Valentine Attraction |
「八戒センセーおはよう〜♪」 爽やかな朝に子供の元気な挨拶が聞こえてくる。 保育園朝のお見送りラッシュ時。 簾は悟浄に手を繋がれ、嬉しそうに手を振ってやってきた。 「簾クンおはよう…今日も元気ですねぇ」 「うんっ!八戒センセーは?」 「…あんま元気ねーみたいだけど?」 一緒にやってきた悟浄が心配そうに八戒を見つめる。 「そんなこと…ないですよ?」 「嘘つけ。具合悪いなら無理すんなよ?八戒はギリギリまで我慢するタイプなんだからさ」 「おや?よく知ってますね〜悟浄。どうしてですか?」 即座に突っ込まれて、悟浄は目を丸くする。 八戒が近寄って顔を覗き込みながら、ニッコリと微笑んだ。 その爽快な笑顔に何だか含みがあるような。 思わず悟浄の眉間に皺が寄る。 「ねぇ、悟浄?何で僕が我慢するタイプだって分かったんですか?」 再度問い返され、悟浄は少し考える。 ん?そういや、何でそう思ったんだろ? コレと言って理由とかあった訳じゃねーんだけどな。 でもすぐに八戒はそうだって思ったし。 何でだろ? 終いに悟浄は腕を組んで唸り始めた。 さすがに八戒も呆れてしまう。 「ちょっと悟浄…適当に言ったんですか?」 八戒は頬を膨らませて悟浄を睨め付けて拗ねた。 「えっ?いや、違うって!そう言う訳じゃねーけどっ!」 視線をそわそわ泳がせ、しどろもどろになりながら悟浄が言い訳をする。 そんな態度じゃ肯定してるようなものだ。 八戒は口端を上げて意味深に微笑む。 「確かに僕って…ギリギリまで我慢しちゃうから、いつも悟浄の身体に負担掛けちゃってますよねぇ?我慢しすぎちゃってついつい…でも、悟浄がギュッて僕にしがみ付いて可愛すぎるから…」 「んなっ!?」 悟浄はポンッと顔を真っ赤にして、言葉を詰まらせた。 羞恥の余り身体が小刻みに震え出す。 「俺はっ!んな意味で言ってねーよっ!」 「じゃぁ、どんな意味ですか?」 「ど…どんなって」 挙動不審に狼狽える悟浄に、八戒は大きく息を吐くと顔を上げ、扇情的な笑みを浮かべる。 「………悟浄?」 うわぁ…朝っぱらから何て目で見るんだよぉっ!! 股間にガツンとクルからやーめーてええぇぇ〜っっ!! 八戒に心も身体も追い詰められた心境で、悟浄の頭が真っ白に霞んできた。 虚ろな視線で硬直している姿に、八戒は堪えきれずに小さく噴き出す。 「なっ!何笑ってんだよーっ!!」 お腹を抱えながら喉で笑いを噛み殺している八戒に、悟浄が真っ赤になって怒鳴った。 ムキになっている悟浄の様子に八戒の笑いはますます込み上げてきて、ついにはしゃがみ込んで肩を震わせる。 「はぁーっかいいぃぃっ!何だよーっっ!!」 「すっ…すいま…せっ…だって…ごじょっ…ぶっ!」 「も…いい」 すっかりヘソを曲げて、悟浄はプイッと背中を向けた。 遠慮無く豪快に笑い出した八戒に、悟浄はふて腐れて地面にのの字を書いていじける。 一頻り笑うと、涙を拭って八戒が立ち上がった。 「悟浄、悟浄ってば。ごめんなさい。悟浄があんまりにも可愛い反応をしたものですから、つい…機嫌直して下さいよ」 「やぁ〜だ〜」 そこら辺に落ちていた石を転がして遊び始める悟浄に、八戒はやれやれと肩を竦める。 丸くなってしゃがんでいる悟浄へと身体を屈ませた。 頬に柔らかい、暖かな感触。 驚いて悟浄は振り返った。 仰ぎ見た先には八戒の極上笑顔。 ぼんやりとしながら、悟浄は指で自分の頬へ触れた。 「ほら、悟浄立って下さい。皆さん笑って見てますから」 漸く我に返ると、悟浄はもの凄い勢いで立ち上がる。 「はっ八戒…い…っ今のっ!?」 「…ご機嫌直りましたか?」 悟浄は素直に何度も首を振った。 「はっかいぃぃ〜vvv」 瞳を輝かせて悟浄は大きく手を広げると、思いっきり八戒を抱き寄せようとする。 が。 「んがっ!?」 「…此処は天下の往来です。慎みましょう」 八戒の掌が無情にも悟浄の顎を押し返した。 「何でだよぉ〜八戒ぃ〜っ!!」 腕を振り回して、悟浄はジタバタと諦めずに藻掻く。 「そーいうのは帰ってからですっ!」 パンッ!と八戒渾身の張り手が悟浄の顔に炸裂した。 バランスを崩して、悟浄は道路へと尻餅を着く。 「イッテー…」 「ごじょちゃん大丈夫〜?」 健気な簾は手を貸して悟浄を引っ張り上げた。 「簾は優しいなぁ〜っっ!!」 悟浄は小さな身体を強く抱き締める。 「ごじょちゃん…くるしー」 「おっと…悪ぃ悪ぃ!」 言葉ほどには悪びれず、ポンポンと簾の頭を叩いた。 「ったくぅ…普通張り手はしねーだろ」 「公衆の面前で盛っちゃう悟浄が悪いんです」 「あ?俺八戒と一緒ならいつでもどこでも準備オッケーだけど?」 「…そういうコトを真顔で言わないで下さい」 恥ずかしそうに八戒が視線を逸らす。 大胆に悟浄を煽ってみたり、羞恥で頬を染めたり。 淫猥と清廉。 八戒のこうした二面性が、悟浄には堪らない。 ニヤニヤとだらしなく口元を緩めていると、視線を戻した八戒が深々と溜息を吐いた。 「あー…何か昨日から疲れることばっかりですねぇ」 八戒の何気ないぼやきに、悟浄はすぐに反応する。 「やっぱ疲れてるんじゃん。何かあった?昨日は確か天蓬に呼ばれてたんだろ?」 前日の日曜日。 午後から悟浄はバイトが入っていたので、八戒は昼に悟浄のマンションを出た。 しかし、そのまま自分のアパートへは帰らず、天蓬のマンションへと足を運ぶ。 週末の金曜日。 夕方携帯に天蓬から連絡が入った。 どうしても急ぎで用事があるから来て欲しいと。 珍しく切羽詰まった天蓬の様子に首を捻りながらも、八戒は承諾して携帯を切った。 「まさか…あの天ちゃんが、あんなとんでもないことを考えるなんて」 悲痛な響きの混じった呟きに、悟浄は瞳を瞬かせる。 「何?またはた迷惑なコト企んでんの?」 天蓬だったらやりかねんと、悟浄は不審気に眉を顰めた。 ところが。 八戒の反応は。 「はた迷惑と言えばそうだし、企んでいると言えば確かにそうなんですけどねぇ。全く…いくらなんでも今回のは無謀すぎるんですよ。でも天ちゃんの気持ちを考えると頭から怒ったり反対もできないし…余計に困っちゃって」 「は?な…何か…話が見えねーんだけど。そんなに大変な訳?」 何だか状況の怪しい雲行きに、悟浄は息を飲む。 ふっと八戒は遠くの空を見つめて、ぽつりと呟いた。 「天ちゃん…バレンタインに手作りチョコを捲簾さんへプレゼントしたいらしいんです」 「………え?」 驚きのあまり悟浄は口を開けたまま唖然とする。 「確か…天蓬って…料理つーか菓子なんか作れたっけ?」 「天ちゃんが唯一出来ることは、やかんでお湯を沸かすことだけです」 「それが?ケン兄にチョコ作るって?」 「あのままだったら…間違いなく捲簾さん救急車で病院行きでしたよ」 「――――――っっ!?」 「はぁ。とにかく天ちゃんが自分だけで作るって言い張らなくってよかったですよ。あの惨状を見たら…思い出すだけで恐ろしいです」 「と…とりあえず、八戒はケン兄の寿命を繋ぎ止めてくれるんだ」 確かに。 捲簾は何だかんだ言って天蓬には甘いから。 天蓬が自分だけのために一生懸命手作りしたとチョコを持ってくれば、例えそれがどんな出来の物でも無理をして口にするのは明白だ。 「あんなナゾの物体、捲簾さんに食べさせる訳にはいきませんよっ!とにかく自分だけでは絶対作らないようにって約束してきました」 悟浄の顔が次第に恐怖で強張ってくる。 八戒の話だけでも想像を絶するのに、実物なんて見たらその場で吐きそうだ。 しかも、チョコじゃなくてナゾの物体を作り出すとは! 「こえぇー…何でチョコ作るのにナゾの物体生み出すんだよ?だってチョコ溶かして型に流し込むだけだろ?天蓬がそんな手の込んだ真似するとは思えねーし」 「そうですよ。チョコを溶かすだけの作業でっ!得体の知れない物を作っちゃったんですからねぇ。天ちゃんちの台所がグロいスプラッタームービーかジャバ・ザ・ハットかって状態に」 「おいおい、ジャバ・ザ・ハットって…何したらそんなモン作れるんだよぉ」 「ホントにねぇ…どうしたらあの惨状になったのか、訊いても要領を得ないし」 二人は顔を見合わせると、深々と溜息を零した。 「ねーねー。天ちゃんセンセーがどうかしたの?」 何も知らない無邪気な子供が、興味津々で見上げてくる。 この場合、天蓬も捲簾には当日に驚かせようと隠しているはずだから、さすがに息子の簾には教えられなかった。 素直な簾は1日にあったことを何でも父親に報告する。 どうしたものかと悟浄が思案していると、八戒が簾に視線を合わせてしゃがみ込んだ。 「天ちゃんがですね〜ご飯が食べたいって言うんで、センセーが作りに行ったんですよ〜」 「え?そうなの?昨日天ちゃんセンセー、お仕事で来れないからってパパつまんなそうだったよ?」 「あ…えっとぉ〜」 しまった、と八戒が視線を泳がせる。 すかさず悟浄が簾を抱き上げ、助け船を出した。 「天蓬が仕事で遅くなるからって〜八戒は昨日留守の間、天蓬の家を掃除してたんだよ!」 「八戒センセーお掃除してたの?」 「そっ…そうなんです!天ちゃんのお部屋は本がいっぱいありすぎて。すぐに埃が溜まっちゃうんです〜」 「へぇ…そうなんだぁ」 簾が目を丸くして感心しているのを眺め、二人はホッと胸を撫で下ろす。 「…助かりました」 「いやいや。コレでバレたら天蓬に何されっか分からねーし」 悟浄には捲簾の身体も心配だが、天蓬の報復の方が100倍恐ろしかった。 「あ、そろそろ入りましょうか」 園内で同僚の呼ぶ声に返事を返すと、八戒は簾と手を繋ぐ。 「ごじょちゃん、バイバ〜イ♪」 「おぅ!後で迎えに来っからな〜」 門の中に入っていく二人を、悟浄は手を振って見送った。 車に戻るとエンジンを掛けて煙草を銜える。 「それにしても…マジでどんなチョコ作る気だったんだろ?」 あんな話をされると、好奇心が疼き出した。 八戒があそこまで言うんだから相当スゴイんだろう。 しかし。 それは、悟浄の想像を遙かに上回った物体だった。 「て…天ちゃん…コレは一体何事なんですかっ!?」 八戒は手に持った買い物袋を床に落とした。 普段は全く使われない天蓬宅のシステムキッチン。 これだけの広さと機能がありながら何て勿体ないんだろうと、料理好きな八戒から言わせれば憧れのキッチンだった。 いつもはお湯を沸かすコンロ程度しか使われてないその場所が。 見るも無惨な惨状と化していた。 コンロ周りは勿論、流しにダイニングテーブルまでがナゾの黒いゲル状物体で溢れかえっている。 一見しただけではそれが何かは分からなかった。 ただ見た目の惨状と裏腹に、キッチンには甘い香りが充満していた。 その匂いには覚えがある。 「天ちゃん…コレはもしかして…っ」 「ああっ!八戒…いいところに来てくれましたぁ〜!チョコがいきなり噴火して爆発したんですぅ!!」 身体中ゲル物質にまみれた天蓬が、泣きそうな顔で縋り付いてきた。 チョコが?噴火して爆発ぅ?? と、いうことは…やっぱりコレは。 「天ちゃん…コレってチョコなんですか?」 「見ての通りチョコですよ」 どこが見ての通りなんだっ!? キッチンを見回して、八戒はただ愕然と立ち竦んだ。 |
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