White day Attraction



手に持つマジックがブルブルと震える。
「とうとうこの日が…あああぁぁ〜っっ!!」
捲簾は額をカレンダーに擦りつけて身悶えた。

3月14日、ホワイトデー当日。

これがタダのホワイトデーだったら、こんなに憂いたりしない。
いつもの週末と同じように、天蓬が夜遊びに来て。
簾と天蓬と自分の3人で仲良くいつもよりちょっと豪勢なホワイトデー仕様の夕食を食べ。
天蓬に貰ったチョコのお返しに、キャンディーとちょっとしたプレゼントを渡して。
あ、そうそう。
簾も天蓬に『きのこの山』のお返しを照れくさそうに渡すんだろうな。
で、いつもみたいにベタベタいちゃいちゃ天蓬が懐いてくるから、適当に相手して。
とか言ったりすると、子供みたいにヘソを曲げるからご機嫌取って甘やかし。
その頃には簾が眠くなるだろうから、きちんと寝かしつけて。
ようやっと二人っきりになれて、少しばかり親密なスキンシップを図ったり。
折角のホワイトデー。
恋人達のイベント。
一緒に風呂に入って、身体の洗いっこなんかするのもいいよなぁ。
でもって、そのまま全裸のままベッドへゴー。
後はお互い満足するまで貪り合う、と。

そう言う単純で、在り来たりな訳にはいかないんだろうなぁ…はぁ。

捲簾はカレンダーに頬を擦り付けて咽び泣く。
そんな普通の恋人達の甘い時間なんか望めるはずもなかった。

俺だって折角真面目に恋人が出来たんだから、世間一般的なお付き合いだってしてみてぇよ。

爽やかな朝に似つかわしくない重々しい溜息が唇から漏れ落ちる。
バレンタインに天蓬がプレゼントと称して持ち込んだ、怪しい器具の数々。
普段から意識して目に付かないように、箱に詰めてクロゼットに押し込んだままだ。
どうせなら天蓬との約束事消滅して欲しかったぐらいだが。
あんなモン持っていて…いや、無理矢理持たされていて忘れる訳がない。
いっそのこと処分してやろうかとも思った。
だけど、あんな大人なら分かる怪しいモノなど、ご近所の不燃物回収に出すことも出来ない。
それに。
モノはアレでも、天蓬から贈られたモノ。
そう思うと結局捨てることも出来ずに、今日までクロゼットにしまい込んでいた。
惚れた弱み。
痛恨の極みだ。
あんな天然物騒で常識の捻じ曲がったヤツでも。
惚れてるんだから仕様がない、自業自得だ。
そうは分かっていても、素直に現状を受け入れるのとは話が別だ。
捲簾は項垂れながら、カレンダーへ力一杯バッテンを書き入れた。
「はぁ…こんな憂鬱な気分は久々だな」
マジックに蓋をして、テーブルへと適当に放り投げる。
そんな父親の杞憂も知らずに、無邪気な息子は今日も元気だ。
蜂蜜のたっぷり載ったパンに齧り付いている。
「パパぁ〜コーヒー冷めちゃうよ?」
口をモゴモゴさせて、簾がマグカップを指差して教えた。
捲簾はのろのろと食卓について、またもや溜息を零す。
「…どうかしたの?どっか痛い??」
いつもと様子の違う父親を、息子が心配そうに眉を顰めた。
伺うように捲簾の顔を覗き込む。
口元に苦笑を刻むと、捲簾は腕を伸ばして息子の頭を撫でた。
「ん?大丈夫だって!病気なんかじゃないから」
「ほんとぉ?」
「別にどっこも痛くねーぞ?」
「ならいいけど…ムリしたらダメだよ?」
簾は頭を撫でている父親の手をギュッと握る。

ピンポーン♪

チャイムが鳴ると、玄関からガチャリとドアの開く音がした。
「はよーっす!」
朝からハイテンションで悟浄が姿を現す。
「ごじょちゃん、おっはよー♪」
「おーっす!ちゃんと腹減らないよーに朝メシ食っとけよ〜?あ、ケン兄コーヒー貰うぞ」
勝手知ったる兄の家。
返事も待たずに、悟浄は自分のマグカップにコーヒーを注いだ。
「悟浄、今日いつも通り迎えに行けるか?」
捲簾は今日の予定を確認する。
何と言っても恋人達のイベント、ホワイトデー。
考えるまでもなく、今日悟浄は八戒とデートだろう。
時間によっては捲簾が迎えに行かなくてはならない。
立ったままカップに口を付け、悟浄は首を傾げた。
「んー?いつも通り迎えに行くけどー。今日は八戒が仕事終わってからうち寄るって言うから」
「へぇ?最近じゃすっかり通い妻だな〜?」
捲簾はニヤリと含み笑いを浮かべて、悟浄を見上げる。
「俺としてはさ〜?早いトコ一緒に住みてぇんだけど」
悟浄の告白に捲簾は目を丸くした。

…そんな所まで話が進んでいるのか?

要するに、悟浄と八戒の間には同棲話が持ち上がっているらしい。
「あれ?そんなに意外?」
悟浄はひょいっと肩を竦めた。
「いやぁ〜。昔のお前なら意外どころじゃねーだろ?天変地異?」
「ヒデッ!まぁ…そうなんだけど。だって俺八戒には本気だも〜んvvv」
カップを傾けながら、悟浄が幸せそうに微笑む。
言葉は軽いが、悟浄は真面目に考えているんだろう。
そうでなければ自分から甘えるのは好きだが、他人に干渉されるのが何より嫌いな悟浄が誰かと一緒に住もうだなんて考える訳がなかった。
捲簾は口元を和らげる。
「で?プロポーズしたのか?」
「熱烈にしちゃってる最中…つーか、俺ら婚約中だっし〜vvv」
「……………あ?」
からかったつもりが逆に肯定され、捲簾がぽかんと口を開けた。
呆然としている捲簾の目の前に、ズイッと悟浄の右手が突き出される。
「コレ、コレ♪」
言われて捲簾は悟浄の指に視線を落とした。
右手の薬指。
巷で大人気、某ブランドのラヴリングが嵌められている。
「もしかして、コレ…八戒に貰ったのか?」
「いやん、当然デショ!当・た・り〜vvv」
「…うわ。ベタだな」
あまりに定番過ぎるシチュエーションに、見てる捲簾の方が恥ずかしかった。
兄のあんまりな感想に、悟浄はムッと唇を尖らせる。
「なぁ〜んだよっ!あ、もしかして…ケン兄羨ましいんだろっ!?」
ふふん、と悟浄はこれ見よがしに鼻で笑った。
今度は捲簾が思いっきり眉を顰める。
「だーれがっ!この俺サマがそぉ〜んなモン嵌めてたら、世の女性達が大騒ぎして大変だろ〜?」
捲簾の言い分が強ち大袈裟でもないので、悟浄は言い返しもせずにただ肩を竦めた。
暴動が起きるとまでは言わないまでも、余計な詮索や邪推が飛び交って鬱陶しいことは確かだろう。
身内の贔屓目を差し引いても、捲簾は女性にモテまくっていた。
「俺は別に八戒がいれば周りはどーでもいいからねー…」
悟浄は薬指で光る指輪を見つめる。
「八戒は?してるのか?指輪」
「もちろん。言っただろ?婚約指輪だって」
目の前に掌をかざすと、悟浄は指輪に口付けた。
捲簾が弟の幸せそうな表情をぼんやりと眺める。
「ふーん…バレンタインに交換しあったとか?」
「ん?コレはクリスマス」
「………。」
「はいはい、ケン兄は羨ましーんでしょー?」
「べっつに〜」
嫌そうに顔を顰めると、プイッと視線を逸らして嘯いた。

本当のところ。
かーなーりっ!羨ましいっっ!!!
だけど。
悔しいからそんなこと言えない。

ムスッとふて腐れて、捲簾はコーヒーを一気に飲んだ。
そんな恋人らしい純粋で単純なこと、天蓬が考えるとは思えなかった。
バレンタインに拘束プレイを強請り倒して来るヤツだ。
捲簾もここ最近は天蓬に夢みることを諦めた。
カップを置いて大きな溜息を吐く兄を、悟浄は複雑な心境で見守る。

輪っかは輪っかでも、首輪だもんなぁ。

口では文句をつけても、捲簾がそういう恋人らしいことに憧れを抱いてるのは知っていた。
例えありきたりで定番だろうと、世間一般で言う恋人同士の雰囲気を満喫したいのかも知れない。

しかし。
天蓬相手じゃ限りなく不可能に近いだろう。

恋人に特注でネーム入りの首輪をオーダーしてプレゼントするヤツなんて、規格外も甚だしい。
捲簾は奔放に見えるが、心を許した相手には真摯で純粋だ。
それが。
恋人達のラヴイベント、ホワイトデーに首輪なんかプレゼントされたりしたら。
悟浄は心底捲簾に同情してしまった。
でも、真実は恐ろしすぎて言えない。
兄弟揃って考え込んでいると、パタパタと走り回る音がした。
「ごじょちゃん、用意できたけど…パパもどうしたの?」
しっかりお出かけ準備の完了した簾が、キョロキョロと二人の顔を交互に眺める。
はっと我に返って、捲簾は時計を見上げた。
「おわっ!もうこんな時間か。悟浄、簾頼むぞっ!!」
捲簾は慌てて食事をし始める。
暢気に語り合っていたせいか、パンがすっかり冷めてしまった。
しかし焼き直している時間はない。
「おっし!簾、忘れ物ないか?」
「なーいっ!」
元気に簾が腕を上げて返事をすると、悟浄は頷いて手を繋ぐ。
「あぁっ!悟浄!ソコにある段ボール、ちゃんと保育園に持っててくれよ〜」
「は?段ボールぅ??」
悟浄が首を巡らせると、ダイニングの端に大きな段ボールが置いてあった。
首を捻りながら悟浄は近付く。
「何コレ?」
「簾が貰ったチョコのお返し」
「…コレ全部かよぉっ!?」
段ボールを持ち上げるが、かなり重い。
ヨロヨロと段ボールを抱え直すと、簾を伴って玄関に向かった。
「悟浄、頑張れよ〜」
背中越しに兄の激励が聞こえてくる。
「簾、早く靴履いてくれ〜。先に出てドアおっきく開けておいて」
「うんっ!ちょっと待って」
一生懸命靴を履く簾を悟浄が急かした。
簾は立ち上がると言われた通りに玄関のドアを大きく開く。
重さには慣れたが、箱が大きすぎて前が見えないので歩きづらい。
何度かあちこちにぶつかる音がして、漸くドアが閉まった。
途端に部屋の中が静かになる。
捲簾はパンをどうにか食べ終えると、テーブルの食器を片付けた。
「…あーあぁ」
一人になると、やっぱり考え込んでしまう今日の予定。

昼は天蓬と食って。
仕事は定時に上がって、晩飯の買い物して帰ろう。
で、帰ってから食事の用意をしないとなぁ。
献立何にすっか?
そんでもって天蓬が夜になって来る、と。
みんなでメシ食って、適当にくつろいで。
簾を寝かしつけたら…二人っきりになっちまったらっ!

「…アレで俺アイツに何されんだろ?」

捲簾は重苦しい溜息を深々と吐いた。



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