White day Attraction



悟浄の部屋を出た天蓬は、廊下を歩きながら神妙な顔で考え込んでいた。

どうしよう…捲簾まだ怒ってるんでしょうか。
折角のお休みなのに、気まずいまま過ごすのは勿体ないし。
と言うより、今日はずうううぅぅーっと!捲簾とイチャイチャ過ごす予定だったんですからっ!
捲簾をギューって抱き締めて思いっきり頬擦りしたり匂い嗅いだり、いっぱいキスしたり。
捲簾に美味しいお茶いれて貰ったり、ご飯作って貰ったり、おやつ作って貰ったりっ!!
ああっ!僕の…僕の野望集大成がーーーっっ!!

…随分ささやかな野望だ。

天蓬はガックリ項垂れたまま、捲簾の部屋まで戻ってきた。
ドアノブに指を掛けるのを何度も躊躇したが、このままじゃダメだと意を決して自分を叱咤する。

ガチャ…。

そーっとドアの隙間から顔だけ出して、中の様子を窺った。
まだ簾は起きていないようで、室内は静まり返っている。
「う…ううう」
天蓬の表情が泣き顔に歪んだ。
当然捲簾はもう起きているはず。
先程の悟浄の言葉を信じるなら、天蓬が帰ってくるのを待ち構えてるだろう、が。
ご機嫌が麗しくないのは、部屋から漂うピリピリとした空気で分かってしまう。
部屋の中は静かでも奇妙な緊張感が張り詰め、こちらの様子を気にしているのが感じられた。

お…怒ってるんですよね?やっぱりっ!

天蓬は八戒から渡された朝食を抱えた状態で、どうしようかとオロオロする。
すると、リビングから。

「…いつまで玄関に居るつもりだ?さっさと入ってこい」

地を這うような低い声が、容赦なく天蓬へ向けられた。
サーッと顔面蒼白になりながら、天蓬が重い足取りでリビングへと向かう。
持っていた朝食をテーブルへ置くと、捲簾の様子を窺おうと目だけ動かしコッソリ盗み見た。
ところが。

ヒッ!に…にににに睨んでますうううぅぅっっ!!

思わず上げそうになった悲鳴を天蓬は無理矢理飲み込んだ。
捲簾はソファへ寝そべった姿勢で、じっと不機嫌そうな視線を隠そうともせず、真っ直ぐに天蓬を睨み付けている。

じー…。

「あの…捲簾…っ」

じいぃー…。

「えっと…簾クンと捲簾の朝食…八戒に作って貰おうと思って…そのっ…お、お腹空きましたよね?」

じいいいぃぃぃー…。

「け…捲簾っ!」

何とかしてこの場の雰囲気を変えようと天蓬は努めて明るく話しかけるが、捲簾は押し黙ったままずっと天蓬を睨んでいた。
天蓬の額をダラダラと脂汗が噴き出してくる。
さすがにもう限界だった。

「捲簾っ!ゴメンなさいいいいいぃぃーーーっっ!!」

天蓬は絶叫しながら捲簾の元へと走り込み、額を床へ擦りつけて土下座する。
形振り構ってる精神状態じゃなかった。
とにかく捲簾が許してくれるまで、謝って謝って謝り倒すことしか天蓬の頭には浮かんでこない。
必死になって謝っても、捲簾はウンともスンとも反応しなかった。
「捲簾…ゴメンなさい…ゴメンなさい…っ」
哀しくて寂しくて、思わず天蓬の瞳に涙が滲んでくる。
エグエグとしゃくり上げ、許して欲しいと懇願した。
ずっと踞って天蓬が涙声で謝罪の言葉を繰り返していると。

「はぁー…」

つくづく。っと言った感じで、捲簾の呆れたような溜息が頭上から聞こえてきた。
ビクリと身体を震わせ首を竦めると、大きな掌がポンッと頭に載せられる。
天蓬が恐る恐る視線だけ上げて捲簾の顔を見上げる。
「お前…すっげバカ」
冷静な真顔であんまりな台詞を吐かれて、天蓬は表情を曇らせた。
ますますシュンと落ち込んで項垂れる天蓬に、捲簾は苦笑いを浮かべる。
「何で俺放っぽって、悟浄達んトコなんか行ってんだよ」
「だからっ………いえ、ゴメンなさい」
理由は何であろうと、大切な恋人を放置して黙って出て行ったのは真実だ。
天蓬は言い募ろうとした言葉を飲み込んで、深々と頭を下げる。

「ったく。すっげ俺…寂しかった」
「―――――えっ?」

捲簾の消え入りそうな声に天蓬が驚いて目を見開いた。
慌てて顔を上げると、ソファに寝そべった捲簾が頬杖付いて双眸を眇める。
「お前ってば全然分かってねーのなぁ…」
しみじみ呟かれても、天蓬はキョトンとするばかり。
「昨日は何の日だった?」
「え…と…ホワイトデー、です」
「そ。昨夜はお前がどおおぉ〜してもヤリたいっつーから、拘束プレイだろうがプチSMだろうが付き合った訳だ」
「昨夜の捲簾は可愛くて素敵でしたぁ…vvv」
ウットリ夢見るように呟かれ、捲簾の頬が僅かに赤らんだ。
きっと天蓬の頭の中では、ついついヤッちゃったとんでもない姿態が蘇ってるのだろう。
それだってホワイトデーだからこそ、盛り上がって調子に乗った結果だ。
捲簾は誤魔化すように咳払いする。
「そんな恋人同士が、だ。身も心も触れ合って幸せな気分で迎えた翌朝に、一人訳も分からず取り残されたらどう思う?」
「はぁ…そうですねぇ」
未だ脳裏で捲簾との濃厚な交わりを反芻中の天蓬は、ぼんやりと相づちを返すのみ。
捲簾の額にピキッと血管が浮き上がる。
「今日…お前が目ぇ覚めたとき、俺がいきなり居なくなってたらどうする?」
「そんなのっ!心配で心当たりを片っ端から電話したり、ご近所中くまなく探し回って、それでも見つからなかったら嫌われたんじゃないかとか、見捨てられるんじゃないかって不安で恐くて………あっ!」
かなり大袈裟すぎるけど、漸く捲簾が言わんとしていることが理解できたらしい。
天蓬の顔が強張って、顔色が無くなった。
「本当に…ゴメンなさいっ!僕、捲簾を不安にさせたりとか寂しい想いさせようなんて、そんなつもり…無かったんです」
「ん。それは分かってっけどさ」
捲簾は苦笑しながら、落ち込んで俯く天蓬の髪を宥めるように撫でる。
「ただ…一言声掛けてくれりゃよかったんだよ。目ぇ覚めたときに、隣に居るはずのお前がいないのは…すっげ寂しかった」
「ゴメン…な…さいっ!」
天蓬が腕を伸ばした。
捲簾の半身を抱き締めて許しを請うように縋り付く。
強い強い腕の力に天蓬の愛情を感じ取って、捲簾は肩口へ頬を載せながら小さく笑った。
「ったく…先に目が覚めたんなら起こせっての」
「イタッ!」
軽く頭を小突くと、天蓬が上目遣いで捲簾を見つめる。
「最初は…捲簾の寝顔を『可愛いなぁ〜』って眺めてたんですけど…何かお腹空いて来ちゃって。そしたら簾クンの朝ご飯無いの気が付いたから…僕」
「だから起こせっての。俺、ちゃんと昨日のウチに朝飯用意してあったんだから」
「え?そうだったんですか??」
「前も大騒ぎしただろ?だから今日は前もって…そのっ…」
見る見る捲簾の頬が赤く染まっていった。
突然恥ずかしがる捲簾を不思議そうに見つめていた天蓬だったが、すぐにその意図に気付いて嬉しそうに破顔する。
「捲簾…僕と一晩中愛し合うのを期待して、朝ご飯も用意してたんですよね?」
「………起き上がれねーと思ったから」
プイッとそっぽを向いてボソボソ言い訳する捲簾を、天蓬は感極まって抱き締めた。

自分だけが、ではなく。
捲簾から同じだけ大きな愛情を示して貰える。
こんな幸せなことはない。

「捲簾…愛してます。貴方だけです」
「ん…俺も…愛してるから」
瞳を潤ませ互いにウットリ見つめ合った二人の唇が、しっとり重なり…そうになった瞬間。

PPPPPPPP〜♪

可愛らしい軽快なメロディーが室内に流れた。
「あ、悟浄だ」
捲簾は半身を起こすと、ローテーブルへ投げてあった携帯へ手を伸ばす。
「…何で悟浄クンだって分かるんですか?」
これからイイところだったのを無粋に邪魔されて、天蓬が不機嫌そうに頬を膨らませた。
鳴り続ける携帯を取って、捲簾は目を丸くする。
「普通、相手ごとに誰から掛かってきたら分かるよう着信音変えてねーか?」
「僕は別に。ただの呼び出し音ですけど」
「まぁ、あんまり掛かってこねーならそれでもいいんじゃね?」
「でも…何で悟浄クンが『子犬のマーチ』なんですか?」
可愛い子犬がはしゃいで転げ回るような音と悟浄。
何となく大柄な悟浄からはイメージが湧かなくて天蓬は首を捻る。
「え?だってアイツ犬みてぇじゃん。すぐ懐くし甘えるし」
兄から見れば、悟浄はいつまでも子犬のように無邪気で可愛いようだ。
あっさり捲簾に返され、天蓬も悟浄を思い出してみた。
「んー?まぁ、確かに…悟浄クンが犬ならゴールデンレトリーバーかボーダーコリーって感じですよねぇ」
どう考えても、チワワやトイプードルのような子犬のイメージではない、が。
「でもどうしたんだろ?天蓬さっきまで悟浄んトコ行ってたんだろ?何かあった??」
着信の画面を眺めながら捲簾に問い返され、天蓬は視線を泳がせる。
「いえ?僕お邪魔でしょうから、八戒に朝ご飯作って貰ってすぐにおいとましましたから」
口元を笑みで引き攣らせる天蓬に気付かない捲簾は、『ふーん』と曖昧な返事だけ返した。
先程から鳴り続ける『子犬のマーチ』は途切れる気配もない。
「ねぇねぇ、捲簾?僕の着信音は何なんですか?」
「えっ?」
「だって、誰から掛かってきたかすぐ分かるようにしてあるんでしょう?僕は何の曲設定してるんですか?」
ただ何となく純粋に気になって天蓬が尋ねれば。

ポンッvvv

捲簾の頬が突然真っ赤に紅潮する。
携帯ストラップを弄りながらソワソワ忙しなく視線を漂わせる捲簾に、天蓬がきょとんと小首を傾げた。

…何の曲を設定してあるんだろう。

奇妙に恥ずかしがる捲簾に、天蓬の好奇心が疼き出した。
「教えて下さいよぉ〜僕は何の曲なんですか?」
「えっと…たっ多分!お前聞いても知らねーと思うしっ!」
「最新のヒット曲とか?」
「じゃ…ねーけど…っ」
「け・ん・れ・ん?」
ニッコリ微笑みながら真っ赤になった顔を逸らしている捲簾の顔を覗き込む、と。
「…サティ、だけど」
聞き逃しそうな程小さな声で、捲簾が呟いた。
「へぇ…捲簾サティなんか知ってるんですか。えっと、それじゃ『ジムノペディ』ですか?」
「………違う」
「え?それじゃ何だろう…『パッサカリア』ですか?それとも『ヴェクサシオン』かな?」
どうやら『サティ』を知っているらしい天蓬に、捲簾はとうとう観念して溜息を零す。

「違う…天蓬の着信音は『Je te veux』」

恥ずかしそうに白状する捲簾を見つめて、天蓬の顔が花が綻ぶような笑顔に輝いた。
その曲はサティの曲の中でも『ジムノペディ』と並ぶ有名なピアノ曲で、テレビのCMや番組などでも良く取り上げられていた。
曲名を知らなくても、大抵の人は聞いたことがあると言うだろう。

Je te veux、邦題は『あなたが欲しい』

「もぅ…捲簾ってばvvv」
天蓬の瞳に欲情の色が揺れる。
捲簾が愛おしくて美味しそうに染まった額や頬へキスを落とすと、物言いたげな視線が向けられた。
「天蓬ぉ…」
甘く掠れた声音に、誘うように開かれた唇。
思わず天蓬の喉がゴクリと大きく鳴った。
こんな風に最愛のヒトにあからさまに強請られて、天蓬が冷静で居られるはずがない。
「けんれ〜んvvv」
もうもうっ!頂きますぅっ!と、天蓬が遠慮無くソファへ寝そべる捲簾へ勢いよく覆い被さった。

ガタッ☆

ソファが天蓬の重さでバウンドした拍子に、携帯が床へと転げ落ちる。
相変わらず『子犬のマーチ』は途切れることなく鳴り続けていた。
「あっと…忘れてたっ!」
「………チッ!」
捲簾が我に返って携帯を拾い上げると、天蓬は思いっきり厭そうに舌打する。
しかし、捲簾が可愛い弟からの電話を無視できないことも分かっていた。
「おぅ!悟浄、どした〜?」
通話ボタンを押して捲簾はいつもの調子で声を掛ける。

『けっ…ケン兄っ!助けてえええぇぇーーーっっ!!』

悟浄の切羽詰まった絶叫が返された。
悲壮感漂う叫び声に、何事かと捲簾と天蓬は目を丸くする。
「おい?悟浄どうしたんだよっ!おいっ!?」
『早く…早く助け…っ…ウギャアアアァァッッ!!』
「お…おい?大丈夫かっ!悟浄っ!ごじょ―――」

ブツッ☆

通話が一方的に切られた。
捲簾は呆然と手にした携帯を眺める。
何か悟浄の身に非常事態が起きているのは明らかだ。
「どうかしたんですか?悟浄クン」
「分かんね…けど。様子見に行った方が良さそうかも」
捲簾が身体をふらつかせながら立ち上がる。
昨夜の激しすぎる行為のせいで、足に力が上手く入らない。
「大丈夫ですか?僕が様子見に行ってきますよ」
心配そうに見守る天蓬に、捲簾が苦笑いして首を振った。
「ん、さんきゅ。でも平気だから」
「じゃぁ、僕も一緒に行きますね」

時間を確認すると、まだ簾が起き出す時間じゃない。

一応万が一の為、簾が起き出して二人が居ないのを不安がらないよう、メモを残して悟浄宅へ向かった。






勝手知ったる弟の家。
捲簾はインターフォンも鳴らさずにドアを開けた。
すると、先程携帯から聞こえてきた絶叫が、今もリビングから聞こえている。
「悟浄?どーしたんだ?何があったっ!?」
慌てて捲簾が上がり込み、後から天蓬が付いてきた。
「悟浄っ!」
「あっ!ケン兄ぃ〜〜〜っっ!!」
弟の情けない声とその状況に、捲簾はポカンと口を開く。
天蓬がひょっこり捲簾の肩口から顔を覗かせた。
「おや?八戒ってば…早速使ってるんですねvvv」
やけに愉しげな声に、捲簾の視線が恋人と弟の交互へ向けられる。
「ちょっと僕たち込み入った事情なので、お帰り願えますか?」
「帰るなっ!帰っちゃダメだーーーっっ!!」
肩で息つく八戒の声を遮って、悟浄が必死の形相で懇願した。

それもそのはず。

リビングでは手枷を嵌められた悟浄が、エプロン姿の八戒に押し倒され暴れている。
聡い捲簾はすぐにピンッと来て、背後でニコニコ微笑む天蓬を呆れ返った視線で見遣った。
「アレ…お前か?」
「ええ。さっき折角ラブラブで過ごしていた所をお邪魔してしまったので、お詫びに置いていったんです♪」
「…あ、っそ」
額を押さえて捲簾が溜息を零す。
「ヤダって言ってんだろっ!八戒コレ外せってっ!!」
「何でですか?こんなに似合って可愛いのに〜」
「似合うかボケッ!もぉ〜もぉ〜っ!ケン兄っ!どうにかしてくれよおおぉぉっ!!」
「どうにかって…言われてもな」
チラッと八戒へ視線を向ければ、ニッコリ凄味のある笑顔を返された。
明らかに『邪魔しないで下さいね』と、脅しを掛けている。
こういう部分は本当に天蓬と似ていた。
やれやれと肩を竦めて、捲簾は髪を掻き上げる。
「八戒…ソレ、違ってるから」
「え?何がですか??」
「その手枷…手が使えねーように後ろ手に嵌めるモン」
「あぁっ!そうなんですか〜」
「本当は足枷とセットで使うのがいいんだけどな」
「ケン兄何余計なコト教えてんだよーーーっっ!!」
八戒へ悪知恵を囁く兄に、悟浄の表情が顔面蒼白になって強張った。
手枷を置いていった張本人の天蓬も、捲簾の後で満面の笑みを浮かべている。
「アッハッハッハ!じゃ、愉しんで使えよ〜」
「はいっ!ありがとうございますvvv」
「ケン兄いいいぃぃっっ!!!」
弟の悲鳴に豪快な笑いで応えると、捲簾は天蓬と一緒にさっさと帰ってしまった。



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