことが多々あった。 「アレは別にお前のモンじゃなかっただろう?」 「まぁ、そうなんですけどね」 余り大っぴらに出来ない話題なので、自然と二人の声は小さくなる。 「つーことで、紹介しろ」 「イヤです」 暖簾に腕押し、糠に釘。 二人の攻防戦は平行線を辿った。 「なーんだよ〜!お前だってそろそろいい歳だろ?相手のこと知らねーんじゃ結婚式の時のお祝いスピーチ出来ないっての」 「僕は結婚する気ありませんけど?」 「え?だって…」 幸せ絶頂で片時も離れたくないほど一緒に居たい惚れまくってる相手が居るのなら、普通はお互いに結婚のことも視野に入れるだろう。 インターンから医者になって数年。 そろそろ落ち着いても良い頃だ。 疑問が顔に出ていたのか、天蓬がチョコを頬張りながら笑みを零す。 「残念ながら、今の日本では結婚出来ないんですよねぇ〜」 日本では結婚出来ない? と、言うことは。 同僚はゴクリと息を飲み込んだ。 顔を近づけると、天蓬の耳元に小声で囁く。 「もしかして…お前の恋人ってオトコか?」 「もしかしなくてもそうですよ」 「そーいうことねー…」 同僚は額を押さえると、椅子の背もたれに仰け反った。 「そんじゃ別に紹介してくれても全然問題ないだろ?俺は結婚してるし完璧ストレートだし」 「いえいえ、そう言うことが通用するヒトじゃないんです、あの人のフェロモンはっ!」 「…そりゃ、お前限定だろ」 恋は盲目を地でいってる天蓬に、同僚は呆れすぎてそれ以上突っ込めない。 これ以上話してても平行線だろうと、話を切り上げた。 「あぁ、じゃ〜その『恋人』からのチョコを天蓬は待ってる訳だ」 「え?チョコですか??」 「だから、バレンタインだろ?」 同僚に言われて、天蓬の脳裏で弾けるように捲簾の笑顔が浮かんだ。 確か、あの時。 『じゃぁ、今度…僕も捲簾に甘くないビターチョコをプレゼントしますね』 『チョコをプレゼントーッッ!?』 『え?やっぱり…迷惑ですか?』 『いやっ!全然っ!そんなことねーけどっ!!』 捲簾の恥ずかしそうに照れた笑顔。 あれはきっと。 「僕からのバレンタインのチョコ…捲簾は欲しかったんですね」 漸く気が付いて、天蓬は溜息混じりに小さく呟いた。 嬉しそうに花も綻ぶような綺麗な笑みを浮かべる。 「あ?チョコがどうしたって??」 聞き逃した同僚が、笑顔を浮かべる天蓬を覗き込んだ。 そこではっと我に返る。 「甘くないチョコって、何処で売ってますかね!?」 「はぁ?甘くないチョコ〜??」 真剣な表情で詰め寄る天蓬に、同僚は椅子ごと後ずさる。 答えを待って見つめてくる天蓬に、同僚も焦って必死に考えた。 「デメルとか…高級チョコ売ってる専門店なら、多分ビター系のチョコも売ってるんじゃねーの?」 「なるほど…専門店ですか」 天蓬は腕を組んで難しい顔で思案する。 「ちなみにっ!今まで貰ったチョコで、特別美味しかったとか嬉しかったチョコって何ですか!?」 「う〜ん…去年だったかな?結婚して初めて嫁さんに貰ったチョコが贔屓目無しに旨かったなぁ。それにやっぱ手作りだと嬉しいだろ?」 「手作り…ですか?」 何やら絶望的な表情で天蓬が項垂れる。 天蓬は生まれてこの方、台所に立って料理などしたことがなかった。 出来ること言えば、お湯を沸かしてコーヒーやお茶を入れる程度。 ましてやお菓子作りなど想像の域を脱している。 一体何を考えているのか、同僚には天蓬の思惑など全く分からない。 知りたくもないが。 「やっぱり…好きな人から手作りのチョコを貰うと嬉しいんですかねぇ」 「そりゃーもうっ!格別だろ?俺のこと想って俺の好みに合わせて作ってくれたんだしさ〜それで旨いんだから更に嬉しさ倍増って」 「はぁ…そうですか」 確かに言われてみればそうかも知れない。 自分だって捲簾が手作りのチョコをプレゼントしてくれたら、感激の余り抱きついて押し倒して、感極まって泣いてしまうかも知れない。 捲簾のあの時の反応を考えると、その希望は限りなく期待出来ないだろうけど。 それでも、もし自分が捲簾に手作りのチョコをプレゼントしたら。 同じように喜んでくれるだろうか。 それは、多分。 「…やってみるしかないようですね」 天蓬は顔を上げると、決意を込めて窓の外を睨み付ける。 こうして天蓬の無謀な『捲簾にラブラブ手作りチョコをプレゼント大作戦』が、優秀すぎる頭脳で展開し始めた。 「っくしょんっっ!!!」 「主任…風邪ですか?」 「や…何かいきなり背筋がゾクゾクして」 捲簾がズズッと鼻を啜った。 それにしても、今の悪寒は何だったんだろうか? 「気を付けて下さいよ〜?女性に噂されてるのならともかく、風邪やインフルエンザなんて洒落になりませんからね〜」 部下の軽口に、捲簾はペシッと頭を叩く。 女性に噂? そんなコトであんな悪寒はしねーだろ。 きっと多分天蓬のヤツが何か企んでるんだ。 何となく嫌な予感がして、捲簾は小さく震え上がる。 身も心も通じ合っている恋人の計画に、捲簾は自己防衛機能で感づいたらしい。 「…妙なことやらかさなけりゃいいけどなぁ」 捲簾は深々と溜息を零しながら、机の上に突っ伏した。 |
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