White day Attraction |
室内に異様な沈黙が落ちていた。 マグカップをもったまま、悟浄はどんよりと暗く俯いている。 折角八戒のいれたコーヒーも冷めてしまった。 悟浄の心境はそれどころじゃない。 ど…どーすっか。 俺が言い出したのに今更『今日は別々に風呂入って、仲良く枕並べて手を繋いで寝ようっ!』なぁ〜んて言えねーよなぁ。 あーっ!もうっ!!何だってこんなコトになっちまったんだよ〜っ!! 悟浄は溜息混じりに一人煩悶する。 一方の八戒は。 のんびりと新聞を眺めながら、美味しそうに深煎り豆でいれたコーヒーを堪能していた。 時折小さく呻く悟浄にも全くお構いなし。 知らん顔でパラリと新聞を捲っては、最新のニュースをチェックしていた。 膝を抱えて座り込んでいる悟浄は、チラッと上目遣いで八戒の様子を盗み見る。 俺がこーんなに悩んでんのに、何で平然としてんだよっ! 悟浄は八戒の素っ気ない態度に、むくれて小さく唸った。 しかしそれは自業自得というもの。 この一種異様な空気を作り出したのは、他ならぬ悟浄自身だ。 恨めしそうに悟浄は八戒の傍らに視線を向ける。 そこには先程悟浄が引ったくられた本日の寝間着が、きちんと綺麗に畳まれて二人分置いてあった。 一つは淡いグリーンのシルクパジャマ。 もう一つは。 何故か純白のシルクオーガンジー製、レースもふんだんにあしらわれたセクシースケスケネグリジェが。 二着重ねて八戒の横に置かれていた。 悟浄としては何となく思いつきで『…八戒に似合いそうかも』と買ってきたセクシーアイテムだったはず。 ところがそれを八戒にお強請りすれば、背筋が凍り付くほどの逆鱗に触れてしまった。 結局半ば強制的に脅され、悟浄が泣く泣くネグリジェを着なくてはいけない羽目に陥ってしまう。 こんなはずじゃなかったのに…。 今更悔やんでも反省しても、悟浄が恥ずかしい格好をさせられるであろう事実は変わらない。 先程から何度もそれとなく嫌だとアピールしているが、ニッコリ爽やか笑顔で有無を言わさず撃退されていた。 それでも悟浄は諦めきれずに、こうして今もチラチラとタイミングを計って、物言いたげに八戒の様子を伺っている。 ふと。 視線がバチッと合ってしまった。 「あ…」 「どうかしたんですか?悟浄」 八戒はマグカップを持つと、小首を傾げてニッコリ頬笑む。 悟浄が慌てて視線を逸らして鼻を押さえた。 うわっ!すっげぇ可愛い…鼻血。 この期に及んで悟浄の面食いっぷりも絶好調。 兄弟揃って全く懲りるということを知らない。 小鼻を摘んで悶えていると、八戒が小さく声を上げた。 「そろそろお風呂のお湯溜まりましたかね?」 カップをローテーブルへ置くと八戒は立ち上がり、スタスタとバスルームに歩いていく。 悟浄は鼻を押さえたまま硬直した。 全身から脂汗が噴き出してくる。 マズイ…。 湯が溜まったっつーことは、やっぱ。 うっわーっ!マジでどうするよ俺ぇっ!! 悟浄が心の中で悲鳴を上げた。 往生際が悪かろうが、嫌なモノは嫌だ。 別に八戒と風呂にはいるのが嫌な訳じゃない。 言い出したのは自分だし、むしろ大歓迎だ。 しかし、付随事項がどうにも納得できない。 「よりによって八戒のヤツ…何で俺のスケスケネグリジェ姿なんか見たがるんだよぉ」 情けない声でぼやくと、悟浄は頭を抱えた。 着るのが嫌ならそう言えば良かったのに。 意趣返しのつもりか、八戒は悟浄に身体の中身もバッチリなネグリジェを着ろと強要する。 どう考えたってゴツイ野郎が着たって似合わないし滑稽だし、気色悪いだけ。 自分だったら絶対見たくない。 それなのに。 「あああぁぁっ!もぅっ!!」 悟浄はガシガシと髪を乱して掻き回す。 悟浄は自分に都合良く全く気づいてなかった。 八戒だってそんな薄気味悪い自分の姿なんか絶対見たくない、と思っていることに。 だけど、可愛い恋人がするのなら話は別。 八戒は密かに『案外悟浄ってば似合いそうですよね〜vvv』と、胸を高鳴らせていた。 二人の悪趣味はどこまでも平行線で交わることはない。 「ごーじょー?」 サニタリーの入口から八戒がそっと顔を出していた。 「んー?何ぃ〜」 いい加減悟浄の態度も投げやり、というよりは捨て鉢だ。 心底嫌そうに返事を返す。 そんな悟浄の反応も八戒には予測済。 特に気にした様子もなく、じーっと壁越しから悟浄を見つめた。 「あのぉ…お風呂のお湯溜まったんですけど。どうしましょう?」 八戒は微かに頬を紅潮させると、恥ずかしそうに視線を伏せる。 どうしたらいいか分からずに、その場でもじもじしていた。 カチッ。 悟浄の脳裏で妄想スイッチが入ってしまう。 自分に都合悪いことはスッパリ頭から放り出すと、当初の目的『八戒とラブラブバスタイム』だけでいっぱいになった。 デレッと頬を緩ませると、悟浄はサニタリーで固まっている八戒を手招く。 「はぁ〜っかいvvv」 悟浄に呼ばれて八戒は一瞬目を見開くが、我に返ると顔を真っ赤にして立ち竦んだ。 視線が忙しなく泳ぎ出す。 あからさまに緊張している八戒に小さく笑いを漏らすと、ポンポンと自分の隣を軽く叩いた。 八戒はぎこちない足取りでリビングに戻ってくると、悟浄の隣に腰を下ろす。 「…お湯冷めねーうちに一緒に入ろっか?」 八戒の肩を抱き寄せると、悟浄は耳元で甘く誘う。 「えっ…あの…」 耳朶まで真っ赤になった八戒が、しどろもどろに言葉を詰まらせ慌てだした。 悟浄は初な八戒の反応に大喜び。 ニヤニヤとだらしなく頬を緩めた。 「俺の髪洗ってくれるって約束だし〜?背中も流してくれるんだよな?」 「あ…でっ…でも…僕…っ」 目の縁を赤く染め、じっと縋るような眼差しを向ける八戒に、悟浄は渾身の忍耐で理性を繋ぎ止める。 落ち着け〜俺っ! 焦って八戒を怯えさせたら、折角の美味しいシチュエーションがパーになっちまうっ! 気を静めるように、悟浄は心の中で自分を叱咤する。 ギュッと縮こまっている八戒を抱き寄せると、悟浄は何喰わぬ顔で笑顔を浮かべた。 「…恥ずかしい?」 八戒は悟浄を見上げると、何度も首を縦に振る。 「俺と一緒に入んのがヤ?」 今度は少し考えると、緩く首を左右に振った。 う〜ん…一緒に風呂入るのって、そんなに恥ずかしいか? 別にお互いの裸なんかそれこそ隅々奥まで…奥はどうでもいい。知り尽くしてんのに、今更だと思うんだけど。 強いて言えば、普段ヤッてる時との違いなんて明るいぐらいか? でも、真っ赤になって恥ずかしがる八戒は可愛いんだけどな〜vvv 悟浄の頭は逃避行動に出て、現実を直視していないようだ。 どこまでも自分に都合良く解釈している。 「えっと…悟浄?」 「ん?どした?」 「僕…後から入っても…いいですか?」 「え?」 「ちゃんと…悟浄の後に行きますから」 八戒は悟浄に告げると、恥ずかしそうに俯いた。 つい悟浄も攣られて頬を染める。 「あ…そっか、うん。じゃぁ俺先に入るっ!」 勢いよく立ち上がると、悟浄は軽い足取りでバスルームに向かう。 「待ってるからっ!ちゃーんと来いよなっ!!」 ひょいっと首だけ出して念を押すと、悟浄は先に入浴の準備をし始めた。 暫くすると、ドアを閉める音が聞こえてくる。 「…入ったみたいですね」 水音が聞こえてきたのを確認すると、八戒は双眸を眇めて微笑んだ。 「悟浄が単純で良かった〜。僕の顔も悟浄には効果覿面なんですね、あはは♪」 先程までの奥ゆかしさはどこへやら。 八戒の楽しそうな表情には、羞恥など微塵も感じられない。 「10分もすれば丁度良いかな?」 悟浄から奪い取った寝間着を抱えて、八戒がソファへダイブした。 「僕が先だったり悟浄と一緒にはいったりしたら、ぜ〜ったいコレ隠すに決まってますからね〜♪」 八戒はクスクスと小さく笑いを零す。 羞恥に頬を染めていた八戒は、悟浄の退路を断つ作戦だった。 ネグリジェ姿になるのを意固地に嫌がる悟浄。 八戒にしてみればそこまで拘ってもいなかったが、嫌がって無茶苦茶恥ずかしがる悟浄を見たいという好奇心がふいに湧き上がる。 風呂の湯加減を見ながら、八戒は頭を高速回転させて考えた。 悟浄は自分と一緒に風呂に入るのを楽しみにしていたはず。 それなら悟浄の神経を入浴だけに集中させ、寝間着の件をすっかり忘れさせようと思いついた。 後は行動あるのみ。 八戒にしてみれば確かに本音を言えば羞恥心もあった。 それを大袈裟なぐらい過剰気味にアピールしてみれば。 すっかり八戒の思惑通り、呆気なく悟浄は乗ってきた。 バスルームからは微かに暢気な鼻歌までが聞こえてくる。 「…まぁ、悟浄のそういう素直で単純な所が可愛いんですけどね」 八戒は嬉しそうに微笑むと、バスルームの水音が途切れるのをドキドキしながら待った。 少し待つと水音が止んで、バスルームが静かになる。 「そろそろかな?」 二人分の寝間着を抱えたまま、八戒はそっとバスルームへ向かった。 音を立てないようにサニタリーの扉を開けて、八戒は泊まる時用に置いてあった自分の下着だけを取り出す。 隣の棚から同じようにバスタオルを取ると、纏めてカゴの中へ準備した。 相変わらずバスルームの中からは悟浄の適当な鼻歌が聞こえてくる。 「…何かいい加減に色んな歌が混ざってますよ」 小さく噴き出すと、八戒は来ていたシャツのボタンを手早く外した。 明るい照明の下、八戒の白い素肌が露わになる。 悟浄よりは痩身だが、身体は適度に筋肉も付いて引き締まっていた。 無駄な肉のない下腹部には、皮膚が引き攣れた傷跡。 「コレ…悟浄にはまだハッキリ見せたことなかったんですよねぇ」 八戒は微かに肩を竦めた。 あれだけ何度も抱き合っているのだから、悟浄も傷のことは知っている。 ただ、見ていてあまり気持ちの良いモンじゃないだろう。 傷跡はかなり大きい。 勿論悟浄がこんな傷ぐらい気にするとは思っていないけど。 悟浄が好きなのは『綺麗な僕』だから。 自分ではドコが?と思うけど、悟浄がそう言うならそうでありたい。 この傷はあまりにも醜すぎた。 何となく気分が憂鬱になってくる。 「…っくしゅん!」 「あ?八戒ぃ〜?何やってんだよ〜早く来いよ!風邪引いちまうだろ〜」 八戒のクシャミに気付いた悟浄が、中から声を掛けてきた。 今更躊躇しても仕方がない。 八戒は溜息吐くと、静かにバスルームの扉を開けた。 |
Back Next |