Valentine Attraction |
八戒が片づけ終わったキッチンでお茶を飲んでいると、髪を拭いながら天蓬が戻ってきた。 「あぁ、天ちゃん。さっきの汚れた服はちゃんと洗濯機に入れました?」 「ええ…もう片づいちゃったんですか?」 キッチンを見回すと、ナゾのゲル物質で汚れまくっていたキッチンは、既に元の状態に戻っている。 フローリングをペタペタと歩いて、天蓬は八戒の向かい側に腰を下ろした。 「お茶いれますね」 ポットから急須にお湯を入れると、用意してあった湯飲みにお茶を注ぐ。 すぐに緑茶の良い香りが漂い、天蓬の鼻腔を擽った。 「はい、どうぞ」 「いただきます〜」 天蓬は湯飲みを受け取ると、両手で持って口を付ける。 落ち着いた表情でお茶を啜っている天蓬を確認し、八戒は意を決して口を開いた。 「天ちゃん…どうしても捲簾さんに手作りチョコをプレゼントしたいんですか?」 八戒は意思を見定めるように、真っ直ぐに天蓬を見つめる。 ふいに視線を逸らして、天蓬が視線を湯飲みに落とした。 「やっぱり…ダメでしょうか」 いつもの天蓬らしくもない気弱な声。 すっかり肩を落として項垂れている天蓬を眺め、八戒は口元に苦笑を浮かべた。 「別にダメじゃないですよ。でも天ちゃん一人で作るのは無謀でしょうねぇ」 八戒にハッキリと言い切られて、ますます天蓬は縮こまる。 「ですから、僕が前日の夜に来ます」 「え…っ?」 天蓬は驚いて顔を上げると、八戒を注視した。 「僕も悟浄にチョコを作るつもりでいましたから、この際一緒に作りましょう」 「あ…でも…いいんですか?」 「一緒に材料買った方が無駄もなくていいですし。ちゃんと僕が作り方を教えて上げますから」 思わぬ助け船に、天蓬の表情が見る見る明るくなる。 八戒が一緒なら、さっきみたいな失敗はいくら何でもしないだろう。 助けて貰えるのは嬉しいけど。 どうしても譲れないことがある。 「あのっ!でも、僕は―――」 「ただし。僕は一切手伝いませんからね」 「あ…」 天蓬の言葉を遮り八戒が宣言した。 優しく双眸を眇めて微笑んでいる。 「僕はあくまでも、天ちゃんにその場で作り方を教えるだけです。チョコは天ちゃんだけの力で作らないとダメですよ?」 天蓬が言わなくても八戒は理解していた。 折角手作りのチョコを渡すと決めたからには、自分の力で作らなくては意味がないだろう。 ただチョコを渡すだけなら、売っている物の方が遙かに見た目も綺麗で美味しい。 自分で作ると言うことは、言葉だけでは言い表せない色んな想いが込められる。 その想いの一部でもいいから捲簾に伝われば。 それだけでいい。 その気持ちは八戒も同じだった。 だからこそ先程の失敗で、何時になく落ち込んだ天蓬の気持ちが自分のことのように分かる。 そして、もう一つの思惑。 何と言っても天蓬の恋人である捲簾は八戒の恋人悟浄の兄であって、息子の簾は八戒の勤務先である保育園での可愛い教え子だ。 天蓬の側に自分が居ながら、得体の知れないチョコなどプレゼントするのを見逃す訳にはいかない。 八戒の沽券にも拘わってくる。 天蓬のチョコで捲簾を病院送りにでもしてしまっては、悟浄にも簾にも顔向けが出来ない。 ここはひとつ。 キッチリと天蓬にチョコ作りの指導をして、来るべきバレンタインを無事に乗り切らせるのが八戒の使命だった。 「とりあえず、前日に僕が材料を揃えてココに来ますから。天ちゃんもなるべく早く帰ってきて下さいね」 「ええ。当直の日でもないですから、そんなに遅くはならないはずですし」 「それと…ラッピングの方はどうしましょうか?」 「ラッピング…?」 「ああ、いいです。僕が材料と一緒に買ってきますよ。でも僕がお手伝いするのはチョコ作りだけですからね。他に捲簾さんへプレゼントするモノがあれば、それは天ちゃんの方でちゃんと買ってきて下さいね」 「プレゼント…ですか?」 天蓬は意味が分かっていないのか、首を傾げる。 一体バレンタインデーを何の日だと思っていたのか。 チョコだけ渡す日なら何時だっていいだろう。 額を押さえて、八戒は大袈裟に首を振った。 「あのですねぇ…義理でチョコを贈るならチョコだけでもいいですけど。天ちゃんは恋人の捲簾さんにチョコを贈るんですよ?普通恋人ならチョコと一緒に相手が欲しがっているとか似合いそうな物を一緒に贈るんです」 「と、言うことは?クリスマスなんかと一緒みたいですねぇ」 「だからこそバレンタインは恋人達の記念日なんでしょうっ!」 やけに気合いを入れて八戒が力説をブチ上げる。 「別に高価な物じゃ無くっていいんですよ。捲簾さんが喜んで貰ってくれそうな物をプレゼントすれば」 「捲簾が喜びそうな物…」 腕を組んで天蓬は考え込む。 「捲簾さんが天ちゃんからプレゼントを貰って嬉しそうに笑ってくれたら…天ちゃんだって幸せでしょう?」 「…鼻血出そうです」 「今から逆上せてどうするんですか」 鼻を摘んで唸る天蓬を、八戒は呆れ返って見つめた。 「とにかくっ!何をプレゼントするかによっては、天ちゃんの株が上がるかも知れないですよ〜?捲簾さん惚れ直しちゃったりして」 「そんな大事なことなんてっ!?じゃぁ頑張ってリサーチしないとダメじゃないですかっ!」 「いえ…リサーチとか、そうことじゃなくて。どうせ今からじゃ遅いでしょう。あくまでも天ちゃんの日頃からの観察力とかセンスで決めないとっ!」 「だって…いきなり言われてもぉ〜」 天蓬がテーブルの上に顎を乗せてグチりだす。 「…ほぼ毎日会ってるクセに、そんなことも分からないでどうしますか。分からなければ思いつくまで捲簾さんのことずーっと考えてればいいんですよ。そうすれば何かヒントぐらいは出てくるはずですから」 「捲簾のことは何時だって考えてますけど…う〜ん」 本格的に悩み出すと、天蓬はテーブルの上に突っ伏した。 本当に大丈夫なんだろうか? 一抹の不安はあるが、こればかりは八戒だって助言は出来ない。 「まぁ、前日までには何が何でも思いついて下さいね〜」 八戒は頭を抱えて悶えだした天蓬を放っておいて、のんびりとお茶を啜った。 いよいよバレンタイン当日。 保育園の前で見慣れない車が路肩に停車した。 お迎えをしていた八戒は、誰だろうと身体を屈ませ窓の中を覗こうとする。 乗っている人物を確認する前に運転席が開いて、見知った人物が姿を現した。 「ほい、簾。降りろ〜」 捲簾が助手席のドアを開けると、小さな身体がぴょんと飛び降りる。 「八戒センセー、おはよーっ!!」 簾が元気良く八戒の脚に抱きついた。 「おはよーさん。今日も宜しく〜」 「あ、おはようございます」 八戒はぺこりと丁寧に挨拶する。 顔を上げると、捲簾が意味深な笑みを口端に浮かべていた。 「…悟浄じゃなくってガッカリ?」 「えっ!?あのっ…」 見る見る八戒の頬が真っ赤に紅潮してくる。 そわそわと視線を泳がせると、恥ずかしそうに俯いてしまった。 「え〜?俺だって目に麗しい眼福だと思うんだけどなぁ〜?やっぱ悟浄の方がイイ?」 クスクスと笑いを零して、楽しそうに八戒の顔を覗き込む。 「もぅ…やだなぁ…からかわないで下さい」 火照る頬を掌で押さえて、八戒が上目遣いで捲簾を見た。 捲簾も笑いを治めて、肩をひょいと竦める。 「悪ぃ悪ぃ。本当は悟浄が来るはずだったんだけどさ。何か昨日バイトの方で誰かが怪我したらしくって。急遽朝までオールで入って、さっき帰ってきて寝たとこ」 「そうだったんですか…」 「あ、でも今日の予定は全然大丈夫だって言ってたけど?アイツすっげ〜ニヤけてたなぁ。もしかしなくってもバレンタインラブラブデートの予定?」 捲簾に突っ込まれると、八戒は嬉しそうにはにかんで微笑む。 ちょっとからかうつもりが逆に当てられた気分で、捲簾は苦笑した。 「でも捲簾さんも今日は天ちゃんと会うんですよね?」 「んー、コレと言って約束はしてねーけど。今日金曜だし、予定無ければ来るんじゃねーのかなぁ」 口ではそう言ったものの、捲簾だってかなり期待している。 とりあえず昼にあった時にでも、今日来るかどうか確認するつもりではいた。 もし、来れなかったとしても。 それなら自分の方が、簾を寝かしつけた後に押しかけてやるつもりだ。 「昨日の様子だと…天ちゃんは、お邪魔する気合い充分でしたよ」 八戒がニッコリ微笑んで断言する。 「…そう?」 「ええ。昨日用事があって天ちゃんのマンション行ったんですけど、何か一人でバタバタガサガサ落ち着きが無いったら…何か準備が忙しいって部屋中走り回ってましたけど」 「準備…」 「考えるまでもなく今日の準備でしょうね、きっと」 「ふーん…そっか」 八戒の話に何気なく返事を返すが、つい頬が緩んでしまう。 天蓬がバレンタインを自分と一緒に過ごそうとしているって分かっただけでも嬉しかった。 「パパ〜!天ちゃんセンセー今日来るの?」 父親の手にぶら下がって、簾が見上げてくる。 「ん?来るみたいだな」 「そうなんだぁ。パパよかったね♪」 「うっ…」 息子の無邪気な微笑みに、捲簾は思いっきり喉を詰まらせた。 一体何処まで分かって言ってるのか。 父親として複雑な心境だ。 「簾も今日チョコ貰えるといーな?」 「んと…昨日ごじょちゃんが言ってた、ばれんたいんでーってヤツ?」 「悟浄ってば…簾クンにまで教えてたんですか」 八戒は呆れて溜息を零した。 捲簾もククッと喉で笑いを漏らす。 「簾はチョコが食べられる日ってぐらいにしか思ってねーよ。もしかして保育園ではチョコ禁止?」 最近は我が子可愛さに、慣習にさえ口を出してくる親もいる。 どんなことにでも優劣をつけて差別化するのは良くないと。 皆が右習えで平等の精神。 我が子が一番だと思っていながら、他人の子供と比べられるのは気分が悪いらしい。 バレンタインなど真っ先に槍玉に挙げられそうな行事だ。 「うちでは特に…いちおう園の先生方もお金を出し合って、園児全員分のチョコを用意してますし。子供だからって恋愛は恋愛。他人の恋愛事に口を挟むのは無粋でしょう?」 八戒と捲簾は目を合わせると、一斉に噴き出した。 「確かになっ!簾〜お前俺の息子なんだから、モテモテで帰ってこいよ〜」 「モテモテ?」 意味が分からず簾は小首を傾げる。 「もぅ…悟浄も前に似たようなこと言ってましたけど。簾クンはまだ子供なんですから、そんな言葉教えないで下さい」 「りょーかい、センセ」 捲簾が楽しそうに双眸を眇めると、何やら背後がざわめいた。 園内からただならぬ雰囲気を察知し、八戒は恐くて後ろを振り返れない。 八戒の顔が引き攣っているのに気付いて、捲簾は不思議そうに瞳を瞬かせた。 「どした?」 「いえ…何か…園内の…後の空気が…」 「八戒の後?」 捲簾が園内へと視線を向けると、ざわめきが波のようにうねった。 「あぁ。何かお母さんやら保母さん達がこっち見てるな」 「こっちを…ですか?」 「そ。まぁ、仕方ないか。俺オットコ前だっし〜♪」 「そんな自分で…そう言う所は悟浄と同じですね―――」 八戒が小さく笑って捲簾に突っ込みを入れる前に。 園内の方から黄色い悲鳴が上がった。 驚いて振り返ると、一斉に保護者達が瞳を輝かせてこちらを注視している。 「えっ!?」 視線を戻した先には。 フェロモン大放出で双眸を和らげ、極上笑顔で捲簾が微笑んでいた。 思わず八戒も頬を赤らめてしまう。 「パパー…何かおばちゃん達倒れてるよ〜」 長閑な簾の声に八戒は我に返った。 ん?と八戒にウィンクを寄越す捲簾に、八戒が身体を折って深々と息を吐き出す。 「捲簾さん…面白がってるでしょ」 「まーまー。最近は悟浄が送迎係でたまにしか来ねーから、サービス?」 「…そんな気は遣わないで下さい」 八戒がガックリと肩を落とすと、捲簾は笑ってポンポンと肩を叩く。 さすがは悟浄の兄。 こういう所は悟浄よりも卒が無い。 お母さん達や保母の気持ちをガッチリ掴んでおけば、簾の保育園生活も安泰だ。 「お?そろそろ行くか。簾、今日はいつもよりちょっと迎えに来るの遅いけど、イイ子で待ってろよ?」 「うんっ!分かったぁ」 父親の言いつけに、息子は元気に答える。 「あれ?お迎え悟浄じゃないんですか?」 「ああ、忘れるトコだった。悟浄が昼に携帯の方に電話するってさ。さすがに俺だってデートのお邪魔はしまっせーん」 「…すみません」 何となく恐縮して八戒が頭を下げた。 「ハッハッハッ、いいって。俺は家に帰るだけだし。天蓬も来るならいつもより多くメシ作らねーとなんねーから、買い出しもするしさ」 「何か…本当に天ちゃんが頼り切ってしまって」 「俺が好きでやってることだから」 捲簾があっさり答えるのに八戒は目を見開いて。 すぐに笑顔を浮かべた。 「んじゃ、後で」 捲簾は八戒と息子に小さく手を振ると、車に乗り込んで仕事に向かう。 走り去る車を見送ってから、八戒は唐突に首を捻る。 「でも捲簾さん…本当に天ちゃんのどこが良くて付き合ってるんでしょうか?」 本気で考え込みながら、簾の手を引いて園内へ入っていった。 |
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