Valentine Attraction |
夕方。 捲簾は簾を保育園へ迎えに行くため、定時よりも早めに事務所を出た。 信号待ちで煙草を銜えると、火を点ける。 まだ帰宅ラッシュ前なので、比較的道も空いていた。 これなら割と早く保育園に着けそうだ。 「…何作ろっかなぁ」 捲簾の頭の中は本日の夕食メニューで一杯だった。 折角のバレンタインだし。 ちょっとぐらいは豪勢にしてもいいかな、と。 ワインでも買って、それならタンシチューなんかどうだろう?等々。 捲簾は上機嫌にあれこれ帰ってからのことを考える。 ただ、根本的なことが確認出来ていない。 「天蓬のヤツ…本当に来るんだろうな?」 独り言ちながら、ハンドルに懐いた。 今日の昼前。 いつものように天蓬からの電話を待っていたが、いつもの時間にかかってこなかった。 携帯をチラチラ気にしつつ仕事をこなしていたが、待てども待てども電話が来ない。 気が付けば12時を回っていた。 痺れを切らして、捲簾は自分から天蓬の携帯に電話をかける。 コールはしているから、電源は切っていないらしい。 待つこと数コール。 『あ、捲簾っ!すみません』 漸く出たと思ったら、何か言う前に謝られてしまった。 「…もしかして忙しいのか?」 どうやら天蓬は外にいるらしく、声と一緒に雑踏の賑やかさが聞こえてくる。 『ちょっと用事があって外出してるんですよ。残念ですけど、今日はお昼ご一緒出来ないです〜。連絡入れようと思ってたんですけど…あれ?』 何やらガサガサと音が聞こえて、天蓬の声が離れた。 「おーい、天蓬ぉ〜」 しきりに何かを探しているらしい声音に、とりあえず捲簾は天蓬を呼んだ。 少しするとまたガサガサと聞こえて、天蓬が誰かに声を掛けてる。 会話を聞いていると、どうやら買い物をしているようだ。 『捲簾すみませんでした〜。ちょっと今手が離せなくって…あっ!』 今度は何があったんだろう? 忙しそうなので、わざわざ電話を掛けているのが悪い気がしてきた。 「天蓬、昼来れないんだろ?」 『ええ。ちょっとココからだと捲簾のオフィスビルまで遠いんですよ、すみませんけど』 申し訳なさそうに天蓬が謝ってくる。 携帯の向こうでしきりに頭でも下げてるのか、声がやけにぶれる。 「しょーがねーよ。んじゃ…あぁ、そうだ!今夜――――」 『捲簾!それじゃっ!!』 天蓬の切羽詰まった声が、一方的に通話を切ってしまった。 暫し呆然として、捲簾は掌の携帯を見つめる。 「あのバカ…人の話も聞かねーでさっさと切りやがって」 小さく呟くと、捲簾は携帯をポケットにしまった。 ここ数日。 故意か偶然かやけに天蓬とすれ違いになっている。 実は、一昨日から捲簾は一度も天蓬の顔を見ていない。 一昨日は午前中に急患が入ったらしく、昼に逢えなかった。 昨日は、急に外出しなければならなくなったと電話が入ったのだ。 そして今日も、やっぱり逢えなかった。 たった数日なのに、すごい長い間逢っていないような錯覚をしてしまう。 逢いたいと思う時に逢えないのは寂しい。 もしかしたら、今夜も逢えないんじゃないか、と。 我ながら乙女並の思考に、つい頬が赤らんだ。 何処までも沈みそうな気分を頭から振り払う。 「天蓬…今夜来るつもりでいたって八戒も言ってたしな」 まさか天蓬だって今日が何の日かぐらい知ってるだろう。 そうじゃなきゃ。 先週、あんなコト言ったり何かしないはず。 『じゃぁ、今度…僕も捲簾に甘くないビターチョコをプレゼントしますね』 わざわざチョコを贈る『今度』と言ったら今日ぐらいしかない。 自分はと言えば、勿論準備万端だ。 天蓬はどんな顔をするだろう。 想像するだけで気分も浮上してきた。 「はぁ…とりあえず昼飯食って来よ」 捲簾は席を立つと、事務所内で弁当を食べている者に声を掛けて出かける。 天蓬と一緒ではないので、適当に食事を済ませるとさっさと店を出た。 バレンタイン当日にも拘わらず、バレンタインチョコ特設会場は女性達で溢れかえっている。 今から用意するぐらいだから、きっと社内用の義理チョコでも買っているんだろう。 何時にも増して、熱気とチョコの匂いで目眩がした。 昨日自分で作りながら散々嗅いだので、匂いだけで胃が凭れそうだ。 避難するように事務所へ戻ってみると。 自分の机に積まれていたチョコを見た時瞬間、思いっきり胃液が込み上げてきた。 部下達がやっかみ半分で冷やかすのを、適当にあしらう。 当分簾のおやつには困らないな、と苦笑して開いていた段ボール箱に全部詰め込んだ。 ぼんやりと1日の回想をしていたら、保育園の前に着いてしまった。 捲簾は路肩に車を駐車すると、園内に入っていく。 既にお迎えラッシュはピークを過ぎていて、残っている園児達も少ないようだ。 玄関から入ると、首を巡らせて息子の姿を探す。 すると。 簾は部屋の中で座り込んで、八戒と楽しそうに積み木遊びしていた。 声を掛けようとした瞬間、捲簾は言葉を飲み込んで眉を顰める。 「…あの段ボール箱は何だ?」 簾と八戒が積み木で遊んでいるすぐ側に、何やら大きな段ボール箱が置いてあった。 おもちゃ箱でも無さそうだが。 「あっ!パパだ〜♪」 玄関先で考え込んでいると簾が父親を見つけて、嬉しそうに走り寄ってきた。 勢いよく脚へ抱きついてくる。 「簾〜ちゃんとセンセーの言うこと聞いてイイ子にしてたかー?」 「してましたよね〜」 息子の頭をグリグリ撫でていると、段ボール箱を抱えた八戒がやってきた。 「ほら、簾クン。鞄持ってきましょうね」 「はぁ〜い」 簾は踵を返すと、自分のロッカーへ鞄と上着を取りに戻っていく。 「お疲れさまでした〜」 「何だ…まだ仕事してんの?悟浄は??」 既に弟とバレンタインデートへ出かけているものだと思っていたのに。 こんな時間まで八戒が残っていたことに、捲簾は少し驚いた。 「僕が仕事終わってから待ち合わせじゃ遅くなってしまうので、もう少ししたら悟浄が迎えに来てくれるんです」 「あ、なるほどね」 捲簾は納得して口端で笑う。 捲簾と八戒が話していると、帰る準備を済ませた簾が元気良く駆けてきた。 「パパ、おまたせ〜」 「忘れモンねーか?」 「うんっ!」 「んじゃ、買い物してから帰るか〜」 息子の手を取って挨拶しようと振り向くと、八戒が持っていた段ボールを捲簾へと差し出した。 つい勢いで受け取ってしまう。 渡された段ボール箱の重さに、捲簾は慌てて持ち直した。 「…何コレ?」 捲簾がポカンと呆けて段ボールと八戒、交互に見つめる。 八戒はニッコリと微笑んだ。 「コレ、ぜーんぶ簾クンが貰ったチョコですよ」 「なっにいいぃぃっ!?」 驚愕の事実に、捲簾は声をひっくり返らせて叫ぶ。 このクソ重い段ボール…中身が全部チョコ? しかも、全部簾が貰っただとっ!? 目をまん丸く見開いたまま、脚に懐いている息子に視線を落とした。 「パパ?どうしたの??」 父親の葛藤など、小さな息子はちっとも分かっていない。 予想通りの反応に、八戒はクスクスと笑いを零した。 「簾クンってばスゴイでしょう?ココに通ってる女の子全員からチョコ貰ったんですよ〜」 「全員ーーーっっ!?」 「しかも。どのチョコもみ〜んなっ!とても義理チョコとは思えないような豪華なチョコばかりで…どちらかと言えばお母さん方が気合い入ってるのかなぁ」 多分。 娘から簾にチョコを上げたいと、母親達は相談されたんだろう。 簾に渡すチョコともなれば、当然父親である捲簾も見ることになる。 きっといっぱい貰うであろうチョコの中で、娘のチョコが見劣りするなど母親のプライドが許さない。 娘イコール母親のセンスと、言うことだ。 俄然娘よりも気合いが漲って当然と言えば当然。 しかも、保育園に娘を通わせる母親の全てが、一様に同じコトを考えていたらしい。 これで自分の娘が簾クンとお付き合いすることにでもなれば、必然的に捲簾ともお近づきになれると、ドロドロとした邪心が見え隠れしていた。 それがハッキリ分かるだけに、八戒は恐ろしさで顔が引き攣る。 ところが。 当事者である簾は無邪気なもので。 目の前に次々と積み上げられていくチョコの箱を、嬉しそうに眺めていた。 純粋にチョコが一杯食べられるから嬉しいらしい。 「で。その成果がこの段ボールにギッシリ詰まってる訳です」 「はぁー…簾、お前。マジでモテモテだな」 「またモテモテ?」 簾はきょとんと父親の脚に抱きついたまま、不思議そうに見上げた。 「親子でスゴイ人気ですねぇ」 「まぁ、男前の運命だな。しっかし…いくら何でもこんなに食わせたら虫歯になるっての。俺のだって段ボール一箱分あるのに。考えただけで胸焼けする」 捲簾は顔を顰めて天井を仰いだ。 話を聞いていた八戒が怪訝な顔で捲簾を見つめる。 「そのチョコ…捲簾さん食べるんですか?」 「まさかっ!俺甘いモン全然ダメだしさ。こ〜毎年受け取らないアピールしてるんだけど。俺が席外してる間にみんなして机に積んでくんだよな…ったく」 「…でもやっぱりオトコですから、悪い気はしないんでしょ?」 「一方的にモテてもなぁー。俺には天蓬が居るし、アイツのチョコだけで充分」 「えっ!?」 八戒は驚いて捲簾をマジマジと注視した。 「ん?俺何か変なコト言った??」 「あ…いえ。天ちゃんが…チョコ、ですか?」 少しドキドキしながら、八戒はさり気なく捲簾の本意に探りを入れる。 本当に、天蓬からチョコを貰えると期待してくれてるのだろうか、と。 そうでなければ、天蓬が可哀想だ。 昨夜捲簾に贈るため、初めてあんなに頑張っていたから。 「多分…くれるんじゃないかなーって。あ、どっちかって言えば、くれたらいいなって感じで。何かくれるようなこと前言ってたし…忘れてるかも知れねーけど。でも貰えなくっても別にいいんだけどさ」 「ええっ!?そんなアッサリ諦めないで下さいよっ!」 「………は?」 八戒の必死な懇願に、捲簾は目を見開いた。 はっと我に返って、八戒は落ち着つかなげに視線を泳がせる。 「諦めないって…何が?」 「あー…えっとぉ…ですからっ!捲簾さんは天ちゃんの恋人なんですから、貰えて当たり前ぐらいの気概で構えててもいいんじゃないかなーって思いまして。悟浄なんか貰えて当然みたいな顔して1ヶ月前から『どんなのくれんの?』って、ずーっと言ってたんですよ?」 「はははっ!アイツも随分とベタ惚れだな〜」 捲簾は楽しそうに笑う。 「捲簾さんは違うんですか?」 「俺?天蓬に超絶ベタ惚れ」 あまりにも豪快に惚気られて、八戒は呆気に取られた。 訊いてる方が恥ずかしくなってくる。 でも。 これなら、天ちゃんの努力は報われますよね。 八戒は小さく笑みを浮かべた。 「パパーッ!お腹空いたよぉ〜」 大人の話に飽きた子供が、ぐずりだした。 捲簾の上着を掴んでグイグイ引っ張る。 「お?そうだよな。んじゃ帰るか〜」 段ボールを抱え直すと、簾を先に歩かせた。 八戒も一緒に出て門まで見送る。 捲簾はトランクを開けて段ボールを積むと、助手席に簾を押し込んだ。 「気を付けて下さいね。今日天ちゃんがもしかしたらご迷惑おかけするかも知れませんけど…」 「だ・か・ら。俺にとってはアイツも趣味のうち」 双眸に浮かんだ艶然な色に、八戒は瞬間言葉が出なかった。 ああいうトコロは、さすが悟浄のお兄さんですよねぇ。 でも。 やはり経験の差でしょうか? 悟浄はまだまだ可愛らしいですからvvv 八戒がぼんやり考え込んでいると、運転席から捲簾が顔を覗かせる。 「んじゃ。悟浄を宜しく〜」 「はい。分かりました」 軽いクラクションの音と共に、車は大通りに向かって走り去っていった。 車が見えなくなるまで、八戒は門前に佇む。 「天ちゃん…喜んで貰えるといいですね」 赤く染まりだした空を、八戒が微笑みながら見上げた。 |
Back Next |